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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
春風の滑走路

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春分点:世界樹の摩天楼(後編)

 春分点:世界樹の摩天楼(後編)

「これは『九星気学』をベースにした、プロジェクトの動態予測よ。晶、あなたが公園で扱うルーンやタロットは『点』の占い。つまり、今この瞬間の、目の前の相手の心を射抜くもの。でも、このデータ占いは『線』の占いなの」


「線の、占い……」


「そう。本命星が二黒土星なら、今年は南西が吉方位で、五月が資金繰りのピークになる、といった具合にね。これは相談者の『感情』なんて一ミリも関係ない。ただの『宇宙の法則という名の統計』なのよ。

 ビジネスマンがこれを求めるのは、彼らが『いつ、どこで、何をすべきか』という地図を欲しがっているから。心が救われるかどうかより、プロジェクトが成功するかどうかが彼らにとっての死活問題なの」


 紫さんはキーボードを叩き、画面を切り替えた。そこには紫さんがプロデュースしているというVtuberのモデルが、星位データと同期して細かく動いている。


「占星術も同じ。この子がいつデビューし、いつ炎上のリスクがあり、いつ新しいファン層を獲得できるか。それは彼女の『やる気』だけで決まるものじゃない。星の配置という『外部環境のデータ』を読み解くことで、リスクを最小限に抑えるのよ」


「……なんだか、占いというよりは、高度な経営コンサルティングみたいですね」


 僕が圧倒されていると、紫さんは悪戯っぽく笑って、デスクの引き出しから一冊の古びた手帳を取り出した。デジタルな空間に、その紙の匂いはひどく異質に感じられた。


「でもね、晶。どれだけ完璧なデータがあっても、最後にボタンを押すのは『人間』なの。

 データで『今は動くな』と出ても、心が『動きたい』と叫んでいるとき、彼らはどうすればいい? そのときに必要なのが、あなたが持っている『共感の彼女』……スピリチュアルなアプローチなのよ」


 紫さんは応接コーナーの香炉に新しい香木をくべた。

 ハイテクなマシンの駆動音と、古来から変わらない沈香の香りが、僕の鼻孔で激しく衝突する。


「完璧な理論(彼氏)と、深い共感(彼女)。この二人が手を取り合って初めて、占いは『運命を変える道具』になる。……私がここでデジタルデータを弄り回しているのは、その『彼氏』を極限まで鍛え上げるためよ。あなたが公園で『彼女』としての感性を磨いているようにね」


 紫さんの瞳は、モニターの青い光を反射して、まるで未来を演算する水晶体そのもののように見えた。

 僕が扱えない領域。計算と統計が支配する、冷徹で、けれど圧倒的に頼もしい「解決」の世界。


 トランクの中のルーンたちが、紫さんの放つ熱気にあてられたように、袋の中で小さく鳴った気がした。


「ふふっ、晶くんったら。まだまだ聞きたいのね。いいわよ、紫先生が特別に、もう少しだけ付き合ってあげる」


 紫さんはエスプレッソのおかわりをマシンにセットすると、モニターを次々と切り替えていった。

 画面には、漢字の羅列や幾何学的な図形、そして整然と並ぶ数字の山が映し出される。


「さっきは占星術と九星気学の話をしたけれど、データ系占いには他にも頼もしい『彼氏』たちがたくさんいるのよ。どれも『数字・計算・客観的なパターン』で運勢を切り取るのが共通しているわね。じゃあ、さらっと紹介するわよ」


 まず表示されたのは、何かの設計図のような表だった。


「これは『四柱推命』。いわば『超精密版の彼氏』ね。生年月日時を四つの柱に分解して命式を作るの。『日干が弱いから火の通変星を補強する仕事が向いている。来年は劫財の助けで乗り切れる』なんて、人生の設計図をミリ単位で読み解くわ。頼りになるけど……細かすぎて、自由がなさそうで息苦しいって思う子もいるわよね」


「人生を……設計図として見るんですか」

 僕が息を呑むと、紫さんは「次はこれ」と、どこか哲学的な雰囲気の図形を示した。


「『算命学』。こっちは『哲学者の彼氏』タイプ。宿命と運命を厳格に分けて読むのよ。『君の中心星は鳳閣だから人を喜ばせる才能がある。でも今は天将が巡っているから孤独を感じやすい』。データなのに詩的なんだけど、結局は『こう生きなさい』って道筋をビシッと示すから、晶くんみたいな『一緒に考える』タイプには少し重たく感じるかも」


 さらに画面には、シンプルに「7」や「11」といった数字が躍った。


「『数秘術』は『シンプルでストレートな彼氏』。生年月日を足すだけで、あなたの本質を一発で決めるわ。わかりやすいけど、名前まで数字に変えて計算するとなると、ちょっと冷たい印象になっちゃうわよね」


 最後に紫さんは、デスクの端にあった古めかい筮竹ぜいちくを指先で弾いた。


「そして『易学』。古風だけど超論理的な彼氏よ。変化のタイミングを細かく予測するから、データ好きにはたまらないの。でも、感覚で読みたい子には少し固すぎるかしらね」


 紫さんは再び椅子を回し、優子の持ってきたお菓子の袋を指先でつまんだ。


「これらのデータ系占いは、みんな『原因を特定して、解決策を提示する』のが得意なの。『問題はこれ。ここを変えればこうなる』って、はっきり道を示してくれる。頼もしいけれど……心の奥底の『つらい』を数字で斬られると、ちょっと寂しくなる子もいるのよね」


 そこで紫さんは、僕のトランクを顎で指した。


「一方で、私たち古典派は『今、君が感じているその気持ちを、一緒に受け止める』のが仕事。解決を急がず、まずは『わかるよ』って抱きしめて、そこからゆっくり整理していくの。どっちが正しいなんてないわ。ただ……」


 紫さんは、いたずらっぽく僕にウインクした。


「データで客観的に『いつ・どこが吉か』を示しながら、心の揺らぎをそっと包み込んであげられる。……ふふ、晶くんみたいに『両方』を扱おうとする子は、紫先生から見ても、ちょっと羨ましいわね」


 ハイテクなオフィスビルの中に、一瞬、温かな沈黙が流れた。

 僕のトランクの中には、データにはならない誰かの涙や、数字では測れない僕の迷いも一緒に詰まっている。

 紫さんの見せてくれた冷徹なまでの「解決」の世界は、僕が持っている「共感」という曖昧な光を、より一層鮮やかに照らし出しているように思えた。

 紫さんは満足げにそう締めくくると、くるりと椅子を回してデスクへと向き直った。

 最新鋭のディスプレイが放つ青白い光が、彼女の横顔を再び「開発相談役」の表情へと塗り替えていく。


 僕は、あまりにも整然としたデータの世界に圧倒され、背筋が少し伸びるような緊張感の中にいた。

 師匠が語った、論理的な彼氏と共感的な彼女。

 その両方を抱えて歩くことの重みと、贅沢さ。

 僕は自分の中にある「整理整頓」という小さな灯を、この巨大なデジタル摩天楼の影で、もう一度強く握りしめた。


「さて、講義はここまで。さっさと帰って、自分の持ち場で腕を磨きなさい」


 紫さんが、しっしっと手で追い払うような仕草をする。

「ありがとうございました、紫さん。……師匠のもう一つの顔、勉強になりました」

「本当! 紫さん、私もう一生推すから! Vのチャンネル登録もあとで教えてね!」


 興奮冷めやらぬ優子に促されるように、僕はトランクを引いて出口へと歩き出した。

 ふと、立ち去り際に紫さんの肩越し、散乱したデスクの上が目に入った。


 高価な周辺機器に紛れて、一枚の資料がモニターの下から覗いている。

 そこには、華やかなイラストと共に、大きなフォントでタイトルが打たれていた。


 『新規プロジェクト:運命擬人化シミュレーション〜君を救う占いの騎士ナイトたち〜』


 資料の端には、先ほど紫さんが熱弁していた「解決志向のビジネスマンな占星術」や「古風で論理的な易学」をそのまま美形キャラクターに落とし込んだような、ラフスケッチがびっしりと書き込まれている。

 その横には、赤ペンで大きく一言。

 【属性:彼氏タイプと彼女タイプの対比を強化すること!】


「…………」


 僕は、扉が閉まる寸前に、もう一度だけ師匠の背中を見た。

 彼女は今、猛烈な勢いでキーボードを叩き、おそらく「騎士たちの台詞」を執筆している最中だ。


 (これ……今日のために調べたんじゃなくて、仕事の資料をそのまま僕に話しただけだな……)


 心の中でそっとツッコミを入れたけれど、それは口にしないでおいた。

 たとえ動機が不純だったとしても、あの「両方を持つことの贅沢さ」という言葉だけは、本物だと信じたかったから。


「晶? どうしたの、早く行こうよ!」

「……ああ、今行くよ」


 西新宿のビル風は、相変わらず冷たかった。

 けれど、背負ったトランクは不思議と重く感じない。

 僕は優子の明るい声に追い付くように、夕闇が降り始めた街へと歩き出した。

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