うずめてしまおう
それは、初めから、形作られるのを待っている。
「俺の体を使うかい?」
もし、お前がそれを望むならと彼は……桜の花精は事も無げに言い、わらった。
風に舞い散る花びらのような、儚げな顔で。
満ちた月は、再び欠け始める。
満開を迎えた花は、風が吹くたびにはらはらと花弁を散らし始める。
それはささやかな春の宵の酒宴の、終わりの合図であった。
「ああ、花が散り始めたな」
月も欠けてきた。今年の酒盛りも終わりかと、花精はどちらを残念に思うのか、いささか判断しかねる声音で呟いた。
「はい、今年の桜も、とても綺麗でした。残念ですが、来年を心待ちにするとしましょう」
「今年の酒も、とても旨かったぞ。来年も楽しみにしているから、よろしくな」
「はい、わかっていますよ。今年の酒に負けないくらい、旨い酒を見つけておきます」
桜の花精が酒飲みだなんて、俺は貴方に会うまで知りませんでしたよ、他の花精の方も同じようにウワバミなんですかねえと言った春海に、花精は赤い唇を笑いの形に歪めた。
「よければ紹介するぞ。皆俺には負けるがウワバミぞろいだ。酒盛りには樽がいるな」
「謹んで遠慮致します。ウワバミは貴方で十分ですから。そうですか……ウワバミですか……」
花精は眉を弓なりのかたちに上げた。
「なんだその遠い目は。ははあ、さてはお前、“花精”に何やら夢でも見ていたのか」
「別に夢って程のものじゃあ、ないですよ……ただ、ですね」
何と言おうか言葉を探す仕草をし、風に舞い散る桜の花弁を見つめ。
ああ、いうなればと呟いた。
「“花精”って言うと、何やら儚い印象があるので……それが、ウワバミ揃いだと聞くと、凄まじい違和感が襲ってくると言うか……」
儚いねえ、と花精は盃を干しながらにやりと笑う。
「それこそ、夢を見ているな。そら、俺の体ですら、この土に還ったモノの養分を吸い取り、花を咲かせている。俺たちは取り込むことにかけてはとても貪欲なのさ。多くを吸収し、絡めとり、己のモノにし、花を咲かせる。俺たちはそういうモノだ」
儚さとは無縁だなと言った花精の盃に、酒を注ぎ足し、でも、と言葉を返す。
「それでも、花が咲いて散るさまは儚いですよ。ほんの数日目を楽しませてくれて、あっと言う間に散るのですから」
「花など、毎年時期がくれば咲くものを、か」
花見だなんだと繰り出す人の気がしれんわ、おまけに粗忽者が多くて、足を散々踏まれるばかりだろう。
俺は人など滅多に来ない場所だから幸いだが、人が大勢居る場所の仲間は難儀をしていると時々愚痴をこぼしているぞと言う。
それでもですよ、と穏やかな声で返す。
「それでも、同じようでも、花は毎年違うでしょう?だから、ですよ」
花が咲くのを心待ちにし、満開の花を愛で、散るのを惜しむ。
それを毎年繰り返す。飽きることなく、また飽きるとも思わずに。
「俺もそうです。貴方がどんな綺麗な花を咲かせてくれるかと、毎年楽しみにしていますよ」
まあ、足を踏まれる貴方のお仲間については、とても申し訳なく思いますが。
ふんと花精は鼻を鳴らし顔を背けた。
艶やかな黒髪が揺れ、さくらいろに染まった着物を滑る。
桜の濃淡が浮き出た着物は、花が咲く前の白い着物よりずっと存在感があるはずなのに。
どうかすると風にかききえてしまいそうにさえ、思われるのは。
毎年繰り返される……これより先の事象を知るがゆえ、であろうか。
「楽しみになど、しなくても良い方法があるぞ」
「……え?」
花精に似つかわしくない表情だと思った。よくない表情だとも。
何かに似ていて、その何かが思い出せずもどかしかった。
花精はそのままの表情で言葉を続けた。
「俺の体の中に、お前の欲しがっているモノが埋もれているだろう?ソレを取り出せば、違う“花”をお前のために咲かせてやれるやもしれんな」
まあ、今の花を咲かせるのは……二度と出来なくなるだろうがと言った花精に、いいえ、そんなことはけして望みませんと、首を振って答えた。
「確かに、ソレは俺に何がしかのモノをもたらすでしょう。でもそれは、俺の望むものじゃあありません。貴方の中に、俺が形作りたいモノが眠っていることは知っています。でもそれは、貴方が咲かせるこの花を犠牲にしてまで形作りたいモノでは……ありませんから」
欲のないことだと花精は呟く。形にしてみたいとは……彫りだしてみたいとは思わないのかと。
「お前の……彫師としての名声を世に知らしめるものとなろうに」
「名声など要りませんよ。貴方が抱えている、そのモノの形を考えるだけでも……俺は十分楽しいんです」
彫りだすべき形が、すでに埋もれていることがある。
この形に彫ってくれと、ささやきが聞こえるような……そんな感じがすることすら。
その声のとおりに彫れば、あやまたず美しい形に彫り上げることが出来た。
そうやって仕上げた作品は、どれも自分が驚くほど評判がよかった。
そして……この花精の本体である、桜の木からも……そんな声が聞こえてくるのだ。
かくありたい形がある、と。
いくら声が聞こえても、どれほど強く望まれても、それを叶える気は春海にはない。
それを叶えるという事は、彼の……花精の腕や足を断ち落とし、首を切り落とすということ、に他ならない。
そうか、と花精は盃を空にし、どこまでが本気で何処からが戯れか判断つきかねる言葉を零した。
「俺の中にあるモノを、お前がどんな形にするか、見たいものだと思ったんだがな」
残念だが……ただ。
「お前がそれを望むなら、いつでも俺の体を使ってくれ」
そんな時はけしてきませんよと答えても、花精は微笑むばかりだった。
散る花のような、儚げな顔で。
貴方は言う。
“お前が望むなら”と。
では。
“あなたの望みはなんですか”。
そう、尋ねてみれば、よかったのですね。