雨宿りのレイヤーと再会のクラフト
雨宿りのレイヤーと再会のクラフト
その雨は、前触れもなくやってきた。
生ぬるい風が笹目通りの方から吹き抜けたかと思うと、アスファルトを叩く大粒の音が急激に熱を奪い始める。
光が丘公園の広大な敷地を白く霞ませる、暴力的なまでの夕立だ。
「……っ、ひどい降りだな」
僕は慌ててトランクの防水カバーを引き出し、東屋の軒下へと「拠点」を滑り込ませた。
そこには、同じように雨を避けて駆け込んできた人々が、肩を寄せ合うようにして雨雲を見上げていた。
「うわ、最悪……衣装が、ウィッグが死んじゃう!」
「ナナちゃん落ち着いて、とりあえずタオル!」
悲鳴を上げたのは、フリルとレースが何重にも重なった、まるでお伽話から抜け出してきたようなドレスを纏った少女だった。
その横では、大きなリフレクターを抱えた友人が、必死に機材を守っている。
この公園では珍しくないコスプレイヤーたちの撮影隊だろう。
僕は彼女たちの震える肩を見て、トランクの側面にある、琥珀色のLEDパネルを点灯させた。
『氷冷:はちみつジンジャーレモンティー』
「雨宿りついでに、一杯いかがですか。……少し、冷えてしまったでしょう」
トランクの引き出しから、氷を敷き詰めた保冷ボックスを取り出す。
それまで黙って雨を見ていた客たちが、一斉に僕を振り返った。
「えっ、こんな場所で冷たい飲み物……? 嘘、氷まである」
ナナコと呼ばれた少女が、丸い瞳をさらに大きくして僕とトランクを交互に見る。
「黄金週間に少し手を入れまして。……夏に向けて、冷蔵庫を積んだんです。雨で濡れた身体を冷やしすぎないよう、氷は少なめにしておきますね」
カップに注がれたアイスティーからは、爽やかなレモンと、身体を内側から温める生姜の香りが立ち昇る。
彼女たちに差し出したその時、集団の陰から聞き覚えのある、弾んだ声が響いた。
「ちょっと待って、そのトランク。……やっぱり! 晶くんじゃない!」
人混みをかき分けて現れたのは、デニムのエプロンを羽織った快活な女性だった。
祖父のアトリエ『|Atelier Wisteria』で、僕の冷蔵庫改造に「着せ替え」のアイデアをくれた常連――エミさんだ。
「エミさん。……どうしてここに?」
「友達がコスプレ撮影するっていうから、小道具の修理係でついてきたの。まさか、実戦投入されてるトランクをこんなに早く見られるなんて。ねえナナちゃん、この子が例の『天才整理屋くん』よ!」
「エミさんの知り合いなんですか!? すごい、なんか魔法使いみたい……」
ナナコさんは驚きながらも、差し出されたカップを両手で受け取った。
一口飲むと、強張っていた彼女の表情が、ふわりと弛んでいく。
「……おいしい。なんか、撮影が中止になって泣きそうだったけど、生き返る気がします」
「それは良かった。……表情まで固まってしまうのは、少し勿体ないですからね」
僕が何気なく告げた言葉に、ナナコさんはハッとしたように俯いた。
「……分かっちゃうんですね。実は、今日のために半年も準備したキャラなんです。でも、いざカメラの前に立つと、どうしても『自分』が混ざっちゃって。表情もポーズも、なんだか偽物っぽくて……」
彼女の吐露に呼応するように、雨音が強さを増す。
僕はトランクの天板に、アトリエで親方たちと作った真鍮製のコインを三枚、滑らせるように置いた。
「あら、これ源十郎さんがトランクの素材で作ったっていうコインね。デザイン手伝ったんだけど、実物こんな感じに仕上がったのね。」
置いたコインをエミさんが眺める。
「整理がつかないなら、これを見て一緒に考えてみましょう。今のあなたの『心象』を、少しだけ翻訳してみます」
チャリン、と真鍮が触れ合う硬質な音が、雨のノイズに紛れて響く。
出た卦は――沢水困。
水が底に溜まり、身動きが取れなくなっている状態。
「自分をよく見せようとする『外装』の重さが、中のあなたを圧迫しているみたいですね。なりきろうとすればするほど、あなた自身の心が窒息して、筋肉を強張らせている」
僕は彼女の重厚なドレスの袖口を見つめた。
「完璧なキャラになる必要はないんですよ。そのキャラが『もし雨に降られたら、どんな風に困るか』。その一瞬の戸惑いさえ、今のあなたなら本物の感情として写せるはずだ」
ナナコさんは、カップに残ったレモンのかけらをじっと見つめ、やがて小さく頷いた。
「……自分を消さなきゃって思ってたけど、今の私の『困った』を混ぜてもいいんですね」
雨脚が、少しずつ弱まってきた。
雲の切れ間から、夕暮れ時の強い光が差し込み、雨粒に濡れた公園の木々を黄金色に縁取る。
「よし、雨上がり。光が最高だよナナちゃん! 今の表情で、もう一回撮ろう!」
カメラマンの友人が声を上げる。
ナナコさんは僕に深く一礼すると、今度はさっきよりも軽やかな足取りで、光の射す芝生へと駆け出していった。
その背中を見送りながら、エミさんが僕の横に並んで、まじまじと僕の格好を眺めた。
「……それにしても晶くん。ドリンクも占いも最高だけど、その格好、夏は絶対死ぬわよ」
「えっ」
「その藍色の厚手ローブ、雨上がりは蒸れるでしょ? せっかくトランクを夏仕様にしたんだから、着るものも考えなきゃ。ねえ、夏用の『風通しのいい礼装』、私がデザインしてあげようか?」
「……検討しておきます」
僕は苦笑いしながら、自分の袖を触ってみた。
確かに、雨上がりの湿気でローブの中はかなりの不快指数を示している。
トランクの冷蔵ユニットが、再び規則的な振動を始めた。
機材は進化しても、それを扱う僕自身がこの熱気に負けていては、誰かの心を冷やすことなんてできない。
「……夏用の、装備か」
僕は独り言をこぼし、遠く北側から聞こえてくる、いつもより不規則なダンスの足音に意識を向けた。
優子の足元にも、今夜のような突然の雨が降り始めている。
そんな予感を拭えないまま、僕は濡れた地面に反射する夕陽を、目を細めて見つめていた。




