止まることは許されない
「山岸さんっ!」
俺の目の前に女性の顔がある。顔だけ浮いている幽霊なのか。
「うなされたり、ニヤニヤしたりしていましたけど、大丈夫ですか」
ああ、海鳴か。大丈夫が口癖になりつつあるな。
「問題ないよ」
目を覚ますと辺り一面が綺麗に掃除したかのように、血と肉片が消え失せている。
邪神の塔の魔物の死骸が一定時間で消える仕様は、ここでも適用されるのか。俺の全身にこびり付いていた返り血も綺麗さっぱり消えている。
「あの、これが落ちていました」
手渡されたのは紺色の小箱だった。開くと小さなリングが二つ並んで置いてある。
「鑑定してみたのですが、それ仲間の指輪というらしいです」
そういえば海鳴は『鑑定』の魂技を所有していたな。
「鑑定は道具の名前以外にも何かわかるのか」
「能力もある程度はわかります。そのリングを付けた者同士は危害を与えることができなくなるみたいですよ。リングを付けた片方が死んだ場合、もう片方のリングを付けた方も死ぬようです」
リングから海鳴に視線を移し、もう一度リングに視線を落とした。
これを付けたら一蓮托生になるのか。裏切られない間柄になるのは悪くないが、相手が死んだらこっちも死ぬのは勘弁してほしい。
「これ、バックパックに入れておくよ」
「そうですね、必要ないですよね」
どう考えても地雷にしか思えない謎アイテムはそっとしまっておいた。
こんなの出会って直ぐにお互いが納得して付ける人がいたら、従順で信じあっているか馬鹿の二択だろう。
何でこんなアイテムを作ったんだ。調味料の方がまだマシだ。
海鳴が嘘を吐いている可能性もあるが、嘘を吐くならもっと自分の利益になりそうなことを言うだろう。
まあ、これもただの憶測だけど。ある程度は信じておこうか、もし嘘だと判明したらその時に別れれば済むだけの話。
今の彼女には利用価値がある。全てを疑い別れるには惜しい人材だ。
「体調はどうですか」
「ん、ああ、身体も軽いからいけるよ」
立ち上がり屈伸と柔軟をしてみたが違和感なく体が動いた。
「どれくらい寝ていたのかな」
「ええと、四時間と三十八分です」
下を見ているような動きを見せているから、あの褒美でもらったスマホで時間を確認しているようだ。
「こっちからは透明に見えるけど、海鳴さんからだと自分の体とか持ち物見えるのかい?」
「はい、そうですよ。基本的に透過しても全部見えていますよ。だから、本当に透過しているかわからなくなりそうになるので、気を付けています!」
だから、裸体を晒していても本人は気づいてないのか。実は露出プレイを楽しんでいる訳じゃなかったと。
あまりにも大胆に見せつけているから、そういう性癖なのかと最近思い始めていたよ。
「そろそろ、扉の先に行ってみようか」
「そうですね。万が一、追跡者が蘇ったら大惨事ですし」
もう一度奴と戦いたくはないな。負ける気はないが、やりたいとは思えない。
罠の存在を感じなかったので海鳴が扉を開けるのを黙って見守っている。一応、少しだけ後ろに下がっておくが。
顔も透明になった彼女が扉を開くとそこは白い部屋があった。またあのセーブポイントもどきの休憩所か。
海鳴が入ると自動で扉が閉まる可能性があったので、慌てて距離を詰めて扉の片側を押さえておく。
彼女の気配が入室しても床が抜けて大穴が開くことも、天井が落ちてくることもない。
また部屋のど真ん中にガラス板が置いてある。『透過』が高性能過ぎて罠に対しての警戒を殆どしていないな。
罠に引っかかっても死なないというのは羨ましいが大胆すぎるだろ。
「真ん中のガラス板に何が書いてあるか見てくれるかな」
「わかりましたー」
前に立たないと文字が浮かばない仕様なのだが、透明の海鳴でも起動するのか。
文字が浮かんだようなのでコンパウンドボウのスコープで扉を押し留めながら文字を読む。こういう時、彼女が透明だと真後ろからでも文字が読めて便利だな。
この部屋が安全地帯だという注意書きは今回もある。じゃあ、入っても大丈夫そうだ。
部屋に入ると後方で静かに扉が閉じた。これで追跡者の心配もしないで済む、続きを読もう。
『四階の鬼ごっこステージを突破したようだね、おめでとう。ステージに散りばめられていた情報はすべて集めたかな。ストーリーはどうだっただろうか、追跡者が追う理由と屋敷の主との因縁はどうだったかな、楽しんで貰えただろうか』
作品に対する感想待ちの作者みたいだな。
やっぱり、途中であのメモが大量にあって追跡者と主の関係が徐々に明かされていくシナリオだったのか……申し訳ない。
これが命懸けじゃなければ、邪神とは仲良くなれたかもしれないと思う俺は重度のゲーマーなのだろうか。
さっきもゲームだと割り切れば悪くない雰囲気だった。これがVRのゲームならやりたかったと思えるぐらいに。
日本人を召喚して手駒にしている異世界人には恨みしかないが、邪神には悪い印象を抱けずにいる。無理やりに呼び出されて遊び道具にされて、彼らの望みである高難易度のゲームをリアルな世界に作り上げた。
世界を壊滅まで追い込んだのはやり過ぎだが、日本人を召喚したのは異世界人であり邪神ではない。そこを履き違える訳にはいかない、復讐をするなら相手は異世界人だ。
邪神の塔に無断でやってきて勝手に攻略している存在である俺が、邪神に対して恨み辛みを口にするのは間違っている。
あの三人が魔物に無残に殺された時は苛立ちを覚えたが、それも配置した魔物が勝手にやったことであり、邪神の指示ではないだろう……憶測だが。
「ゆっくりできますねー」
安心して寛げることに油断しているようで、また薄ら輪郭が浮き上がっている。
今度は余裕があるのでじっくり観察できるが、今まで散々見てきたので裸体に飽きてきた。半透明なので生々しい肉感がないのもマイナス点だ。
絵かCGでも見ている気分がしてエロさは激減。あと精神力が増えたので理性が鋼の強度になっているのかもしれないな。
「服を持っているなら、それを着て透過を止めたらどうだ。その方が寛げるだろ」
「あっ、最近は透過でいるのが当たり前になっていたので忘れていました。そうしますね」
スタイルが悪くないのは知っているが、どんな服装なのだろうか。
俺は前のダンジョンの途中でコートを手に入れたから、彼女も何かしらの防具としての服を手に入れているよな。
「透過切りますね」
そう言って全身を露わにした海鳴は鮮やかな青の肩が剥き出しのワンピースを着ていた。清楚な感じがして似合っているが薄着だ。その格好であのダンジョンを生き延びたのか。
「久しぶりにこの服に袖を通しましたよ。体に布が触れると変な感じがしますね」
その発言は変態チックだ。当人が恥ずかしくないなら、ずっと裸でいても構わないが羞恥心はあるのか。
昔からヌード写真にはあまり興味がなかったので、正直、こっちの姿でいてくれた方が目の保養になる。大事な部分が隠れている方が好きなので。
「そ、そんなにじろじろ見ないでください。恥ずかしいじゃないですか」
常に裸族な人が照れている、この矛盾。
これがこの世界に呼ばれる前の俺なら照れる仕草に萌えたのかもしれないが、今だとちょっと可愛いかなぐらいの感想しかない。
「落ち着いてご飯でも食べようか。今日は少し豪勢にいこう」
携帯食料ではなくコンロに鍋を置いて具だくさんの味噌汁を作った。味噌で味付けをしたのは日本の味が恋しいのではないかと思ったからだ。
「あああっ、この匂いは……懐かしぃ」
出来上がった味噌汁を器に注いで手渡すとじっと見つめている。
味噌汁を握りしめたまま微動だにしない海鳴。このままでは冷めてしまって美味しくなくなるので声を掛けようとしたのだが、その直前に味噌汁に水滴が一つ落ちた。
俯いていた顔を上げると目元から涙が零れ落ちている。海鳴は涙で濡れた顔で嬉しそうに笑っていた。
「すみません。もう、日本のことは忘れたつもりだったのですが、お味噌汁を見ていたら自然と涙が。懐かしいなぁ、お母さんどうしているのかな……」
思い出させてしまったのか。
彼女はあのステージで一年耐えていた。それにあのダンジョンでも何か月も過ごし、望郷の念が薄れていたとはいえ忘れた訳じゃない。日本での日々が消えた訳じゃない。俺も含めて思い出さないように心に蓋をしていただけだ。
人の記憶は繋がっている。心の奥深く沈めていてもそれに関連するほんの僅かな情報で記憶は呼び起こされてしまう。
「家族か」
俺は涙を流すぐらいの家族に対しての熱い想いは……ない。
向こうに残してきた想い人がいる訳でもない。あのダンジョンに挑んだ人たちの中には俺よりも日本へ帰ることを強く願っていた人は山ほどいたことだろう。
そんな人たちの屍を積み上げて、その頂に立った。
サラリーマン時代に碌な思い出はない。でも、俺は生きたいと願った。
一度壊れた家族を繋ぎとめる為に生きたいと願った父娘。
日本に戻り芝居の道を究める為に足掻いた役者。
お笑い芸人として大成することを夢見ていた芸人。
将来に夢を抱いて人を裏切ってまで生き抜こうとした彼女。
俺を生かす為にわざと襲いかかり死んでいった相棒。
そんな人たちを押しのけ踏みつけて俺は生きた。深い意味もなく、ただ生きたいと願っただけの男が生き延びてしまった。
だから、力を得ることに成功した俺は邪神の塔に挑むことを決意した。
もう誰も同じ目に遭わせたくなかった、殺してしまった人々の未来を見たいと俺が望んだ。
究極の偽善だとわかっている。自分で殺しておいて生き返らせる為に死に物狂いで攻略をするなんて我ながら意味不明だ。
それにだ、あの時こう決意した――ゲームはハッピーエンドが良いに決まっている、と。
バッドエンドなんて製作者の自己満足でしかない。エンディングを迎えてプレイヤーに面白かったと言わせる作品が本当の名作だ。
まあ勝手な持論だから他のゲーム好きと何度が口論に発展したこともあるけど。
でも、実際リアルにやらされるゲームならハッピーエンドで終わりたいよな。
先も見えず終わりがいつになるかわからないが、必ず最上階に辿り着いてみせる。だから、それまで待っていてくれ――みんな。