滑走路の終わり
滑走路の終わり
四月の終わり。
公園を彩っていた淡いピンクは跡形もなく消え、街灯に照らされた葉桜は、夜の闇を塗りつぶすような深い緑へと変わっていた。
風は相変わらず吹いているけれど、頬を刺すような冷たさはもうない。代わりに、遠い夏の気配を孕んだ、湿り気のある熱が微かに混じり始めていた。
「……これ、ようやく一曲、形になったんです。あの日、彩さんの歌を聴いたあの日から、ずっと返したかった言葉を詰め込みました」
小鳥遊唯駒さんがギターを構え、少しだけはにかんだ。
この数週間、彼女は何度もここへ通い、水晶チャイムの音色に耳を澄ませては、ノートに言葉を書き留めていた。そのノートの余白には、いつの間にか小さな鳥の羽のようなスケッチが描かれている。
「聴いてください。migratory」
彼女が静かに弦を弾く。アルペジオの音色は、以前のような焦りを感じさせず、どこか夜の静寂を祝福するような響きを持っていた。
月を背にした 黒い翼が
折れた羽の私を 見つけてくれた
夜の深さを 教えてくれる代わりに
あなたはただ 空の広さを歌った
喉に詰まった 砂を吐き出して
震える指で 弦をなぞれば
水晶の音が 風をほどいて
迷子の言葉に 熱を灯した
歌うよ 名もなきコマドリの歌を
黒い鳥が残した 軌跡をなぞって
風に乗れない 小さな羽でも
この震えが 誰かの明日を呼ぶなら
私はここで 春の終わりを歌おう
歌い終えた唯駒さんの声が、葉桜のざわめきに溶けていく。
かつて母さんが歌った『Blackbird』への、精一杯の返礼。
黒い鳥の背中を追いかけていた少女が、自分という渡り鳥の鳴き声を見つけた瞬間だった。
「……すごく、いい歌ですね」
「ありがとうございます。完璧な言葉を探すのをやめたら、ただ『伝えたい』っていう振動だけが残ったんです。……ありがとう、晶さん。歌詞が、やっと自分のものになりました」
彼女は満足そうに微笑み、はちみつレモンティーを最後の一口まで飲み干した。
一人の歌い手が、自分の滑走路を見つける。その瞬間に立ち会えるのは、整理屋として一番誇らしい時間かもしれない。
唯駒さんと入れ替わるように、夜の闇からひょいと現れたのは、マジシャンの蓮さんだった。
「よお、整理屋。景気はどうだい?」
彼は以前のやつれた様子が嘘のように、指先で銀のコインを鮮やかに躍らせている。
「見てな。これが僕の、新しい『答え』だ」
彼が指を鳴らすと、コインは一瞬で消え、代わりに僕の胸ポケットから一輪の造花が現れた。
「スランプは完全に脱出したよ。黄金週間はかき入れ時だからね、街中のステージを回るつもりさ。……それから、連休明けにはマジックのグランプリに参加することにしたんだ。今度は逃げずに、全力でやってみるよ」
「グランプリ……。応援しています」
「ああ。君の休みは? やっぱり、どこかで店を開くのかい」
「いえ。この連休は少し、トランクの『整理』をしようと思ってるんです。おじいちゃんが使っていたアトリエを借りて、大掛かりな工作をね」
「ほう、改造か。それは楽しみだ。またスランプになったら見てもらいに来るとするよ。まあ、そんな日は来ないほうがいいけどね」
蓮さんは軽やかな手つきでハットの縁に触れ、自信を取り戻した背中で闇に紛れるように歩き出した。
唯駒さんに、蓮さん。春の嵐に翻弄されていた彼らが、それぞれの場所で再び足を踏み出そうとしている。
「僕の仕事も、ようやく一つ形になったかな」
僕はトランクの在庫表を確認しながら、小さく独白した。
トランクの中のはちみつレモンの瓶は、もう底をつきかけている。
これからは温かい飲み物だけじゃ、誰かの心の「熱」まではほぐせない。
ふと、設営を手伝ってくれたあと、近くでダンス練習をしていた優子ちゃんが、カルラちゃんに向けて声を弾ませた。
「明日からGWだね! 学校に行かなくていいなんて、最高じゃん!」
学校に行かなくて済むのがそんなに嬉しいのか、彼女の瞳はどこか夜の光を反射して浮ついて見えたけれど、ストリートにはこうして顔を出しているんだから、それほど心配はいらないのかもしれない。
僕は彼女の言葉を背中で聞きながら、トランクの横に一枚の設計図を広げた。
性能はありものに頼るけれど、その外装だけは、このトランクと地続きの素材で作り直すつもりだ。
少しずつ夜気が湿度を帯びてきている。もうすぐ、喉を焼くような季節がやってくる。
「夏までに間に合わせないと」
おじいちゃんの古い工具の匂いを思い出す。
誰かの悩みを冷ますための、新しい武装。
僕は最後の一枚の「春の在庫」を片付けると、重たくなったトランクの蓋を閉めた。
カチリ、とロックが掛かる音。
それが僕にとっての、春の終わりの合図だった。




