1 影の男たち
秋を感じさせる夕焼けに、町並みがオレンジ色に染まっている。
いくつかの高層ビルが立ち並ぶ中に、群を抜いた高さの超々高層ビルがそびえ立っている。
無数のガラス窓が夕日で光り輝き、頂上付近は霞んで空とつながっているようにさえ見える。
良く見ると、上部の所々は鉄骨がむき出しになっていて、絶え間なく動くクレーンが、このビルが建設中であることを示している。
鏡面になったビルの窓に飛行船が映り込む。防犯や市民に対する告知をサポートする無人のアドシップだ。通信端末を常備していない、主に年配者への緊急情報伝達のために都市部では配備が増えている。
アドシップの船体表面は有機ELがすき間なく貼り付けられていて、巨大なモニターの役割を果たしている。そのモニターには現在逃走中の容疑者の顔写真が次々と映し出され、指向性の強いスピーカーが下界に向かって情報提供と防犯を呼びかけた。
超々高層ビル・ヘキサゴンはその名の通り六角錐を基本デザインとして地上百二十階を誇っている。
アドシップは窓のすぐ横を大音量を発しながら通り過ぎたが、室内にその音は全く入らなかった。
暗い会議室は本来、数十人も収容できそうな広さがある。しかし据え付けられたドーナツ状のテーブルの周りには数脚の椅子が並ぶだけで、それがこの部屋の定員だった。
「航空自衛隊の機密は万全です。今、言われたような心配は無用です」
透過性のスクリーンにグラフや図面の類をめまぐるしく映し出しながら、大神猛は老人と言える年齢の人物たちの前で長時間にわたるプレゼンテーションを行っていた。
疲労からか、絶望からか、頭を抱えた初老の男が弱気に口を開いた。
「しかし、平和のための戦力というのは、わが国ではどうしても受け入れ難い概念だよ」
男の言葉を苛つくように聞いていた眼光の鋭い最長老がそれを遮った。
「そういった平和念仏主義で国民の安全が守れるか!やれ、米軍には出ていけ、自衛隊は憲法違反だと。国防は、事が起きた後になって、『全くそのような事態を想定していませんでした』では済まないんだ」
「しかしだよ、有事の際の準備を整えるということは、そのような事態を望んでいるとも受け取られかねない」
「それを『偽の平和主義』と言うんだ!」
二人のやり取りを聞いていた大神は取りなすように割り込んだ。
「我々は皆、平和主義者です。しかし、平和は願えば手に入るものではありません。それは幻想だ。現在の日本の平和は、在日米軍の存在に負うところが非常に大きい。しかし、独立国家である以上、法律上、明確な軍事力が不可欠なのは国際的な常識です。こんな話を今更、むしかえす必要は無いと思いますが?」
大神は今まで何度と無く繰り返してきた基本的な議論と議決を思い出した。
所詮、頭の固い人間は、議論によって結論が出ても、永遠に自分の思い込みや主張から逃れられないのだ。
そのような人間を論破しても無意味だ。
終わった話を平気で蒸し返すというルール違反を続け、ただ、議論を続けたがる。
平和な時代の遺物だ。
大神はあざけりながらも、そのような行動がまかり通ってきた時代に羨ましさを感じた。
ただ、一番の年長者である老人は、長い間、日本の影の官房長官と呼ばれるだけあって、大神の冷静かつ大胆な提案にも積極的に賛同してきた。その老人が先に反論した男を無視するように言った。
「ところで大神君。今の説明には無かったが、プロジェクトによる被害の総額は?」
もっとも懸念される項目だが、もちろん隠しだてするわけには行かない。過小な、希望的観測を含んだ数字も、大神は申告する気はなかった。
「おおむね一兆八千億というところです。これは大神技研の所有するバイオコンピューター、S3000の導き出した試算です。」
「一兆八千億...」
数人しか居ない部屋の人間たちから小波のようにざわめきが広まった。
確かに莫大な被害額ではある。
そして今も開発中で刻一刻と進化を続けているバイオコンピューターS3000のシミュレーションは完璧に近い。計算結果からはもちろん死傷者の数もはじき出されて入るが、大神はあえて自分から口にはしなかった。
逆に言えば、それだけの被害を出す価値のある計画であった。
「確かに巨額です。しかし、一兆八千億で日本国民の意識を目覚めさせるとすれば、決して高くはないと私は思いますが?」
脅しとも取れる口調で場を静めると、影の官房長官もわが意を得たりと言う表情で周囲を見渡した。
誰も反論する者はいなかった。
ただ一人、先に弱気な抵抗を見せていた男が、大神を恐れているかのように顔を下に向けたまま、独り言のようにつぶやいた。
「大神君。君は恐ろしい男だ」
大神はこのメンバーによる議論は全てやり終えたと確信した。
これからは、自分が実質的な意思決定の最高権力者の位置につくのだ。
「褒め言葉と受け取っておきましょう」
大神は会議を終わらせ、壁のパネルを操作した。
壁に見えた一面は、ブラインドが開くと大きな窓に変わった。
外は夕焼けが更に深い色に変わっていた。
会議に出席した一行が疲労の色濃くうっそりと退出するのと入れ替えに、大神の秘書がむき出しのレポートを持ってきた。
表紙の背表紙が熱い。
たった今、報告をまとめ、製本したてで持ってきたのだろう。
冊子を受け取りページをめくって大項目だけを飛ばし読みする。
大神は期待した結論が書かれていないことと、予想していた内容が書かれていた事に苦笑した。
「城爪真二。これも一筋縄ではいかないか」
レポートに貼られた、調査対象の男の顔写真を見ながら、大神はつぶやき、夕焼けを眺めた。