ゲッシュの代償
PM6:30 │ゲッシュの代償《The Penalty of Geas》
防音完備の面談室。外の喧騒は一切届かないこの密室で、私はソファに深く腰掛け、その前に愛弟子を立たせていた。
「さて、クー。……今回の『配信中の寝落ち』、これが何を意味するか分かっているわね?」
「うっ……。SRCの鉄則、『リスナーへの誓いを破るべからず』……ですよね……」
クーが消え入りそうな声で答える。
私のプロデュースするSRCには、独自の「ゲッシュ」システムがある。配信冒頭で「今日は〇〇する」と誓いを立て、もし破れば女王(私)から相応の罰が下される。これがリスナーにとっての最高のエンターテインメントであり、演者にとっては恐怖の対象だ。
「そう。あんたは『最後まで完走する』という誓いを破った。……罰が必要ね」
「ひゃいっ……! し、師匠、お手柔らかに……」
私は彼をソファに座らせると、背後から音もなく忍び寄り、その華奢な肩を包み込むように腕を回した。いわゆる「あすなろ抱き」の形だが、彼にとっては逃げ場のない檻だろう。
「まずは目隠し。視覚を奪われた方が、言葉は脳に深く刻まれるから」
「あ、あの、師匠……近い、近いです! 心臓の音が……!」
耳元で囁くと、クーの体がビクッと跳ねる。私は構わず、彼の耳朶に唇を寄せた。
「いい? 今から私が言う言葉を、そのまま復唱しなさい。百回よ。一回でも噛んだら最初からやり直し」
「ひゃっ、百回……!?」
「いくわよ。――『僕は寝落ちしました。ごめんなさい、もう二度といたしません』……さあ、言って?」
私の腕の中で、少年の体が熱を帯びていくのが伝わる。
「ぼ、僕は……寝落ちしました……。ごめんなさい、もう二度と……いたしません……っ」
震える声が室内に響く。私は彼の銀髪を優しく、執拗に指先で弄びながら、その吐息を耳朶に感じていた。
これはプロデューサーとしての規律の徹底。……そして、ほんの少しの、私の個人的な趣味だ。
(……あの子(晶)とはまた違う、この未熟で危うい『音』。……たまには、こういう整理も悪くないわね)
「まだ一回目よ、クー。夜は長いんだから、しっかり声を出しなさい」
都会の世界樹の深部で、女王の秘めやかな「教育」は、その後も延々と続いた。
PM7:15 │ツンデレ戦士の悩み《Anxiety of Aífe》
「失礼します……ママ、やけにツヤツヤしてません?」
「そ、っそんなことは無いと思うけど」
「そうですか...」
クーとの濃密な「お仕置き」が終わり、入れ替わりで入ってきた│紅刃アイフェは、いつになく歯切れが悪かった。
普段の配信で見せる、勝ち気な炎の戦士の面影はどこへやら、彼女は落ち着かない様子で私の対面の椅子に座る。
「どうしたの、アイフェ。新衣装の剣の意匠、まだ気に入らないところでも?」
「いえ……衣装は最高です。そうじゃなくて……その、最近、クーとの掛け合いが上手くいかないというか……」
彼女は視線を泳がせながら、膝の上のスカートをぎゅっと掴んだ。
「あいつ……最近、妙に可愛いというか。……いえ、生意気なのは変わらないんですけど! 不意に見せる『弟っぽさ』に、こっちが毒気を抜かれるというか。……視聴者からも『アイフェ、最近クーに甘くない?』って突っ込まれる始末で……」
なるほど。お姉さんキャラとしての矜持が、本能的な「可愛い」に負けそうになっているわけね。
私は苦笑し、デスクの引き出しから、木製の小さな箱を取り出した。
「言葉で整理できないなら、石に訊いてみましょうか。……引きなさい。あんたの今の心境を、ルーンが暴いてくれるわよ」
アイフェはおずおずと箱の中に手を入れ、ひとつの木片を選び取った。
机の上にコロン、と転がったのは、二本の縦線が斜線で結ばれた文字――│ハガル《ハガラズ》。
「……ハガル。『雹』ね」
「ひょう……? それって、悪い意味ですか?」
「いいえ。制御不能な自然の力を意味するわ。アイフェ、あんたの中で、クーに対する感情が『予定調和』を壊し始めている。今まで築いてきた『厳しい姉貴分』という氷の壁が、彼の愛嬌という嵐に打たれて砕け散ろうとしているのよ」
私はハガルの木片を指先で弾く。
「ベースは雹は溶ければ水になる。無理に戦士を演じ続ける必要はないわ。壁が壊れた後に残る『素のあんた』こそが、今のリスナーが求めているリアリティなのかもしれないわよ」
「素の、私……。……師匠、それって要するに、もっとあいつを可愛がってもいい、ってことですか?」
「さあね? それはあんたと、あんたの誓いが導き出す答えよ」
アイフェは頬を赤らめ、しばらくの間、机の上のルーンを見つめていた。
(……まったく、教え子も弟子も、どいつもこいつも『情』の整理が下手なんだから)
私は背もたれに体を預け、次の迷える子羊――モリガンがドアを叩くのを待った。
PM7:45 │鴉の野心と女王の算段《The Raven's Ambition》
「失礼するわよ、ママ」
アイフェと入れ替わりで入ってきた│黒鴉モリガンは、足音もなくソファの定位置を占拠した。
配信では「やる気のない、アンニュイな予言者」を完璧に演じている彼女だが、面談室の重いドアが閉まった瞬間、その瞳には冷徹なまでの光が宿る。
「……それで? 今日はどんな『不吉な予言』を携えてきたのかしら、モリガン」
私はティーカップに口を付けながら、敢えて挑発的に視線を投げた。
「ふふ、予言なんて安いものじゃないわ。……ねえママ。そろそろ、その『女王の座』、私に譲る気はないかしら? 企画もディレクションも、私ならもっと……効率的に、かつ刺激的に回してみせるけれど」
ストレートな宣戦布告。
彼女の「中の人」は、やる気なさげなキャラとは裏腹に、野心の塊だ。運営サイドの数値やマーケットの動向を誰よりも読み、隙あらば私の座を引きずり降ろして、SRCを、ひいてはYDEのコンテンツを掌握しようと画策している。
「あら、随分と威勢がいいわね。でも、この椅子は重いわよ? ルーンの読み解きから、深夜のトラブル対応、果てはスポンサーへの政治まで。あんたに、この重圧に耐えうるだけの背骨があるのかしら」
私は背もたれに深く寄りかかり、鼻で笑ってみせる。
だが、内心では別の「整理」が始まっていた。
(……いいわね、その野心。もし彼女が本当にこのプロデューサー業を引き継げるまでに成長してくれたら……。私は面倒な会議や書類仕事から解放されて、今度こそ心置きなく隠居できる。晶のストリートを眺めながら、一日中お酒を飲んで過ごす隠居生活……)
皮算用。仕事が終われば自由になれる――。
……いいえ、そんなことはない。この業界の常として、ひとつの巨大なプロジェクトを完遂すれば、待っているのはさらなる巨大な「次の仕事」だ。知っている。分かっている。けれど、目の前の野心家を煽る材料にはなる。
「もし、次の大型イベントで私の予想を上回る数字を叩き出せたら……。その時は、少しだけ『実務』を分けてあげてもいいわよ」
「……あら、言ったわね? その言葉、後悔しないでちょうだい」
モリガンは艶然と微笑み、鴉のような鋭い足取りで部屋を後にした。
「……はぁ。また一人、働く意欲に燃える怪物を育てちゃったかしら」
私は独り言ちて、空になったカップをデスクに置く。
さて、最後の一人。影の国の聖母が、廊下で静かに待っているはずだ。




