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第四章 裂け目を渡る

 渡り場所は、裂け目から二キロほど離れた森の中にあった。

 外から見ると何もない場所だった。古い岩が転がっていて、苔が生えているだけだ。だがエルネが地面の特定の場所に手を触れると、岩の下に隠れていた石板が動いた。そこには地下へと続く石段があった。

 一行は石段を降りた。松明の明かりが壁を照らした。壁は古い石造りで、三百年以上前に作られたことが見た目でもわかった。所々に紋様が刻まれているが、ルードには読めなかった。

 地下を十分ほど歩くと、大きな空洞に出た。

 空洞の中央に、柱が立っていた。高さ五メートルほどの石柱で、表面が複雑な彫刻で覆われている。柱の頂点から、薄い光が揺れるように漏れていた。青白い光だ。

「これが渡り機か」

「そうだ」エルネは言った。「柱に触れて、向こう側に『行こう』という意志を持て。血筋が正しければ、柱が反応する」

「反応するとどうなる」

「目が眩む。それだけだ。気がついたら向こうにいる」

 ルードは柱に近づいた。近づくにつれて、何かを感じ始めた。振動のような、音のような、だが実際には何も聞こえないし何も動いていない。身体の内側から来る感覚だった。石板を握ったときの感覚に似ていた。

「お前の血が反応している」エルネが言った。「柱はもうお前を認識している」

 ルードは手を伸ばして柱に触れた。

 瞬間、視界が白くなった。

 音が消えた。重力が消えた。ルードは何もない空間に浮かんでいた。それは一秒にも一時間にも感じられた。

 そして世界が戻ってきた。

 だが世界は変わっていた。

 ルードは地面に立っていた。同じ石造りの空洞の中だが、松明はなく、代わりに壁から薄い光が滲み出ていた。エルネが隣にいた。他の者はいない。

「向こう側だ」エルネは言った。「こちらに来れる者を渡り機が判断する。セドルたちはこちらには来られない」

 二人は地下から外に出た。

 ルードは思わず立ち止まった。

 空が、違った。

 こちら側の空は、ルードが知っている空よりも色が濃かった。青というより、どこか藍色に近い。太陽はあるが、光の質が違う。やわらかく、少し古びたような光だった。

 植物はあった。木々も、草も、ルードが知っているものと似ているが、微妙に違う。葉の形が微妙に違う。花の色が微妙に違う。

「空の色が違う」ルードは言った。

「慣れる」エルネは端的に言って、歩き始めた。

 二人は森の中を進んだ。エルネは地図らしきものを持っていたが、詳しくはないようで、時々立ち止まって方角を確認していた。

「エルネは以前にここに来たことがあるのか」

「一度だけ。五年前だ」

「そのときは何のために」

「別の任務だ」エルネは振り向かずに言った。「今は関係ない」

 黙って歩き続けた。一時間ほど進んだ頃、前方の木々が薄くなって、開けた場所に出た。

 そこに廃墟があった。

 かつては建物だったのだろう。石造りの壁の残骸が、草に覆われながらも残っている。柱が一本だけ奇跡的に倒れずに立っていた。屋根は完全になくなっていた。

「誰かが住んでいた?」

「昔は。今は誰もいないはずだが」

 エルネが廃墟に近づいて確認した。ルードもついていった。廃墟の中に入ると、床に何かが描かれているのが見えた。地面に描かれた紋様だ。消えかけているが、明らかに意図的に描かれたものだ。

「これは」

「見たことがある」エルネがしゃがんで紋様を確認した。「警告の紋様だ。この先に危険がある、という意味の印だ」

「どの方向に進めば危険なんだ」

 エルネは立ち上がって、紋様の指している方向を確認した。「北西だ。ちょうど我々が向かう方向だ」

 ルードは短剣に手を触れた。「行くんだろ」

「そうだ」エルネは静かに言った。「でも急ぐ必要はない。今夜はここで休む。向こう側で夜を過ごすのは初めてだろう。夜の動物に慣れておく必要がある」

 廃墟を仮の宿として、二人は小さな焚き火を起こした。食料は持ってきている。水は近くの小川から汲んだ。

 夜になった。

 こちら側の夜は、星が多かった。ルードが知っている夜空よりも、星の数が多い気がした。配置も少し違う。同じ空の下にいるはずなのに、見える宇宙が違う。

「星も違う」ルードは言った。

「裂け目を境に、空間の歪みがある」エルネは言った。「物理的な場所はこちら側の世界と同じだが、空間の重なり方が違う。だから見える星も少し違う」

「難しい話だ」

「難しい話だ」エルネは同意した。珍しく、冗談のような言い方だった。

 焚き火が爆ぜた。闇の中から動物の鳴き声が聞こえた。知らない声だった。

「何の鳴き声だ」

「わからない。見たことのない動物かもしれない」

「脅威か」

「今のところ近づいてきていない。距離が保たれているうちは問題ない」

 ルードは焚き火を見つめながら、父のことを考えた。父はここにいるのだ。この奇妙な、でも確かに存在する世界のどこかに。

「エルネ」ルードは言った。

「何だ」

「お前は、なぜこの組織にいる。個人的な理由があるのか」

 長い沈黙があった。エルネは焚き火を見ていた。

「ある」彼女はようやく言った。「だが今は話さない」

「いつか話してくれるか」

「向こう側に戻ったら、考える」

 それ以上は聞かなかった。ルードは背中を地面につけて、星空を見上げた。見知らぬ星々が、静かに瞬いていた。

 明日から、本当の旅が始まる。


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