愛想笑いのデバッグ
社内の空気は、文字通り腐っていた。
深夜三時。デバッグ室には蛍光灯の無機質な光と、ボタンを連続で叩くカチカチという湿った音、そして疲れ切った野郎どもの生ゴミみたいな吐息が充満している。
俺たちが命を削って作っているのは、コンシューマ(据え置き)向けの大型アクションタイトルだ。バグの山、終わらない検証、連日の徹夜。全員、目と心が死にかけていた。
そんな地獄の現場を仕切っているのが、今年異動してきた「プロデューサー」の男だ。
ゲームの開発経験はゼロ。今までやってきたのは、既存のソシャゲのイベント回しと集金施策の調整だけ。仕様書の読み方すら怪しいくせに、肩書だけは上の奴だ。据え置きのモノづくりに対するリスペクトもなければ、現場の苦労を理解する気もない。
「はぁ……ソシャゲならこんなバグ修正、次のアップデートに回せばいいのに。これだから据え置きの現場は要領が悪いんだよね」
そいつが缶コーヒーを片手に、デバッグ室を見下ろしながら呟くのが聞こえた。
俺はコントローラーを握りしめたまま、奥歯をギリッと噛みしめる。嫌々だけど仕事だ。大人として、現場の人間として、今までは黙って指示に従ってきた。
だが、限界は唐突にやってきた。
小休止のタイミングで、隣の席の同僚とたわいもない雑談をしていた時だ。連日の徹夜で参っていた俺たちは、昨晩テレビでやっていたお笑い番組のネタについて話していた。バカバカしいコントのフリとオチ。ほんの一瞬だけ、殺伐とした室内に小さな笑い声が漏れた。
その時だ。背後から冷ややかな声が割り込んできた。
「ハハ、くだらないね。そんな底辺の娯楽を見て何が面白いの? 芸人なんてさ、まともな仕事に就けなかった奴らの集まりでしょ。時間の無駄だよ」
プロデューサーが、心底見下したような半笑いを浮かべて立っていた。
ピキ、と脳内で何かが弾ける音がした。
ゲームの知識がないことじゃない。現場を労わないことでもない。
疲弊しきった人間が、ほんの数十秒、救いを求めてすがった小さな笑いすら、上から目線で踏みにじってきたこと。その高慢さが、俺のなかでずっと燻っていた怒りに完全に火をつけた。
椅子を引く大きな音が、静まり返ったデバッグ室に響いた。
俺は立ち上がり、プロデューサーの正面に立った。顔から笑みが消えている俺を見て、奴は眉をひそめる。
「……何? なんか文句あるの?」
俺は奴の目を真っ直ぐ見据え、腹の底から静かに言葉を吐き出した。
「人に辛い思いさせるだけの奴より、俺はよっぽど好きですがね」
「……は?」
「人を心から笑わせられる奴って、すげーと思うがな」
プロデューサーの顔色が不快感で歪む。周りのデバッガーたちが息を呑み、キーを叩く手を止めた。
「君、自分が誰に向かって口叩いてるか分かって――」
「ずっと我慢してたが、あんたのこと嫌いなんだよ」
言葉を遮り、一気に吐き捨てる。奴は目を見開き、固まった。
「開発の『か』の字も知らねぇくせに、上から目線で現場を愚弄して、集金のことしか頭にない奴がプロデューサー? 笑わせんなよ。あんたが来てから、この現場で誰一人として心から笑った奴はいねぇよ」
俺は冷ややかな視線を、奴の顔面に叩きつけた。
「あんたの前じゃ、愛想笑いしかできないよ」
静寂が部屋を支配した。
プロデューサーは顔を真っ赤にし、何か言い返そうと唇を震わせたが、言葉にならない声をもらすだけだった。
俺は奴から視線を外すと、再び椅子に腰掛け、コントローラーを握り直した。
「……仕事戻ります。邪魔なんで退いてください」
背後で慌ただしい足音が遠ざかっていくのを感じながら、俺は画面のバグチェックを再開した。隣の同僚が、声を出さずに小さくガッツポーズをしたのが視界の端に見えた。




