旅立ち と 別れ
「意外でしたね」
朝を迎え宿屋を出た俺を見つめて、生首が何か言っている。
「何が意外なんだ」
「てっきり、龍虎ちゃんを誘うものかと」
あー、彼女を邪神の塔攻略に誘わなかったことを疑問に思っているのか。
俺も当初は誘うつもりだったのだが、今はそんな気になれないでいる。
「相手の性格も能力も良くわからないから。それに、可愛い人や美人が傍にいたら緊張するから、一緒に旅するのは無理かな」
一番の心配は戦闘中に本能を優先して襲い掛かられることだ。
「なるほどぉ、ちょっと身長が高いけど照れた顔とか可愛いですもんね……って、どういうことですか⁉ じゃあ、私に緊張しないってことは!」
「はっはっはっは」
「何ですか、その棒読みな笑い声は!」
ギャーギャー文句を言う幸を無視して、享楽の町の出口へと向かう。
両開きの扉の前には門番が二人立っているが顔が全く同じだ。最後に会うNPCなのだから、もう少しデザインを頑張って欲しかった。
「あー、その門を通りたいのだが」
「通行許可書を見せてもらえるか」
俺と幸が同時に通行許可書を見せると大きく一度頷く。
「ふむ、間違いない。だが良いのか。ここを出ればまた辛い日々が待っておるぞ。この町で楽しく暮らしたほうが良いのではないか?」
ここで引き留めてくるのか。足止めが目的なのだから当たり前だけど。
「わかっているよ。邪神の塔をクリアーするのが目的だからな、覚悟の上だ」
「ぱぱっとクリアーしてやりますよ!」
幸の顔が上にずれたのは、たぶん拳を振り上げたのだろう。
呑気な物言いに思われるかもしれないが、彼女なりに真剣なつもりなのだろう。
「ならば止めはしない。だが、その通行許可書があれば再びこの町へ戻ることが可能だ。辛くなったらいつでも帰ってくるがいい」
戻るのが可能なのか。となると、一度町を出てから心がくじけて戻ってきたプレイヤーもいるかもしれないな。
「町の外に出てから帰ってきたプレイヤーはいるのか?」
「いるぞ、常連が」
「常連って、外の難易度が高すぎて何度も試しながら、少しずつ進んでいるってことなのかな?」
だとしたら、慎重なタイプで好感が持てるが実際のところどうなのだろうか。
「常連ってどんな人だ」
「それは守秘義務があるので言えないな」
言えないようなシステムになっているのなら、この町の住民には何を言っても無駄だ。
ここで過ごしてわかったのだが、ここにいるNPCは決まり事を破ることは絶対にやらない。
両開きの扉がゆっくりと内側に開いて行く。外の風景を確認したかったのだが、闇のベールに覆われていて先が全く見えなくなっている。
また足を踏み入れたら一気に風景が変わるのだろう。
「世話になったな」
「お世話様でしたー」
「良い旅を。願わくば邪神の塔の最上階へ到達しますように」
この台詞を邪神が言わせているなら、意味深な言葉に思えてしまう。
本心からの言葉なら邪神もこのゲームをクリアーして欲しいと願っているように思えるが。
考えてもわからないことは深く悩まないことにして、幸と一緒に門の外へと足を踏み出した。
暗闇から一瞬で体が抜けるとそこは断崖だった。
目の前には渓谷があり、崖の遥か下には激流が流れている。
そこに一本の吊り橋が掛かっているのだが、木製の意外と頑丈な作りをしていた。道幅は二メートル程度で渡るのには何の問題もない。
だけど手摺がないのが不安を覚える。そして、もっと恐ろしいのは吊り橋が異様に長いことだ。一キロは軽く超えているだろう。
享楽の町を振り返ると、そこには巨大な闇が佇んでいるだけだった。今もあの闇の奥で牙を抜かれた大量のプレイヤーが遊んでいるのか。
「扉を通ったら五階クリアーなのかと思っていたけど、そうじゃないみたいですね」
「そうだな。あの上で敵と遭遇したら厄介だから気を付けてくれ。あと落ちないようにな」
享楽の町から目を逸らして正面を向く。
つり橋は先ず俺から行こうと、慎重に一歩踏み出す。
足裏の感触はかなりしっかりしている。足場が木片を縄で縛っているだけだが、これだけしっかりしているなら、派手に暴れても抜けることはないだろう。
吊り橋を十歩ほど進んでから、振り返って幸を手招きする。
「だ、大丈夫みたいですね。ちょっと怖いですけど、行きますよぉ……」
俺としては生首の挙動不審な姿の方が怖くてシュールだ。
宙に浮かぶ顔と一緒に吊り橋を二分ほど、ゆっくり歩み続けると足を止めた。
「どうしたんですか、こんなところで急に止まって」
直ぐ後ろから幸の声がするが返事をする気にもならない。今はそれどころじゃないからだ。
幸の気配は感じ取れる。だが、それ以外にも微かに気配……いや、違和感を覚える。これは何度も修羅場をくぐってきた俺の勘だ。
それは曖昧でありながらも一番信用できる。
「出てきたらどうだ」
俺は正面を見据えたまま、そう呟く。
返事はないが一瞬だけ何かが揺らいだ。俺の前方、正確な距離はわからないが十メートル前に何かがいる。
肌がざらつき鼓動が少し早まり、髪がちりちりと焦げていくような感覚。
幸は俺の言葉を聞いて姿を完全に消した。そっちを庇う余裕はないので、その判断は正直ありがたい。
バックパックに引っかけているコンパウンドボウを手にして、矢をつがえ弦を引き絞る。
これでただの気のせいだったら恥ずかしいが、警戒を解いて殺されるよりマシだ。
それでも相手が何のリアクションもしないので三連続で矢を射る。小人でもない限り必ず一発は当たるように狙いを分散させたのだが、矢は何もない空間を通り過ぎて行っただけだった。
昔の俺ならこれで安心するところだが、今の俺の疑い深さを舐めてもらっては困る。
相手の姿が見えないということは幸の『透過』もしくは俺の『暗殺』に似た魂技を所有している可能性が高い。
相手が『透過』の場合だと何をしても無駄だが、あんなレアな能力の所有者が他にもいるとは思いたくない。たぶん、風景に同化して尚且つ気配を消しているのだろう。
というか、そうじゃなければ対応のしようがない。なので、そういう能力だと仮定して今後の行動を決める。
現状はつり橋の上、道幅二メートル程度、左右に避ける場所はなし。
相手の気配というか存在を微かに感じるのは十メートル程度離れた前方。
風は無風に近い。足場は意外と安定している。
ここで次の一手は……コートのポケットに潜ませていた毒入りの瓶を前方に放り投げて、素早く構えると矢で射抜いた。
周辺に毒液が飛び散るが、何かは動かなかったようだ。毒の耐性を得ているのか? 気配を感じられることもなく動揺もしていない。
だが、毒液と瓶の破片が空中で幾つか突如消え去った。つまりそこに誰かが潜んでいるということだ。
今度は本気で弦を引き、そこへ全力で撃ち込む。
矢が空中でピタリと止まると、矢を掴んだ手が現れ、腕、体、脚、顔と徐々に輪郭が見え始め、色がついていく。
「りゅ……龍虎ちゃん! 何で!?」
動揺した声が背後からするが、それを無視して対象を見つめている。
可能性は五分五分ぐらいだと思っていたので俺は驚いていない。
「ど、どうして……。えっと、なんで網綱さんは無反応なんです!?」
「ありがちな展開だからとしか。裏切り、騙し討ち、なんて散々見てきたから慣れっこだ」
あのダンジョンでは当たり前の行為。
表向きはいい人に見えたのに、急に手のひらを反すなんて日常茶飯事だった。
「んー、流石ですよ、網綱さん! 私がいることを見抜いたのもそうですが、容赦なく殺しにくるところも最高です!」
息も荒く上気した肌、興奮状態というより発情した犬だな。
本間は敵に回したくない相手なのだが、この状況で穏便な話し合いで解決すると思えるほど楽観的じゃないつもりだ。
「一応は聞いておくか。何か用か」
「ふふっ、本当はわかっているくせに。今度は本気の殺し合いをしましょう」
あー、やっぱりそうか。
戦闘中に見せた狂気と歓喜の入り混じった表情を見た時から、嫌な予感がずっと続いていたので、驚く前に納得してしまう。
酒の席で男性と女性の体格の違いによるコンプレックスを打ち明けられた時、この人は男性を打ちのめすことに快感を覚えているのではないかと推測した。
その程度で済むならいいのだが、あのダンジョンを超えてきたということは、敵を叩きのめし殺した経験がある筈だ。
そんな過程を経てきたというのに、欲望を剥き出しにしていた。
つまり人を殺した経験があるのに、男を打ちのめす快感を今も味わいたいと思っている。平たく言えば快楽殺人者ということだ。
こういった人間は人を殺すことで性的欲求を満たすそうだから、戦闘中に欲情していた彼女にぴったりと当てはまる。
若い頃に人の深層心理に興味があって、そういった本を読み漁った時期があったのだが、思わぬところで役に立ってくれた。
……正直に言えば、この予感は外れて欲しかったのだが。
「自分が強いと調子に乗っている男をボロボロにして、命乞いしたところを殺した時の快感! 網綱さんを殺したら、最高の絶頂を迎えられると思うの! ねえ、ねえっ! 肌と肌をぶつけて、やりあいましょうよ!」
本性をさらけ出した姿は完全に狂人のそれだ。
あのダンジョンで人殺しに慣れてしまった人には何度も遭遇してきた。
だが、ここまで暴力と性に狂った人は初めてだな。
いや、狂ったというより秘められた欲望を満たしただけか。
「気持ち良くなりたいなら、普通の性行為をすればどうだ」
「嫌っ! こっちの方が断然気持ちいいに決まっている! あっ、そっちが望みなら私を殺してから死体を好きにしていいわよ」
「屍姦の趣味はない」
「狂ってる……」
シャツの胸元を自ら破り、露出具合がヤバいことになっている本間を見て、幸が怯えた声で呟いた。
その感想には完全同意させてもらおう。
「ねえ、殺ろうよ、早く早くぅぅ」
もう限界っぽいな、口からあふれ出た涎がぼたぼたと吊り橋に落ちている。
「はぁ、わかった。本気で殺し合うとしようか」
俺はそう言って石の棍を相手に向けて構える。
「やったあああっ! 殺ろう、殺ろう!」
心底嬉しそうに笑っている。これが殺し合いじゃなくてただの手合せなら幾らでも付き合ってやるのだが。
「あれっ、何を……。あっそうか!」
後ろから何かに驚くような声がしたが、今は無視だ。
「一つ聞いておくが、本間は俺を殺したいんだよな」
「うんうん、殺し合いたい! 骨を砕いて関節を外して、肉を引き裂きたいんだ! 苦痛に歪んだ顔も泣いて助けを求める顔も大好き!」
激しく頭を上下に振って、同意を示している。
さて、時間稼ぎはもういいか。
「じゃあ、勝手に死んでくれ」
俺はそう言うと足裏に集めていた炎を一気に燃え広がさせた。
足下の板とそれを縛っていた縄が燃え始める。
「えっ、何を考えているの? 一緒に自殺するつもりなの!?」
驚き過ぎてキョトンとした表情の本間が俺を指差している。
人を指差したらダメだと子供の頃に教えてもらわなかったのか。
「死ぬのはお前だけだよ」
俺がそう言うと同時に周辺の縄が燃えて千切れ飛び、吊り橋が崩壊した。
目を見開いたまま本間が崖下の激流へと落ちていく。その姿を俺は上空から見下ろしていた。
「えっ、どういうこ――」
本間の声はそこで途絶え激流に呑まれ消えていった。
追跡者との戦いで使った手段のアレンジだが、龍虎には初見だからな。
彼女は最後の瞬間、トリックに気づいたのだろう。最後に見せた表情は驚愕に目を見開いていた。
「良く気づいたな、幸」
「ふふふっ、凄いでしょ。褒めて褒めて!」
「偉い偉い」
ドヤ顔が後方で浮かんでいる。若干うっとうしいが素直に褒めておく。
体が見えはしないが彼女も同様に俺の棍を握っているはずだ。
このカラクリは単純明快で、俺が棍を構えると同時に末端を後ろへと伸ばしていたのだ。真後ろにいた幸は俺が何をしたいのか理解して『透過』を使い俺の握っている部分より後ろに伸びた棍を透明にする。
そして伸び続けていた棍は崖へと到達して突き刺さる。
吊り橋が崩壊すると直前に『透過』が解かれ棍が崖に埋没した状態で現実化して、こうやって落下を免れた。
透明状態で心臓を掴んで倒していた彼女ならピンとくると思っていたが、実際に上手くいってホッとしている。
お望み通り殺し合いをしてやったが、戦い方に不満はあるかもしれない。そこはすまなかったな。
濁流に消えていった本間に心の中で軽く謝罪しておいた。