9.お化け屋敷
天気のいい朝。カーテンの隙間から射し込む光が、ロイのまぶたをくすぐった。
「……支度しないと」
ベッドから起き上がった瞬間、スマホが震える。画面には「ルイーザ」。
「もしもし――」
『ロイ!起きた? 早く準備しなさいよ。スクールバス、時間ぴったりに来るんだから!』
「分かってるって。二年も通ってる。朝から大声はやめて」
『……心配してるだけ』
電話はそこで切れた。
(ほんとに毎日毎日……。でも、あれがルイーザなりの優しさなんだよな)
ロイたちが通う公立の中学校へは、スクールバスで通う。
制服に着替え、トーストをかじってマグの紅茶を飲み、家を出た。
バス停で風に吹かれながら、ロイは小さく愚痴る。
「……僕、子どもじゃないのに」
それでも、心のどこかは少し温かい。ルイーザの“おせっかい”が、嫌いではないのだ。
⸻
教室に入ると、すぐに声が飛んだ。
「おはよう、ロイ」
ジョセフだ。言葉は控えめだが、理科の話になると目が変わる。
ロイは彼から科学の知識を教わることが多い。
「お前ってさ、寝坊しないよな。なんで?」
「規則正しい生活をしてるから。夜更かしもしない」
そう答えると、前の席から明るい声。
「でもルイーザが毎日モーニングコールしてるって聞いたよ?」
ソフィが振り返った。柔らかく笑っている。
(……今日もソフィは、やっぱり可愛い)
「おはよう、ソフィ」
「おはよう、ロイ君」
そこへウィギンズが肩を揺らして笑う。
「なーんだ。ルイーザのおかげか。そりゃ寝坊しねぇわ」
「違うよ。電話が鳴る前にちゃんと起きてる。ルイーザが勝手に――」
「悪かったわね。“勝手に”」
背後から冷たい声。
振り向くと、ルイーザが腕を組んで立っていた。
「ル、ルイーザ……おはよう。……いつからいた?」
「『ルイーザが勝手に』って言ったところから」
(まずい。今日は夕飯、抜きかも……)
前に本気で怒らせたとき、彼女は本当に料理を作ってくれなかった。
空気が凍りかけたところへ、ソフィが話題を切り替えるように言った。
「ねえ、ニュース見た? 二週間前、隣町ストーンブリッジで宝石強盗があったんだって。二人組で、まだ捕まってないらしいよ」
ジョセフが眉をひそめる。
「僕も見た。ここから近いし……怖いよね」
ストーンブリッジは、レイヴンフォードの隣町――バスで二十分ほど、境界の川を越えた先だ。
ウィギンズが身を乗り出した。
「怖い話ならもう一個。レイヴンフォードの町外れ、旧道の先に廃屋敷があるだろ。あそこで“光る化け物”が出るって噂知ってるか?」
「光る化け物?」
「ああ。全身が光ってて、人は襲わない。最後は屋敷に戻ってったってさ。白い煙も出て、ひんやりするらしい」
ウィギンズは声を潜めた。
「屋敷の前に煙みたいなのが出てて、ひんやりしてるらしい。物音もして、近所の人が通報したんだって。……でも警察が行ったら、誰もいなかった」
「物音がするのに?」
シャロンが眉をひそめる。
「しかも“ガシャーン”ってガラスが割れる音までしたらしいぜ。シャンデリアが落ちて割れてたって」
ウィギンズは声を潜めた。
「屋敷の前に煙みたいなのが出てて、ひんやりしてるらしい。物音もして、近所の人が通報したんだって。……でも警察が行ったら、誰もいなかった」
ウィギンズはニヤリと笑う
「今日の放課後、行こうぜ。噂の“お化け屋敷”」
「やだよ……」
ジョセフが即答。
「私はパス」
ルイーザもきっぱり。
「わざわざ怖いところに行きたくないもの」
シャロンも首を横に振る。
ウィギンズはロイを見る。
「ロイは?」
ロイは少しだけ考え、答えた。
「……行く。噂の正体、確かめたい」
「おし!」
ウィギンズは勢いよく立ち上がる。
「ジョセフも一緒に来い!」
「えっ、僕も!?」
ロイはジョセフへ静かに言う。
「原因が分かれば怖くないと思うんだ。……それに、何かあったらすぐに引き返す。無理はしないから。」
ジョセフは逡巡して、やっと頷いた。
「……うん。皆と一緒なら」
ルイーザがソフィの腕を引く。
「私たちは放課後は喫茶店で温かい紅茶でも飲みましょう。」
「いいわね」
こうしてロイ、ウィギンズ、ジョセフの三人は、廃屋敷へ向かうことになった。
⸻
放課後。
町外れ――旧道の先に、黒ずんだ屋敷が立っていた。石垣は崩れ、庭には雑草が伸び放題だ。
「……ボロボロだな」
「七年前に住人が消えたって話だ。父ちゃんが言ってた」
ジョセフが不安そうに言う。
「本当に入るの……?」
「まず外から確認しよう。危なかったら引き返す」
ロイはそう言って、スマホを取り出す。
「……念のため。本屋のジェームズさんに、場所だけ送っておく。すぐ戻るって」
「慎重だな」
「当たり前。噂が本当なら、子どもだけで突っ込むのは無謀だ」
ロイが送信を終えると、ウィギンズがドアに手をかけた。
そのとき、足元に色とりどりの石が散らばっているのが目に入った。
ロイがしゃがみ込む。
「……この石、変だ」
「どうしたの?」
「色が派手すぎるのが混ざってる。しかも、自然な散らばり方じゃない」
ウィギンズが肩をすくめる。
「最近、急に置かれるようになったって近所の人が言ってた。噂が出始めた頃からだって」
(二週間前……宝石強盗と同じ時期)
ロイは胸の奥に小さな引っかかりを抱えたまま、屋敷に足を踏み入れた。
ひんやりした空気。
白い“もや”のようなものが漂い、喉の奥が冷たくなる。
「寒っ……」
「錆の匂いがする……」
ガラスと金属の装飾、埃をかぶったシャンデリア。
(七年でここまで……? いや、違う。作られた“古さ”に見える)
ロイはスマホのライトを点け、足元と壁際を照らした。
光がガラス片に当たった瞬間、反射の具合がわずかに妙に見えた。
(……あとで確かめよう)
居間。机の上に若い男二人の写真。
ソファの上に白い毛。毛先に、かすかに光る粉。
ジョセフが小さく言う。
「ねえ、早く帰ろうよ……」
そのとき。
「しーっ」
ウィギンズが台所を指差した。
薄暗い奥。全身が発光して見える“大きな影”が、何かを食べている。
影が振り向き――こちらへ走ってきた。
「――っ!」
三人は反射的に目をつぶった。




