花散らしのダイス
花散らしのダイス
光が丘公園の桜並木は、まさに薄紅色のトンネルだった。春休み午後の日差しを浴びて、満開の桜が風に身を委ね、歩道には絶え間なく花びらが降り積もっている。
僕はいつもの定位置から少し離れた、西側の広場に近い場所に陣取っていた。ここなら、遊具で遊ぶ子供たちの声と、並木道を歩く人々の喧騒がほどよく混ざり合って聞こえてくる。
「ワン、ツー、スリー! カルラ、重心高い! もっとグッと落として!」
「分かっている! 優子こそキックが甘い、音をよく聴いて!」
広場の一角、ポータブルスピーカーから流れる激しいビートに乗せて、二人の少女が躍動していた。優子と、その相方の立花カルラだ。
一章の頃、ダンスのスランプに陥っていた彼女を、僕はタロットで占ったことがある。あの時、カードが示した『力』の正逆が彼女の迷いを映し出していたけれど、今のカルラの動きに迷いはない。短い髪を振り乱し、ストイックな動きでキレのあるステップを刻む姿は、以前よりもずっと鋭さを増していた。
僕は二人の練習が一段落するのを待って、そっと声をかけた。
「……お疲れ様。二人とも、いいキレだね」
「あ、晶! 見てた? 今のカルラのミス、すごかったでしょ」
優子が汗を拭きながら笑う。
「あんたのリードが雑なせいでしょ」
カルラは不機嫌そうに言い返したが、僕の方を見ると、少しだけ表情を和らげた。
「……久しぶり、晶くん。あんたの占いの後、少しはマシになったわよ。……今日は随分と、お花見日和ね」
挨拶を交わそうとしたその時、桜の木の下で一人、不自然なほどガチガチに固まったスーツ姿の男性が目に入った。二十代後半くらいだろうか、何度もネクタイを締め直し、小さな箱をポケットから出しては仕舞い、挙句の果てには独り言を呟きながら頭を抱えている。
「……あの、大丈夫ですか?」
僕が声をかけると、男性は弾かれたように顔を上げた。
「あ、いや、怪しい者では……! 実は今日、ここでプロポーズをしようと思っているんです。でも、いざとなると心臓が口から出そうで、何を言えばいいのか真っ白になってしまって……」
「プロポーズ! 素敵じゃん!」
優子が目を輝かせて割り込む。
「でもその顔じゃ、彼女さん、何かの借金の告白かと思っちゃうよ。ねえ、晶、練習相手になってあげなよ」
「僕が? さすがに無理があるよ……」
「じゃあ、カルラ! カルラ、演技とか表現は得意でしょ。一章の時みたいに、ビシッと指導してあげてよ!」
「はあ!? なんで私が……」
カルラは本気で嫌がったが、男性の「一生のお願いです、一言だけ練習させてください!」という悲痛な懇願に、かつての自分自身の「詰まり」を思い出したのか、溜息をつきながら男性の前に立った。
「……分かったわよ。一回だけ。……いい、プロポーズもダンスも同じ。体裁を整えるんじゃなくて、中身を相手にぶつけなきゃ意味がないの。……さあ、本番だと思ってやってみて」
桜の花びらが舞う中、奇妙な公開練習が始まった。
「き、君を幸せにします。結婚してください!」
「声が震えている。それに目が泳いでいるわ。そんなんで一生を預けられると思っているの? もっと腹から声を出しなさいよ!」
カルラの指導は、ダンスの練習と同じくらい容赦がなかった。
僕はその様子を見守りながら、トランクを静かに開けた。
「……練習の合間に、少し『運気の整理』をしてみましょうか。今日は、この子たちに手伝ってもらいます」
僕はトランクの天板に、掌に収まりきらないほどのダイスを転がした。
四面、八面、十面、十二面、そして複雑な彫り込みの二十面体。
宝石のように多角的に光を反射する多面体ダイスたちが、春の陽光の下でキラキラと輝く。
「こんなに色んな種類のサイコロがあるのか……」
男性が足を止め、不思議そうに覗き込む。
「ええ。複雑に絡み合った不安を、いくつかの要素に分けて見るための道具です。……さあ、今のあなたの迷いと、彼女への想いを全部指先に込めて。このマットの上に、思い切り振ってみてください」
男性の震える手が、複数のダイスを包み込む。
「……いきます」
放たれたダイスたちは、舞い散る花びらを掻き分けるようにして、乾いた音を立てて転がっていった。
◇
マットの上に静止した多面体ダイスたちが、春の陽光を多角的に反射している。
僕は膝をつき、バラバラの方向を向いた数字たちを、静かに、けれど一つずつ丁寧に読み解いていった。
「……出ましたね。少し、背伸びをしたお話をしてもいいでしょうか」
僕は顔を上げ、緊張で固まった男性の目を見て言った。
「全体運を示す二十面体(D20)は『14』。これは、新しい始まりに限りなく近い数字です。そして、方向を示す八面体(D8)は『5』。東南、つまり今、一番柔らかい風が吹いてくる方向を指しています。四季を司る四面体(D4)も『2』……春。新しい季節が、もうすぐそこまで来ていることを示唆しています」
男性は、自分の投げたダイスを食い入るように見つめ、喉を鳴らした。
「そんなに、はっきりと……数字で出るものなんですね」
「はい。データとして見れば、確率は非常に高い。……でも、僕が本当に見てほしいのは、そこじゃないんです。多面体のダイスは、振るたびに全く違う目が出ます。複雑で、予測がつかない。それは、あなたの心が毎日揺れ動いている証拠そのものなんです。彼女を想って、悩み、迷い、今日ここで僕たちに声をかけた。その『揺らぎ』があったからこそ、この結果に辿り着いたんですよ」
僕は少し間を置き、最後に転がった十面体(D10)を指差した。
「進捗は『7』。バランスは取れかけています。……桜が散りきる前に、あなたのその震える声で想いを伝えれば、きっと届きますよ」
「……っ」
男性の表情から、迷いという名のノイズが削ぎ落とされていく。
「晶、意外といいこと言うじゃない」
カルラが少しだけ感心したように、けれどすぐにいつものストイックな顔に戻って言った。
「いい。最後は腹に力を入れること。言葉を綺麗に飾る必要はないわ。……優子が言うから引き受けただけなんだから、失敗したら承知しないわよ」
「あはは、カルラ、相変わらず厳しいな。でも、カルラがいなかったら練習相手なんて見つからなかったもんね。ありがと!」
優子が屈託なく笑うと、カルラは「……優子がいなきゃ、私こんなことしないわよ」と小さく呟き、顔を逸らした。彼女の強さの根底には、相方への深い依存と信頼が、春の根雪のように残っているのが見えた。
「……これ、飲んでみてください」
僕はトランクからサーモスを取り出し、エチオピア・イルガチェフェをカップに注いだ。
「少し独特ですが、アイスで飲むと頭がクリアになる味ですよ。プロポーズの練習の後、少し冷静になれるはずです」
男性は「ありがとうございます」と受け取り、一気に喉を鳴らした。
「……華やかだけど、最後に一本、芯が通ったような苦味がありますね。なんだか、覚悟が決まりました。桜の下で、自分らしい言葉で言ってみます」
男性は深く一礼し、並木道の奥へと駆け出していった。その背中を、優子が「頑張れー!」と叫びながら見送る。
(桜は散るけれど、新しい始まりはそこからだ……)
僕は舞い落ちる花びらを見上げながら、独りごちた。
彼の勇気も、優子ちゃんの迷いも、そしてカルラちゃんの不器用な想いも。
春風が、それぞれの「整理された未来」へと、少しずつ運んでくれる気がした。
「……整理整頓、完了」
僕は静かにダイスを袋に収め、トランクの蓋を閉じた。




