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いつかの約束 1


 ごう、と風が鳴り、がたがたと建具を揺らす。

 天井の梁もみしみしと嫌な音をたて、時折ぱらぱらと土壁の砂が落ちる音もした。

 障子も閉め、枕元には衝立もたててあるけれど、あばら家であるから、それでも入り込む冷気を完全に遮ることは出来なかった。

 強い風に家を飛ばされそうな不安を覚えるけれど、それもいつものこと、と慣れたふうに胸の内で押し殺す。

 綿も草臥れた薄い布団に入り、その上には脱いだ着物を被せ、少しでも暖かいようにと子供のように小さく丸くなった。

 寒いなあ、と声に出さずに心の中で呟いてみる。冬の嵐はこの地に居座っており、しばらく去りそうにない。

 まして、雪まで降っているから、冷え込みはますます厳しくなると思われた。


 雪が降っている。

 昔住んでいた場所では、珍しくもないものだった。一年のうち幾月かは雪に閉ざされたものだ。

 けれど、その土地よりいくらか南のこの場所では、雪は滅多に降らないものだそうだ。ここに移って来たとき、暖かい冬に驚いて尋ねた自分に、土地の者は笑って答えてくれたものだった。

 

 その雪が、降っている。

 風に舞い上がる、花びら、のように。

 舞い上がり……舞い降りる、花びら。

 その、向こうには。


「……さむいなあ」

 寒い土地で生まれたためか、寒いのは苦手ではないが、なんと言っても眠たくなる。いつまででも眠ってしまいそうになるが、ひとに言わせれば自分はいつだって眠そうな顔をしているという。

 それは心外で、云われるたびに反論したものだったが、いつだって信じてもらえなかった。


 そんな、ひなたで眠る、猫みたいな顔をして。


 断片的に……舞う花びらのようにひらり、ひらりと記憶が蘇る。

 幼い頃、成長した時、そして老境に差し掛かった時。

 それぞれの“時”に、いつだって思い出すものがある。

 ああ……そうだと喉の奥で笑いながら目を閉じる。

 そうすると眼の裏に浮かぶ情景がある。

 季節が巡るたび、今を盛りと咲く花を見るたび、何度も浮かび上がる景色と、ひと。

 

 否、ひと、ではないけれど。

 かのひとの元を訪れなくなって、訪れることが出来なくなって、何年が過ぎたのだろう。

 今では月日を数えることすら、億劫になってしまった。

 かつては、その季節が来るのを、今か今かと待ち焦がれていたというのに。


 


 わたしは此処に居ます。

 あなたは変わらず、うつくしい花を咲かせていますか。

 最後に会ったときよりも、よりいっそう見事な花を、咲かせているのでしょうか。

 それをこの目で見られないことが……とても残念でしかたありません。

 それでも……それでも。

 遠く離れた場所にいても、春にはとおい季節でも、あなたの花を思い出します。

 わたしがわたしである限り、思い出すことは出来ます。

 わたしの声が届かない、あなたの声が届かない、とおい場所に居ても。

 あなたはそこに居ますか。


 わたしはここで、あなたの花を夢見ています。

 




 花精だと、その人は云った。

 見事な花を咲かせる桜の木が、自分の本体であると。


 山で迷い、初めて出会った幼い頃から……毎年花が咲く頃になると、かの人の元を訪れ、話をし、そして成長した後には酒を呑むのが約束事のようになっていた。

 毎年、そのひとときを楽しみにしていたものだ。

 花が咲き始め……満開を迎え、散るまでの、短い時。

 

 いまだ、あのひとより美しいひとを、自分は見た事がない。

 あの人より美しく咲く花を、見た事がない。

 幼い頃に、そうした存在に出会えた事を、幸運と言うべきか、はたまた不運というべきか。

 

 それは最早、刷り込みのようだなと云ったのは、医者の知人だった。

 かの人が花精であると言うことは曖昧にして、忘れられない人がいると話したことがあったのだ。  

 何故一人身を通しているのかと尋ねられた時に。

 他に目を向けてみれば、更に心ひかれるものが在るやもしれんのに、何故進んで自分から枠に嵌るのだ、とも、知人は嘆かわしげに言ったものだ。

 一理あるかもしれないが……端から、他に目を向けようとは思わなかった。

 己が“一番美しいと思うもの”その容量全てをあの人が占めている。

 それを、刷り込みでもなんでも、構わないとも。

 何故なら、故郷を離れ、色んなモノを見てきて、なお、自分はあのひとが一番うつくしいと思ったから。

 そうしてみると、不運も幸運も、同じことだ。同じ事柄の裏表だ。

 自分でどう感じるかの違い、だけなのだ。

 たとえ、傍から見たそれが、不運のように見えても。

 自分が、それを幸運だと思えば、幸運なのだ。

 幸運も不運も、思い込み次第でなんとでもなるもの、なのかもしれない。


 ああ、雪が舞っている……花のように。

 しろい花弁で、地面を、山々を、木々を覆いつくすように。

 あちらでは、雪はなお深いだろうか。

 あの人も、いまは深く眠っているだろうか。やがてくる春のために、幹に枝に、凝縮した花の色を抱きしめるように。

 これが最後と思い定め、見上げた花の、なんとうつくしかったことか。

 目を閉じると思い出すのは見上げた空を覆うばかりに広がる枝と、空を埋め尽くさんばかりの、花、花、花。

 それを覚えておけるだけで、なんと幸せなことよと、心の底から思ったのだ。


「……でも、叶うなら、もう一度見たかったな……」

 白い息を吐き出しながら、浮かんだ望みを口にした。誰も聞いていないからこそ口に出来る他愛ない言葉を。

 思い切ったつもりでも、未練ばかりは仕様が無いと、己を笑いながら。

 そうして、眠りの波に引き込まれるように目を閉じた。



 何かに呼ばれた気がして、ふと目を開けても、夜明けはまだのようで、部屋の中は暗かった。

 煩かった風の音もやみ、辺りはしんと静まり返っている。

 ただ、体の芯から冷えるような冷たさが這い登ってきて、首を竦め布団の中に深く潜り込んだ。

 もう一度眠ろう、そう思い目を閉じると。やはり何か聞こえるような気がする。なんだろうと訝しげに思いながらも綿入れを羽織り、布団を抜け出した。

 妙に気になったのだ。

 夜更けにこんな辺鄙な場所に客でもあるまい。

 もしくは、迷い人だろうかと、立て付けの悪い引き戸を開ける。万が一迷い人であるなら、助けが必要だろうと。

「……ああ」

 雪はやみ、風もおさまり、空には月が昇っていた。青白い水底のような、音のない風景がそこにある。

 さく、と踏み出した足の下で、綿毛のような雪が鳴った。凍るような冷たさはもう感じておらず、ただ茫然と目の前に広がる景色に心を奪われていた。

「ああ、まるで、花が咲いているようだ」

 雪の降り積もった枝が、まろい白い花のようだ。もちろん、かの人に及ぶべくもないけれど。

 足元から冷気が這い登り、体を冷やしていくのも構わずに、ただ花と見まごう雪の枝を無心に見上げる。

 けれど、心はすでに、目の前の枝にはなく……とおい過去の花を見ていた。


 今でも、すこし悔やんでいることがある。

 もし、あのひとの望みを叶えていたらと。



『あなたの望みはなんですか』

 わたしに酷いことをさせた、その先に……あなたが望んでいたものとは。



『この体を使ってくれ』


「嫌ですよ、またその話ですか?」

 何回云われてもお断りですよ、綺麗な花が見られなくなるじゃないですか。

 互いの手にはしろい平たい盃。満開に咲く花を見上げ、ことしは今日が最後ですかねえと呟いた。

 差し向かいで呑む花精の着物には見事な桜が写しとられ、長い黒髪と白い肌を際立たせている。

 酒のせいか、目元は淡く朱に染まり、常以上の艶を与えていた。

「呑みすぎですよ、花精が酔っ払ってどうするんですか」

 自分の盃を置き、それから彼の手からも盃を取り上げる。自分の手が震えていたことには、どうか気づかれませんようにと心の片隅で思っていた。

 何度となく逢っているのに、ふとした拍子に心が激しく波打つような。

 息詰まり、身の置き所がないようなそれは、勿論不快なものではなかった。

「酔っ払ってなど、ない。まだ呑む」

 むっとしたように上目遣いで見てくる相手に、宥めるように笑いかけた。 盃を取り返そうと伸ばす手を避け、酒瓶ごと花精の手の届かないところへ遠ざける。

「はいはい、あなたがウワバミだって知ってはいますが、悪酔いするお酒はやめた方がいいでしょう?今年はこれで店じまいです」

 来年までのお楽しみですねと言うと、彼はますます不満そうな顔になった。唇を尖らせ、短く云った。

「けち」

「はいはい、ケチでもなんでも、好きに云って下さいな」

「おまけに俺に酷い仕打ちをするしな」

「・・・・・・俺、何かしましたっけね」

 本気で首を傾げると、花精はうっすら笑って、答えた。

「俺の望みをかなえようとしてくれないだろう?」


 彫師である自分に、花精は云った。

『この体に、お前が欲しがっているものが埋まっているだろう』と。


 声はいつもどおりか?震えてなど、ないか?

 そうであるように願いながら、言葉を紡ぐ。

「ええ、あなたの願いをかなえるわけには、いきませんねえ。だって俺は、あなたが花を咲かせるところを見たいんですから」

「自分の望みを優先させるというわけだな。なんと酷いことだ」

 美しく弧を描く眉をあげ、肩を竦める花精。

「酷くて結構ですよ。そもそも、何故あなたはそんな、自分自身を害するようなことを望むんですか」

 どんな気持ちで俺が聞いているか、わかりますか?

 花精は静かな笑みをたたえたまま、しろい手を己の胸にかざした。

「それなら、お前は俺の気持ちがわかるか?持てる力を使い果たした結果、朽ち果てるのでなく……何処にも行けず腐り落ちるモノを持ち続けるしかない……持て余すしかない、俺の気持ちが」

 そういうものを抱えたまま、在らねばならない、俺の気持ちがわかるかと問われ、なんと答えることが出来ただろう。

「わかりません……ですが、俺は、あなたを害したくないんです」

 花精は笑った。ほらな、だからお前は酷いんだと。


 

 酷くてもいい、あのひとの望みより、自分の望みを優先させても。

 あのひとの手足を断ち落とし、首を落とし……そうして、彫りだされるカタチなど、それがどれほど素晴らしいものになるか、わかっていても。

 彫りだしてくれと、願うようにささやく声の誘惑が、どれほど強かったか。

 あの人は何故、そんな酷いことを自分に望むのだろう。



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