表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

いつかあるかもしれない景色

 

 どんなに願っても、その“時 ”は来てしまうもの。

 

 時は来て、流れ去り、残されるものは何?

 なにか…・・・欠片でも、残るものは在るか?


 長いときを過ごすための、よすがとなるもの、として。



「ああ、良い月夜ですね」

 真円をえがく月は天高く上り、冴え冴えとした光を地上に投げかけている。

 盃に映る月も小さな円を描き、そして。

「ああ、桜も満開だ……とても綺麗ですね」

 ねえ、静さんと春海は穏やかに笑う。

 酒もうまいし、言うことなしですよと。

「そうだな」

 短く答えて、静は盃を干す。

 いまや彼の着物は一面桜色に染まっている。桜の木が満開であるのと同じように。

 ほのかな桜の香りと酒の香り、山の濃い湿った匂い……そんなものが一体となり、月の光と混じり心を浮き立たせるものであった。今までは。

「おや、盃が空ですね」

 注ぎましょうかと酒瓶を取り上げた春海を、静は押しとどめた。

「いや、今日はもうよしておこう。十分呑んだ」

「そうですか?いつもより少ないくらいじゃありませんか」

 春海も盃を空にすると、ことりと地面に置いた。

 そうして桜の木を見上げ、ああ綺麗ですねえと子どもの頃から変わらない、あけすけな笑顔で言うのだ。

「毎年同じ事を言っても、何も出ないぞ」

 静はつい、意地悪な事を言ってしまうが、春海はそれこそ笑って、

「こんな綺麗なものを見せてもらえるだけで充分です。眼福という奴ですよ」

 静は肩をすくめ、そっぽを向くが、それこそが静の照れ隠しである事を春海は知っている。

 毎年毎年、桜の咲いている間だけ、ともに過ごす相手である。

 長い付き合いになれば、色んな事を知ることが出来た。

 桜の季節が巡るたび、春海はそれを心待ちにしてきたものだ。

 毎年同じ場所で会う花精は、年を経るたびに見事な桜を咲かせるから。

 けれど、自分は。


「毎年、ここに来るのを楽しみにしていたんですけどね、とうとう今年が最後になりそうですよ」

「……それは」

 まあ仕方ありませんねと春海は言った。

「さすがに、寄る年波には敵いませんよ」

「俺よりも若いくせに、何を言う」

「そりゃ、貴方に比べれば年は若いですよ……おや、いつだったか、仲間内では自分は若造だって、言ってませんでした?」

「よく覚えているな、お前にとっては、随分前の事だろうに」

「随分前だろうが、覚えていますよ、ええ、多分全部ちゃんと」

 ここで過ごす時間が、とても楽しいものでしたからと、春海は目を細めて静と、その背後の桜を見つめた。

 

 はじめてこの木を見たときよりも、幹は太く、枝は広がり、咲く花も零れおちんばかりに……見事になった。

 この桜が散ってしまえば、静とは次に花が咲く頃になるまで会えない。

 その“次”に……自分は、ここまで来られないだろう。

 だから、この目に、記憶に、心に、焼き付けておこうと思うのだ。いつでも思い出せるように。



「俺だって覚えているさ……ふくふくした子どもが、俺の前に転げ出た日も、嫁に貰ってくれるって言った日も、そうそう、初めて一緒に酒を飲んだ日も覚えているさ」

 小さな子どもが少年になり、青年になり、壮年になり、そして老境を迎えるのを……ここで、桜の咲く間だけ見てきたから。

 そうですね、この機会に色々思い返してみましょうかと春海は笑い、互いに覚えていることを思い浮かぶままに話してみたのだった。

 



「俺は毎年、お前が来るのが楽しみだったけど、そうだな……少し辛かったよ。どうしてもお前の方が先にいなくなる。そうして俺はここに残されるから」

 早く大人になれと願い、いつからか、そんなに急いでいくなと思うようになった。

 春海は少し困ったように笑う。

「それこそ、花が咲いては散るのと同じように、留めようの無い事ですよ……でも、白状するとですね」

 俺も思いましたよ、もう少し此処に居られたらいいのにと、時の流れが少しでも緩やかであるようにと。

 焦がれるような思いで、なにかに願ったけれど。

「でも、静さんの綺麗な花を見ているうちに、年を重ねていくのもいいなと思うようになったんですよ。だって、年月を重ねなければ、綺麗な花は咲かないでしょう?」


 静は苦笑するしかない。そうかと言葉を返し、己が咲かせる花を見上げた。

 春海と初めて会った時より、大きく美しくなった木だ。それこそ、時が育てたもの……時がなければ、こう在る事が出来ないものだ。

 

 同じだけの時は、子どもを老人にした。

 それはある一面では悲しくもあり、寂しくもあり……けれど、喜ばしいことでもあるのだろう。

 かつての子どもが、花が咲くように笑っているので、静はそう思うことにした。

 

 ねえ静さん、と春海は言う。

「またいつか、桜の咲く頃に会いましょう。花の下で酒盛りしましょう」

「そうだな、此処でもいいし、何処か違う所かもしれないが」

「そうですね……でも、例えどんな遠くでも、静さんを見つけてみせますよ」

「何せ“嫁候補”だからな。俺の方から探しに行くかもしれないぞ」

 他愛ない軽口の中に、紛れさせてしまおう。

 寂しいけれど、悲しむべきことじゃないなら、それが、いい。

 ああ、と静が思い出したような声で尋ねた。

「いつか聞こうと思って、聞きそびれていたんだが」

「なんでしょう」

「自分が呑めもしないのに、何で盃を二つ用意してきてたんだ?」

 それも、子どもの頃から。ああ、と春海は何かを思い出すような、懐かしむような目で答えた。

「……父が、そうしていたからですね。母が亡くなってからも、必ず器は二つ準備して、その両方に酒を注いで。それを見ていたから、お酒呑むときにはそうするものと思っていたんですよ」

 そうかと静は答え、子どもの頃よくしたように、春海の頭を撫でた。

 春海は、こんな年になって頭撫でられるなんてねえと苦笑しながらも、その手を嬉しそうに受け入れていた。


 見ることと感じることは似ている。


 見て感じた事すべて、この手の中にあるから……それだけで。

 だけど、もし叶うなら。



「またいつか、お会いしましょう……そうしたら」

「また、いつか会おう……そうしたら」



 ふたり、その先は言葉にせずに。

 ただ、微笑んで。

「もう少し、お酒が残っていますよ。どうぞ」

「いただこう」

 互いの盃を満たし……名残を惜しむように、味わったのだ。


 もし、いつかまた……会うことが出来たなら。

 いつか、おなじ、ときを……歩めるならば。




 花が咲いたら会いましょう

 花が散ったらお別れしましょう

 季節が巡るたび、何度でも会って

 何度でもめぐり合えるなんて


 なんて素敵なことでしょう


                             




 冬をくぐりぬけて、そうして久しぶりに見るような、軽みのある青色の空の下。

 土手べりの桜並木は、見事に満開になっていた。

 伸べた枝には、幾重にも花びらが重なり、通りかかる人の視線と感嘆の声を攫っていた。

 風はまだ冷たさが残るものの、日差しはあかるく、空の色も冬とは異なっていた。

 

 そんな、ある桜並木での情景。


「桜が綺麗ですね、静さん」

「ああ、そうだな……」


 はら、はら、はらと花びらが、歩く二人の頭にも肩にも……雪のように降りかかる。

 くる、くる、くると踊るように。


 わらうように。


 わらうように咲いている、桜の木のした。 

 並んで歩く人影が……ふたつ。


 



 はながわらうよ、花が咲うよ。

 ひとがわらうよ、人が笑うよ。


 わらって、いるよ。


 いつか、あるかもしれない、風景の中で。



                                   



                             END





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ