狙撃手
次の獲物を探していると微かに魔物の気配を感じた。手すりから頭を出してスコープでその方向を確認する。
かなり遠方にいるな、おそらく五百メートルは離れているだろう。
コンパウンドボウはゲーム内では射程二百メートルぐらいだった。ただ、これは異世界製の特注で引き手の筋力が増せば増す程、威力の上がる代物だ。
今の筋力はオリンピックのあらゆる種目の選手を軽く凌駕している。たぶん、この距離なら届くが問題は命中率。
これまでの戦闘の経験値で器用さも上がっているだろうし『暗殺』の射撃補正があるから当たりそうな気がするが、この距離だと風の影響も考慮しないといけない……迷っている暇があるなら射ってみるか。
お手製の石の矢をつがえ弦を引き絞る。スコープを覗き込みターゲットを捕捉。今は休憩中らしく、瓦礫の上に座り込んでいるな。
当てやすい胸元を狙おうかとも思ったが、精度を試す為にもあえて頭を狙わせてもらおう。
一度大きく息を吸い、鋭く吐く。そして、弦を放した。弦の鳴る音と同時に矢が風を切り裂く音が微かにする。
スコープから目を離さずに矢の行方を見守っていると、即座に魔物が頭を貫かれ前のめりに倒れた。
矢の速度が思っていた以上だな。この距離でもあの速度と威力なのか。魂技の補正があるとはいえ狙撃兵も真っ青だ。
この方法だと楽に敵を倒せるのだが、ドロップしたアイテムを拾えない。あと、矢も回収できないな。
それに敵が二階までと同じく一度倒されたら二度と現れなければ問題ないが、無限湧きだとキリがない。一日狙撃をしながら様子を見て判断しよう。
三階から五階に移動して狙撃を続けてみることにした。
敵の死体は暫くすると霧散してくれるので、仲間の死体を見つけて警戒するという展開にはなっていない。
ただ、基本的に二体以上で行動することが多いようで、俺が倒した二体以外でソロ活動をしている魔物は少ない。
それでも、五体追加で倒したのだが。
「んー、魔物の数が思ったより多いな。それに団体行動を推奨しているのか」
そんな厳つい顔して一体で行動できないでどうする。
さーて、本当にどうしようか。夜になっても八目魔物が徘徊している。灯りを全く手にしていないのに問題なく歩けているようだ。
俺と同じように『暗視』能力があるのか。となると、夜に活動する必要性が消えたな。今日は早めに就寝しよう。その前に二匹追加で倒しておくか。
オフィスの机の上で目が覚めた。
サラリーマン時代は来客用のソファーや椅子を並べて寝ていたが、目が覚めたらオフィスか……この感覚懐かしいな。
朝食を手早く済ませて外を観察した。
今日も元気に敵が彷徨っていらっしゃるな。このまま射続けて敵を減らすのが一番の安全策だが、矢にも限りがある。
近くにはぐれ魔物が一体いるな。純粋な戦闘力を確かめてみるか。
ここには今のところ、あの魔物しか存在していない。なら、相手の力量を計っておいて損はないだろう。
いちいち階段を下りるのも面倒なので、ベランダから身を乗り出して手にした石の棍を地面に伸ばす。伸縮自在の能力を生かして五階から地面に深々と突き刺すと、そのまましがみ付くような格好でベランダの外に出た。
後は石の棍を縮めれば安全に地上へ降り立つことができる。
魔物はこっちへ向かって来ているので近くの道路脇の建物の影に隠れた。
そして、相手が通り過ぎて背を見せた瞬間後方から不意打ち……じゃない。相手の戦闘力を調べるのが目的だった。正面から挑まないと。
堂々と建物の影から跳び出し、道路の真ん中に立つ。
相手が俺に気づいたようで、大口を開けて俺に突っ込んでくる。頭悪そうだな。
ワイヤートラップを仕掛けたい衝動に駆られるが、今回は普通に戦おう。
三本の腕のどれから先に攻撃を仕掛けてくるのか。右手には斧、左手には湾曲した剣、真ん中には槍。リーチから考えて真っ先に届くのは槍だよな。
俺の予想がピタリと当たり、真ん中の腕から槍が繰り出された。勢いは悪くないが避けられない突きじゃない。
後ろ脚を引いて体を半回転させる。通り過ぎた槍の柄を石の棍で叩き落とそうかと思ったが、頭上に斧と脇腹に剣が迫ってきた。
後方に躱すのではなく前に突っ込む。斬撃による風が後ろ髪をそよがせるのを感じながら、無防備に曝け出された背中に棍を叩き込んだ。
相手の耐久力を調べる為に約半分の力でやってみたのだが、大きく仰け反り手にした武器を落としているが倒れてはいない。
片膝を突いて何とか耐えたか。だが、かなりダメージを負っているな。武器を拾って構えてはいるが足元がふらついているぞ。
大体の実力は把握できたから、もういいか。楽にしてやろう。
石の棍を全力で脳天に叩きつけると手にした武器で庇おうとしたのだが、間に合わず頭をかち割られた。
一対一なら何の問題もない。体調不良で油断でもしていない限りやられないだろう。二対一でも大丈夫だ。
相手が三体になったら正攻法で挑むのは少しだけリスクがある。矢で一体先に倒しておくのがベストか。四体以上いたら逃走が最適かな。
「うっし、また狙撃開始するか」
さっきのビルは高すぎたのでもう少し低いビルがいい。狙撃といえば屋上と相場が決まっている。五階より少し高いぐらいが理想的だが。
辺りを見回すと道路を挟んだ先に丁度いい高さのビルがあった。また階段を上るのも面倒なので棒高跳びの要領で石の棍を地面に突き刺し、地面を蹴ると同時に棍を勢いよく伸ばす。
一気に屋上まで到達したので、着地してから素早く棍を元の長さに戻した。
魔物に見つかってはいない。ここはいい場所だな、高さも程々でおまけに屋上で絶好の狙撃ポイント。
じゃあ、狙撃をする前にそこら辺のコンクリートを破壊して矢にするか。ってあれ、コンクリートに『石の匠』は通用するのだろうか。
試しに屋上に一部を崩してみたが普通に砕けた。石の棍の伸縮自在の能力を活かして棍をハンマーの形状に変化させる。
こうすると加工がやりやすい。伸縮自在の棍って使い慣れると、伸び縮みを調整して形状を自在に変更できる。かなり便利な武器でありがたい。
コンクリートを矢にすることは可能だったのだが、そもそも老朽化が酷いコンクリートの耐久力を『石の匠』で強化できたとして何処まで硬くなるのか。
形は悪くないけど……全力で撃ってみるか。向かいにあるビルに全力でコンクリートの矢を放つとぶつかった衝撃で矢が砕け散った。
突き刺さらなかったな。射殺すのには使えないようだ。
やっぱり石の矢を使って撃ち込んだ場所を覚えておいて後で拾おう。よっし、決めた。
決断したのなら後は実行に移すのみ。気配を感じた魔物を次々に射る。敵が三体いても一体倒すと足が止まり、慌てて辺りを見回している隙にもう一体倒せる。
三体目にこっちの場所を見つけられることもあるが、無謀にも直線的に向かってくるので頭を射抜いて終了。
矢が無限にあれば楽な作業なのに。
更に八体を葬り狙撃に自信がつき始めて調子に乗り出したところで、異質な気配を感じた。魔物じゃない気配。これは……人!?
邪神の塔を攻略中の人がいるのか。スコープで気配のした場所を覗くと、確かに人間がいた。それもあれは日本人だ。
学生服の上からコートを着た男性。迷彩服の上下に銃を手にした男性。スーツ姿の女性は三叉の槍を手にしている。見た感じでは同じプレイヤーのようだ。
三人は後方を気にしながら住宅地の方へと走っている。その後方から魔物が二体……いや、更に後方から十数体魔物が付いてきているぞ。
これはヤバいな。あの三人はプレイヤーだとしたら俺の先輩になる人か。あの理不尽なダンジョンに連れてこられてクリアーした前のプレイヤー。
同じような試練を潜り抜けてきた猛者。だが、足の速さを見ている限りでは少し遅く感じる。俺より能力が低いのかもしれない。
逃げながら銃を手にした人が撃ち込んでいるが、魔物に防がれるか避けられている。銃は身体能力が上がろうと弾速が一定なので強者には通用しない。
あの人は武器の選択を間違えたな。さて、どうする。助けてあげたいとは思うが、あのダンジョンをクリアーした経緯によっては、人殺しを何とも思わない外道だという可能性だってある。
もう一度、スコープで逃げている三人の姿を観察した。
悲愴な表情で何かを叫びながら走っている。唇の動きに集中して何を言っているのか読み取ろうとした。
し、に、た、く、な、い……か。
バカらしい、悩む必要なんてない。助けたいなら助ければいい。見返りなんて気にしなければいい。相手が裏切ったとしても、俺が警戒して対応すれば済むだけの話だ。
期待をするから裏切られたと勘違いする。偽善、大いに結構じゃないか。
三人を追いかけて行く敵の後姿に素早く矢を連射した。
今の撃ち込みで六体は倒せた。これ以上は射程範囲外だ、俺も移動して後を追うしかない。