先にかくれんぼ
睡眠と食事で腹も体力も満たして、全身の違和感がないか一通り調べてから鬼ごっこステージの扉を開いた。
まず視界に飛び込んできたのは鉄格子。床は薄汚れていて辺りは薄暗い。
天井は軽くジャンプするだけで手が届きそうなぐらい低く、蛍光灯が点在しているが光量が弱くおまけに幾つか消えかかっている。
俺がいるのは鉄格子に囲まれた一室で、部屋に備え付けられているのは薄汚いベッドとトイレだけ。
「牢屋スタートか」
牢獄の一室から始まるなんて、ホラーゲームか謎解き系にありがちな展開だ。無敵の敵との鬼ごっこを開始するのだからホラー寄りだよな。
格子越しに廊下が見えて対面方向にも牢屋が並んでいる。
「あー出たくないなぁ」
ここから出た途端に敵との鬼ごっこが開始されるよな、きっと。
牢屋の中に誰かがいることもなく、独りぼっちの――いや、何だ誰かいるのか。
微かにほんの僅かだが気配を感じる。場所は特定できないが確実に何処かにいる。
鬼役の追跡者が何処かに潜んでいるのか『気配操作』があるということは気配を殺すことも可能。今も気配を消しているのは確かだ。
だが、何だろうこの感覚。何度も気配を探ってきたからわかるのだが、この気配人間っぽいような。確信はないがそんな気がしてならない。
「誰かいるのか?」
プレイヤーが潜んでいることを疑い呟く。
今、あからさまに気配が揺れた。動揺してくれたようだ。
「姿を見せないのであれば強硬手段を取らせてもらう。死んでも怨むなよ……」
凄味のある声をイメージして発言してから、目を閉じて両手に炎を生み出す。ちなみに、これはただの演出で特に深い意味はない。
こいつ、何かしらの魂技で俺の居場所を探りだすつもりかっ! と思ってくれたら儲けものだ。
「ちょ、ちょっと待って! 攻撃は止めてください!」
意外にも聞こえてきた声は若い女性だった。姿は未だに見えないが相手の声の発生源は把握できた。
瞼をゆっくり開いて声の聞こえてきた方向へ体ごと向ける。
俺の対面方向にある牢屋の右隅から聞こえてきた。位置を確認すると、そこに僅かながら気配を感じる……ような気がしないでもない。『気配操作』のレベルが俺と同じぐらいはありそうだな。
「姿を見せる気はないのか?」
「か、顔だけでいいなら」
牢屋に女性の顔だけが浮かび上がってきた。目が大きいのにおどおどしていて内気なイメージを抱く女性だな。可愛いというよりは綺麗な方だろう。二十代前半かギリギリ十代ぐらいに見える。
髪の長さは肩より少し下辺りまで伸びていて黒髪。自分で切りそろえたのか、髪の先端が揃っていて日本人形の首が浮いているようだ。
化粧っ気がなくて美人寄りに見えるということは、冷静に考えたらかなり顔面偏差値が高いぞ。
まあ、邪神の塔で美醜はどうでもいいことだけど。
「あ、あの隠れていてごめんなさい。ここって平気で人を陥れて殺す人がいるから、様子を窺っていたの」
「なるほど……ね」
言いたいことはわかる。俺も人を見たらまず疑ってかかるから、当たり前の判断だとは納得できるよ。
しかし、この女性の魂技はなんだ。完全に風景に同化していて顔以外の姿が全く見えない。俺のように風景と同化する能力だと、一部分だけ出すなんて器用な真似はできない。だから、『暗殺』の魂技でないことは確かだ。
体が見えないから装備がわからず、体が透明のまま攻撃を仕掛けられるとしたら、かなり厄介な相手だぞ。
敵になるのか味方になるのか、それとも。
「それで、あなたプレイヤーですよね。良かったら、食料分けてもらえませんか」
この人も食料不足か。余っているぐらいだから渡すのは構わないのだが、タダで渡す義理はないな。交換条件を呑んでもらおう。
「ああ、いいよ。その代わりこのエリアに付いて詳しく教えて欲しい」
「そんなことでいいなら、喜んで。ここはステージの始まりの場所で、牢屋から一歩でも出たらゲームが開始するみたいです。牢屋の中にいる限りは一度も襲われたことがありませんから」
牢屋の中は安全地帯なのか、これが本当ならかなり重要な情報だ。これだけでも食料を渡すに値する。
「ええと、追跡者に捕まると一度だけここに戻されます。そして、次に捕まったら殺されてしまいます。それは今までのプレイヤーの皆さんが全員そうでした」
「貴女も一度捕まったのか」
「はい……それで怖くなって食料が尽きるまで、ずっとここに閉じこもっていました」
これが本当だとしたら一度はお試しが可能だということか。
だけど、それが本当だという根拠がない。あの説明文には記載されていなかった。
「他に気づいたことは何かないかい」
「ええとですね……追跡者は常に一体だけで複数で挑んだ方が有利みたいです。以前チームで挑んだ人たちは一度目だというのに、六人中、二人が戻ってきませんでしたから」
二人は無事クリアーできたと考えられるけど、この女性の言うことが嘘ではないということが前提となるからな。
「貴女はここで複数のプレイヤーが来る日を待ち続けていた、ということで間違いないか」
「わかりますか。そうです、少しでも助かる可能性が高い三人以上のプレイヤーが来るのを待っていました」
悪くない手段だと思う。複数で挑めばターゲットが散らばり助かる可能性が上がるからな。俺も後続がすぐにでも現れるなら、その作戦を選びたいところだけど。
「じゃあ、他のプレイヤーが現れるまで、このまま待ち続けるつもりか?」
「食料がいただけるなら……貴方以外のプレイヤーはどうしたのですか。一緒にクリアーした方いますよね」
「残念ながら俺だけだよ、邪神の塔に来たのは。そして、後続はこれから一切現れない」
「へっ?」
あまりに意外な一言だったようで、哀しみ暮れていた顔が唖然とした顔へと一変する。
「俺があそこの管理人代理に、日本からもう誰も召喚しないでくれという願いを叶えてもらったからな」
会話内容が理解できないのか、呆けた顔で俺の顔をじっと見つめているだけだ。なので、懇切丁寧にゲームクリアー後に管理人代理の人形と話した内容を伝えた。
「あの、えっと、つまり……願い事を、もう日本人をこの世界に呼ばないことにしたと……冗談ですよね?」
「マジで」
沈黙が牢屋を支配している。驚き過ぎて制御が甘くなっているのか首辺りまで姿が見えている。
「はあああああああああああっ! な、なに考えているのですかっ! 私の作戦はどうなるんですっ!」
こんな大声出せるのか。大人しい感じの人だから意外だな。
「他力本願はどうかと思うぞ。それに、次のプレイヤーが来るとしても、それまで食料持たないだろ。何か月も生き延びるだけの食料を渡すつもりはない」
「普通に挑んで無理だったから、この作戦を考えたんじゃないですか……はあぁぁ。食料は私の魂技に軽減がありまして、痛みや疲れ飢えを抑えられるので、食料が少しで済むようになっています」
中々便利な魂技だな『軽減』俺も欲しい能力だ。
それがあれば少量の食料で生き延びられるのか。彼女がここでずっと留まっていて食料をどうしていたのか疑問だったが、これで納得がいった。
「どうしようぅぅ、もう駄目ですぅぅぅ」
暗闇で生首しか見えない女性が嘆く姿は不気味だな。
「そりゃ、残念だったな」
適当に返事をして食事の準備をすることにした。
コンロの上に鍋を置いて干し肉と乾燥野菜を放り込んで、濃口醤油で味付けをする。おー、いい香りが漂い始めたぞ。
「あっ、いい香り。美味しそうですねぇ……あの、情報を流したら食料を分けてもらえるという話は」
「ああ、そうだったな。どうぞ」
バックパックから魔物が落とした携帯食料を出し、こっちの扉付近に置いておく。
「えと、その料理の方が。それに持って来てもらえると、ありがたいのですが」
「料理中だ、自分で取りに来てくれ。この温かい料理を食べたいならせめて全身を見せてくれ。武器も装備もわからない相手を信用できないからな」
これで全身の姿が確認できれば、少しは対策が練れるのだが。
「あの、実はですね。自分のいる牢屋の部屋は自由に出入りできるのですが、他の部屋には入れないのですよ。なので、その携帯食料も取りに行けないのです」
「じゃあ、この中は完全な安全地帯なのか」
「そうです。それに全身を見せるのは、今はちょっと無理です……全裸なので」
恥ずかしそうに頬を染めながら、この女は何を口にした。
えっ、見えないからって全裸プレイを楽しんでいたのか、ドン引きですわ。
「痴女?」
「違います! 私の透過は全身が透明化して相手の攻撃も当たらなくなります。服を着たままでも透過は可能なのですが、体に触れている物が多いと体力の消耗が激しいので、全裸状態なら一日中透過していられるのです!」
ああ、だから首から上しか姿を見せないのか。しかし、透過か。これも便利な能力だ。彼女がここまで生き延びることができた理由がわかり始めてきたよ。
食料を殆ど必要とせずにずっと姿を消して、他のプレイヤーたちが挑む姿を観察し続けていた。
「慎重になり過ぎたってわけか」
俺の問いかけに返事はなかったが、大きくため息を吐く姿が全てを物語っていた。
「充分な考察を終えて次のチャンスを窺っていたら、全然プレイヤーが来なかったと。俺は何日ぶりの来客なんだ」
「二ヶ月ぶりです」
「あんたはここに潜んでからどれぐらいの月日が流れたんだ」
その答えによって相手の性格がある程度は掴める。どこまで慎重なタイプなのか。半年近くいたとしたら、相当に辛抱強い性格だが。
「約、一年でしょうか……」
今度は俺が呆気にとられて声を出すことができなかった。




