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魔法使いバルナバス

 まだそれほど人口が増えていないこの時代、人間にとって未知の場所は数え切れないほどある。

 森もその一つだと数えられよう。緑の繁るその奥は日中でも太陽の光が遮られて薄暗く、木々の陰からは姿のない動物の鳴き声が耳に届く。

 アイロスとヤン、フォルカーの三人は森の奥を目指して道なき道を進んでいた。

 かさり、と草むらが揺れてヤンは悲鳴を上げた。

「ひっ」

 一羽の兎が三人の足元も駆け抜けていく。その様子があまりに可笑しくてフォルカーは笑い声を立てた。

「ヤン、怯え過ぎだ」 

「ですが、フォルカー様。このような深い森、道すらも外れてしまえば迷ってしまいます」

「心配ないさ。ここは俺には庭のような場所だから。迷うことはない」

 まるで道でも見えているかのように同じ風景の森をすたすたと歩いていく。

「フォルカー、ここには何がある?」

「この森の奥に魔法使いが住んでいる。そいつに色々と必要な薬を調合してもらうのさ」

 ところがどんなに歩いても目的のところには辿り着かなかった。

「あれ、おかしいな? いつもならそろそろ着くのだが」

「道を間違えたのではないですか?」

「いや、そんなはずはない。・・・ちょっと離れてくれないか」

 フォルカーは二人をその場に留めさせたまま、数歩ほど足を進めた。

 アイロスは身構えた。

「!」

フォルカーの姿が消えたのは一瞬の出来事だった。絵の具が水に滲むように彼の姿が空気に溶けて消えてしまう。

「フォルカー様!」

「大丈夫だ。心配ない」森の中からフォルカーの声が響く。

「二人ともそのまま前進してくれ」

 どこにいるのかわからない相手にアイロスは叫んだ。

「どういうことだ!」

「やってみた方が早い!」

 仕方ないとアイロスは足を進めた。恐々とヤンがついてくる。何が起こったのかわからなかった。いつの間にか目の前にフォルカーが立っていた。

「何が起こったんだ?」

「結界さ。魔法で隠されていたんだ」

 三人の目の前には、明らかにさっきとは異なる風景が広がっていた。

 そこは、アイロスが旅の途中で何度も目にした農夫の家を連想させた。干し藁の屋根、土の壁は漆喰が剥がれ、扉の木材は寸法が合っていなかったのか大きな隙間が開いている。家の周りはぐるっと小枝を集めた囲いがあり、囲いの中には小さな畑があって、少し離れたところには洗濯物が干してあった。しかし、それらがあるのは長閑な農村ではなく、脅威に感じるくらいの深い森の中だ。まるで、農村から家だけを切り取って深い森に貼り付けたかのように違和感を覚える景色だった。

「伏せろ!」

 フォルカーが二人を抱えて地面にうずくまる。

「《風の精霊よ、我の願いを受け入れその身を刃に変えよ》!」

 朗々とした声が響いたかと思うと、突風が吹き荒れた。直後、背後にあった樹木がゆっくりと後ろに倒れる。

振り返ったヤンが呆然とした。

「き、木がいきなり倒れたのですが・・・」

 大木とまではいかなくとも太い幹をもっていた樹木は鋭利な刃物で切断されたかのように斜めに切り倒されていた。

 ぎいっと古びた扉が音を立てる。苔色のローブの人物は相手の姿を確かめて銀色の眉をあげてみせた。

「なんだ、おまえだったのか」

「ずいぶんなあいさつだな、魔法使いバルナバス。危うく体が二つになるところだったぞ」

「ただの脅しだ。傷付けるつもりはなかった」

 バルナバスと呼ばれた人物が被っていた苔色のフードを外す。

「物隠しの結界が反応したから村の奴らかと思ったんだ。おまえには結界が反応しないようにしているからおまえとは思わなかった。すまない」

 彼の髪は銀色だった。いや、完全な銀色とはいえない。よく見ればまだ生え際のあたりは黒くて元の彼の髪が別の色であることを示していた。

「なあ、また色が抜けてないか?」

 フォルカーが魔法使いの太いおさげを手に取った。

「ああ、前にお前と会ったときより色が抜けてしまったな」

「まあ、禿げるよりはいいだろう。それに銀の髪も悪くない」 

 自分のおさげをいじくる男の言葉に、魔法使いは口元に笑みを浮かべた。それから視線を男の背後に移す。

「それでそちらの方々は? お客人方、怖い思いをさせて申し訳ない。お詫びにハーブのお茶は如何だろうか?」

 案内された家の中は、やはりアイロスたちが旅の途中で泊まった農夫の家と変わらなかった。

 違うのは粗末な机や棚の上に、小さな壷やら本やら薬草やらが雑多に積まれていることだ。

 梁の目立つ天井からも薬草やら爬虫類らしき干物やらが釣り下がっていて、アイロスたちはそれらにぶつからないように気を付けながら歩かなければいけなかった。

「ラベンダーティーで構いませんか? ああ、従者の方には苦過ぎるかも知れない。蜂蜜も用意しておこう」

 ほどなく卓上に湯気を立てた小ぶりのカップと蜂蜜の壷が並んだ。

 その前に積まれていた本やその他はアイロスがまとめて棚の中に押し込んだ。

「それで、フォルカー。おまえの連れてきた客人たちを私に紹介してくれないか?」

「栗色の髪がアイロス、もう一人の彼の従者がヤンだ。アイロス、ヤン。こいつが魔法使いのバルナバスだ。薬の調合の腕だけは中々な奴だぞ」

「だけとはなんだ。だけとは」

 銀髪の魔法使いが隣の男を睨む。

 バルナバスは異様な風貌の男だった。古びた苔色のローブを引きずるようにまとい、銀の髪は一本の太いおさげに結わえ、右肩から垂らされている。

 年齢はよくわからなかったが、フォルカーより若いようにも、逆にずっと年上のようにも感じられた。

(不思議な男だ)

 アイロスと魔法使いの視線が合わさった。

「お客人、私に何か尋ねたいことでもあるのですか?」

「・・・どうして魔法が使えるのに自分の手で茶を用意するんだ? 魔法が使えるなら全部魔法でできるんじゃないのか?・・・と考えていただけだ」

 バルバナスは微笑んだ。「貴方は魔法のことにはあまり詳しくないのだな」と言う。無知を責めているような言い方ではなかった。

 聞いているのかいないのかフォルカーはラベンダーティーを口に運ぶ。

 蜂蜜はバルナバスがヤンのために用意してくれたはずなのに、彼は壷の半分をカップに注いでいた。意外に甘党らしい。

「魔法は万能ではないのです。己の手を使わずに湯を沸かしたり、茶器を運ぶことは私にはできません」

「だが、あなたは指一本も使わずに木を倒した。大の男が斧を振ってやっと倒す木をだ。それができるのなら、茶器の一つを魔法で運ぶのくらい造作もないことではないのか」

「いいえ、正確には木を倒したのは私ではなく風の精霊たちです。私は彼らに語りかけ、願っただけに過ぎない。それに精霊たちの操る自然の力は繊細であると同時に巨大でもあるのです。操作することは難しい。余程の高い能力の魔法使いでなければ、魔法だけでお茶の用意をするなんて器用な真似をできないのです」

「バルナバスは不器用だからな」フォルカーが口を挟む。バルナバスに睨まれたが、どうということない顔で流す。

「お前の師とは大違いだ。あの人は薬の調合以外はすべて魔法で済ませていた」

 すでに壷の半分の蜂蜜が投入されているというのに、フォルカーはさらに己のカップに壷を傾けていた。

 あれではお茶に蜂蜜を入れているのではなく蜂蜜にお茶を入れているようなものだ。

「あれほど偉大な御方と私ごときを比べるな。それから、どれだけ蜂蜜を入れる気だ。私はそれを客人たちに勧めたんだぞ」

「ケチケチするなよ。この蜂蜜だって俺が町から買ってきたものだろ。森から出ないお前の代わりに」

「師匠を侮辱した連中と馴れ合うのは御免だ。それに私はおまえに買い出しを頼む代わりに、特別に安く薬を調合してやっているだろう」

「薬の値を下げてもらってはいるが、俺はおまえが手に入れられない貴重な材料は持参しているだろ? それと、お前の師を侮辱した奴らは森の近くに住む一部の村人だけだ。町の人間とは関係ないじゃないか。あいつらだってあの人の人柄や魔法の才能を知ったら態度を改めるさ。ただ知らないだけなんだ」

「知らなくとも許せん! むしろわが師を知らないことが許せん!」

 酒ではなくハーブティーを飲んでいるはずなのにバルナバスは酔っ払いのように叫んだ。どうやら彼はことに「師匠」のことになると熱くなる性質らしい。

 やれやれといった調子で溜息を吐いたフォルカーは、ふいに隣に腰掛けていたアイロスの肩に腕を回した。

「まあ、いいさ。それはおまえの解決する問題だ。今日はわざわざ口論するためにやってきたんじゃない。魔法使いバルナバスにアイロスの薬を調合してもらいに来たんだ」

 フォルカーは左手でアイロスの肩を抱きながらも右手ですっかり空になったカップを置く。もちろん溶け切らずカップの底の方に溜まっていた蜂蜜もしっかりと飲み干してある。

 アイロスが呆れた調子で「顔に似合わず甘党なんだな」と呟いた。

「私に? 何の薬だい?」

「竜専用のにおい消し」

「馬鹿か」

「馬鹿とは失礼な。確かにこいつは子どもで如何にも素人だが、俺がついている。この伝説の竜狩人様がな。・・・言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ、バルナバス」

「馬鹿とはどこぞのおめでたい竜狩人様のことを指したんだ。・・・・アイロス、君はクレア女王の息子だろう」

 「はあ!?」とフォルカーが声を上げる。逆にアイロスは態度を出さず問い返した。

「何故、そう思う?」

「理由は三つある。まず一つ目。君たちの身のこなしはある適度行儀作法を叩き込まれた人間のものだ。付け焼刃ではなく、幼い頃からじっくりとね。二つ目。ヤン、君の履いているブーツに使われている革はシュンドラメといって安価だが機能性が抜群で城仕えの者が好んで履くしろものだ。最後に三つ目。アイロス、私はかつて一度だけ君の母上にお目にかかったことがある。君の美貌は母上譲りだね」

アイロスは眉をひそめた。

「母上を知っているのか」

「バルナバスの師匠は各国の王侯貴族がお得意様の魔法使いなんだよ。だから、こいつも子どものころから王族を見る目は養われてるってわけだ」

 そこまで二人に説明し、フォルカーは魔法使いを睨んだ。

「それで、お前は知っていてなんで俺に教えてくれなかったんだ」

「どうせ私が教えてもお前の考えは変わらないだろう」

「こいつがただの貴族じゃなくて女王の息子なら少しは対応を変えるさ。後で俺の首が刎ねられたらどうしてくれるんだ」

「そのときは首の前で笑ってやるさ」

 涼しい顔をしてバルナバスは冷めた茶を淹れ直す。

「おい・・・」

「黙っていたのは悪かった。だが、不用意に身元を明かすのはどうかと思ったんだ」

 フォルカーはアイロスに何か言おうとして、だが口をつぐんだ。

「すまない、フォルカー。許してくれ」

「・・・。王族が軽々しく謝るものじゃないぜ」

 


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