episode0:前日
――それはそれは突拍子もない出来事だった。
何の相談もなしにといえば、相談さえしてくれれば承諾していた、というような問題でもない。
むしろ事が起きる前に反論を述べることができただろう。
しかし現実は……。
この状況、どうやっても劣勢なのは俺だ。
起きてしまっては仕方がない。
……でも、せめてもう少し早くにして欲しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「空汰ー! ご飯!」
母さんの声が聞こえる。
廊下に出ると、一階から焼き魚の匂いがした。
今晩のメインとみて間違いない。
俺は階段を降り、夕食へと向かった。
リビングには今晩のメニューが食卓に並んでいる。
俺が席についたところで、母さんは合掌し食べ始めた。
「空汰、あんた入学準備はやったの?」
「終わってる」
「忘れ物無いようにしなさいよ」
「あぁ、うん」
俺、“柳谷 空汰”は明日から、高校生になる。
ようやっと義務教育の枠から外れ、また一つ大人に近づくわけだ。
実に感慨深い。
俺が明日から通う“吉並高校”は難易度的に言うと、さほどのものではない。
かといってノー勉でホイホイ入れる訳でもない。
全体的には中間あたり。
俺には丁度いいところなのだ。
もちろん、受験には無事合格し、入学する権利を獲得している。
ただ少し、家と距離がある為、通学に面倒なところが唯一の問題だ。
まぁ駅が割と近いから、それも大した問題にはならないだろう。
そんなことを考えながら、ふと気付いた。
なんだか母さんがソワソワしている。
若干、上機嫌にも見える……。
気になって視線の方に目を向けると、そこにはまだ手を付けていない夕食が2セット置いてあった。
……いくら育ち盛りでも流石に食えない。
そんなことは母さんも分かっているだろう。
俺は不思議に思い、尋ねた。
「母さん、今日誰か来るのか?」
「あら、気付いた? 空汰にはまだ内緒にしてたけど、実はね~」
母さんがそこまで言いかけたとき、玄関からインターホンの音が鳴った。
それを聞いた母さんは、相手が誰か知っている様子で、家の中に招く。
「どうぞー、入ってー!」
母さんに導かれてリビングに現れたのは、男。
落ち着いた印象で、母さんより少し歳上ぐらいだろうか。
平均より少し背が高いくらいで、これといった特徴も無さそうな人だ。
……人のことを言えた身ではないが。
少なくとも俺が知っている顔ではない。
「母さん、この人は?」
俺がそう尋ねると母さんは得意そうに鼻を鳴らし、その男と腕を組んだ。
「この人は私の再婚相手! 今日から家族になる“羽衣月 春男”さんよ!」
「……へぁ?」
俺の情けない声と共に、口から米粒が零れ落ちた。
「つまり、空汰のお父さんってことね!」
「……ぇえーーー?!」
「よろしく、空汰君」
春男さんと呼ばれたその男は、俺を動揺させまいと朗らかな笑顔で挨拶してくれたが、この突拍子もない状況、俺に返事をする余剰はなかった。
――父親。
俺の中での父親は、幼少のころ、母さんと息をするようにいがみ合い、離婚届を叩きつけられて出て行った背中しか記憶にない。
母さんはそのパワフルな性格も相まって、女手一つで仕事に家事に奔走し、俺を育て上げた。
そういった家庭環境で、中学辺りからは俺も家事に手をかけるようになり、お陰で幾許か生活力が身に付いたと思っている――。
俺が呆然と記憶旅行している間、母さんはいそいそと2人分のご飯をよそっている。
2人分……?
まさかこの人が大食いで、2人分無いと物足りないとか?
しかし体型を見る限り、そういうことはなさそうだ。
つまり、まだ誰か来ると言うことか。
目の前の春男さんに気を取られ気付かなかったが、春男さんの後ろに人影が見える。
俺の視線に気づいた春男さんが、その後ろに振り向き、人影に向かって耳打ちをしているように見えた。
するとその人影が春夫さんの横におずおずと姿を現した。
そこでようやく人影が女の子だと分かった。
「ほら悠花ちゃんも座って座って!」
母さんがそう言うと、春男さんとその女の子が食卓についた。
今日呼んでいたのはこの2人だったんだな。
ようやっと役者がそろって満足したのか、母さんは鼻歌まじりに2人の夕食を並べている。
……再婚するって言ってたよな。
ここにその当人達が来たってことは、一緒に住むってことなんだろうか。
だとすれば通りで最近、物置にしてた部屋の物が片付いてたり、見知らぬ物がやたら多くなってたわけだ。
いやその時点で何か気づけよ、俺。
しかし先ほどからの出来事で動揺してよく見ていなかったのだが、この悠花っていう子、見たところ俺より年下っぽいな。
中学1年とかだろうか。
俺が状況分析していると、母さんがおもむろに紹介しはじめた。
「あ、そうそうこの子は“羽衣月 悠花”ちゃん。春男さんの娘さんね」
まぁ、そうだよな。
つまりこの子は俺の義理の妹とかになるんだろうか?
難しいことはよく分からないが、だいたいそんな関係性だろう。
俺はこの現状をどう受け止めるべきなんだろうか。
新しい家族ができた、と喜んだらいいのか。
それとも愛想を尽かして出ていけばいいのか。
まぁ、あてもないからそんなことはしないが。
しかし、俺にとっては完全な他人のわけで、いや別に他人だからという理由だけで無碍にするつもりもないわけで。
……まぁ、起きてしまっては仕方がない。
母さんのことだ、同じ轍を踏むような選択はしていないだろう。
これで少しでも母さんの負担が減るのなら十分安牌じゃないか。
俺はそうやって自分を言い聞かせ、残る夕食の箸を進めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕食を終え、例の2人は自分の荷物を整理しに行った。
どうやら俺の部屋の隣が悠花という子の自室になったようだ。
あの部屋はそう狭いわけでもないし、不便はないだろう。
そういえばまだその子と一言も話しをしていない。
荷物整理が終わったころに、一度隣に行ってみよう。
それまでごろごろゲームでもしていよう。
寝転がって間もなく、俺の部屋をノックする音が聞こえた。
「入ってもいいぞ」
返事がない。
聞き間違いか?
すると、もう一度ノック音が聞こえた。
よく聞くと、ドアのノック音じゃない。
壁から聞こえる。
隣の部屋からだ。
つまりあの子の仕業ということだ。
部屋に来いってことか?
普通に呼べばいいのに……。
人付き合いの苦手な子なんだろうか。
まぁ、行ってみれば分かるだろう。
俺は部屋を出て、隣の部屋のドアを開けた。
中には椅子に座っているあの子がいた。
そしてなぜか俺に背を向けたまま、話し始めた。
「ようこそ、天界の聖地へ」
「……何て??」
「歓迎する」
「いやむしろ歓迎してるのはうちのほうだよなぁ」
思わずツッコミを入れてしまった。
しかし、今日からここはこの子の自室になるわけだし、間違いでもないか。
この際細かいことはどうでもいい。
俺は謎の納得と妥協をしつつ、話を進めることにした。
「何か用事があったのか?」
「今の通信、聞こえていたな」
「通信……、あぁ壁叩いてたこと?」
「如何にも」
と言いながら、椅子をクルッと回転させ、俺の方を向いた。
あっ、なんか映画とかで見たことあるやつ。
「我は、天界より降り立った使者。人は私を“天使”と呼ぶ」
「……んん?? 何て??」
思わず聞き返したが、当人はさも飽きれたというように額に手をやり、溜息をつきこう言った。
「ここ人間界においては、カモフラージュのため“羽衣月 悠花”と名乗っている」
一人称“我”だったり“私”だったりで定まってなかったな、と変なところに冷静になりつつ、俺は現状把握に努めた。
まず、部屋。
なんだこの部屋。
使いどころの分からない物があたりに散乱している。
部屋のど真ん中に敷かれた魔法陣? の書かれた布。
その上にこれまたよく分からない人形が置いてある。
まだ引っ越し整理最中で、片付いていないからだと信じたい。
ここまでのやりとりでもう明白だが、一応率直な確認をとることにした。
「羽衣月さん、……中二病?」
「紛らわしい。悠花と呼ぶがいい、ヒトの子よ」
「ヒトの子って、お前も同じだろうが」
「我は天界の」
「あぁ分かったから。もういいから」
紛うことない。
俺の質問もおかしいが、こいつもそれを通り越しておかしいな。
俺は悠花の言葉を遮り、分かり切った結論を出した。
羽衣月 悠花は、“中二病”だ。