人とはそういう生き物
道幅が二メートルというのは本来なら充分すぎる幅なのだが、手すりもなく下は一面が水という現状だと少し頼りなく思える。
身体能力も上がっているので、それこそ目を閉じていても真っ直ぐ歩ける平衡感覚は持ち合わせているが、だからといって安心できるかと問われればそうではない。
流れる水音しかしない空間も不安を煽り、足下をおぼつかなくさせる一因だろう。
神経を過剰に研ぎ澄ませてしまい、逆に体の動きが固くなっている。本末転倒だなこれは。
「すぅーはぁー」
深呼吸をして一旦、思考も緊張感もリセットする。
適度にこわばった筋肉がほぐれていく。よっし、柔軟にそれでいて慎重に行動だ。
今のところ敵は水中から現れるのみで、橋の上や天井に張り付いている個体はいない。気配は水面下から微かに感じるが、こちらの気配には気づいてないようで上がってくることがないので、今は放置しておこう。
ここのステージは出来るだけ早めに切り上げた方がいいな。水場は『炎使い』を活かすのが難しい。敵も火に対して耐性があるようだし。
ゾンビだらけの二階とは真逆の相性だ。自分の得意な場所に居座ってレベル上げをするのは基本中の基本だと思ったからこそ、二階でゾンビたちを掃討した。
ここでは隠し要素を探す必要もないし、レベル上げもやめておこう。五階に進むのを最優先に考えた方が良い。
少し歩く速度を上げて橋を渡り続けていると、進路方向に僅かな気配を感じた。
隠しているつもりのようだが『暗殺』を得た俺の気配を察知する感覚は、他のプレイヤーを容易く上回っている……筈だ。
少なくとも三人組の能力は軽く超えていた。
先にいるのは『気配操作』の魂技を有する個体。魔物がそういった能力を持っていてもおかしくない世界。四階初の陸上生物とのご対面か。
歩幅をほんの少しだけ狭くして、足音も心持ち静かに歩く。
気配は留まったまま進むことも後退することもない。だが、微妙に左右に揺れている。高さは俺の腰辺りで下の方が膨らんでいる。
これは、台形のような形をした魔物……いや、違う。誰かが座っているのか?
だとしたら人と同じぐらいの大きさと考えるべきだな。こちらには気づいてないのか、今も左右に揺れているだけだ。
気配は弱めてはいるが完全には消してないのに反応がないのは、相手の探知能力が低いのかもしれない。それとも油断している振りをして誘っているのか。
いっそのこと矢を撃ち込んでみるか。それだと万が一相手がプレイヤーだった場合、ただの殺人だ。前のダンジョンで人殺しを経験したからといって、殺人鬼になった覚えはない。
俺は足音を少し大きめに立てて、気配も徐々に開放していく。これなら相手も近づいてきていることに気づくだろう。
魔物でも人でも襲い掛かってさえくれれば、容赦なく打ちのめせる。
こっちは全く気付いてない感じでずんずん進むと気配が大きく動いた。気配が縦に伸びて人型っぽくなる、座っていただけか。
落ち着きなく体が揺れていたが、気を取り直したのかこっちに向かって来ている。
人型の魔物か人かどっちだ。遮蔽物がないのに明かりが見えないということは、相手も『暗視』所有者で間違いない。
足取りもしっかりしているので、俺と同じく問題なく辺りが見えているということだ。
距離は五十メートルを切ったぐらいだろうか、相手の姿が肉眼でも確認できるようになった。
「新たなプレイヤーみたいだね」
男の声がした。服装はスーツに革ジャン、手には先端が膨れ上がった鈍器、おそらくメイスを握っている。プレイヤーで確定だな。
「ああ、そうだ。あんたもか」
「そうだよ。キミはここに来たばかりみたいだね」
爽やかで愛想のいい話し方をしている。頭はセンター分けだが髪が肩に達しているのは、邪神の塔でそれなりに長い時を過ごしている証拠だろう。
細めで目尻が若干下がっているので穏やかそうな人物に見えるが。
外見は二十代前半、俺より少し若いぐらいか。
「キミは一人なのかい?」
さりげない雑談に思えるが、腹の探り合いは始まっている。少しでも情報を収集しようとしているのだろう。
「まあな。あのダンジョンを俺一人しかクリアーできなかった」
「へええ、ってことはかなりの猛者だね。探索側だったのかい?」
質問が多いな。さて、何処まで正直に話すべきか。
「運が良かっただけだ」
「いやいや、あそこは運だけでクリアーできるほど優しくないよ。それはキミも重々承知しているだろ。あ、警戒されているのかな。無理もないよね、あそこは裏切りと人殺しが当たり前のように行われていたのだから」
あのダンジョンをクリアーして初対面の相手を素直に信じられる人がいたら、脳の中身を見せて欲しい。きっとカラフルな花で埋まっていることだろう。
「質問ばかりで悪いから、ボクのことを話すね。あのダンジョンでは探索側で五人だけ生き残ったうちの一人だよ。残りの四人は三階とこの四階で……亡くなってしまったけど」
それが本当なら彼もかなりの実力者だ。探索側というだけで難易度が跳ね上がるシステムだったから。俺と同じく最上級魂技を所有していることも考慮しておこう。
「邪神の塔の難易度の高さは、キミも経験してきて理解しているよね。そこで相談なのだけど、一緒に組んで進まないかい?」
予想はしていたが厄介な申し出だ。
完全に気配を消して近づき相手の様子を窺うことも考えの一つにはあったが、それをした場合、ばれた時に言い訳が効かないので止めたのだが早まったかもしれない。
「いや、止めておく。悪いが信用しきれない」
「まあ、そうだよね。うんうん、それが普通の反応だよ。こんなところで、容易に人を信じて組むなんて愚か者だからね」
理解してくれたか。話のわかる相手で助かったよ。
「用心深さ、説明が本当なら一人だけ生き残った実力とタフネス。うんうん、優秀だね。やっぱり、下の階である程度、魔素集めをやってきたのかな」
「あんたもそうなのか」
「ある程度はね。まあ、ボクの魂技と相性が良くなかったから、程々で切り上げたけど」
悪い印象は与えていない。相手の口調も穏やかで変わりがないように思える。
このまま別れて、彼には細い道の探索に励んでもらい、俺は太い通路まで戻るのがベストだが。
「じゃあ、お喋りはここまでにして殺し合おうか」
遊びに誘う友達のような良い笑顔で何を口にした。
驚きはしたが動揺が表に全く出ない自分に少しだけ嫌気が差す。
「殺し合うだと」
「そうさ。キミが用心深く強者であるとわかった今、見逃す手はないだろ」
「何故、殺し合う必要がある。お互い別の通路を攻略していけばいいだろ。探索の手間が省かれる」
冗談やノリで言った訳じゃないよな。
雑談をしていた時と雰囲気も変わっていない。まあ、平常心で人を殺せる奴がいても不思議じゃないが。
「あれ、もしかして気づいてないのかな。魔素を集めたら身体能力が強化するだろ。魔素ってのは魔物を倒せば得ることができる。ここまではわかるよね」
「知っている」
「魔素を集めるには魔物を地道に倒せばいい訳だけど、それは効率が悪すぎると思わないかい」
「地道なレベル上げ嫌いじゃないからな」
「あー、キミはそっち系か、納得納得。ボクはゲームにはまると課金アイテムとかに容赦なくお金を注いで、楽して強くなるのが大好きなんだ。時間は有限だから無駄に時間を費やすより、金で強くなった方が効率いいよね」
俺と真逆のプレイスタイルか。課金が悪という気はない。基本無料のゲームなんて課金してくれている人がいるから、ゲーム会社が運営できる。無料プレイヤーが文句を言うのはお門違いだ。
だから、そのプレイスタイルを頭ごなしに否定する気はない。俺はゲーム好きだったが個人的に、そういうのが苦手だったので基本無料のゲームには殆ど手を出さなかった。
「でね、この邪神の塔もゲームっぽいシステムだから、効率よく魔素を集める方法を考えてみたんだ。その結果、たどり着いた答えがプレイヤーから奪う……だよ」
なるほどね。俺みたいに魔素を地道に集めたプレイヤーを倒せば、楽してその魔素を全て奪えるって寸法か。
プレイヤー同士の殺し合い推奨のシステムか。いやはや、邪神も性格悪いな。
三人組も食料だけじゃなくそれも狙っていたのか。
「まあ、基本だよな」
対人戦が可能なネットゲームではプレイヤーを襲って金品を強奪できるゲームは結構ある。日本製より海外製にその傾向が強いが。
この手慣れた感じは俺が初めてじゃないよな、確実に。
「理解してくれて嬉しいよ。罵倒したり、命乞いする奴も多いから、キミみたいな人が相手だとボクも殺りやすい」
「だが、そう上手くいくかな」
かなり自信満々のようだが、自分が負けることを全く考慮していないようにみえる。今までの成功で調子に乗っているのか、それが油断にならないぐらいの実力差があるのか。
「上手くいくんだよ、それが。今までもこれからも。ボクがなんで四階にずっといると思う? それはね、この階では無敵だからさ!」
爽やか風青年が両腕を掲げると、水面から何本もの水柱が上がり空中に巨大な水の球を四つ出現させた。
「知っているかい。水使いって水場だと無類の強さを誇るってことを!」
そういうことか、ここが相手にとって相性のいい場所だってことか。
対する俺は『炎使い』ではあるが、あの水量に勝てるとは思えないな。
「こりゃ、やばいかもな」