竜狩人リグシー団
フォルカーは己の出自を知らなかった。もちろん、両親がどこのどんな人で、自分がどんな場所で生まれたのかすら知らない。
ネルギーは厳しい男だった。彼に剣の腕で渡り合えるようになるまではよく殴られた。今思えば竜狩人という職業でフォルカーが生き残れるために教育していたのだろうとわかるが、まったく優しいところなどない男だった。
物心つくころからフォルカーはネルギーの後に付いてあちこちを旅していた。本来、竜狩人とは集団で動くものだ。狩人業は個人で経営するのだが、腕の立つ者同士で協力するほうが危険な竜を相手に命を落とす可能性が減る。そのため、竜狩人の中では自然と一緒に行動を共にする仲間ができてくる。それを傭兵団のように名付けることがあったが、ネルギーは狩りをするとき以外、決して仲間と群れ合うことはなかった。
それでも孤立しなかったのはネルギーという男が竜狩人の中でもかなりの腕の持ち主だったからだ。
とはいえ、いくら腕がよくても竜狩人という職業が危険な仕事には変わりなかった。ネルギーが呆気なく死んだのは、フォルカーが独り立ちする直前のことだ。
「それで白い竜はどこにいるんだ?」
ネルギーが逝ったとき、フォルカーは丁度目の前の栗色の髪の少年くらいの年だった。
「南にあるピラタって地方だ。昔はピラタ王国ってのが建っていたが、白い竜に滅ぼされてからは隣国に領土を吸収されている」
バルナバスの家を後にし、森を出た一同は町で馬を買って街道を進んでいた。
フォルカーが乗っているのは葦毛の優しげな目をした牝馬だ。アイロスは黒毛の牡馬に乗っている。
アイロスの従者であるはずのヤンはいなかった。アイロスがバルナバスにヤンを預かるよう頼んだからである。ヤン自身は大反対したが、主人の意向に一従者が逆らえるはずもなかった。
結局、泣きじゃくるヤンをフォルカーが自分がアイロスを見るからと宥めて出発したのだ。
「馬で歩けば、二日で着くさ」
「ああ、わかった」
これから危険な竜を狩りに行く身分だが、二人の歩く道はのどかな田園風景だった。
「そうだ、アイロス」
「なんだ」
「お前が姫を助けるとして、さすがに俺一人で竜の相手をするのは辛いから他の竜狩人に声を掛けておくぞ」
「すぐに呼べるのか?」
「問題ない。実はこの仕事を請けてときからすでに連中には連絡してある。山越えのとき、今夜停泊する宿で待っているはずだ」
フォルカーの言うとおり、山間部にあった宿では三人の男女が待っていた。
「フォルカー、久しぶりだな! ますますいい男になっちまって、これじゃあ女共が放っておかないだろう!」
最初に声を掛けたのは大熊を彷彿とさせる屈強な体の男だった。男は酒を飲んでいた席を立つとフォルカーを抱きしめる。
「グルトム、痛いぜ。あんた力を込めすぎだ」
フォルカーの苦渋にグルトムは豪快に笑う。
次の声を掛けたのは、グルトムと同じ席に座っていた赤毛の女だった。
「北の仕事にあたしたちを呼ばなかった罰よ」
「リリー」
「あんた、アメニシム団の連中と組んで仕事したんだって? やめときなって言っておいたじゃない。あいつらは支払い誤魔化す手癖の悪い連中なんだから」
リリーは筋肉と胸がはっきりと浮き出るグラマーな体格に、酒焼けした低い声が似合う大人の女性だった。
リリーの視線が取り残されていた少年に移る。
「それで、そこの可愛い坊やは? まさかフォルカーの隠し子とは言わないわよね?」
アイロスはにっこりと微笑んで前に進み出た。
「一緒に仕事をすることになったアイロス・パレーツです。フォルカーに誘われて来ました。よろしくお願いします、ミス」
もとの造作がなまじ整っている上に女性に対する礼儀正しい物腰で、アイロスの笑みは効果が絶大だった。
「何よ、この子可愛いじゃない。あたしはリリー・レイよ。よろしく」
最初は胡散臭そうに彼を見ていた満更でもなさそうにリリーも表情を和らげた。
フォルカーはリリーに聞こえないよう小声でアイロスに苦言を言った。
「おい、俺と〈三つの匙〉亭であったときに生意気さはどこに行った。態度が全然違うじゃないか」
「これから仲間になる人たちだ。仲良くしておいて損はない。それから婦人には礼儀正しくするものだ」
「この末恐ろしい餓鬼め。リリーを運命の人とか思うんじゃないぞ」
「? あなたの女なのか?」
「あんな恐ろしい恋人なんてこっちからごめんだ。リリーは熊男と夫婦なんだよ」
こそこそ話し合う二人にもう一つの声が掛けられる。
「フォルカー、リリーだけではなく私たちにも彼を紹介してくれませんか」
もう一人の人物は、痩せた頬の目立つ男だった。色素の薄い灰色の瞳が爬虫類を連想させる。
グルトムやリリーが革の鎧や動きやすい軽装という中で、男は僧侶のような白いローブを身に付けていた。
「ああシナモ、あんたもいたんだったな。リリーは今あいさつしたみたいだが、こいつはアイロス・・・何だっけ」
自分が連れてきた少年の苗字も覚えていないフォルカーにグルトムたちが呆れた顔をする。
「アイロス・パレーツです」
「そうパレーツ。それでだ、白い竜の滅ぼした王国の姫のことは知っているだろう? 俺はこいつにその姫を託すために連れてきた」
シナモが灰色の瞳を向ける。
「ようこそ、アイロス。我らが竜狩人リグシー団へ。―――見たところ、あなたは我々とは違うようですね」
「流石だな、シナモ。アイロスは貴族の三男坊だ。親にさっさと結婚しろとせっつかれて未来の嫁を探して旅をしてるんだと」
グルトムが再び豪快に笑う。
「おお、そいつはすごいな、兄ちゃん!」
「なんだったらあたしがその未来の嫁に立候補してあげてもいいわよ」
おもしろかったのかリリーも話にのってきた。
「未来の嫁を探して旅か~、男のロマンだな。俺も若いころはあちこちの女と・・・」
「グルトム、リリーの前で己の女性遍歴を披露するのはどうかと思いますよ。見てください。あの嫉妬に歪むリリーの顔を」
「・・・。つまり、どんな女よりも俺にとっちゃリリーが世界一の女だったって話だ」
グルトムの話に興味を引かれた人物がいた。アイロスである。
「あなたはリリーの夫だと聞いた。私の花嫁探しの今後の参考として話を聞きたい。リリーのどういうところが好きで結婚を決めたんだ」
あら、やだわぁこの子と恥らう乙女のようにリリーが頬を染める。悪乗りしたフォルカーは下品な口笛を吹いた。
「おー、アイロス聞け聞け!聞いてやれ!」
頬を染めたリリーの容赦ない拳がフォルカーの鳩尾を狙う。
やれやれ付き合え切れないと俗物的なことを好まないらしいシナモは、一人で酒の杯を傾ける。
「まず、俺はこの赤毛に惹かれたんだ。薔薇みたいに豪華で美しい色だろ?」
グルトムが己の妻の赤毛を示す。
「そんで実際に仕事をしてみたら、とんでもなく気の強い女だとわかった。こいつっ、て何度も思うことはあったぜ。何回喧嘩したのかわからない。でもな、いっしょにいればいっしょにいるほど、俺はリリーじゃないとダメだってわかったんだ。気がつけばいつもリリーのことを目で追っていた」
フォルカーは宿の給仕娘のはりのある臀部を目で追いながら、アイロスに教える。
「とにかく迷惑なカップルだったんだぜ。会っちゃすぐ喧嘩して。周りからはお互い好きあっているのがバレバレだったしな」
「それでどうやって結婚に漕ぎ着けたんだ?」
アイロスの疑問にフォルカーは我知らずといったようすで酒を飲んでいる男を示す。
「シナモだよ」
「彼?」
「こいつが俺を当て馬に使いやがったのさ。グラトムとリリーがあんまり喧嘩するもんで、これじゃ仕事に支障きたすって別々の仕事をしようとしたことがあったんだ。そのときは俺とリリー、シナモとグラトムに分かれていたんだが、シナモが俺がリリーに求婚するっ気があるとかグラトムにデマを吹き込んで、慌てたグラトムがリリーを追って、俺たちのところに来たってわけだ」
アイロスは一人で静かに酒を飲んでいる男をまじまじと見た。こけた頬の面差しや灰色の瞳は冷たそうで、とても人の恋路に協力をする人間には見えない。
シナモが薄い唇を吊り上げた。
「何でしたら、あなた方の恋路も助けて差し上げますよ」
「げぇ」とフォルカーは呻く。
「シナモなんかに協力されたら後々弱みを握られそうだから絶対御免だぜ」
シナモは杯を傾けて酷薄そうな顔を微笑ませた。