幕間:調合のティータイム
幕間:調合のティータイム
春休みの午後、実家の喫茶店『アンカレッジ』の厨房は、いつもと違う香りに包まれていた。 焙煎したての豆の香ばしさを追い越して、どこか甘酸っぱい、野原のような匂い。
「……晶、また変な実験か?」
カウンターの向こうから、父さんが苦笑まじりに声をかけてきた。 ネルドリップを握らせれば一級品の父さんだが、僕が最近、ハーブの乾燥葉をあれこれ並べているのが気になるらしい。
「実験じゃないよ。……春は、コーヒーの苦味が重く感じる人もいるから。もっと、こう……柔らかく接地できる飲み物が必要なんだ」
「ふーん。お前、夜の公園で『子供連れ』とか『お母さんたち』にまで商売広げる気か?」
「……別に、広げるわけじゃないけど。備えだよ」
図星を突かれて、僕は少しだけ視線を伏せた。 測りの上のコンマ数グラムを調整していると、カラン、とドアベルが鳴った。
「おっ、やってるやってる! 晶、新作の試飲でしょ。私も混ぜて!」
入ってきたのは、当然のように優子だった。 彼女はカウンターに座るなり、僕が並べた瓶を一つずつ覗き込む。
「これ、真っ赤! 宝石みたい」
「それはローズヒップ。ビタミンが豊富なんだ。……こっちの茶色いのはルイボス。ノンカフェインだから、誰でも安心して飲める」
僕が慎重に湯を注ぐと、透明なポットの中が鮮やかなルビー色に染まっていく。 そこにドライレモンを一枚浮かべると、香りが一気に華やいだ。
「はい、優子。父さんも」
小さなカップに分けて差し出す。 優子は「熱っ」と言いながらも、ふーふーと息を吹きかけて一口啜った。
「んんっ、甘酸っぱい! でもルイボスの独特な感じが、レモンでスッキリしてる。これ、子供とかも喜びそう。ジュースみたいにゴクゴクいけるね」
「……悪くないな」
父さんも、職人の顔で味を確かめている。
「俺のコーヒーとは違うけど、こういう優しい味も、誰かの疲れを癒すんだろうな。……ただ、晶。ハーブは薬理作用が強い。例えばラベンダーやカモミールの一部は、体質によっては避けた方がいい場合もある。特に……そうだな、体のデリケートな時期の人にはな。念のため、ちゃんと調べておけよ」
「……うん、本で調べたら、そういうのもあった。だから今回は、極力刺激がなくて、体を選ばないものだけに絞ったんだ」
「そうか。ならいい」
父さんは満足げに頷くと、奥の作業場に向かって声を張り上げた。
「じいさん! 晶が淹れた赤いお茶、飲むか?」
「……道具の掃除で忙しい。置いとけ」
奥から、金属が擦れる音と一緒に、ぶっきらぼうな祖父の声が返ってきた。 相変わらずの日常だ。
でも、この騒がしくて温かな時間が、僕のトランクに詰める「優しさ」の原液になっている。
「……昼間の公園、か」
僕は、残ったローズヒップティーを自分でも一口飲んだ。 春の突風に煽られて、自分一人の力では立っていられないような。 そんな誰かが、もし昼の木漏れ日の中に現れたら。
この甘酸っぱい一杯が、その人の「錨」になれるかもしれない。
僕はノートに『ルイボス・レモンティー。配合確定』と書き加えた。
春の滑走路は、もうすぐ、薄紅色の花びらで埋め尽くされるはずだ。
1章閉幕となります。少し間をあけて第2章を投稿したいと思います。




