百体目
スライムが雑魚という認識が広まったのは、あの某有名ゲームが原因だろう。
それまではファンタジー世界のスライムは厄介な生き物としての代表格だった。
体が粘液で打撃も斬撃も通用しない魔物で、おまけに何でも取り込み体内で溶かす恐ろしい魔物という認識が普通だったのにな。
今回俺の前に現れたのは黒くてぷよぷよした巨大水まんじゅうのようなスライムだが、どう考えても雑魚敵の方ではない。
危険度は跳ね上がっているが、こういった隠しボス的存在を倒せば何らかの褒美があるというのがゲームの基本だ。
それは武具や貴重なアイテムというのが定番だろう。
「まあ、それも倒せなければ意味がないけど」
あのゴムボールのような体は打撃無効もしくは軽減だとアピールしている。実際に殴って試してみてもいいが、危険な行動はできるだけ避けておくべきか。
棍を縮めてポケットに放り込むと、背負っていたコンパウンドボウを取り外す。
矢が効けば話は早いが。
相手はその場で小刻みに揺れているだけで何も行動に起こしていない。距離は十メートル以上離れているので、弓なら一方的な攻撃が可能だ。
限界まで弦を引き本気の矢を解き放つと、風を切り裂き唸りを上げ、黒いスライムの巨体へ突き刺さった。
水面に激突したかのように粘着質な液体が弾け、矢は根元まで相手の体に埋没している。
これがゲームならダメージ表示が出て、この攻撃が有効なのか判断できるのだが……わからん。表情もないから、今の一撃が効いているのかどうか調べようがない。
軟体魔物の弱点としては透明の体の中に核があり、そこを潰せばどうにかなったりするのだけど、全身真黒で核があったとしても見分けがつかない。
更に三発矢を放ったが無反応。痛くも痒くもないのかね。
このままではらちが明かないので武器を石の棍に代えて、じりじりと間合いを詰めていく。半分ほど距離を縮めたところで、野球のスイングの要領で棍を全力で振ってみた。
普通なら届く間合いではないのだが、そこは伸縮自在の能力を発動させて棍を数メートル伸ばして、スライムの体にフルスイングした。
水面に叩きつけたかのような感触が手の平に伝わる。相手の体にずぶりとめり込み、一気に重くなったがそのまま全力で振りきる。
すると、あの巨体を上下真っ二つに両断できた。
「意外とあっさりだな」
二つに分断されたスライムが哀れな死体を晒しているが、隠しボスにしては弱すぎないか。俺が強すぎるという考えもありなのかもしれないが、そうやって慢心する程、素直な性格はしていない。
警戒しながら二つに分かれたスライムを観察していると、二つともが脈動し始めた。ぷるぷると体を震わせていたかと思うと、ピタリと止まった。
すると、そこには二体のスライムが健在していた。大きさは半分になっているが。
「そっち系か」
分断されて個々に動き出すタイプの魔物。こういった相手は攻撃を加えれば加える程、分裂して手が付けられなくなる。
「っと、動く気になったのか」
質量が減って身軽になったのか、スライム二体が俺に向かって進んできている。といっても人の歩く速度ぐらいなので脅威は感じない。
さて、どうするか。殴ったらまた分裂しそうだしな、矢でも撃ち込むか。
武器を取り換えようとした、その時、二体のスライムが体の一部を鞭のように長く伸ばし、俺に突き出してきた。
軽く後ろに跳んで距離を取るが、その鞭の様な触手は伸縮性があるようで攻撃範囲はかなり広い。それも一本ではなく一体から四本ずつ伸びている。
「困ったな。矢は効いているかどうかもわからない。殴ったら分裂する。じゃあ、今度はこれか……うおおおおおおおおおおっ!」
二体目掛けて『咆哮』を放つと触手も含めたスライムの動きが停止した。
おっ、効果ありか。まるで彫像のよう……この場合フィギュアと表現した方がいいか。
仮に硬直している腕を殴ってみると、ボロボロと崩れ落ちた。これ、本当に体が固まっているみたいだ。弾力性も失われているぞ。
じゃあ、今の内にとっとと潰しますか。
粉々になるまで二体のスライムを叩き潰したのだが、核っぽい物は見つからなかった。足元には地面に落としたコーヒーゼリーのようなものが散乱している。
これで討伐したことになるのかね。一応距離を取って事前に調べておいた『咆哮』の硬直時間が解けるのを待つ。
「そろそろだが……おっ」
スライムの欠片たちがもぞもぞと動き始めると、全部が一か所に集まり再生しようとしている。
異常なまでの再生機能なのだろうか。それとも物理的に滅ぼすことはできないタイプなのか。どっちにしろ厄介だな。
物は試しだ、とことん殴り続けてみるか。
相手の動きは相変わらず鈍重なのでサンドバッグ状態で殴り続けていたのだが、同じことの繰り返しだった。
分断されては元に戻り、再生を繰り返す。体が一回りぐらい小さくなればダメージを与えている証拠にもなるのだが大きさに変化はない。
強くもない相手だがひたすらに面倒臭い。このまま持久戦に持ち込んでもこっちに勝ち目はないだろう。
「実験はもういいか」
正攻法で倒せるか試していたが、無理だとわかった。じゃあ、真面目に退治することにしよう。こういった相手の討伐にはもっと倒しやすい手段がある……火だ。
打撃斬撃の効果がない相手なんて燃やすか魔法を撃ち込むのがファンタジー小説やゲームのお決まり。俺は魂技に『炎使い』があるので、こうやって手の平から炎を生み出し相手を燃やすことができる。
打ち砕かれて床の上で揺れているスライムの欠片に炎の球を投げつけてみた。
じゅっ、と水が蒸発したような音がしたかと思うと、スライムの欠片が焦げた。他の欠片は再び合体しようと動いているが、焼いた欠片は煙を上げて微動だにしない。
摘み上げてみたが、中まで火が通っているようで硬く変化していた。そのまま握りつぶすと粉状になり大気へと消えていく。
砕いて小さくしてから燃やして潰せば再生は不可能ってことか。それさえわかれば、ここからはただの作業だな。
砕いて燃やすを淡々と繰り返し、スライムを全て燃やし尽くした。
血沸き肉躍るような戦闘シーンもなく討伐完了。勝つ為の実際の戦いなんてこんなもんだよな。見栄えを重視するような戦いは死を早めるだけだ。
全ての欠片が消滅したのを確認すると、額の汗をぬぐう動作をする。実際には汗を掻いてないが、一仕事終えた感を出したかった。
床がスライム登場時のように金色に輝くと、今度は宝箱が床からゆっくりと浮上してきた。邪神こだわりの演出なのだろう。
木製の宝箱は枠を金属で補強した、ありがちな形をしている。
ここで何も考えずに蓋を開けると罠が仕込んで有り、爆発四散という流れも予想されるので、充分な距離を取って石の棍を伸ばして蓋を開けた。
爆発も毒ガスも噴き出すことはなく、普通に開いたな。
そーっと近づき中を覗き込むと、ペットボトルサイズの瓶が置かれていた。中身は黒い液体のようだ。ご丁寧にラベルが貼られているので、そこに描かれている文字に目を通した。
『出汁入り濃口醤油』
開いた口が塞がらなかった。
我が目を疑い確認してみたが書かれている文字に変化はない。
だから、あのスライム黒かったのか納得だよ……じゃねえっ!
隠しボスのドロップアイテムが濃口醤油って、ふ、ざ、け、る、な。
怒りに身を任せて醤油の瓶を地面に叩きつけようかとも思ったが、ギリギリで自重した。心を落ち着かせてラベルをもう一度観察する。
『賞味期限はありません。最高の品質をいつまでも』
いらっとしたが、ぐっと怒りを抑え込んだ。出汁入りの醤油なら汁物を作る際にも便利だ、と思うことにする。
バックパックに放り込むと俺は階段を上り始めた。敵はあれから全く湧いてこないので、スライムで品切れのようだ。この後、赤いスライムとかが現れてケチャップとかを落とす展開も期待したのだが、それはないようだ。
これも邪神の茶目っ気なのかね。実は個人的な感情として邪神には恨みはない。俺たちを召喚して手駒にした馬鹿な異世界人の方には恨みしかないが。
邪神としては娯楽の為に勝手に呼び出された被害者だ。キレてこの世界を滅ぼそうとしているのも、異世界人の自業自得なんだよな。
この邪神の塔一階を経験した限りではゲームをやり込んだ者が、楽しんで作っているかのような感覚がする。
ゲーマーが自分で作ったらもっと面白いゲームが作れる、という発想で作り上げたようなシステム。リアルなのにゲーム感覚が抜けないのはそのせいだろう。
高難易度やり込みゲームが好きな奴が作り上げた塔となると絶望感しかないが、ゲーマーならクリアー不可能にはしない筈。
必ず抜け道と攻略法はある。そう思い込むしかない。
階段を黙々と上り続けているが、まだ先は長いようだ。階段の途中で座り込みバックパックから食料を取り出した。鳥の燻製なのだが、試しに手に入れた濃い口しょうゆを一滴だけ垂らしてみた。
これで毒が入っていたら、この塔の攻略は諦めた方がいいかもしれないな。そんな覚悟をして燻製に齧りつく。
「おっ、旨い」
たった一滴だというのに、その味は濃厚で口一杯に濃口醤油の風味と出汁の旨味が広がる。これは意外な拾い物かもしれないな。
食事は人間の三大欲求の一つだ。食に対しての楽しみがあるというだけでも、明日への活力に繋がる。
この濃口醤油は慎重に使っていこう。そう心に決めて、階段での食事を楽しむことにした。