散財と傾向
「うっうっ、お金が……ひもじいです」
「そうか、俺は美味しいよ」
大通りにあるオープンテラスで優雅に昼食を楽しんでいるのだが、対面に浮かんでいる生首が面倒臭い。
「美味しそうですよねぇ」
「全部一口やったろ」
カジノで全財産を使い果たした幸は媚びるような目で俺を見ているが、相手にせずに料理に舌鼓を打っている。
十キョウラクを払ったのだが、結構いい味をしている。グラタンにスープ、そしてサラダの付いたセットだが当たりだったな。
「もう一口くださいーっ」
「後先考えずに全部使った人が悪い」
正論を吐くと、悔しそうに唇を噛んでいる。
ちゃんと一口あげたのに贅沢な。まあ、その一口も毒味をさせただけなのだが。
「はい、携帯食料と水」
「ぐぬぬぬぬ」
ここで甘やかすとまた無駄遣いをするループに入るだけだ。ちゃんと自分の行いを理解させないとな。
彼女と向かったカジノは煌びやかで、本場のラスベガスを彷彿とさせた。……実際に行ったことはないけどテレビや映画で何度も観ているから、たぶん間違ってない。
そこで浮かれ気分の幸は後先を考えずにキョウラクを物の数分で使い果たし、今に至っている。
カジノは優しい設定になっているのかと思えばシビアなようだ。あの膨大な面積を誇る地下カジノの入り口付近しか見てないので、もっと儲けやすいギャンブルが存在しているのかもしれないが。
「うぅ、お金ないです」
「明日まで我慢することだな。明日になればまた百キョウラクが支給されるらしいから」
毎日百キョウラクが支給され、それを元手にどうにかして百万キョウラクを稼がないとクリアーできない。
やばいよな……。何が危険かといえば、この温い空気だ。安全が確保されて遊んで金を儲けるだけのステージ。前のダンジョンで凄惨な日常を過ごし、邪神の塔でも戦いに明け暮れる日々を過ごした。
そんな状態で衣食住が整った安全な町に放り込まれ、毎日金も与えられ遊びも充実している。堕落させる条件が整い過ぎだろ。
この五階、下手したら最難関のステージかもしれない。
塔を攻略する者をリタイアさせるには殺す必要はない。搦め手で相手のやる気をなくし堕落させるのも立派な策略だ。
「明日こそは、儲けてみせますよ。そして、もっといい食事をっ!」
現に当初の目的を忘れかけている人物が目の前にいる。
ここで長居するのは危険だ。毎日衣食住が提供され働かないでも生きていける環境に慣れると、人は何もしようとしなくなる。
それは以前転職する前に失業保険で暮らしていた時に経験済みだ。誰だって働かずに生きていけるなら、そうしたいだろう。
そんな甘い誘惑がこの町には充満している。
稼いだキョウラクを使用して行えることが多すぎるのもネックだ。
食事のグレードだけじゃなく、宿泊施設も下は十キョウラクから上は百万キョウラクまであり、部屋とサービスの質は比べるまでもないのだろう。
他にも質のいい武器防具とアイテム、風俗関係まで充実しているようだ。
更に性質の悪いことに、風俗店らしき前を通った時に呼び込みをしていた女性のクオリティーが他のNPCとレベルが違った。
製作費に百倍ぐらい差があるメーカーのキャラが現れたかのような違和感を覚えるぐらい、見た目の美しさや衣装の出来とスタイル肌艶が全くの別物。
俺の精神力をもってしても一瞬だが目を奪われてしまったぐらいだ。
「ハマるとやばいなこれは」
「明日こそは、明日こそは!」
目の前に反面教師がいて助かったよ。そこだけは幸に感謝しないと。
「おっ、あんた新しく来たプレイヤーだな!」
声がした方へ振り向くと見るからに高そうな毛皮のコートを羽織り、全ての指に大きな宝石が付いた指輪をはめた、装飾過多な男が俺たちを見下ろしていた。
懐かしの映像で観た、バブル時代の成金かお前は。
気配を察知していたので驚きもしなかったのだが、幸は気づいてなかったようで慌てふためいた後に顔が透明になった。
「透明になる魂技かおもしれえな。警戒しないでくれよ、俺もプレイヤーだぜ」
見た目からしてそうだろうな。頭は長めの茶髪で耳にピアスもしている。顔が見るからに軽薄そうなので「うぇーいうぇーい」って言って欲しい。きっと似合うぞ。
実は町中を探索中にプレイヤーらしき人物を数人だが見かけていた。全員が何かに夢中で俺たちのことなんて眼中になく、話しかけてきたのはこいつが初めてだ。
「この席に座らせてもらうぜ。おっと、だから警戒しなさんな。ここの食事は全て俺が出すからよ」
「本当に?」
幸の顔が浮かんで来た。そこで媚びたら情けないぞ。
「おうよ、首だけの姉ちゃんも遠慮なく食ってくれ」
「ごちになります!」
最近、幸の性格を掴みかねている。初対面の時は大人しい女性だと思ったのだが、結構活発でノリのいいところがあるよな。
「ここでバカみてぇに稼いでいるから、好きなだけ頼んで構わねえぜ。あんたもどうだ」
「俺はいい、タダより怖い物はないからな」
「おうおう、尖っているねぇ。まあ、あの地獄を越えてきたらそうなるわな」
男は笑みを浮かべたまま気にもせずに、ウエイトレスに注文をしている。
失礼な対応を自覚してやっているのだが、相手には効き目がないようだ。心も懐も余裕のある生活を送っているのだろう。金持ち喧嘩せずとはよく言ったものだ。
「あんたは、この町に来てからどれぐらいになるんだ」
「あー、四年……いや、五年だったか。もっと過ぎている気もするが忘れちまったな」
「えっ、百万貯めるのってそんなにも難しいんですかっ!」
幸、取り乱しすぎだ。体の輪郭が浮き上がってきている。
おそらくだが、難しいから何年も居る訳じゃない。この人の服装や態度を見ればそれぐらい察しが付く。
「そんなことはねえよ。自分の魂技を活用すれば一つぐらいは楽に稼げる物が見つかるからな。遅くても一ヶ月はかかんねえんじゃないか」
「なら、どうして何年も」
そんなのは決まっている。
「そんなもん、決まっているじゃねえか。ここにいれば贅沢し放題。食い物にも困らねえし、美人も抱きたい放題。何であんな、命懸けのクソゲーに戻らないといけないんだ?」
予想通り過ぎて呆れるよ。
思った通り、この町には毒が蔓延している。人の心を怠惰へと導く遅効性の猛毒が。
人は良くも悪くも環境に適応する生き物だ。死ぬほど辛いダンジョンでただのサラリーマンだった俺は、なんとか順応して生き延びることができた。
なら、楽な環境に身を浸したらどうなるか。しばらくそこにいるだけで空気に染まり、闘争心の失われたダメ人間の出来上がりだ。その完成品が目の前の男。
「ここで毎日面白おかしく適当に稼いでいるだけで、人生バラ色だぜ。俺以外にも多くのプレイヤーがこの町に住みついている。この世界の住民は邪神を毛嫌いしているが、俺にとっちゃ尊敬の対象だ」
毎日遊んでいるだけで生活の保障をしてくれる人がいれば、そりゃ神様にも思えるだろうさ。
死に物狂いで生き延びる日常を過ごしたプレイヤーにとって、ここの生活はあまりにも魅力的過ぎる。鞭と飴の強化バージョンか。
「そうか、貴重な話を聞かせてもらって助かったよ」
俺は席を立ち、自分の金だけを支払いレストランを後にした。
「楽に儲ける場所を知りたかったら、いつでも訪ねて来い。だいたい、ここで昼飯食っているからよ」
ひらひらと手を振る男を無視して俺は大通りを進んで行く。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。何で、あんな対応したんですか。楽して稼げるところ教えてもらいましょうよ」
あのまま男と食事を楽しむのかと思っていた幸が、慌てて追いかけてきた。
「ああいう男に借りは作りたくない。それに、一緒に居ると毒が移りそうだ」
「毒!? そんな魂技を持っていたんですか、あの人」
「物の例えだよ。ここは危険すぎる、長居すると魂が腐るぞ」
「えっ、良い場所だと思いますけど」
この調子だと彼女とはここで別れることになりそうだ。使える人材だと思ったが、無理をして攻略に付き合わせることもない。
「ここで、面白おかしく過ごす日々は確かに魅力的だと思う」
「そうですよね。毎日カジノをして、稼いだら美味しい料理とふかふかのベッド。最高じゃないですか」
「そうだな。でも、この塔に挑むプレイヤーは今後現れることはない。俺がそうしたからな。今も挑んでいる先輩プレイヤーがいるかもしれないが、その人たちが失敗したら邪神の塔の存在意義はどうなるのだろうな」
「そ、それは……」
「仮に俺が邪神なら、攻略するプレイヤーがいないゲームはサービス終了するよ」
俺と寄り添うように浮かんでいた幸の顔が後方へと遠ざかっていく。
今は楽しい日々を過ごせるかもしれない。だけど、この幸福は邪神の気まぐれでどうとでもなる。
闘争心を失い牙も失い、ぬるま湯にどっぷり浸かったプレイヤーが再び戦場に放り出されて、生き延びることができるのか。
やはり……この享楽の町は今までで一番厄介な場所かもしれない。