竜狩人フォルカー
ベルタが女将として切り盛りする〈三つの匙〉亭は、彼女の作る特製のミートパイが売りの娼館だ。もちろん店に揃える娘の評判も上々である。
娼婦たちの住居兼仕事場の二階では、今日もがいがいがやがや娼婦たちが身繕いをしていた。
「女将さん、アタシのイヤリング知らない?」
「やだ、ちょっと! あんた、わたしのドレス踏んでいるわよ」
「だれかー、あたしのコルセットを締めるの手伝ってー!」
日没前の開店準備は、毎度毎度、嵐のような騒ぎだ。もっとも火の消えたように寂れた娼館よりはずっとましだから、どんなに忙しかろうがベルタは苦痛に感じたことはない。
店にベルタ特製のミートパイの香りが漂ってくるころ、客の男たちが待ってましたとばかりに一斉に入店してくる。
「きゃあ、見て見て。すっごくいい男―っ」
厨房の陰から店の様子を覗っていた、目の周りにたっぷりと顔料を塗りこんだ娼婦が嬌声を上げる。
「え、どこよ。あら、ほんとうにいい男!」
吊られて中を覗いた黒髪の娼婦も力強く同意した。それに続いて続々と中を覗き込んだ娼婦たちは嬌声を上げた。
娼婦たちの視線の先では、金髪の青年が女将特製のミートパイを食べている。まだ若い。年は二十代前半といったところか。黄金色の髪を肩で遊ばし、長く伸びた前髪の間からは透き通る湖のように薄い水色の瞳がのぞいている。ミートパイを無造作に食べる仕草は粗野で上品さの欠片もないが、こんなところでは誰もそんなことは気にしない。むしろ彼の野性味のある振る舞いは娼婦たちには官能的にすら感じられた。
「わたし、彼に指名してほしいわ。あの金髪、この手でかき乱してあげたい!」
「ずるいわっ、抜け駆けはなしよ」
「痛っ、髪を引っ張らないで!」
娼婦たちが厨房の陰でその客の隣を取り合っていると、ミートパイの皿を両手に女将が忙しそうに現われた。
「あんたたち、なに馬鹿なことをやっているんだいっ。そんな暇があったらさっさと客に媚を売ってきな! 今日の稼ぎを逃しちまうよ」
店の主に叱られて、言い訳がましく黒髪の娼婦が金髪の男を指差した。
「だって、女将さん。すっごくいい男がいるのよ。ほら、あの金髪の・・・」
「ああ、あの〈竜狩人〉のことだね」
女将があっさりと男の正体をバラすと、「「「〈竜狩人〉!」」」と娼婦たちは声を揃えて叫んだ。あまりの大声に客の男たちが何事かと振り返る。金髪の男も娼婦たちの叫び声が聞こえたのか顔を上げた。
ベルタは娼婦たちにミートパイを預けると金髪の男のもとへと向かっていった。女将の姿に金髪の男が食事の手を止める。
「やあ、ベルタ。やっぱりあんたんとこのミートパイは絶品だな」
金髪の男はベルタにくだけた様子で話しかけた。ベルタは太い腰に手を当てて仁王立ちになった。
「いったいどこに行ってたんだい、フォルカー。あんまりうちのミートパイを食べに来ないものだから、てっきりどっかでくたばっちまったものかと思ったよ」
フォルカーは肩を竦めせみせた。
「残念ながらまだくたばってないさ。仕事で北に行っていたんだ。ここらには昨日の夜に帰ってきた」
そのままぐいっとエールを喉に流し込んだ。その仕草だけで男の色気が滲み出している。
「おや、昨日戻ってきたんならどこの宿に浮気していたんだい、あんたは」
「〈猫のしっぽ〉亭さ」
店の名前を聞くとベルタは大げさに驚いてみせた。
「〈猫のしっぽ〉亭だって! うちの常連のくせしてよくもあんな飯の不味い店に泊まれたね!
北に行っている間に舌を失くしちまったんじゃないのかい?」
女将の台詞にフォルカーは愉快そうに笑い声を上げた。よほどツボにはいったのか腹を抱えて笑い出す。
彼は目尻にたまった涙を拭った。
「はは、そうさあそこのサーモンパイはひどかった。夜が明けると同時にあんたんとこのミートパイが恋しくて飛び出してきちまったよ」
このフォルカーという男は十代のころからベルタのミートパイを食べに通う常連だ。もっとも彼女がフォルカーのことを知っているのは店に通いだした十代のころからで、それ以前はどこでどのような暮らしをしていたのか聞いたことはなかった。元々この男の師匠だった人物がこの店の常連で、いつからかまだ少年だったフォルカーを連れてくるようになったのだ。
ベルタは空になったフォルカーのジョッキにエールを注いでやった。
「もちろん、今日こそはうちに泊まるのだろうね? さっきから店の娘たちがあんたを見てそわそわうるさくて―――」
「なんだとてめぇ・・・ッ、もういっぺん言ってみやがれ!」
酔っ払いの濁声が女将の声を遮った。
二人が振り返ると窓際のテーブルで筋肉の盛り上がった大男がもう一人の襟首を掴んでいるところだった。
ファルカーは空色の瞳を眇めた。巨漢の相手は、二回りほど小さい。フォルカーよりも年下だろう。柔らかそうな栗色の髪とは反対に、その顔は固い能面のように無表情だった。
客の一人がでっかいほうの男を指す。
「おい、もしかしてあの巨漢、傭兵のエッボじゃないか」
その名前を聞いて仲間が悲鳴を上げた。
「傭兵のエッボだって? 確かあいつは熊でも殺す剛腕だって聞いたぞ」
エッボの、熊でも殺すという太い腕を見やって他の客が気の毒そうな顔をした。
「そりゃ、あの坊や可愛そうに。ボコボコにやられるぞ」
客の男たちが心配するように、傭兵のエッボは気が立っていた。酔いのせいもあっただろうが、何よりも目の前に生意気な少年が気に食わなかったのだ。
「このガキッ、さっきの台詞もう一度言ってみろ!」
丸太のように太い腕に襟首を捕まれているのにも関わらず、少年はあっさりと口を開いた。
「馬鹿じゃないかと言ったんだ。何度も何度も、はるかむかし無理やり犯した女の話を繰り返して、馬鹿じゃないのかあんたは?」
少年の答えにエッボの顔は怒りのあまり血の気が引きそうになった。
「・・・なんつったてめえ」
「要はあんたにその女の股を開かせるだけの甲斐性がなかったってだけの話だろう? そんな恥を自分からベラベラしゃべってあんたは馬鹿じゃないのかって言ったんだ」
少年の大胆な台詞に店の客たちはエッボが少年を殴り殺すかもしれないと思った。もちろんエッボもそのつまりだった。自分を侮辱したこの生意気な少年の顔を原型が留めないほど殴ってやる――――
だが、彼の望みは叶わなかった。
「待ってくれよ」
エッボの太い腕を阻む者があった。フォルカーはにっこりと笑ってみせた。
「ここは男たちの心のオアシス、娼館だ。せっかくの夜に美しい娼婦じゃなくてむさい男の相手なんてもったいないじゃないか。今日のところは子どもの戯言だと思ってその拳を収めてくれよ」
エッボはにこにこと笑みを絶やさない金髪の男を見た。腰には剣を下げ引き締まった身体つきをしているが、巨漢のエッボから見ればただの優男だ。
「おい、このガキの知り合いか」
周囲が固唾を飲んで見守る中、フォルカーはぺろっと答えた。
「いや、まったくの赤の他人だ」
誰もがエッボの血管のぶち切れる音を聞いたような気がした。次の瞬間、エッボの太い丸太のような腕はフォルカーの顔に振り下ろされた。
「ぐっ・・・」
苦悶の呻きと同時に、巨体がくの字に曲がる。エッボの拳がフォルカーの顔面を捕らえるより数瞬早く、相手の懐に入ったフォルカーが鳩尾にきつい一発を決めていた。
エッボの巨体が派手な音を立てて床に倒れた。
「す、すげぇ。あの優男、傭兵のエッボを一瞬で倒しちまいやがった・・・」
倒れ臥したエッボに客の男たちは息を呑む。
「ああ、どうしてくれるんだい。こんなのでも大事な客なんだよ」
フォルカーに口では文句を言いつつも、女将はエッボを一瞬で倒した彼の行動にどこか得意そうな顔をしていた。
フォルカーは気を失って床に伸びている男の懐から財布を抜き取って女将に投げた。財布のない男は店の用心棒に引き渡す。
「支払いはちゃんとさせるさ。―――ところで若いの、そうあんただ」
茶色い瞳がフォルカーを捉えた。
「何だ?」
「さっきも言ったが、ここは男たちの心のオアシスだ。女を買って酒は飲んでも、つまらない喧嘩をするところじゃない。今度はあんな挑発的な物言いはやめてくれ」
すると、栗色の髪の少年は不満そうな顔をした。
「別に私は何もしていない。本当のことを指摘しただけだ」
「何でも正直に言えばいいってわけじゃないだろう? もう少しマシな言い方をしろって言っているんだ」
「本当のことを言って何が悪い」
「いや、だから―――」
フォルカーが口を開くよりも早く客の男たちがわっと彼に群がった。
「今の一撃、見事だったぜ!」
「あのエッボを倒しちまったよっ」
「あんたいったい何者だい!?」
巨漢のエッボと違いフォルカーの外見が親しみやすい優男のせいもあって、半ば酔っている客の男たちは遠慮なくフォルカーをもみくちゃにする。中にはいいものを見させてもらったからと酒を奢るなんて言う気前のいい客もいて、フォルカーは少年と話すどころではなくなってしまった。
「ほら、あんたたち今がチャンスだよ。さっさと仕事しな!」
おまけに女将が店の娼婦たちをけしかけるものだから、もう何が何だかわからない。
人ごみの中、少年の姿を探したフォルカーの空色の瞳は、驚きに見開かれた。
「え―――?」
輪の外に立っていた少年の栗色の頭が傾いだかと思うと、フォルカーの視界から少年の姿がゆっくりと消えた。
アイロスはひんやりとした感触を額に感じて目を覚ました。
暗い。窓から見える月の角度からいって夜が更けたころだろう。
「やあ、気が付いたか。あんた酔っ払っていたんだな。顔色が変わらないからわからなかった」
二つの空色が彼を覗き込んでいる。見覚えのある男だった。そう、アイロスが巨漢と揉めていたときにお節介にも割って入ってきた金髪の男だ。
巨漢を相手にしているとき、アイロスはひどく酔っていた。城で飲む葡萄酒のようにすっきりとした味わいではなく、喉を焼くように刺激的なエールはアイロスにとって初めての代物で、慣れない酒は彼を悪酔いさせていたのである。
「たくっ、この俺が娼館で娼婦の相手もしないで男の相手をするなんてな」
空色の瞳の男は悪態を吐きつつも、気分は悪くないか水は飲むかとまめにアイロスに世話を焼く。
「いや、いい・・・。大丈夫だ・・・」
「もう少し寝ていろよ」
「ああ、すまない。・・・おい、貴様何をしている!」
空色の瞳の男が当たり前のように寝台に入ってこようとしているところだった。もちろんアイロスの寝ている寝台にである。
男は不思議そうな顔をした。
「何って、俺も寝るんだよ」
「他の部屋で寝ろ!」
寝台は決して大きくはなかった。大の大人が二人寝ればぎしりと不穏な音を立てる。しかし、男はかまわずに寝台に入ってきた。
「他の部屋は客と娼婦でいっぱいだ。それにここは俺が取った部屋だぞ。まさか俺に床に寝ろというのか? ほら、もっとそっちに詰めろ」
アイロスはまだ頭痛のする頭を押さえた。そうだ、ここは娼館で、アイロスは巷で評判のミートパイを食べるためだけにここを訪れたのだった。宿はもう少し先の場所で取っているが、あまりの食事の不味さに辟易してここまでやってきたのである。
その間にもアイロスの隣に身を横たえた男はさっさと眠りについてしまう。揺り動かしてみたがまったく起きる気配はない。
「最悪だ」
花嫁を探して旅に出たはずなのに、何故男と同衾しないといけないのか。だからといって固い床に身を横たえる気にもなれない。仕方なく男の隣に再び横にある。
男は余程疲れが溜まっていたのか、まだ数分としか経っていないのに軽い鼾をかいて熟睡している。アイロスは眠る男の胸元から月明かりをうけてきらきらと反射しているものが覗いているのに気が付いた。
革紐で通されたそれは、魚の鱗のようにも見えた。いや、魚の鱗にしては大き過ぎる。子どもの手の平くらいあるそれを男が起きないようにそっと手に取る。
「鱗・・・? でも魚にしてはやっぱり大き過ぎる・・・」
まるでアクアマリンを削りだしたように透き通る水色だった。一瞬宝石かと思ったが、アイロスが知っている宝石とも異なる。
「竜の鱗さ」
吐息を感じるほどの距離に答えをもらってアイロスはびくりとなった。かなりの近さで空色の瞳と視線がぶつかる。
眠っていると思っていたのに。
「起きていたのか・・・」
「俺の同業者なら皆それを持っている。色は違うかもしれないが。俺たち〈竜狩人〉のお守りだ」
それだけ言うと男は再び目を閉じてしまう。
「・・・竜だと?」
問い返してみたが、今度は、男は目を覚まさない。仕方なくアイロスは眠りにつくことにした。だが、目を閉じながらも、先ほどの男の台詞が耳から離れなかった。
(竜・・・? 竜ってあの竜の鱗か? それに俺たち〈竜狩人〉って・・・)
空想ではなくこの世界には竜と呼ばれる生き物が存在している。蜥蜴の形をした巨体に、蝙蝠のような羽。首は長く、口には鋭い牙と炎が、手元には岩すら砕くという頑丈な爪が備わっている。しかし、その存在は希少で、竜の鱗や皮、肉、果てには骨に至るまで、各国では金持ちの間で高額に取引されていた。
もちろん、そんなに簡単に取れるものではない。竜自体になかなかお目にかかれないというのもあるが、何よりも竜そのものが凶暴過ぎて、ただの人間では近付くことすら叶わないのである。
かつてある国の王が自国の森の棲む雪のように真っ白な竜を狩ろうとしたことがあった。一頭の竜に対して十万の兵士を用いられ、国を挙げて大々的な竜狩りが行われた。ところが、たった一頭の竜に、十万の兵は一夜にして壊滅し、それどころか怒り狂った竜が暴れた末に、その王国は一日で滅んだのである。
だが、そのように恐ろしい過去あっても未だに竜は求められている。人の欲というのは尽きることなく、手に入らないとわかればわかるほど、大金を積んででも欲しいと思う人間が後を絶たなかった。
欲深い人間たちの代わりに、竜を取ってくるのが〈竜狩人〉と呼ばれる職業の者たちだ。彼らは、人並みはずれた力はもちろんのこと、知略を巡らし、その命を懸け、竜を狩る。もちろん、その見返りとして膨大な報奨金を得るのである。
アイロスの住むヴァイス城にも竜の骨で作られた竪琴がある。亡くなった曾祖母の持ち物で、美しい音を出す一級品だ。もっともゼネレス王家の人間が〈竜狩人〉に依頼したものではなく、異国で育った曾祖母が輿入れの際に持参してきたものだった。
アイロスはそれまで〈竜狩人〉という人間を目にしたことがなかった。だからだろうか、彼の隣で暢気に眠りこけている男が、あの半ば伝説のような存在の〈竜狩人〉だとは実感が持てなかった。
娼館の朝は遅い。日がすっかりと昇りきったころ、やっと店の竃には火が入る。
アイロスが牛の乳で煮た粥を食べていると半泣きの従者が店に飛び込んできた。
「アイロスさま~、いきなり宿からお姿が消えるのでお探ししたんですよ~っ」
半泣きの従者の顔を見て、アイロスは「あ」と声を出した。
忘れていた。そういえば、この従者のヤンが用意した〈猫のしっぽ〉亭という宿があまりに食事が不味すぎて、アイロスは従者に何を言わず勝手にここまで来てしまったのだった。
可愛そうなことに、心配で一睡もできなかったのか、それとも一晩中探し回っていたのかヤンの目の下にはくっきりと隈が浮き出ていた。
向かい側に座って食事を摂っていた金髪の男が驚いてアイロスを見た。
「一言も言って来なかったのか? そいつはひどいな」
ちなみにフォルカーは起きたばかりだというのに分厚いステーキを食べている。
ヤンは主人の向かいの席に座る男に気が付いた。
「失礼ですが、あなたさまは?」
「フォルカーだ。まあ、あんたの主人の命の恩人というやつかな」
「勝手に割り込んだのはあなただ」
アイロスは初めて向かいの席に座る男の名前が『フォルカー』というのだと知った。そういえば寝台すら共にしたというのにお互い名乗り合ってもいない。
そして、何故なのかこの男が自分によりも先に他の者に名前を教えたことが気に喰わなかった。
フォルカーの自己紹介を聞いて、従者はさらに泣きそうになっていた。
「アイロスさまっ、いったいなにをなさったのですか! お願いですから怪我をなさるような危ないことはもうおやめくださいといつも申し上げているでしょう!」
「ああ、可愛そうに。泣いちまったよ」
「泣いてなどおりません・・・!」
涙声でヤンが反論すると、ファルカーは頬をかいた。
「まあ、きっと腹が減ってるんだな。俺も空腹なときは気分がおかしくなるんだよ。ほら、これでも食べて元気出せって」
パンの乗った自分の皿をヤンのほうに差し出す。
「主人と同席するなどできません」
「堅いこというなよ。えっと、アイロスさま? この坊やが同席してもいいだろ?」
「貴様に敬称など付けられても不愉快なだけだ。ヤン、座るがいい」
「なんで急に機嫌が悪くっているんだ、あんた」
主人の許可が下ってヤンが遠慮がちにテーブルにつく。世話焼きのフォルカーが自分のパンの皿を彼に渡し、ついでに女将に声を掛けてもう一人の分の朝食まで用意してもらった。
ぶ厚い肉を片付けながらフォルカーは向かいの年少者たちに尋ねた。
「―――それで、あんたたちはどうして旅をしているんだい? 見れば主従のようだが、どこぞの貴族の子弟とその従者といったところだよな。まさか剣士にでも憧れて家出してきたのかい?」
「興味があるのか?」
少し警戒を滲ませてアイロスが問うとフォルカーは笑ってみせた。
「まあ、ただの世間話さ。俺のようにあちこちを旅することが多い仕事だと、色んな人間の話を聞いていて損はなくてね。それで、どうしてあんたは旅をしているんだい、アイロス?」
「相手に話させたいならまずは自分のことから話すのが筋だろう。私はまだあんたの名前も聞いていなかった」
少し拗ねた子どものような調子に聞こえたのはフォルカーの思い違いだったのかもしれない。
「フォルカー、あなたはどうして旅をしている?」
「お、やっぱり俺に興味があるかい? まあ、何せ俺は〈竜狩・・・」
「ただの社交辞令だ。別に興味なんてない」
「おい!」
口ではそう嘯いてみたが、アイロスは内心この〈竜狩人〉に興味を抱いていた。昨夜目にした鱗の首飾りは服の下に仕舞われているのか一見にはわからない。アイロスは、この男の鍛え上げられた逞しい胸と服の間に忍び込ませられた鱗の形を想像した。
「俺は仕事のためさ。先月は北に行ってきたんだ。雪ばかり降る寒い国で、国の人間は揃えたように同じ毛皮の帽子とコートを身に付けていた。寒いせいか皆エールなんか目じゃないくらい強い酒をがっばがっば飲んで、年中酔っ払っている奴も多かったよ―――」
まあ、と言葉の端を切ってちらりと食堂の隅に視線をやる。そこには酔っ払いの客が気持ち良さそうに寝こけていた。
「年中酔っ払いがいるのはどこの国も同じだけどな。とにかくあの国の酒は強かった」
「仕事で行ったくせに酒の話ばかりだな。他には無いのか? 竜の話を聞きたい。どんな竜を仕留めたんだ」
「馬くらいの小さな灰色の竜だった。ちょうど吹雪の中にいると姿が見えなくて、前進していた仲間の一人がうっかり竜の尾を踏んだんだ」
間抜けな話だった。尾を踏まれた灰色の竜は怒り狂い、炎を吐きながら追いかけてきたのだという。ところが竜の吐く炎は寒い吹雪の中で凍りつく直前だった〈竜狩人〉にはありがたい代物だった。仲間たちがおたおた逃げ回る中、器用に竜の吐く炎を採取したフォルカーは、それを松明にうつすと竜の注意が仲間にそれていることをいいことに、こっそりこしらえたかまくらで焚き火を始めた。なんとか竜の追撃を免れた仲間たちが戻ってくるころには、小さなかまくらでとろとろのチーズが焼けていたという。
そこまで話すと、ヤンが笑いの発作で顔を真っ赤にさせながらフォルカーを止めた。
「フォ、フォルカーさま。もう、おやめください。い、息が・・・苦し・・っ」
アイロスは絶対こんな奴が〈竜狩人〉ではないと思った。よく生きていたのもだ。怒った竜になど追いかけられたら最後、常人など死んでいる。そういう意味では、この並外れた幸運を持つフォルカーは〈竜狩人〉なのかもしれないが・・・。
「それで、どうやって灰色の竜を仕留めた?」
「いや、仕留めてないさ」
「は? 仕留めてない? 失敗したのか」
怪訝な表情をしたアイロスにフォルカーは笑う。
「依頼主の要望は、灰色の竜の角を取ってくるってやつだったからな。なんでも国お抱えのど偉い魔法使いが大魔法をやるのにどうしても必要なんだと。竜の角なんて無駄にデカいだけで、山羊の角とそう変わらないと思うがね。・・・まあ、だから竜は薬で眠らせて角だけ切り取って持ち帰ったってわけだ」
惜しそうにヤンが言う。
「竜を殺さなかったのですか? いくら小振りの竜とはいえ、竜一頭分を捕らえたらかなりの大金だったでしょうに」
ヤン言う通りだ。貴重な竜に目を疑うほどの大枚をはたく酔狂な人間はいくらでもいる。眠らせて角を切り取れるまでの状況になったのなら誰だって仕留めただろう。
フォルカーが苦笑した。
「まあ、いつもなら殺してたさ。こっちだって生活がかかっているからな。だけど、卵を持っている竜は殺さないってのは〈竜狩人〉の暗黙の了解なんだよ」
〈竜狩人〉を志す者は多く、そして、その大半は強大な竜を目の前に命を落とす。だが、ほんの握り〈竜狩人〉として才能を開花させる者が富と栄光を手に入れるのだ。
一方で、そういった〈竜狩人〉に狩られ元々個体数が少ないのもあり、竜というのはますます貴重な存在となってきている。だから、一体でも多く狩りたいというのが〈竜狩人〉の本音でも、その個体数を保つために様々な決まり事が自然と生み出されていた。
卵を孵す親竜を殺さないというのもその一つなのだ。
「俺たちは竜のおかげでメシを喰っているからな。メシの種がなくなったら元も子もなくなる。だから、卵を孵す竜を殺さない」
今までのおちゃらけた表情からは想像もつかない真剣な面持ちに、アイロスも、ヤンも無言で聞き入ってしまった。
それで、とフォルカーが続ける。二人は目を瞬かせた。
「いや、だからあんたたちはどうして旅をしているんだって聞きたいんだ」
「運命の人を探している」
「は?」
今度はフォルカーが目を瞬かせる番だった。
「だから、運命の人を探しているんだ」
「・・・」フォルカーは長いこと開いた口が塞がらなかった。
頭の中でぐるぐると思考が巡らされる。もしかして今の夢物語に登場する純心無垢な乙女のような台詞はこの少年から発せられたのだろうか。それともフォルカーの耳が使い物にならなくなって正常な言語を捻じ曲げて乙女語に聞こえるように組み合わせしまっているのだろうか。
「・・・いや、俺の勘違いだな。運命の人ってのはあれだろう? 生き別れになった恋人か何かを探して旅をしているんだ。俺の知り合いにもそういうやつはいたさ。可愛そうなことに許婚だった娘が借金の形に売られちまったんだ。そいつはその娘を探して―――」
「恋人などいたことはない。私がこの身を捧げるのは運命の人だけだ」
「童貞なのか!?」
フォルカーが唾を飛ばさんばかりに大声を出すものだから、アイロスは顔を顰めた。うるさい虫でも見るような目つきだ。
「当たり前だ。何の問題がある」
どこまでも堂々とした少年にフォルカーは一種の尊敬の念すら抱いてしまった。ヤンはといえば赤面し主人の顔が見られないらしく、あらぬ方向に視線を向けている。
フォルカーは力強く頷いた。
「そ、そうだな。確かに問題がないといえば問題がないな。・・・いやいや、アイロス、あんたは俺より少し下なくらいだろ。その年まで恋人の一人もいなかったのか? その面じゃ、きっと何人の娘が涙を飲んだのかわからないぜ」
男のフォルカーから見てもアイロスは端整な顔立ちをしている。今のような簡素な旅装束ででも悪くはなくが、さぞかし貴族たちが宮廷で着るような煌びやかな衣装が似合うことだろう。フォルカーが着ても衣装が浮いて出るだけだが。
「アイロスさまは女性の方から大変人気がおありです」
「ヤン、余計なことは言わなくていい」
ちっとも照れた様子もなくアイロスが従者を窘める。フォルカーは大げさに天を仰いでみせた。
「もったいないぜ。世の中には、女にモテたくったってモテない男共が腐るほどいるっていうのに」
まさに宝の持ち腐れというやつだ。この豊かな栗色も色合いは優しいが思いがけない苛烈な光を宿す茶色い瞳も、愛でてくれる恋人は誰もいないのだ。
「その運命の恋人というやつは見付かりそうか?」
「もう半年になるが一向に見付かる気配がない。家の者との約束では一年ということになっているのであと半年しか期間がない」
「そもそも貴族の子弟なら舞踏会でも催して探すほうが早いんじゃないのか? こんなところを旅したって、いるのは村娘か娼婦だけだ。あんたの身分に釣り合うようなお嬢様はいないぜ」
フォルカのー疑問にヤンが説明役を買って出る。
「アイロス様のためにお母上様が各国の令嬢を招いた舞踏会を開きました。しかし、アイロス様が気に入るような姫君はいらっしゃらなかったのです」
うーんとフォルカーは唸った。
「こればかりは相手に沿ってみないとわからないからな。もう諦めて大人しくそこらの姫君と結婚しちまえよ」
「断る」
「呆れるほど頑固だな。―――はあ。あと半年か。恋人だが結婚相手だかを見付けるのに短いとも長いとも言えない期間だが・・・。・・・あんたにその気があるなら俺の次の仕事に付いてくるってのはどうだい?」
「次の仕事?」「次の仕事ですか?」主従二人が驚いたように声を揃える。
「ああ、実は次の仕事はすでに決まっているんだ。一日で王国を滅ぼした雪のように真っ白い竜の話を聞いたことないか?」
『雪のように真っ白い竜』と聞いてヤンの顔色が目に見えて青ざめた。アイロスも顔色こそ変わらなかったもののフォークを握る手にぎゅっと力が籠もる。
「そうそれだ。巷ではあまり知られていないが、その話には続きがある」
フォルカーは『雪のように真っ白い竜』の物語の続きを話し始めた。
雪のように真っ白い竜は一日で王国を滅ぼした。国王は竜が暴れた際に城の瓦礫に潰され死んでしまったが、幼い王女は王妃が身を挺して庇ったおかげで生き残っていた。王女は両親亡き後、修道院に預けられ、慎まいながらも穏やかで幸せな暮らしをしていた。やがて、王女が十六の年の頃、修道院にあの白い竜が現われた。
『お前の父親は私の大切な物を盗んだ。娘のお前が父親の代わりに盗んだ物を返さなければ、私は再びこの国を火の海に沈めるであろう』
竜の言葉に人々は震え上がった。王女は恐怖を感じると同時に困惑していた。何せ父王が亡くなったとき、王女は物心も付かぬような年頃で自分の父が竜から何を盗んだのかまったく覚えがなかったからである。
竜がその場を去った後、王女は生き残っている父王の元臣下を探して連絡を取った。元臣下たちは主君を失った後、国を建てたり他の国の臣下になったりあちこちに散らばっていた。しかし、誰一人として亡き王が竜から盗んだという物の正体を知っている者はいなかった。
このままではまたこの国が竜に滅ばされてしまう・・・。王女は焦った。しかし、焦っているのは王女だけではなかった。
あの白い邪竜が再び国を滅ぼそうとしている。竜を鎮められる方法を知っているのは亡き国王の王女だけだ
いつしかそんな噂が巷を駆け巡るようになった。
王女さま、どうかあの竜を鎮めてください、どうか我々を救ってください・・・
人々は王女の暮らす修道院に群がった。だが、確かな約束も出来ぬ願いに若い王女は首を縦に振ることはできなかった。すると、今度をこんな噂が人々の間で囁かれるようになった。
どうして王女は竜を鎮める方法を知っているのに我々を救ってくれないのか、いや、そもそも救う気がないのだ、何でも竜は元国王が死の際に隠した竜の宝を返せば許すと言っているらしい、王女は死んだ父王と同じで我々の命などより宝の方が大事なのだ、きっと我々を見捨てて宝を独り占めする気なのだ
・・・魔女だ、王女は魔女だ、あの女は国を滅ばす魔女なのだ・・・!
いつしか人々の間で公然とそう言われるようになった。
「俺の仕事はその白い竜を殺すことだ。死んだ国王の元臣下が別の国で宰相に出世していて、俺のところに昔の主の娘を救って欲しいと依頼が来た。問題は、救われた王女の身柄さ。魔女、魔女と騒がれてはまた元の修道院にすんなりと戻るのは難しい。一方で、宰相は我が国の食客として王女を迎えると言っているが、あのエロ宰相、恩を楯にまだうら若い王女を好き勝手する気満々だったな」
そこまでフォルカーが話して、やっとのことで真っ青な顔をしたヤンが叫んだ。
「めちゃくちゃ危ない仕事じゃないですか! そんな危ないことに殿・・・アイロス様をお連れすることはできません・・・! 殿下、お断りしましょう!」
「引き受けよう」
アイロスが即答する。ヤンは半泣きになりながら主人に縋りついた。
「アイロス様っ、どうかおやめくださいっ。こんなことで貴方さまが死なれては、お母上様がお悲しみになられます。貴方さまに目的は竜殺しではなく、未来の奥方様を見付けることなのですよ?」
「だからだろう」
フォルカーは笑ってみせた。
「勘がいいな、アイロスさま」
「どういうことですか、アイロス様?」
察しの悪いヤンがわけのわからないという顔をする。
「この男は私に王女の身柄を引き受けさせようとしているのだ」
「へ?」
「そう、俺は仕事で竜を殺さなくちゃいけない。だが、そうすると自動的に王女の身柄を引き受けなければいけない。俺は王女様なんて高貴な方は必要ないし、かと言って好色なジジイにまだ十六の王女を渡すのは後味が悪い」
権力を持つ男が力と金に物を言わせ、若い娘を好き勝手するのはよくある話だ。だか、だからと言ってフォルカーはその片棒を担ぐつもりはなかった。
「そこにあんたの登場だ。俺は王女を幸せにしてくれる誰かに王女を引き取らせたい。あんたは運命の人を見付けたい。なあ、運命だって思わないか? 俺が探しているときにぴったりとあんたと出会った」
フォルカーの見た限り、目の前の栗毛の少年は育ちが良さそうだった。王女だって父親ほども年の離れた男の愛人になるより、アイロスのような年の釣り合った若者と結ばれる方が幸せなはずだ。おまけに、相手は運命の相手と結ばれるときのために大切に童貞をとっておくような一途な変人なのだ。
「きっと、神様は困っている俺とあんたと王女を助けるために、俺たちを出会わせてくれたんじゃないのか」
自分の考えに満足したように水色の瞳の男は微笑んだ。