ちょっと批判的なことを言ってみる。
一歳の娘と日課の散歩に出掛ける。
インドアな私は散歩すら面倒で、行かない日もあるから日課とは言えないかもしれない。怠惰な母でごめんね、娘よ。
とはいえ、今日は出掛けて正解だった。
絵の具では表現できないような綺麗な青空とポカポカ陽気。うん。一回出ちゃえば楽しいんだよね、外って。
よちよち歩く娘に合わせて歩く。花をつついたり石を拾ったり、何をしていても可愛い。ちょっと目を離した隙に小石を口に入れたと気付くのは、わりと大きな物を頬張りすぎて口が閉じきっていないからだ。ヨダレが大変なことになっている。すぐに吐き出させるがちょっぴり泣かれた。石なんて美味しくないのに。
ぼんやり空を見上げると、何とそこには大きな虹が出ていた。スゴい、しかも逆さ虹だ。初めて見る。
スマホを取り出し、逆に弧を描く虹を直ぐ様写真に収める。この感動を分かち合いたくて、早速旦那さんに写真付きでラインする。でもこういうのって、ピュアっぽさを演じてるみたいで何となく居たたまれない。逆さ虹だからギリセーフと思いたいけど、これが普通の虹だったら最高に恥ずかしい。『見て見て~、虹カワイ~』って言ってる私カワイイでしょ、みたいな。……そんなふうに感じる自分は相当性格が悪いと分かっている。
私はいつから何事も素直に捉えられないようになってしまったのだろう。スレてる。スレきってる。
純粋で真っ直ぐに物事を受け入れられる人を、私は尊敬する。ちょっと嫉妬もする。
思えば学生の頃には『うわ~、この人スッピンとか言ってるけどガッツリスッピン風メイクしてますやん。<眉毛はタトゥーだから落ちないんです>って、ならそれスッピンにはカウントされませんやん』とか、エセ関西弁でテレビにツッコんでいた。芯から素直な人、本当に羨ましい。
どうやって生きてきたら、ピュアさを失わないんだろう。世間に失望せずにいられるんだろう。失敗とか挫折とか、一度も経験したことがないんだろうか。子育ての参考にしたいから是非知りたい。
ピュアな人は、きっと温室の中で大切に大切に育てられてきたのだろう。底辺の暮らしなど触れる機会もなく、知ることすらなく。地べたに這いつくばって生きる野草とは格が違うのだ。くそぅ、格差社会め。
その例えでいくと、どんな苦境でも綺麗に咲いてみせるタンポポってスゴい。側溝の底からでも顔を出している。私だったら『あ~、マジか。あんなふうに楽に生きてる人いるんか。もう絶望だわ~』とか言って咲くのを諦めてしまうだろう。脱帽です。真の努力家はあなたです。散歩中の子どもに引っこ抜かれて楽しそうにブンブン振り回されることもあるだろうけど、これからも強く生きてね。とりあえず私はタンポポが似合う可愛い娘を前にシャッターを切りまくります。
でもそこでハッと気付く。道端で一生懸命咲いてるこのタンポポたち、温室の存在知りませんよね?楽して生きられる世界があること自体、気付いてないですよね?むしろ周りに生えてる雑草とか野花を見て、『よっしゃー、みんな大変だけど一緒にガンバろうぜー!』くらい思ってるかもしれない。
自分が苦境にあると知らなければ、人は真っ直ぐ育つのかもしれない。他人と比べてしまうから絶望するのかもしれない。つまり私がピュアさを失った原因は、昨今のマスメディアの情報過多にあったと。くそぅ、情報化社会め。
よし。腹が立ったしメチャクチャ暑いから、今日はお酒を飲んじゃおう。一枚300円の特売ステーキ肉を旦那さんと半分こして、安い発泡酒で乾杯しよう。もちろん楽しいバラエティ番組は欠かせない。あー最高。
格差社会さん、情報化社会さんどうもありがとう。
今日も私は幸せです。




