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頭上にも足下にも無限に広がる、満天の星空。
その最中を まるで水底へと沈むような速度で、僕らは 落ちていく。
「飛び込んでから言うのも何だけど…これ、底無しだったらどうしよう。」
不安なのか眉を顰める梨月ちゃん。
そんな表情でさえ、こうして間近で見られるのが 今はすごく嬉しい。
「だいじょーぶ。もう道は繋いだから、そろそろ出口が見えてくるよ〜。」
安心させたくて、いつものような戯けた口調で答える。
すると、『早くそれを教えてよ!あ、いや…、ありがとう。』と返って来た。
それを『可愛い』とか言ったら、また怒られるんだろうなぁ。
…僕は梨月ちゃんの肩の上で、彼女を初めて女性として好きなんだと 気が
付いた日を思い返す。
+・+・+・+
その日も、いつも通りだと思っていた。
鏡の向こうには、平和な異世界に居る 妹分でもある友人が写るはずだった。
…けれど 映し出されたのは、一方的で理不尽な暴力によって 命の灯火を消され
ようとしている 彼女の悲惨な姿。
混乱より先に、手が動いていた。
僕は、未完成だったはずの召喚陣で、彼女をこちら側へと引き込んでいた。
胸に深々と刺さった刃物。脇腹にも深い刺し傷。
そこから流れ出す赤は、彼女の生命力そのものが零れ落ちていくようにも思えた。
嫌だ、嫌だ嫌だいやだ…!
体の芯から、凍り付くような錯覚を起こすほど 僕はガクガクと震えていた。
死が、彼女を連れ去ろうとしている。 それが恐ろしかった。
早く、早くと気ばかりが焦り、手が震える。
それでも失敗は死に直結する。正確にしっかりと、血管を繋ぎ、臓器を修復し、
失った分を補うべく 自分の生命力を分け与え続けた。
彼女の祖母だという、少女の霊に急かされながら出来うる限りの治療の魔術を
施し、彼女は一命を取り留めた。
…けれど。
彼女は…梨月ちゃんは、何日経っても目を覚まさなかった。
脈拍も、体温も、呼吸も、全てが正常。体のどこにも異常はないはずなのに。
それが、ひどく悲しくて、切なくて、胸が痛んだ。
彼女に対して、特別な感情など持っていなかったはずなのに。
彼女に対してだけではない。
自分は、今まで誰にも 関心を持った事がなかった。
僕は、誰かを心から信じた事だって ただの一度もなかったんだ。
自分が奇異な力を生まれながらに持ち、人々に恐れられ、研究の材料にされて
いるのだと分かった時に、もう誰にも心の内を明かすまいと思った。
信じたって、その先にあるのはいつだって 手酷い裏切りだけだったから。
人当たりのいいフリが上手くなった。
バレない嘘をたくさん吐けるようになった。
強い力に怯える奴らを嘲笑って、見下して生きてきた。
近づいてくる奴らは、全てが敵であり 利用すべきもの。
そう信じて、疑いもしなかった。 …なのに。
最初は、ただ『異世界人で後腐れのない面白い友人』を亡くす事を惜しく思って
の行動かと思った。
それは 大きな間違いだと、僕は気付いた。
暇な時間になると、彼女を寝かせた部屋に居る自分。
信じられなかった。
僕が、自分以外の人間の安否を気にするなど、有り得ないと。
でも 実際に僕は、一日千秋の思いで 梨月ちゃんが目を覚ますのを待っていた。
ころころと、よく変わる表情が見たかった。
優しい声で、名前を呼んで欲しかった。
温かい手で、僕に触れて欲しかった。
梨月ちゃんが、好きだ。愛おしい。この子の、そばに居たい。居て欲しい。
ある日、ようやく導き出せた その答え。
生まれて初めて知る、他者の幸福を願う心。
その心の、なんと温かいことか。
愚かな僕が、やっと理解出来た気持ちを 君に一番に聞いて欲しかった。
…それなのに、運命は 残酷だった。
彼女の祖母の話が真実だとすれば、彼女の体には 恨みを抱いて消えたはずの
女神の断片が入っているという事になる。
このまま放っておけば、梨月ちゃんは体の支配権をその女神に奪われ、目を
覚ました途端に、世界を害する存在と化す。
そうなれば、彼女は世界に駆逐されるだろう。
”賢者の杖”は自衛を目的として立ち上げた組織だ。
例え、その頭がいくら騒いだとしても、関係ない。
組織に在籍している魔術師達は、300人近く。
さらに、その二倍以上のその他の魔術師、魔力は無いが腕の立つ武人が数多存在している。
…神の力を持った少女とて、その数で不意を突けば 容易に殺す事が出来るだろう。
そんなのは、死んでも嫌だ。絶対に 阻止しなくては。
梨月ちゃんさえ無事なら 手段なんて選んでいられなかった。
例え、誰かがこの選択の所為で傷付いたとしても、彼女が平穏に暮らせるなら
それでいい。
…そうして、僕は 彼女の記憶に鍵をかけ、少しずつ、少しずつ 暗示で目を
覚ます前と覚ました後の記憶を思い出せないようにする事で、女神の断片を封印
しようとした。
あの日も、起きそうになった彼女を 急いで池に入れ、混乱させるような言動で
惑わせた。
上手く嘘で覆い隠して、奴の覚醒を防ごうと 思っていたんだ。
…まさか、それを逆手に取られた挙げ句、魔力を与え 使わせる事で自分の力
を復活させ、僕に対する不信感を足掛かりに表に出てくるなんて…。
完全に、僕の読みが甘かった。
彼女の目から真実を遠ざければ、それで解決すると考えていた僕の失策だった。
ーーー結果、彼女の命を何度も危険に晒して、女神の復活も防げずぬいぐるみに
なり、大事な人をまた危険に巻き込もうとしている。
+・+・+・+
「僕はね。
自分勝手だし、人間を損か得かで判断する奴で、かなり性格が悪いのも自覚して
いるよ。
よく嘘も吐くし、人の事を見下す事もしょっちゅうだ。
仕事柄、色々と人に言えない事もやってきた。信用させて、手酷く裏切るのも
得意だったな。
僕の評判が酷いものなのは、大体そのおかげだよ。
鏡越しでの君との交流だって、利用する気満々でしてた。
君の好きそうな”優しいお兄さん”を演じたのも、その方が都合が良かったから
だしね。」
長い落下を終え、真っ暗闇の廊下を 灯明の魔術で足元を照らして歩き出した
辺りから、独り言のように滔々と 彼は、私の知らない『彼』の思いを聞かせて
くれた。
「ふーん。 利用とかなんとかは どうだっていいかな。
…はっ!まさかとは思うけど、腹黒いのや 泣き虫なのもキャラだったの!?」
「どうでも良くないと思うんだけどなぁ〜。…結構、言うの迷ったのに。
は〜ぁ。りったんが良いなら、まぁ良いけどねぇ。
うーん。
腹黒は普段一番よく使うし、泣き虫は半分くらい本当?だけど 君にウケが
良かったからやった時もあるね。臨機応変?」
こいつは、いけしゃあしゃあと…。
「半分…だと。 と、いうか 本当(?)って何なの?」
「自分の気持ちが、時々 こんがらがって分からなくなるんだ。
どこからどこまでが、演技なのか自分の本性なのか。それも分からなくなっ
ちゃった。
…ほら、幻滅したでしょう。僕は君と出会った時から、いや…それより前から
こんな奴だよ。
もう、僕の事なんて嫌……、っ?」
…私は、肩に居た彼を抱きしめた。 あぁ、まったく この人は。
「そうやって、勝手に私の気持ちを決めつけないでよ。
確かに、私の好きになったきっかけは、演技や嘘だったのかもしれない。
でも だったら、今 私があなたを必要だって、一緒に戦って勝って、帰りたい
って思っている気持ちは、嘘になるの? そうじゃないでしょ?」
矢継ぎ早に繰り出し続ける、私の言葉は果たして 彼に届いているのだろうか。
「私は、あなたを愛しているよ。
その事一点だけは、誰にも負けない自信があるの。
…幻滅なんてしない。
私が見て来た全てのあなたが、私にとってのあなただから。
信じきれなくて良いよ。ただ、私のそばに居て。」
そう告げて、そっと ぬいぐるみの頭にキスをした。
すると。
ボフンッ!!
「うぁっ、なに!?」
ぬいぐるみが大爆発し、モクモクと煙が立ち込める。
一体、何がどうしたと言うのか。
あ。もしや、ファンタジーではよくある『キスで解ける呪い』だった?
…ティーアばあちゃんめ…。
余計な事を。
しかし、予想に反して 煙が晴れて現れたのは…顔を真っ赤にした、10歳前後の
ラウちゃんだった。
「あれ?…何か…懐かしい姿だね…?」
「っ!? なっ、なにこれ!?
うぅ、 もぉーっ!どうして頭になんてしたのーっ!
唇にしてくれてたら、完全に姿が戻ったかもしれないのにーっ!!」
あぁ、涙目で肩を掴んで揺さぶらないでくれないかな、ラウちゃん。
ぐわんぐわんするよ。 そんなにショタが嫌だったかなぁ。
「だって、まさか、そんな解呪法だとは、思わなくて。」
15センチ下から上目使いで睨んでいる顔が、『かわいい』なんて言ったら彼は
怒るかな。
拗ねるかな。私、ちょっと楽しいのだけど。
…って、オイオイ。敵を目前にしていて、こんな緊張感なくて良いのか?
「むー…、この空間にも原因があるのかもねぇ。
さすが敵のすぐ後ろだけあって、抜かりないってことか〜。空気 おっもい
しねぇ。」
「ちょ、今なんて言った?」
小さくて可愛いはずのラウちゃんの顔が、ニタリと悪い笑顔を浮かべる。
「ここは、梨月ちゃんの可愛い体を奪っていった駄女神と、そのアホ女神に荷担
していた僕のクソ親父が呪いを増幅するために使うだろう場所。
…かつて女神の大神殿があった空間。
そのすぐ後ろ側だよっ★」
「!? なんでそんなラストダンジョンぶっちぎって、最後のセーブポイント
みたいな場所に!」
「あははっ。
りったんは面白い例え方をするね。
だけど策略はいつだって、相手の裏をかくものだよん。
ね〜え? さっきからそこで気持ち悪い視線で見てるクソ親父〜?」
「えっ」
後ろを振り向けば、黒灰色のオールバックにした眼鏡の40代くらいの男性が
居た。
「…クソはひどいんじゃぁないか? まぁ、心当たりばかりだから、今更否定も
しないが。」
体はひょろりとして、肌は青白い。絵に描いたような不健康。
落窪んだ眼窩に嵌まった、銀色の濁った瞳がギラギラと私を見ている。
「お嬢さん、悪いけど死んでくれ。あの御方が完全に力を取り戻すには、君の
魂が不可欠だ。」
この人が、本当にラウちゃんの……。
「あなたは…、」
思わず 後ずさる私。 そこへ ふわっ、と視界に淡い水色が広がった。
「りったん。奴が出てきたって事は、この近くに駄女神が潜んでるはずだ。
早くしないと、呪いの儀式が始まっちゃう。
この不審者は僕が退治するよ、先に行ってて。
…大丈夫、必ず追い付くからさ☆」
ラウちゃんが、私を背中に庇って 目の前の人物から隠してくれている。
ちらり、と振り返って 彼は不敵に微笑む。
初めて会った日から、私を魅了して止まないあの蜂蜜色の瞳。
その目は、もう迷っていないように見えた。
…『大丈夫』と、あなたが言うならば 私は馬鹿正直に それを信じるよ。
「分かった。早く来てね!私、今デッキブラシしか武器無いんだから!」
後ろを振り返らず、ひたすら 前へ 前へと走り出す。
誘うように、青い炎が行く手をぼんやりと 照らし出した。
「来れるもんなら、来てみろって言われてる?
…本当に、カミサマって傲慢ね。」
廊下を真っ直ぐに走り続け、やがて妙に広々とした 真っ黒な花が咲き乱れる
場所へ出る。
空には赤い月。 …悪趣味というか、厨二臭いなぁ。
駄女神サマのセンスを疑わざるを得ないぞ、これは。
「…フフ、おそかったわねぇ?まちくたびれちゃったわぁ。」
ご丁寧に、私の姿でお出迎えとは…わざとなのか。
わざと、なんろうなぁ。あぁ、腹が立つ。
「はー…、勝手に私の体を乗っ取ったクセに、どの口が言うのかなぁ?
…まぁいいや。カミサマだか怨霊だか知らないけど、覚悟してね。
私の大事な人達を傷付けるって言うなら、全力であなたを倒す。さぁ、決着を
つけよう。」
ーーーあなたの恨みが勝つか、私のエゴが勝つか。
修正:2012/10/02
微妙な数の間違いと、誤字を直しました。




