鬼ごっこ開始
「先頭は俺で行くよ。もし、俺が捕まったら何とか暴れて時間稼ぐから、その間に牢屋に戻るかゴールを目指してくれ」
「わかりました!」
こう言っておけば事前に裏切ることもないだろう。俺を信用していればの話だけど。
聞かされた話によると、追跡者は身長二メートルで筋骨隆々。返り血がまだらに付着した深緑色の作業服を着ている。武器はショットガンと日本刀で背中にゴルフバックのような物を背負っていてそこに入れているそうだ。
初めての相手は殺しこそしないが、抵抗すれば腕や脚を銃で撃つか切り落として動けなくしてから荒縄でぐるぐる巻きにされて、この牢屋まで引きずられるらしい。
完全回復する薬で体の部位も元通りにされるそうだ。死にはしないようだが捕まるのは勘弁したい。
俺がまず牢屋の扉から通路に出る。続いて海鳴も部屋を出たようだ。完全に姿を消した状態で進むそうだが、消えていても追跡者には見えているそうで壁を抜けて逃げていたのに、気が付けば回り込まれていたと言っていた。
「まずはここを真っ直ぐか」
「はい、そうです。ここは一本道なので早く抜けてください。ここで遭遇したら牢屋に逃げ込むしかできません」
気配も希薄で声が背後から聞こえるというのは、幽霊とでも会話しているかのような気持ちにさせられる。
俺たちのいた牢屋は一番端にあったので、こっちにしか進む道がない。
牢屋が両側にずらっと並ぶ通路をひたすら前に進んで行くと分岐路が現れた。
「右側は迷路のように入り組んでいます。左側は途中で分岐していますが、そこの右側は行き止まりでした」
その情報も話し合いで得ていたが確認の為に口に出してくれたのだろう。
辺りの気配を探るが何も感じない。僅かでも気配があればそれは追跡者のものなのだが、感知できない距離にいるだけなら問題は無いが。
「迷路は避けようか。左側の通路に行くよ」
「わかりました」
声から緊張感が伝わってくる。どれだけ追跡者が恐ろしい存在なのか、彼女の声だけで理解できるよ。
足音を忍ばせて気配も殺して進んで行く。背後から伝わる仄かな気配は海鳴のものだ。そして、他に気配はない。
足音も消しているので蛍光灯が時折じりじりと熱を発する音しか聞こえない。ここでは僅かな音も聞き逃すわけにはいかないからな。
耳を澄まし、目を凝らし、神経を研ぎ澄ませて小走りで通路を進んで行く。
またも分岐路に差し掛かったところで牢屋ゾーンが終わっている。
右の行き止まりの通路はコンクリートで塗り固められた四角い通路。
左は地面や床天井が脈打っている赤黒い肉の通路。人の内臓の中みたいだ。
「先に右を調べたくなる気持ちがわかるよ」
「ですよね……」
内臓通路に足を踏み入れると、適度な弾力が足裏に伝わってくる。おう、生肉踏んだらこんな感じなのだろうか。
海鳴は素足だったら、この踏み心地最低なんじゃ。
「足大丈夫?」
「靴履いていますよ。服は着ていませんけど」
全裸に靴か。マニアックすぎるだろ。
全く見えないからどうでもいいことだけど、俺の背後に全裸に靴の女性がいると思うと妙な気持ちになりそうだ。まあ、こんな余裕があるのも今の内だよな。
「この通路ヤバいな」
「そう、ですね。気配が」
通路自体が生きているのか、本当に僅かだが気配を感じるのだ。
気配察知の精度がここでは落ちてしまう。『暗殺』が罠の存在を感知していないので、危険を伴うが移動速度を上げよう。
「ちょっと走るよ」
「わかりました」
成人男性の全速力に楽勝するスピードで走っているが、彼女はピッタリと後ろに付けている。『瞬足』の魂技を使っているのか、身体能力だけで付いてきているのかは不明だが、この程度の速度なら問題ないようだ。
少し先に開けた空間が見える。内臓通路はそこで終わりなのか。
一気に駆け抜け赤黒い肉から解放される直前、肉の通路との境目に格子が並び、格子扉が設置されていた。ご丁寧に鎖が何重にも巻きつけられ巨大南京錠が取り付けられている。
「これは鍵がないと開かないようです」
鍵を手にして引っ張っているようだがビクともしない。海鳴だけなら透過で向こう側に渡れるが俺は取り残されることになる。
「迷路ゾーンでこの鍵を探さないといけないみたいですね」
戻って鍵の探索か。ゲームならやらなければならないイベントだが――ここはリアルだ。
「ちょっと扉から離れてくれ」
俺は南京錠のフック部分を掴み、炎を指に集めそこを熱し続ける。
この炎の温度が何度なのかは不明だが、一分ほど炙り続けるとフック部分が赤く変色した。そこに細くした石の棍をハメて、伸縮自在の能力で太くしていく。
すると、いとも簡単にフック部分が外れて強引な開錠に成功した。
「無理やりですね……ゲームならバグ扱いされますよ」
「せめて、裏技にしてくれ」
扉を抜けて進んだ先は巨大な筒状の空間で、手すりもない粗末なつり橋が上下に張り巡らされていた。
見上げると遥か先にガラス張りの天井が見える。足下に視線を向ければ漆黒の闇が口を開けている。吊り橋の先は別の通路に繋がっているようだが。
「ここから先は知らないんだよね」
「はい。他のプレイヤーの話では古びた屋敷の部屋が連なっているそうです」
頭上と足下に見える吊り橋の両端にもぽっかりと空いた穴に繋がっている。
ここがエリアの中心部なのかもしれないな。塔を登っているのだからゴールは上だと思いたいが、そんな素直な作りをしているかどうか。
「海鳴さん、これはっ!?」
な、何だ。この背筋が凍りつくような感覚。
このおぞましい寒気の元は!?
「ど、どうしたのですか、急に」
背後から焦る声がするが、返事をする余裕もない。
気配は……あるっ! 海鳴よりも希薄でありながらも禍々しい気配。
右斜め下の離れた位置にある吊り橋の上に、男がいた。
薄汚れたツギハギだらけの作業服を着た男がじっとこっちを見上げている。目が血走っていて歯がカチカチと忙しなく打ち鳴らされ、俺と視線が合うと嬉しそうに口角が吊り上がっていく。
「あ、あいつです! 追跡者は!」
一目見て理解できたよ。あれはダメだ。
あの鬼畜ダンジョンでの最終ボスを前にした時も絶望感があったが、あれからはそれと同等のヤバさを感じる。理屈じゃなく、今まで何度も死線を越えてきた経験が、戦うなと俺に告げていた。
邪悪な笑みを浮かべたまま、男が吊り橋を渡りきり穴の中へと消えて行く。
「ど、どうしましょう! 見つかりましたよっ!」
動揺しすぎて『透過』の効果が弱まり薄らと全体の輪郭が見えるが、どうでもいいと思えるぐらい心の余裕がない。
このまま立ち止まっているのが一番の愚策だが、どうする。
この先に進んだら下から上がってきた追跡者と遭遇する可能性だって……いや、そんなことを考えていたら何もできない。
見上げた先には何本も吊り橋が見えるが、あそこまでは身体能力が向上した今の状態でも、ジャンプしたところで届かないよな。
上がゴールだと仮定するなら、上の吊り橋に移動するのが得策だ。なら、答えは一つ。
「海鳴さん、俺にしがみ付いて」
「へうっ! 何言っているのですか。わ、私、全裸なのですよ!?」
「正面から抱き付けなんて言ってない。俺の背負っているバックパックに後ろから抱き付けばいいから。急いで!」
「は、はい」
背中に僅かな重さを感じる。じゃあ、移動しますか。
その前に吊り橋の板を強めに踏み、しゃがみ込んで陸地と繋がっている部分の強度を確認した。ただの荒縄だけど強度は確かか。
「な、何をしているのですか早くっ!」
急かす彼女に促されて立ち上がる。
石の棍を足元の地面に突き刺し、角度を調整して棍の先端を天井に近い吊り橋に繋がっている穴に向ける。
そして、俺は石の棍を一気に伸ばした。棍の先端を掴んでいるので足が浮いて体が宙に浮く。そのまま、ぐんぐんと目的の天井に近い穴が近づいてくる。
ホラーゲームなら絶対に許されない強引なショートカットだ。
「わっわっ、な、何ですかこれ!」
そういや伸縮自在の性能を説明してなかった。
驚きながらも手を離すような真似はしないで、しっかりとしがみ付いてくれている。
穴の先の地面に到達すると、棍を地面から引き抜いて長さを元に戻す。ちょうどそのタイミングで俺たちがさっきまでいた場所の正面の穴から追跡者が現れた。
相手も意表を突かれたようだな。吊り橋の真ん中まで移動してから引き戻されていく棍を見上げ、その先にいる俺を二度見している。自分の目が信用できないかのように。
「じゃあな」
俺は手にしていたコンパウンドボウの修理用弦を軽く引っ張り、弦に炎を纏わせるとさっきまでいた吊り橋へ炎が走る。
そして、吊り橋を地面と繋いでいる荒縄へ引火すると一気に燃え上がった。追跡者が慌てて吊り橋を後戻りしているが、既に遅く荒縄が千切れ飛び奈落の底へと落ちていく。
無敵な敵の撃退法といえばこれだよな。
落ちていく追跡者を眺めながら、振り返ると海鳴さんが呆然とそこに突っ立っていた。
「えっ、私があれだけ苦戦して逃げるしかできなかった敵が……そんな、あっさりと」
動揺しすぎて『透過』が殆ど解けている。全裸にブーツか、マニアックだけど悪くはない。
ここで指摘しても恥をかかせるだけなので黙っておくことにしよう。決して黙っていた方が役得だと思った訳じゃない。
「あれで死んだという確証がないから先を急ごう」
「え、あ、うん」
まだ放心状態に近い彼女だったが俺が歩きだすと慌てて追ってきた。




