反転する世界にただ恋をして。
「奈央、成績どう?」
授業の終わりを知らせるベルを背に、私たちは階段を下りる。
教室のあちこちから溢れて出る生徒達、笑い声。
美術室から教室に帰る途中の昼休みは、いつも弾けるように始まる。
対して、私たちの会話はいつどこでも重く沈んでいる。
「やっぱり、きつい。第一志望無理、かも……。もうやだ勉強嫌い」
「あたしも〜〜。てか、なんでこんな勉強ばっかしてんの? って感じ。やになるよ」
「ね、奈央はなんでその大学行こうと思ったの?」
二人に両側から尋ねられ、私は答えに詰まってしまう。
一緒に美術を選択している三人で、成績の話をするのは何回目だろう。
けれどそんな事を聞かれたのは、ずいぶん久しぶりだった。
一生懸命考えて、その答えを口にしてみる。
「無事就職できそうだから……かなぁ」
「夢がないなぁー!」
「奈央ってば……まぁ、私も人の事言えないけどさ」
夢がない。では夢がある答えとはどういったものなのだろう。
左にいた、少し派手な子が階段を駆け下り振り向きざまに言った。
「私は弁護士になりたいから大学行きまーす!」
「また、そんな事言って! 成績いいからって〜〜」
右にいた子が頬を膨らましていた。
そう、遊んでいそうに見えるのに、三人のなかで一番成績がいいのだ。彼女は。
弁護士になりたいと、本気で考えているらしい。そのための力も段々とついてきているようだ。
小さくブイサインを作って微笑む姿が、なぜか少し癇に障った。
「大体奈央はさぁ、夢がないからねぇ、私なんて将来の夢のためと思ったら自然と勉強なんてさ……」
説教が始まる。別の話題でお茶を濁そうとしたときに、私は腕の中の荷物が少ない事に気づく。
「あ、ペンケース忘れた」
* * * * * *
「面倒くさいなぁ」
口ではそういいながらも、階段を登る一歩一歩の足取りは風のように軽やかだった。
とりあえずあの夢の無い問答から開放されたのだから。
昼休みの学校は、授業でたまった鬱憤を吐き出すように騒がしくて、乱雑だ。私もその一部として、階段を大きな音を立てて駆け上った。
美術室は校舎の4階、つまり最上階に位置する。その階は美術室と音楽室、映写室の3つが揃っているが、ほとんど使われていない。勉強第一主義の我が校では、そういう芸術に関する授業は軽視され、申し訳程度にしか授業がなされないからだ。
美術の先生、いないといいな。私はその先生があまり得意ではなかった。他の先生より一回り若く、顔もそこそこ整っているのだが、口が悪い。
口を開けば悪口雑言。あれが汚い、これがへたくそ、終いには生徒の容姿を散々罵り、授業を放置したことまである。
彼がどうしてそこまでして教師でい続け、またクビにならないのか。学校の七不思議に挙がるほどの謎だ。
見つかれば、挨拶代わりに何か言われるに違いない。どうかいませんようにと祈りながら、教室の引き戸に手をかけた。
* * * * * *
時が止まった。そう感じたけれど実際に止まったのは私の思考力の方で、こうして立ち尽くしている間にも時計の針は歩みを止めない。
視界に飛び込んできたのは、あの口の悪い美術教師と、彼の上に抱きかかえられるようにして腰掛ける女生徒。
入り口のまん前にある教壇の上に、二人は重なるようにして座っていた。
女性との細く長い右腕は教師の首に回っていて、左手は教師の右手と固く繋がっている。先生の左手は、生徒の背をしっかりと押さえていた。
そのふたりの顔が、私に向けられている。
先生は少し驚いているようだが、女生徒の方はあまり驚いてはいない。
私は、その女生徒の名前を知っていた。
――青葉伊鶴。
「……あーあ。先生ってば、鍵閉め忘れたの?」
「いや。閉めたはずだ、しっかりと。大体俺が忘れるわけないだろう。この俺が」
そういって二人は顔を見合わせた。
私は教室の扉に手をかけたまま、動けない。
これはどういうことだろう、そう自問するまでもなく答えは見たとおりなのだが、それでも自問せずにはいられない。
これは。
これは、『そういうこと』だ。
「す、すいませんっ!!」
頭が働いた途端、反射的に扉を閉める。
見てはいけないものを見てしまった、そう思いながらドアに背を預ける。
そのままずるずるとその場に座り込んだ。
ベージュ色だった床が、段々と白色に皆の靴跡が残った汚い床へと変わっていく。今さらながら心臓が激しく震えていた。
あれは、つまり、そういうことだ。
つまり、その……二人は、恋人同士なのだ。
学年一の変わり者と、性悪教師。なんて突飛な組み合わせだろう。
青葉伊鶴の長い黒髪、陶器のような肌。先生の癖のついた髪、銀縁の眼鏡。
一瞬で眼に焼きついた、二人の姿。汚い床を背景に、それが細部まで目の前に広がっていた。
胸が熱い。
何も見ていないことにするには、衝撃が強すぎた。
耳の奥まで興奮に打ち震えながら、私はゆっくりと立ち上がった。
重い足のりで階段へと向かう。たかだか数メートルの距離が、ものすごく遠く感じられた。
ふらふらとまるで熱病に冒されたように、進む。頭の中はまだ二人の姿でいっぱいだった。
二人。先生と、青葉伊鶴。
青葉伊鶴とは、2年のとき同じクラスだった。
それでもあまり言葉を交わしたことはない。
ただ私は毎朝彼女を意識していた。出席確認で名前を呼ばれるとき、毎朝青葉伊鶴が一番初めに呼ばれるからだ。
彼女のやる気の無い、それでいてよく通る声を聞いて当時私の学校生活は始まっていた。
彼女はいちいち目に付いた。
休み時間は、おしゃべりに参加しない。
何をしているのかと見れば、スケッチブックにデッサンをしていたり、本を読んでいたり、占いをしていたり、とにかく私からみれば「ありえない」過し方をしていた。
彼女は可愛い。特にその黒目がちの瞳は小動物のような愛らしさを持っていた。
なのに、それを生かそうとしないのが不思議だった。制服は至って地味だし、スカートも膝上2・3センチくらいだ。彼女の足が長いから短く見えるが、実際には決して短くない。他校のリボンやネクタイには一切興味も知識もないようだった。
彼女が変わり者と呼ばれながらも、嫌がらせを受けなかったのはその姿勢のおかげだろう。
一本筋の通った立ち姿。自然体そのままの、かわいらしい姿。
それに比べて、筋どころか背骨すら歪んでいる私たち。彼女に嫌がらせをする術はなかった。
その青葉伊鶴が、美術教師とできていた。
しかも3年のこの時期に。受験まであと1年を切った。私たちの高校は県でも一・二を争う進学校だから、皆有名大学を目指してひたすら勉強しているというのに。
そう、この階段を下りて教室にたどり着けばいつもと同じ世界が待っている。
受験生の毎日が。
「小間野さんよね」
階段まで後数歩というところで腕をつかまれた。
突然の事に体中に緊張が走る。
振り向かなくともわかる、青葉伊鶴だ。腕をつかむ彼女の手はひんやりとしていた。
その冷たさに、火照っていた私の体は一気に冷え切る。
心臓が今度は違う意味で暴れだした。
つかまれた左腕は本当に凍ってしまったのか、動かない。
振り向かない私の目の前に、何かが差し出される。思わず目をつぶると、耳元で青葉伊鶴の懐かしい声が聞こえた。
「これ、忘れ物でしょう?」
紺色のペンケースが、私の目の前に差し出されていた。私は恐る恐るそれに手を伸ばす。
私が受け取ったことを確認すると、青葉伊鶴は手を離し、去っていった。
「それじゃ」
顔を見なくとも、彼女が微笑んでいることがわかるほどのやさしい声色を残して。
* * * * * *
どうしてだろう。こんなおいしいネタなのに。
私は青葉伊鶴と先生のことをだれにも言えずにいた。何度も言おうとしながら、黙り込む。そんな調子だったものだから今日半日どこかすっきりしない気持ちで過ごした。
気を抜くと、すぐにふたりの姿が脳裏に浮かんだ。それどころかもっと妄想は進む。ただでさえ苦手な勉強が余計に手につかない。
これ以上成績下がったら、どこの大学にも行けなくなっちゃう。
そう自分に言い聞かせたところで、勉強の意味や必要性のわからない私には何の効果も無い。あっという間に放課後になってしまった。
「奈央、今日塾?」
昼間、弁護士になりたいと言っていた子がすれ違いざまに話しかけてきた。
「うん、そうだよ」
私は苦笑しながら頷く。相手も苦笑いを浮かべて答えた。
「そっかー私もカテキョだよ。受験生は辛いねぇ」
そういって軽く頭を振った後、じゃあね、と去っていった。彼女とはつい最近まで一緒に帰っていたのに、いつの間にか一緒に帰れなくなった。彼女の去り行く足音を後ろに聞きながら、ため息をつく。鞄に荷物を突っ込んで、青葉伊鶴は塾なんて行っていないに違いないと、なんとなく思った。
皆、慌しく帰っていく。中には残って自習するものもいるが、それもごく稀だ。
早く帰らないと取り残されてしまう。
皆に、学校に、受験に。それらは今の私の全世界を意味する。
もう既に半数の生徒が教室からいなくなっていた。といっても今度は塾という名の教室に移動しただけに過ぎないけれど。
立ち上がり教室を出ると、階段のところに青葉伊鶴が立っていた。その姿を見た瞬間に、私を待っているのだと気づく。その通り青葉伊鶴は私と目が合うとにこりと笑って、人差し指で上を示した。美術室に来い、と。
* * * * * *
塾があるから。それは魔法の言葉だ。
その言葉の前にはどんな楽しい事も面倒な事もひれ伏して道を開ける。私たちは塾に通って勉強するのがさしあたっての使命なのだ。
勇者が平和を勝ち取り、研究者が不治の病の治療法を発見する。受験生は、勉強し第一志望に受かる。それが、使命。
しかし、青葉伊鶴にはその魔法は通じなかった。いや、それを使う隙すら与えてはくれなかった。彼女の人差し指の方がずっと強い魔力を持っていたのだ。私は黙って彼女に従い、4階の美術室へと向かった。階段を駆け下り、放課後の予定にはしゃぐ何人もの後輩とすれ違う。彼らから目をそらして、私は青葉伊鶴の背を追った。
彼女は、そのしなやかな髪も、身に纏う制服も全て置き去りにするようにまっすぐ歩いていた。
美術室の中には誰もいなかった。
「ごめんね。小間野さんも、塾やら何やら予定あるわよね」
私は頷く事も、否定する事もせず、おどおどと美術室の入り口に立っていた。青葉伊鶴は入り口から真っ直ぐ行ったところにある窓に向かって歩いている。
進学校らしい、美術室。教室とほとんどかわらない机の配置。違うのは教壇にちらばる絵の具や油絵と、かすかに香る独特のにおいくらいだ。美術の授業を選択している生徒自体ほとんどいないし、いても実際に筆を握る事もほとんどない。週に1回の授業で、愚鈍な君たちにどこまで美術の事が学べるものか、そう言い放っていたのは他でもない先生だった。
しかしその先生の姿はどこにも見当たらない。
青葉伊鶴は、美術室の窓を開けると、そこに立ったまま呟いた。
「小間野さんに、謝ろうと思って、ここまで連れてきちゃったの」
謝る? それはどういうことだろう。私は入り口に立ち尽くしたまま、彼女の後姿に目をやった。
「見抜かれちゃったの」
「え?」
彼女の髪がかすかに揺れる。窓辺には小さく風が吹いているのだろうか。
「美術室の鍵ね、いつも昼休みは閉めてるの。邪魔が入らないように。それでも今日は空いていたでしょ。私あのペンケース見てピンときたの。誰かが取りに戻るなって。小間野さんとは思わなかったけど。それでこっそり鍵を開けておいたの」
ゆっくりと振り返る青葉伊鶴は、美しかった。その一挙一動が美しい。彼女の言葉すら、謎めいた輝きを放っていた。
「どうして、そんな事したの……?」
トートバッグを胸に抱きしめながら、素直に思ったことを尋ねる。こうでもしないと、心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
青葉伊鶴は、少し黙って、口を開いた。
「多分焦っていたんだと思う。私たちの関係に。彼のことは大好き。でも焦ってた。誰かが目撃してそれを言いふらしてくれれば、彼は私にはっきりした態度をとってくれるんじゃないかなあって思って。結婚するなり、否定するなり。どちらでもいいから、私のことどう思っているか言って欲しかったんだ」
結婚、という言葉に驚いた。
そんな言葉、本気で口にしているのを耳にするのはどれだけぶりだろう。
私は鞄の端をぎゅっと握り締めて、ただ青葉伊鶴の言葉を聞いていた。
開いた窓からは、風が吹き込まない。
「そういうと聞こえがいいでしょ?」
突然話を振られて、私は答えられずに戸惑う。その様子を見てか青葉伊鶴は微笑んだ。
「でも彼はばっさりと切り捨てた。人を試すなんて何様のつもりだって。それで、終わり」
突風が教室を突き抜けた。教壇の上の数枚の紙切れが風に舞いあがる。色とりどりの紙が舞う中で、何かが私の心を貫いた。それは自然の風が、青葉伊鶴の言葉か。
微笑んだままの青葉伊鶴に、私は思わず言ってしまった。
「振られたの?」
私の短いスカートも風にまかせてはためいている。青葉伊鶴と、立ち尽くした私。それ以外の全てが騒がしくわめいていた。
「もうすぐ卒業だね。制服からやっと自由になれる。でもそうなったとき誰が自分を見てくれるだろうかって。彼も、そう。私のこと本当に興味あるのかって。不安だった。だから試した……。そんなつもりなかったけど、彼に言われてわかったんだ。試してたんだな、って。その結果これ。ふられちゃったわ。巻き込んでごめんね。お礼と言っては何だけど、好きなように言いふらして構わないよ。もう終わった事だし、私は卒業するんだもん。これくらい彼に迷惑かけてもいいよねー」
少し首をかしげて、髪を掻き揚げながら微笑む姿は、とても同い年の女の子のものとは思えない。
先生とくっついているときよりずっと綺麗に見えるのは、私の錯覚だろうか。
風が収まると、宙を舞っていた紙が静かに地に落ちる。
紙が地に触れる、ふわりという音が確かに聞こえた。
「……言わないよ」
青葉伊鶴が目を見開いた。私はできるだけ適切な言葉を選んで、つっかえながら話す。
「だって……すごく素敵だと、思ったから……。羨ましい。青葉さんが」
静かだった。昼休みとは全然違う。校庭の反対側に窓が位置するせいもあるだろう。それにしても静かだった。
「なんか、受験とかそういう……面倒なもの、抜きで。恋に、何かに一途になれて……羨ましい」
静寂のプレッシャーに押しに押され、うまく言葉が紡げない。
「えーっと……」そう言って考え込んだ私の後を次ぐように、青葉伊鶴は口を開いた。
「小間野さんだって、きっと何かに恋してるよ。気づいていないだけ。もっとゆっくり周りを見渡してみて。世の中は意外と単純の繰り返しなんかじゃあないんだよ。自分が変わればすぐに反転してしまうほど曖昧なものなんだよ……」
そう言って、青葉伊鶴は窓を閉めた。カラカラと乾いた音が静かな教室に響く。
窓が閉まっては、この教室にもう風は吹かない。
少し寂しそうに見える青葉伊鶴の背中を見つめながら。彼女の言葉を噛み締める。
以前までなら、こんなこといわれても理解できなかっただろうし、キモい・ウザいの一言で聞き流していただろう。
でも、今は違う。
世界が変わる瞬間を、この手で作ったから。
私があのとき美術室の扉を開いた瞬間にそうだったように。
そのせいで二人は別れ、私はこうして知らなかった世界を垣間見た。
世界は本当にあっさりと反転してしまったのだ。
彼女の言うことが本当なら、私にもみんなのように夢とか愛とか、そういうものがあるということだ。
ただ知らないだけで。
鞄を抱きしめたまま俯いている私に、青葉伊鶴がひとつ高い声で言った。
「小間野さん。そろそろ塾行かないと大変なんじゃない?」
青葉伊鶴らしからぬ明るい素振りに胸が痛んだ。
「うん。そう、だ、ね」
「……どうしてあなたが泣くの? 同情ならやめてよ、正直困るわ」
私の瞳からは、涙が零れ落ちていた。
それを見る青葉伊鶴の顔は、困惑に歪んでいる。
「違う、同情なんかじゃない」
「じゃあどうして」
「私、馬鹿だなぁって……」
自分の無知が恥ずかしかった。
勉強ができないだけではない。もちろん勉強面についても知らない事が多すぎる。
たくさんの、大事なものを知っている青葉伊鶴を、変わり者だと笑っていた自分が恥ずかしくてたまらない。
笑われるべき、変わり者は本当は真逆。
大事なものを知らず、砂を噛む思いで勉強をしている自分……。
「そうでもないわ、知らないって幸せな事だよ」
「?」
涙をぬぐいながら、顔を上げる。すると手の届きそうな距離に、彼女が立っていた。
彼女が、私の顔を見て少し黙った。
何か考えるようにして目を泳がせた後、話し始めた。
「例えばさ! 男の人の膝の上に座るのって意外と難しいんだよ? 遠慮して浅く座ったら滑り落ちるし、初めてなのに深く座ったら慣れてるなんて思われるし、向かい合って座るべきか、斜めに腰掛けるべきか、それとも……なんてキリがないし。でも彼に、彼好みの座り方を手取り足取り教えてもらったとき、すごく幸せだった」
彼女の言い方があまりに艶っぽくて、私の頬は熱くなった。つい半日前の、仲睦まじい二人の姿が目に浮かぶ。
でも目の前の彼女の瞳は曇っていた。
長いまつげは、それを隠そうと震えている。
「そういうものよ、知るってすごく幸せな事なんだよ、きっと。だから知らない事が多いほど、その機会が多くあるってことなんだよ」
彼女の手が私の背を撫でた。その温かさに驚く。昼間とは全く違う、血の通った掌。
そしてその手は、震えていた。
「……多分、ね」
青葉伊鶴は、大きな雫をこぼして、泣いた。
知る事は本当は苦しいのだ。
もう、この部屋で先生と愛し合うことは無い。
それを知る事はとても辛い事なのだ。
知らなければよかったと、いつだって後悔するのだ。
もらい泣きしそうな自分を奮い立たせて、青葉伊鶴の頭を撫でた。
涙も、悔しさも、恥ずかしさも、痛みも。全部全部。
そう、この受験だって、同じ。世界は曖昧で、自由。だから。
「大丈夫。世界はすぐに、反転するんだから」
彼女はその言葉を聞いて、涙を流しながら微笑んだ。
その微笑む姿の後ろでは、夕日が地平線に沈み始めていた。
今日はきっと塾に間に合わないだろう。
いつもなら、ため息交じりのその道も、今日は、ううん今日からは。
走っていこう。
来年の今頃、私たちはどんな世界、どんな空の下、誰の横で立っているんだろうか。
未来の世界の反転は、きっと、始まっている。
せめてそこで笑っていられればいい。
そうあるために、私にも何か見つけられるだろうか。
青葉伊鶴の綺麗な涙を指で掬い取りながら、声にせず呟いた。
最後までお目を通してくださり、誠に有難う御座います。やはり短編は難しいです。まだまだ修行が必要だと実感致しました。(というか小説を書くこと自体にですが……)
この話に出ている青葉伊鶴は、拙作『チバリヨウ』にも顔をみせているので、興味をもたれた方は是非一度覗いてみて下さい。
この話よりしばらくたって、すっかり元気になった彼女です。
それでは、貴重なお時間ありがとうございました。