不信と信頼と
「お疲れさまでしたー。黒虎ちゃん大活躍だったねー、よーしよしよしよし」
防衛フェイズが終わると、幸は真っ先に塔を駆け下りて黒虎に抱きつく。
俺に背を向けてこっちを見ようとすらせずに、モフモフに没頭しているようだ。黒虎も渋々という感じだが大人しくなで回されている。
黒虎は俺が撃ちこぼした敵の処理を担当してくれたので、かなり楽に戦うことができた。幸も黒虎のフォローに回ってそれなりに活躍はしていた。
貢献度で言うなら黒虎8、幸2ぐらいか。やはり、黒虎を選んだのは間違いなかったようだ。
塔から飛び降りて石の壁を消しておく。クリスタルに触れてポイントの確認と次に備えなければならない。
これだけポイントがあれば、また一人雇えるな。
考え事をしているとビュービューと風のなる音が気になり、クリスタルの裏側に回って谷底を覗き込む。
この見ているだけで吸い込まれそうになる感覚はなんなんだろうな。
「谷風が強いな」
平原から変更してから時折強い風が吹きあがり、そのせいで矢が数発外れた。今も吹き上がった風が砂利を巻き上げ、クリスタルに当たり小さな音を立てている。
まさかとは思うが、これでHP削れたりしないよな。
楽しそうな声が聞こえたのでクリスタルの端から顔を出して向こう側を見る。
幸はまだ黒虎とじゃれていた。一方的な愛撫で黒虎は迷惑そうだが。
彼女はムードメーカーであり、この塔での同行者。
それだけのはず、なのだが――
自分の分は選び終わり、やるべきことはやったのでクリスタルから手を離す。
「思ったよりポイントが稼げているから、次は幸が誰か雇ってくれ」
クリスタルの裏から出て、幸と黒虎の方へ向かっていく。
「いやいや、お任せしますって。言ったじゃないですか、私は選ばなくていいって」
「遠慮しなくていいんだぞ。偽物とはいえ俺の知り合いばかりが増えると肩身が狭いだろ。不意打ちして倒した相手でも見るからに強そうなヤツとかいただろ?」
「えっと、うーん、でも網綱さんの方がちゃんと実力を把握しているじゃないですか。曖昧な状態で選ぶよりいいと思うんですよ」
手を激しく振って拒否すると、俺に譲ろうとしてくる。
幸の言い分は理解できる。『透過』を活用してきたから倒した相手の強さを知らない。
確かにそうだろう、だが……。
「いや、誰でもいいから一人雇ってくれ」
「えええっ、もったいないですよポイントが」
「いいから。それとも雇えない理由でもあるのかい。プレイヤーを一人も倒したことがないから、雇用する相手がいない、とか」
すっと目を細めて幸を注視する。
目を見開き大口を開けて大袈裟に驚いた表情をしているが、一瞬だけ顔から表情が消えたのを見逃さなかった。
感情が豊かで能天気に見えた彼女。それがもし、演技だったとしたら?
「きゅ、急にどうしたんですか。あれーもしかして、私のことを疑ってます? でも、何を疑うんです? 私も網綱さんと同じくプレイヤーでこの塔に放り込まれたのですよ。竜虎さんみたいに人殺しが大好きとか危ない趣味ないですよ?」
「何を疑っているのか。もっともな質問だな。裏切るかどうかはわからないが、あんたの正体を疑っている」
「正体? 今更ですか? えっと、引きこもり体質のゲーム好きですけど」
小首を傾げて惚けているように見える幸。
しらを切っているのか、俺の予想が外れているのか。
「質問を変えようか。あんたの本名はなんだ」
「本名もなにも、幸ですよ。海鳴幸って名乗りましたよね」
クリスタルに石でもぶつかったのか、コンコンと音がした。
「それはお前が名前と姿を借りている相手だろ。あんた、自分の外見を変更できるような魂技を所有しているんじゃないのか? 他にも俺に教えてない魂技がまだあるだろ」
苦笑いを浮かべていた幸の表情が固まった。
……図星だったか。
「ダメですよ、仲間を疑うなんて。でもなんで、いつから、そんないけないことを思っちゃったんですか?」
表面上はいつもの幸だ。少しおどけた感じで口調も軽い。
だが、何かが変化したのを感じ取っていた。
「いつからか……強いて言うなら初めから。誰も信用していないからな」
彼女は同行者ではあったが仲間ではない。
「ほんっと疑り深いんですね。でも、偽者って疑われるような要素ありました?」
「まず、あの牢屋で一年も動かなかったというのに、俺と同行したこと」
「そこは変じゃないですよね。実力が足りなかったから、クリアーできそうな人が来るまで待っていたって言ったじゃないですか」
「確かにそれはわからなくもない。だが、問題はその後だ。享楽の町で俺と別れて待っていればいいものを付いてきた。俺の実力を見込んだのならあの町で博打でもしながら暢気に待てばいい」
彼女はクリアーできなかった、あのステージから逃げ出したいだけだった筈。その後も律儀に付き合う必要がない。
「私にはクリアーする目的があると言いましたよね?」
「一年間も動かずに牢屋にいただけの輩に、クリアーする気があったと言われてもな」
命を懸けてまで邪神の塔攻略に挑む気があるなら、勝ち目がなくても一年間ゲームに明け暮れて引きこもったりはしない。
それに享楽の町でも迂闊な行動が多すぎた。一年も無駄にした者が考えも無しに博打で全財産を使い果たしたりはしないだろう。よほどのバカなら話は別だが。
「疑いが確信に変わったのは、つい最近だ。この七階層のゲームを始める際に魂技が封印されただろ。あの時、お前さんは全裸だった」
「もう、恥ずかしいんだから忘れてくださいよ」
頬を挟み込むように手を当てて照れているが、今となっては何もかもが芝居にしか見えない。
「あの時、顔が元に戻っていたんじゃないか」
「……後ろ姿しか見てないと言ったのは嘘だったんですか」
「いや、本当に後ろ姿しか見てなかった。すぐに目を逸らしたしな」
「だったら、どうして」
「その後、俺がコートを貸したら恥ずかしがる振りをして、ずっとフードを目深に被って顔を隠していただろ。あれは体や顔を変化させて別人になれる『魂技』が封印されていたからじゃないのか?」
これは話していないが、後ろから見えた体形が前と少し違った気がした。
享楽の町で裸を目の当たりにしたが、その時と比べてわずかだが腰あたりが少し太くなりお尻が小さかったような。ただ、それは……確信がない。
「なるほど。でも、初めに『透過』を取らないで、その姿を変えるとかいう魂技を取れば済んだ話ですよね」
「本当は取りたかっただろうな。だが、あれだけ『透過』に頼り切っていて、命がけのゲームが始まる場面で真っ先に『透過』を選ばない理由がない」
あそこで別の魂技を選べば、もっと怪しんでいただろう。
「そして、第一ステージをクリアー後にもう一つ魂技を解放する際に、姿を変更する魂技を選んだ。うっかり、体力や精神を増幅させる『ど根性』を選ばなかったと言い訳をしてね」
「私は海鳴幸で嘘なんて吐いてませんよ」
真剣な眼差しで俺を見つめる彼女の背後から谷風が吹き上がり、彼女の髪の毛が逆立つ。
コンコンと石がクリスタルに当たったような音がまた響く。
「……もういいだろ。お前が嘘を吐いているのはわかっているんだ。他にも理由が必要なら、こんなのはどうだ? 享楽の町で戦ったときは裸を見られたのに照れて、ちょっと暴れて終わりだった。だというのに今回はずっと恥ずかしい振りを続けて、頑なに顔を見せようとしなかった」
まだ何か言う必要があるか?
と問い掛けるように相手を見据える。
「はぁー、上手くやっていたつもりなんだけどなー。はい、そうですよ。私は海鳴幸になり切っていた別人です」
声色が変わり風にあおられた彼女の姿は、まるで強者の演出をしているかのようだ。
またも、コンと背後から音がする。
「やっぱり、無理があったかー。ずっと顔隠しているのも不自然だし、『ど根性』を選んでずっと『透過』発動させる手も考えたけど、感情の揺れで姿が見える危険性があるから迷ったのよ。ほら、どこか抜けているキャラを演じていたから、こっちの方が自然な芝居かなって思ったのに」
肩をすくめて呆れたように頭を左右に振っている。
「あとは敵を見た時の反応だな。あのダンジョンを経験すれば、ここでの敵に見覚えがあるはずだ。だというのに初めて見たかのような驚き方をしていたからな」
「あちゃー、設定が甘かったかー。お芝居に気合い入れすぎたのね」
天を仰いでいるが顔に反省の色はなく、それどころか頬が緩んで嬉しそうだ。
「それ以外にも理由は幾つかある。アクションステージで上げた攻略サイトの名は嘘だというのに、話に乗ってきたからな。それにこの七階層に入ったら武器も道具も取り上げられたのに、なんで幸のスマホは消えてないんだ?」
俺が疑うことを知らない素直な人間だったら見事に騙されていただろう。
「あーもう、私ってダメダメですね。全然気づいていませんでしたよ。……それで、網綱さんは私の正体はなんだと思っているのですか?」
軽いノリで訊いてくれるな。
確信は持てないが予想はついている。ここは隠す必要もないので、素直に答えるとしよう。
「さーてな。その便利な能力からして、俺の見張りか観察係ってとこじゃないか。邪神の手先かラースフォーディル人かは知らないが」
「おおおっ! 大正解ですよ、網綱さん!」
満面の笑みで拍手をされても、バカにされているようにしか見えない。
「私って戦闘力はないですけど『透過』『変身』とか諜報活動に便利な魂技が揃っていますからね。これでも結構優秀で重宝されていたのですよ」
確かに、彼女の魂技があればスパイや見張り役として優秀だっただろう。
「それでどっち側なんだ。邪神陣営、現地人陣営どっちだ」
「ええとですね、どっちでもあり、どっちでもないのですよ。私はラースフォーディル人でありながら、邪神側についているので」
幸――だった彼女は自分の顔に手を滑らす。
すると、彼女の顔が変貌した。
闇のように黒かった瞳が緑へと変化する。
どちらかと言えば美人寄りだが目立たない顔つきが、切れ長の目で外国人モデルのように整った顔へ。絶世の美女と呼んで差しさわりがない。
「この外見で日本人は無理がありましたからね。打ち解けるには同じ国籍の人の方がいいでしょ」
頬に指を当てて小首を傾げているだけだというのに、まるでファッション雑誌のワンシーンのように様になっている。
「本来の海鳴幸はどうなったんだ?」
「その人はあの牢屋で餓死していましたよ。死ぬまで牢から出る勇気がなかったみたいですね。なので、お名前とお顔をお借りしました」
「あんたの目的はなんだ」
「言っても信じてくれないかもしれませんが、私は有能なプレイヤーを見つけ出し、邪神の塔攻略のお手伝いをする役割です。あとは、網綱さんの細かい情報を邪神様に送っていますね。正体がバレちゃったから、お役御免でしょうけど」
嘘を吐いているようには見えないが、今まで散々騙されてきた俺に人を見る目はない。
「はい、か、いいえ、だけで答えてくれ。お前さんは邪神の手先でラースフォーディル人。そして、俺に危害を与えるつもりはなく、むしろ手助けをする役割だと。間違いないな」
「言ったところで信じてもらえないかもしれませんが、はい、ですよ」
背後のクリスタルから、コンと今までで一番大きな音がした。
「そうか、邪魔をしないなら好きにしたらいい。特にこのステージは人手不足だからな。手伝う気があるなら」
「えっ? 網綱さん、自分が何を言っているのかわかっているのですか?」
俺の返答が予想外だったらしく、できる女のような言い回しではなく素で驚いている。
「理解している。敵対せずに手伝うのなら問題ないだろ」
「いやいやいやいや! 邪神側って暴露しましたよね! えっ、なんでそんな奴を手元に置けるんですか。おかしいでしょ」
「手伝いしてくれるんだろ。だったら、何が問題なんだ」
俺の攻略の手助けをしているのは感づいていた。アクションステージの最終面の難易度は初見ではどうしようもない。
偶然、幸がスマホでゲームの内容を知っていたからクリアーできたようなものだ。
そして、そんな偶然を素直に信じる純粋さは……もう残っていない。
「疑い深いくせに、私の話を信じちゃうんですか? 本当は全部嘘で、網綱さんの寝首を掻くのが任務かもしれませんよ。違いますけどね」
もしそれが目的だとしたら、ここで口にしたりはしないだろ。
本来の任務がそれなら、あの鬼ごっこステージで『ベルセルク』を発動して動けなかったところをやれば済んだ話だ。
それに、俺には彼女の発言が嘘ではないという確信がある。
「そうらしいよ。今の発言は嘘だったかい?」
「嘘は吐いていませんでした」
そう答えたのは、クリスタルの背後から現れた少女。
黒髪で癖のない長髪が腰あたりまで伸びている。色白で大人しそうな雰囲気の少女だ。
「誰!? えっと、本当に誰なんですか?」
「あんたが黒虎とじゃれている間に俺が雇ったキャラ、鳴門 光輝だ」
幸は黒虎と遊んでいて気づいていない隙に彼女を雇い、クリスタルの後ろに潜ませて、ある役目を与えておいた。
「黒虎が俺の言いつけを守ってちゃんと幸の気を引いてくれたから、色々小細工もやりやすかったよ」
「黒虎ちゃんもグルだったんですか。でも……なんで、その子が私の発言が嘘だと決めつけ――」
「光輝には変わった魂技があるんだよ。相手の発言が嘘かどうかを見抜く能力がね。会話の途中でクリスタルの方から音がしてなかったか? あれは嘘なら二回、本当なら一回叩いて俺に知らせるように頼んでいた」
光輝がこくんと小さく頷く。
「どうして、このタイミングで私の正体を暴こうとしたのか不思議だったんですが、そういうことだったんですね。嘘を見抜く力を持った彼女を喚んで、正体を確実に見抜くため……」
「そういうことだ」
ずっと不信感はあった。だが、確証もなく問い詰めたところで言い逃れられたらどうしようもない。
だから、確実に見抜く必要があった。
黒虎を先に雇い、魂技が使えて自分の言うことに従うことを確認。
それを踏まえたうえで今回稼いだポイントを使い光輝を雇う。予想以上に上手くはまった。
「すっきりしたことだし、作戦会議を始めるぞ。新たに光輝も参戦してくれたからな、配置も戦略も練り直しだ。何ぼーっとしてんだ、こっちにきて参加してくれ。……本名がわからないから、幸でいいよな」
「えっと、あの、その……正気ですか。嘘を吐いていた私を、まだ仲間だと」
「仲間と思ったことは一度もないと言ったろ。嘘も裏切りも慣れた。今は敵対する気がないなら、それでいい。利用できる者は利用するだけだ」
それが嘘偽りのない本心。
……少し、ほんの少しだけ残念だとは思っているが。
「繊細なんだか、剛毅なんだか。わかりました、顔も幸さんに戻しておきます。その方が話しやすいと思うので」
幸も開き直ったようで、いつもの顔になると俺の隣に腰を下ろした。
これでいい。俺たちはまだ七階層ステージの中盤にすら達していない。
心機一転、このメンバーで乗り切るしかない。
こんな場所で足踏みをするつもりはない。
今も眠り続けている人々を助けて日本に戻るためにも、最善の策を選んでいこう。
味方も敵も欺き、あらゆる手段を行使して、邪神の塔を攻略しなければならないのだから――




