episode1:入学式
――新しい朝が来た。
今日から始まる高校生活。
俺は今、希望に満ち溢れていた。
春休みの自由な時間が終わるのは惜しいけれども。
実に惜しいけれども。
今日から電車通学、自身がワンランク上がったような気になる。
今までは自転車で十数分の中学校通いだったからなおさらだ。
真新しい制服に袖を通して、いざ行かん。
そうして俺は意気揚々と、自室のドアを開けた。
……まだ俺は寝ぼけているのだろうか。
足元に見覚えのある魔法陣が敷いてある。
目の前には何故か両手を上げた状態の、例のあの子がいた。
「詠唱完了! 召喚に成功した!」
「……何してるんだ、羽衣月さん」
「悠花と呼べ」
「……はぁ」
やはり夢の中ではなさそうだ。
俺は何事もなかったようにその場を通り過ぎようと、階段のほうを向きかけた。
しかしあるものが視界に入り、再び向き直った。
「おい、……その制服」
悠花は、よくぞ気付いたと言わんばかりにフフン、と鼻を鳴らし得意気にこう言った。
「これは天界より伝来せし、新たなる装束!」
「いや、そうじゃない。それ、“吉並高校”の……」
「……現世においては、そう見えるだけ」
と、何かのアニメキャラクターさながらのポーズをキメた。
歌舞伎だとこれ見得を切る、とか言うんだっけか。
そんなことはどうでもいい。
俺が悠花の恰好に呆気にとられていたところに、母さんが来た。
「あら空汰おはよう。言ってなかったけど、悠花ちゃんもあんたと同じ高校通うから、仲良くね!」
「それをなぜ入学当日の朝に?!」
「あはは、母さん浮かれてうっかり! 忘れちゃってたわー。あっ悠花ちゃんもおはよー」
「おはよう」
マジか。
ということは、だ。
「俺と、同い年……?」
「現実時間では、そうなる」
「はぁ……」
現実時間もクソもねぇよ。
もはや投げやりになりながら、俺は階段を降りていった。
なんてことだ。
この頭んなか中二病パラダイスな変人が同学年で、しかも同居生活だなんて……。
何のバチが当たったらこうなるんだ。
俺の高校生活早々からめちゃくちゃだ。
……しかし、母さんのこの適応力、こんなやつ相手でよく平然といられるな。
まぁ前々から知り合っていた、ってこともあるだろうが、それにしても寛容が過ぎるだろ。
そうして俺は甚大な悩みを抱えながら、朝食にありついた。
いつの間にか悠花も席についている。
人の気も知らないで、と思いつつ俺は時計に目をやった。
電車の時間にはまだ余裕がある。
これからはこの時間に起きて行くのがよさそうだ。
そんなことを考えながら食べ進めていると、母さんが席について食事をはじめた。
「空汰、学校の場所分かるわよね」
母さんがニヤニヤと聞いてきた。
「あたりまえだろ。受験の時にも行ってるから」
「流っ石~! で、そんな頼もしい空汰にお願いしたいんだけど」
「何?」
「悠花ちゃんなんだけど、この子と春男さんは別の市にいたからこの町のことあんまり分からないのよ。だから朝、一緒に行ってくれる?」
……薄々分かってはいたから否定する余地もない。
当人は朝食を頬張りつつ、よろしくしてきた。
「よおひく。んぐ、……ヒトの子よ」
「ヒトの子ってお前もだろ。俺は空汰だ」
「ふむ、覚えておく」
なんなんだこいつは偉そうに。
俺はこれからこんなやつと過ごさなきゃならねぇのか。
……無駄に可愛いのもイラつく。
これで性格良くて中二病さえなければ、俺も大歓迎だったんだがなぁ。
人生そううまくはできてないということか。
高校初日の朝、人生を達観した俺は朝食を食べ終え、登校準備をした。
「忘れもの無いでしょうね」
母さんが念押しで聞いてきた。
「昨日も確認してるから大丈夫だって」
「あらそお? 忘れものしても母さん届けに行かないわよ?」
「いらないから。じゃ行ってくる」
「はいはい。悠花ちゃんも気を付けていってらっしゃい」
「いざ行かん!」
悠花はそう言い放ち、勢いよく玄関を飛び出していった。
道分かんねぇくせに俺より先に行って大丈夫だろうか。
まぁいいや。
そうこうするうちに、春男さんが起きてきた。
寝ぼけ眼で寝ぐせボサボサだ。
朝弱いのか、この人。
「あ~、空汰君おはよう」
そう言って大きなあくびをしながら、春男さんはリビングへと消えていった。
朝こんなにゆっくりと時間とれる人なんて多くないはずだけど。
そんなふとした疑問が俺の頭に浮かんだ。
「母さん、春男さんって何の仕事してるの?」
「小説家よ~」
「へぇ……。は?!」
「かなりの売れっ子よ~」
母さんは自慢げに胸を張っている。
べつにあんたの手柄じゃないだろうに。
とにかく、在宅業なら納得だ。
一瞬最悪の回答が頭をよぎったが、そもそも娘と暮らしていたんだから、職はもってるよな。
とすると、思わぬ有名人が身内になった可能性があるな。
あとで詳しく聞いてみよう。
何となく朝から得したような気分で、玄関のドアを開けた。
外では、悠花が立ち尽くしてオロオロしていた。
右も左も分からないとは、このことだな。
勝手にどっか行かれて捜索するハメになるよりいいか、と妥協しながら、俺は悠花の先を歩いた。
「電車に遅れるぞ」
「……まだこの体に慣れていないだけ」
「何の言い訳なんだ」
悠花の戯言をよそに、俺は徒歩十分弱の駅へ向かった。
後ろに悠花が付いてきてるのを確認し、俺はふと昨日のことを思い出していた。
――紛うことない。
ここまで重症なやつは初めて見た。
この子はまさしく“中二病”だ。
御大層な宣言のあと、とりわけなにもなく、返された言葉は「用は済んだ」の一言だった。
俺はまさに鳩が豆鉄砲くらった状態だった。
あの子は結局のところ、何か用事があって呼び出したわけではなかった、のだろうか。
それともあれは、あの子なりの挨拶、ということだったんだろうか――。
理解に悩ましい。
謎だらけの人物だ。
悶々としながら歩いていると、駅に着いた。
改札を抜けたところに丁度、アナウンスが鳴り、電車がやってきた。
さて、と俺は後ろを振り返る。
この後ろの問題児をどうしようか。
先ほどから痛々しいポーズをキメながら何かと絶好調そうだ。
朝の様子から見ても、一人で無事ここから学校にたどり着けるかも不明だ。
勝手にどっかに行かれても面倒になるしな。
仕方ない。
俺は悠花がさっさと電車に乗るのについていき、隣に腰かけた。
……もちろん俺だって思春期男児の端くれだ。
ある程度の間ぐらいは空けた。
さて、二駅過ぎたら学校がすぐ近くだ。
それまでの一休憩、俺は電車に揺られながら、これから毎日見ることになる景色を眺めていた。