いつまでもドアマットと思うなよ
公爵令嬢のお茶会からの帰り道、馬車の中でジュリアは上機嫌だった。
私はそれを俯いてやり過ごす。頭に被った重いレースが、座った膝の上にまで影を落とす。
ミレーネの被るこのレースは、「未婚の乙女は顔を隠すべき」と いう、祖母の若い頃ですら廃れかけていた風習だ。レースも当時の物らしく、重くて分厚くて古くて黄ばんでいる。今の、軽くて薄い繊細な透かし編みのレースとかじゃない。伯爵夫人はどこでこんなのを見つけてきたんだろう。
レースに合わせて、ドレスも今時どこにも売ってない古臭いデザインで、手袋も黄ばんでいる。
それも当然で、レースはやつれた顔や肌のかさつきを隠すため、手袋は水仕事で荒れた手を隠すための物だ。
伯爵家の長女ミレーネと次女のジュリアは、生まれが半年しか違わない。
よくある、家同士の決めた相手と結婚したらどうにも合わなかったというやつだ。父は他に女性を作った。ほぼ同時期に本妻と愛人が妊娠して、どちらも女の子を出産した。
長女のミレーネは母親に愛され、伯爵家の嫡子として育てられた。
次女のジュリアは父親と愛人に愛されて育った。
それだけならよくある話だったが、二年前に本妻が亡くなった。ミレーネが11歳の時だった。
愛人が後妻となると状況は一変し、ミレーネは一気に邪魔者となった。ミレーネを排除してジュリアを伯爵家の後継者にしたいと思うのは、親として必然と言えば必然だ。
ミレーネは使用人以下の扱いになった。
部屋を階段下の物置部屋にされて、使用人と同じく働かされる。
今日の公爵令嬢のお茶会のように外に出なくてはいけない時は、レースを被せられる。
ミレーネの現状をバレないようにするのと、周りに「変わり者」と思わせてミレーネが自分から虐待を訴えても信用されないように。
ミレーネももう13歳。遠からずミレーネは「俗世に馴染めない」と自ら修道院に入った事にされて消されるだろう。
私は無意識にため息をついた。
そんな私に、ジュリアが嬉しそうに目を輝かせる。私と違って、ジュリアは今年の流行のデザインのドレスを身にまとっている。明後日に王宮で開催される舞踏会のためのドレスも、ジュリアの分だけ作られている。
ミレーネの惨めな姿はさぞかし嬉しいのだろう。
伯爵邸に着いて馬車から降りると、伯爵夫人と使用人たちが出迎えてくれた。
「お母様!」
ジュリアが伯爵夫人に飛びつく。
「お帰りなさいジュリア。お茶会はどうだった?」
「すっごく楽しかった! 私、公爵令嬢と同じテーブルだったの! 皆さんととても話がはずんだのよ」
「良かったわね。ミレーネの席は?」
「いっちばん下座の席だった!」
「まあ」
嬉しそうに私を見る二人にぎこちなく礼をすると、階段下のミレーネの部屋(という名の物置)にそそくさと駆け込んだ。
部屋に入り、戸棚やベッドをドアの前にずらしてドアを開けられないようにすると趣味の悪いレースやドレスを脱ぎ捨てた。
洗いざらしのすり切れたワンピースの方がずっとましだ。
そのままベッドでゴロゴロするが、待てど暮らせど夕食の連絡は来ない。
こんな事だろうと、ドレスのポケットにお茶会に出た焼き菓子を詰められるだけ詰めてきたので、それを食べて眠った。
翌朝、まだ暗いうちにヒステリックな声で起こされた。
「ミレーネ! 掃除の時間だよ!」
声だけではなくドアをドンドン叩かれるが、私は布団に包まったまま返事をしなかった。
「奥様に言って叱ってもらうからね!」
やっと声が遠ざかる。
日が昇った頃、昨日の残りの焼き菓子を食べているとコココンと曇り窓が叩かれて、窓の外に何か置かれた。
包みを開けると、固くなりかけたパンが二つと水筒。水に変わった匂いがするので水筒の底を調べると薬草が沈んでいた。
どうやら、よっぽど私の具合が悪いのだろうと薬草水を用意してくれたようだ。
亡くなった母の残した優しさが、ミレーネの命を繋いでくれる。
その後も次々と威圧的な男や女の声がかけられ、ドアを壊さんばかりにドンドン叩かれたが、ベッドの上でやり過ごした。
そして次の朝、伯爵邸の玄関前には王宮から派遣された侍女たちと、彼女たちが持ち込んだ今日の舞踏会のためのドレス一式とヘアケア・ボディケアグッズの山で大騒ぎになった。
「お帰りください」
と追い返そうとする執事に
「私たちはアンリエッタ姫にミレーネ様の着付けを手伝うよう命じられています。国王陛下もご了承されています。美しくなったミレーネ様を舞踏会にお連れするようにと」
と、堂々と侍女長が言い返す。
「アンリエッタ姫? ミレーネがどうやってそんな方とお近づきに」
騒ぎを聞いてやって来た伯爵夫妻は
「先日の公爵令嬢のお茶会です。何でも、とても時代錯誤なファッションだったとか」
と、言われて赤くなって黙るしか無かった。
「ジュリア。お茶会でミレーネはアンリエッタ姫と話していたの?」
遅れてやって来たジュリアに聞いても「分かんない」としか返ってこない。高位の令嬢たちに囲まれ、下座のミレーネの事など気にもしてなかったのだろう。
アンリエッタ姫。先代国王の末っ子で、現国王の妹。「おてんば姫」とか「じゃじゃ馬姫」と呼ばれる彼女なら、下座に座っていた毛色の変わった令嬢に興味を持つのもあり得る。
了承を得たと認識した侍女たちは荷物を抱えて「部屋は階段の下ですね!」と乗り込むが、間もなく
「何ですのこの部屋はネズミの巣ですか?」
「綺麗な水とお湯を! いえお風呂の準備を!」
「まず他の部屋に替えてください!」
「お腹すいたと言ってますが、お食事はまだですの?」
と、執事に矢継ぎ早の文句が殺到した。
侍女たちが伯爵家の客間を奪い取り、半日かけて私を磨き上げて髪を巻いてドレスを着付けてアクセサリーも着けた所で一息ついていると、
「伯爵家の皆さんが出発します!」
と侍女の一人が 部屋に飛び込んで来た。
ほほう、私に黙って出発する気でしたのね? 内心の焦りを表に出さずに速足で玄関に向かい、伯爵家の人たちの前に笑顔で現れる。艶めく髪に瑞々しい肌、華やかだけど上品なドレスに、控えめだけど質の高い宝石を使ったアクセサリー。
ふんだんに使った繊細なレースの衣擦れの音をさせながら、内心ドヤ顔で三人の元へ進む。
三人からの目線は、分かりやすい「怒り」だった。
伯爵夫妻の露骨な邪魔者を見る目。ジュリアの、自分のドレスより豪華なドレスを着ている私への嫉妬。
私はそんな感情など気づいていません、という表情で伯爵家の人たちと一緒に馬車に向かった。
だが、三人の後に乗ろうとした私の顔の前で馬車のドアは閉まり、そのまま走り出して行ってしまった。
唖然とする私を見送りに並んだ使用人たちがクスクス笑うが、侍女長の
「あの男! 国王陛下の下命を何だと思っているの!」
の一言で固まった。
青くなっている使用人たちに、慌てて
「すぐに別の馬車の用意を!」
と騒ぐ執事を無視して、侍女たちが乗って来た馬車が私の前に滑り込む。
降りて来た御者は、恭しく王家の紋章を馬車の左右に嵌め込んだ。「この馬車には、王族か、王家に命じられた者が乗っている」という証だ。
私は執事に
「伯爵たちは、二度と戻る事は無いでしょう。使用人の彼女たちは労働刑ですむと思うけど、あなたは覚悟をしておいて」
と、言って侍女長と馬車に乗り込んだ。
血の気が引いた執事が、すがるように馬車を見送るのをわざと目を逸らす。
同情はしない。お前は、家の平和のためにミレーネを犠牲にした無能だ。
私を乗せた馬車は、貴族の馬車で混み合う王宮の正門を避けて、目立たぬ小さな門から城に入った。
侍女長と別れ、騎士たちに護衛されて舞踏会が開かれる大広間に案内される。
私が会場入りした事に気づいた公爵令嬢が駆け寄って来た。
「一人だけ? 計画は失敗したの?」
「いえ、大成功と言うか……。伯爵家の馬車が、私を置いて先に行ったのよ」
「ぷっ、さすがにそれは想定外ね。私たちの理解を超えた行動をしてくれるわ」
などと話していたら、
「貴様、こんな所で何をしている!」
と、伯爵の怒鳴り声が会場に響いた。
私に向かって、目を血走らせた伯爵がズンズンとやって来た。後ろに伯爵夫人とジュリアがニヤニヤして付いて来る。
その異様な雰囲気に会場中の注目を集めているが、気づいていないようだ。
伯爵が私の真ん前に立った時、私は淑女の笑顔で言った。
「ご機嫌よう伯爵」
「何がご機嫌ようだ。貴様と言う奴は」
「貴様? 私をご存知なのかしら。初めまして、王妹のアンリエッタです」
「…………」
「ご挨拶が遅れまして。先日からミレーネの部屋にお邪魔していたのですが、食事には呼ばれない、使用人には働け働けとドアをドンドン叩かれる、で、すっかり挨拶しそびれてしまいましたわ」
私は正確には国王の家族では無いので、公式行事などで表舞台に立つ事は無いため、あまり顔は知られていない。
唖然として言葉も無く私の顔を凝視する伯爵に、公爵令嬢が呆れた声を出す。
「娘の顔を知らない父親がいるのですね」
「ミレーネは今、彼女のお祖母様と一緒に別荘で療養してますわ」
「り、療養?」
「ええ、長期に渡って虐待されてたもので。ああ、ミレーネがいなくても、私と侍女たちがミレーネが置かれていた状況について裁判で証言しますからご心配なく」
「さ、さ、裁判だなど。こ、これは家庭の問題で」
「お忘れでしたのね。ミレーネのお祖母様は先代国王の妹ですわ。ミレーネは現国王の従妹の娘。王家にとって他人事じゃありませんの」
ひっと息を呑む伯爵。
「だから、私とミレーネは髪も目も同じ色でしょう? メイクで多少似せましたが、まさか別人だと気付かれないとは思いませんでしたわ」
「………」
「そして、ミレーネと思い込んだ私を、あなたは伯爵邸に置いてきぼりにしましたわね。国王陛下がミレーネを舞踏会に連れて来るように言ったのをお忘れなの? どれほど王家を侮辱するのかしら」
「あ………」
「私たちは、あなた方にチャンスを与えていたのです。伯爵がミレーネが別人だと気づいたら、着飾ったミレーネを伯爵家の一員として舞踏会に連れて行ったら、少しでも父親らしい面を見せたら、虐待は公にはしないでおこうと。その場合、今頃は皆さんは別室で穏便に国王と会見をしている予定でしたのに」
無駄でしたわね……、としおらしく見せるが、内心この男が父親らしい事をするなんて全く思って無かった。
どうせ掴む事は出来ないと思っていたからこそ与えたチャンスだ。生涯、逃がしたチャンスを悔やむがいい。
音も立てず、衛兵たちが伯爵家の三人の背後に控えた。
私の合図で、衛兵たちがすっかり沈黙した三人を連れ出す。
「今日からしばらく牢で過ごしていただきますが、ミレーネの部屋よりは快適ですわ」
ジュリアが公爵令嬢に救いを求める目をしたが、公爵令嬢は笑顔でそれを無視した。お茶会での優しさは、ジュリアをミレーネから引き離すためだったと気付いたのだろう、絶望的な表情になって覚束ない足取りで衛兵に引きずられるように去って行った。
やがて、何事もなかったかのように会場にざわめきが戻る。
「上手く行ったから良かったですけど、無茶な計画を立てるのはお控えあそばせ。アンリエッタ」
「お説教は勘弁して。馬車の中で侍女長にみっちり叱られたから!」
「いくら言ってもお説教が無駄になる侍女長の方に同情しますわ……」
ううっ、返す言葉もない……。




