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ささやき、あるいは葉ずれの、音。


「酔狂なことだ」

 

 ごう、と耳元で風が唸り声をあげる如く、低い声が響く。

 月も隠れた、己の手すら見えない程の暗闇の、その更に奥から滲み出る冷気のような。

「酔狂なことだ……なあ、そうは思わんか」

 暗に何を無意味なことをしているのかと言いたげな……呆れたような、あるいは嘲笑を含んだ声音だ。

 

 桜の花精は、美しい弧を描く眉をひそめ、行儀悪く舌打ちし、低い声で返した。

「久しぶりに現れたかと思えば、何を言うやら……俺が何をしようが、何に心を傾けようが、お前になんの関わりがある」

「俺じたいに関わりはないさ……だが、なにぶんお前には影響力がある。お前の様子如何によっては、さあ皆がどうするかな」

 くだらない、と花精は一言のもとに吐き捨てた。

 声のする方向は振り向かず、顔は下りになった山道の方を向いている。

 そう、己の木を背にして、麓の方を……暗い山を下る、子供の背中を見ているのだった。

 今はもうとうに見えなくなっていたが。

 ここから常人の目には人の影も形も見えぬが、花精には子どもの持つ、木々や花々とは異なる“色”が見えたから。

 それも子どもが麓につき、人里の中に入れば……他の人間に混じり区別がつかなくなってしまうのだけど。

 月日がめぐり、花が咲くまでの間会えない子どもだ。

 この目で追える限り、見ていたいと思って何が悪いのだろう。

 また、それを何故他者に邪魔されねばならないのだろうと思うと、更に苛立ちが募ってきた。

「酔狂なことだ」

 声の主は繰り返す。今度は何処か苛立ちを含んだ声で。

 すると花精は反対に、面白がるような、朗らかであるとさえ言える声で答えた。

「酔狂で何がわるい。長くながくこの地に在る身、また在らねばならない身であれば、ただ移ろいを眺めるばかりでは……そればかりで日を過ごすには永すぎる。お前はそうは思わないのか?」

 それとも、松の精は百年千年の長きに渡り、変化のない日常が好みかと、今度は花精が揶揄するような声をあげた。

 松の精と呼ばれた声の主は、そうではない、と低い重い声をかえす。

 ずしりと重い巌の如く。


「そうではない。あのように時の流れの違う者をそばに置いたとして……お前に何の益がある。蜻蛉のごとき短い時間しか持てぬ者を哀れんででもいるのか?」

「哀れみなど……そんな傲慢なこと、俺がすると思っているのか?」

「いいや思わぬ。思わぬが、それならば、余計何故と思うのさ。短い命の人の子と関わり合いになったとして、お前に何の益がある。変化が欲しいとお前は言うが、その後には何が残る?」

 花精は答えない。声はなおも続く。

「人の子にしても……姿の変わらぬお前を目にして……平常心でいられるものかな。碌でもないことを考えるやもしれん」

 この関係は互いに害にしかならないのではないかと声の主は締めくくった。

 ざわざわ……ざわざわ……風に梢が揺れる音が、闇夜に静かに広がる。

 まるで蜜に忍び寄る蟲のように、密やかなそれ。

 花精の紅をひいたような唇が、にいと笑みの形に歪められた。

 花精の背後、苦悶の表情を浮かべるモノに、びっしりと巻きつく枝。

 しなやかな女の腕を思わせる、しろいすべらかな、それは……花精の本体、桜の枝。

 葉ずれかと思われた音は、花精の木の枝がするすると伸びる音、であったのだ。

「俺が何をしようが、お前に何の関わりがある……そう、俺が、俺をどうしようと、誰に何の関わりがあると言うつもりだ?」

 周りに与える影響など、俺は知らない。

 ましてや、己が心を傾けるもの、それについて、誰が何を言おうが……聞く耳は端から持ち合わせてなど、いない。

 まして、あの子どもを害そうとするなら、許さないと。

 美しい白い顔に冷たいまでの笑みを浮かべながら、声は炎のような熱と鋭さを持っていた。

「お前は久しぶりに現れて、碌でもない煩いことを言う……聞くに堪えんな」

 本体に帰れ……俺の為すことが気に入らないなら、眼を閉じ耳を塞いでおればよかろう。

 力をこめると、松の精の仮初の器は粉々に砕けた。

 花精の枝が捕らえたモノは松の精が意志を飛ばし、土くれで作り上げたモノだったのだ。

 仮初の器は、悲鳴もあげず土に還る。

「お前の声より、まだ羽虫の唸り声の方がマシだ……まだ、聞こえるか。松の精よ」

 ああ、と、くぐもり、いささか遠くなったいらえがあった。

「俺はあとに残る何かが欲しいわけではないのさ」

 まして、己の益など考えてもいない。

 では、なぜと、ごう、と怒りにうなる風のような声が届く。

 さて、と花精は首を傾げ……そして、ふと、笑った。


「そうさな、俺を害すものが欲しかったのかもしれないな」


 

 あの子どもの色はもう見えない。

 人の中に混じってしまったから、自分でも探すことが出来なかった。

 それでも。

 ありありと思い浮かべる事は出来るから……けして訪れない、あの子どもが選ばないだろう、光景すらも。

  



 己の足を断ち、腕を切り落とし……首すらも落とした後。

 己の胎から取り出される、モノ。

 それを大事そうに腕の中に抱く子ども。

 己の目は乾き、閉じることも出来ず、ただ己をかえりみない子どもの背中を見ている。

 己の唇には、笑みすら浮かんで。


 ああ、そうしてくれたら、どんなにか、と。

 花精はけして来ぬ、甘美な未来を夢見て……そっと息を吐き出したのだった。




                              END

                             




        



                        




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