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短編

みかん

作者: 仲町鹿乃子
掲載日:2026/01/10

「完全に名前負け」


 冷えた体をコタツに滑り込ませてくると、いとこの慎太郎はそう言った。

 慎太郎の裸足の指先が、わたしの足にごつんと当たる。

 慎太郎は、がたいばかりでなく爪まで頑強にできているようだ。


「名前負けって、なんのことよ」


 コタツに載ったみかんに手を伸ばしながら、わたしは訊く。

 下の部屋では、うちの両親とその兄弟姉妹らが宴会を開いていた。

 我が家は、大晦日も元旦もなく商売をしているため、毎年少し遅れて新年の集まりがあるのだ。


「睦月、おまえの名前だよ。新年らしい名前なのに、ひとりでみかんを食べてるなんてさ」

「挨拶はしたもん」

「そりゃ、大人としての基本だろうよ」

「ちびっこにお年玉もあげたよ」

「そりゃ、えらいな、俺は忘れてたわ」

「それこそ大人としての基本でしょう」

 確かに、と慎太郎が言いながらみかんを手に取った。


「そういえば、睦月、誕生日じゃん」

 はいプレゼント、とぱっくりニつに割ったみかんの片方を渡された。

「……ありがと」

 今日は、わたしの誕生日だった。


「睦月って、会社には行けてるんだっけ?」

「まぁね」

 慎太郎がくれたみかんを一房口に入れる。

 甘い。


「飯は? ちゃんと食えてる?」

「そこそこ」

 もう一房みかんを口に入れる。

 やっぱり、甘い。


「年賀状は、書いたか?」

「書かなかった」

「まぁ、俺も書いてないけど。でも、意外とくれる人いるよな」

「それは慎太郎だからでしょう?」

 慎太郎は明るく社交的だ。

 誰でも彼とはすぐに友だちになってしまうのだ。


「でも、来ただろう? 何枚かは。それの返事くらいは書いたか?」

「それは書いたよ」

 わたしの嘘に、慎太郎は安心したような顔をした。

 善良な慎太郎を騙すのは簡単なのだ。


 近所で同じ年のいとこ同士。

 小学校に入るまで、わたしは慎太郎の後ろに隠れていた。

 大人からの声かけも、同じ年頃の子たちからの誘いも、すべて慎太郎に任せて過ごしたのだ。

 けれど、いつまでもそんなわけにはいかない。

 活発な慎太郎とわたしでは、興味だけでなく行動範囲も違っていたからだ。


「なぁ、睦月。俺は、雑にできた人間なのかな?」

 ぽつりと慎太郎が言う。

「睦月みたいに、人に会いたくないこともなければ、飯を食えなくなることもないし」

「……」


 慎太郎は『聞いてるか?』とでも問うように、足の親指でわたしの膝をつんつんと突付いてきた。


「睦月のこと、むかしは……ちびの頃はわかっていたような気がする。『睦月はこれが嫌いなんだな』とか、『これは楽しいんだ』とか。でも、いつからかな。わからなくなった、おまえのことが。でも思えば、誰のことにしても、わかるなんてことは無理なのかもしれないとも思いだして。だから、俺は。――みかんを食う」


 慎太郎はまたもやみかんを手に取った。


「睦月のそばでみかんを食う」

 慎太郎がみかんをニつに割り、皮をむいて食べだす。


「慎太郎みたいなみかんの食べ方をする人って見たことないよ」

「見たことないって、そりゃ、おまえさんが世間さまを知らないからだよ。 一体睦月は、何人の人のみかんを食う癖を知っているんだ?」


 妙なタイミングで鋭さを発揮する慎太郎は、時折こんな変化球でわたしを攻めてくる。


「慎太郎と、お父さんと、お母さんと……」

 言葉にすると、それだけの人。


「だから、名前負けなの。おまえは」

「うるさい」

「睦月の今年の目標は、今あげた名前の人よりも一人でも多くの人のみかんを食べる癖を知ることっていうのはどう?」

「たしか近所のスーパーで、みかんの試食をやってた気がする。そこに行くよ」

「……おまえ、妙なとこで鋭いな」

「お互い様だよ」


 慎太郎が三個目のみかんに手を伸ばす。


「俺ってさ。迷惑?」


 いまさらな質問である。


「時々迷惑。でも、そうじゃない時もある」

「俺のこと嫌い?」


 慎太郎の問いに、うーんと考える。

 好きで嫌いで嫌いで好き。

 嫉妬に羨望、憧れでもあり悪魔のようにも思った。

 こんな感情、言葉でどう伝えても、きっと正しくは伝わらない。


「今は平気」

「今は平気? 『今』って、なんだよ。この正直者が!」

 慎太郎が笑う。


 こんな風に、慎太郎みたいに、裏表もなくスコーンと笑える人はすごいと思う。

 そういう人は、滅多にいないってことを知ったから。


「血が繋がっているのに、どうしてわたしは慎太郎みたいじゃないんだろう」

「それは生命の神秘とも言うべき領域でありまして」

「領域か。それ、どうにかなんないかな」

「でもさ。違うから、きっといいんだよ」


 慎太郎が続ける。


「違うからわかりたいと思うっていうか。でも俺はあほだから睦月のことはようわからんのだけど」

 そう言いながら、柄にもなく慎太郎が顔を赤くした。


「だから、睦月は睦月でいいんだけど。うん。いいんだけど、やっぱり、睦月自身が生きやすいようにいろいろと折り合いをつけていけると、俺は嬉しい」


 慎太郎の言葉の最後に、わたしは驚いた。


「嬉しい? 慎太郎が?」

「うん。俺が嬉しい」


 その言葉に頭の中がぐちゃぐちゃになった。


「なんで、わたしのことなのに。慎太郎が嬉しいのよ」

 うーん、と慎太郎が難しい顔をする。


「それは、わからん」

「なんじゃそれ」

「そうなんだ。ようわからんのだけど、おまえが幸せだと俺は嬉しいんだ」


 なによ。それ……。

 慎太郎の顔が見れずに、ばくばくとみかんを口に放り込む。


「もう、どれもすっぱすぎる!」


 ちっともすっぱくないみかんに文句をつける。

 わたしの嘘を信じ、慎太郎が甘そうなみかんを選び始めた。




 わたしの人生は、わたしだけのものだと思っていた。

 わたしだけが苦しんで、悩んで、落ち込んで。



 どうしようもない雨はわたしの上だけに降り、他の人の空はみな晴れていると。



 なのに、慎太郎が突然あんな風に、まるでわたしの人生をも大切に思うようなことを言ってくるから。



 わたしは、自分以外の人の幸せを、そんな風に思ったことがあるだろうか?



 慎太郎の呆れるくらいのまっすぐな心が、自分でも驚くほど素直にわたしの心に響いていく。




「これ、甘そうだぞ」


 慎太郎がみかんを差し出す。

 ひんやりとしたみかんだけれど、それはわたしの手の中で優しいあかりのように灯った。


「ありがとう」


 いろんな意味を込めまくりのお礼を言いながら、わたしはみかんをむいた。


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