20.海
ロイは幼馴染組とスティーブ兄さんと一緒に海へ来ていた。
潮の匂い、遠くのピア、プロムナード沿いに並ぶ小さな売店。イギリスの海辺は、どこか静かで明るい。
「おーい、ロイ! 早く来いよ!」
ウィギンズが砂浜の方で手を振る。
「ちょっと待って。もうすぐ読み終わるから」
ロイは、海に潜む危険について書かれた本から目を離さない。
「えーと……海には多くの危険があり、離岸流やウィーバーフィッシュなどの危険生物がいるため注意しましょう、か」
(離岸流か。もし“起きる前に分かる”なら、被害者は出ないのに)
ページをめくる指が止まった時、視線を感じた。
ルイーザがじっとロイを見ている。
(昔から思ってたけど、ロイって本を読む時ほんと真剣……かっこいい……って、私何考えてるの。ないないない。スティーブさんが「お似合いだな」なんて言うから……)
ロイが顔を上げる。
「ルイーザ、どうかした?」
「ううん、何でもない!」
ルイーザは顔を赤くして、いそいそと視線を逸らした。
「海より本か? まったく近頃の若いやつは」
スティーブ兄さんが肩をすくめる。
「兄さんだって若者だろ? しかも医学書読んでるし」
ロイが返すと、スティーブが笑った。
「ロイ君、一緒に遊ぼうよ」
ソフィが手を差し出す。
「うん。遊ぶ」
(今日もソフィは可愛いな)
ロイは素直に手を取って、皆のところへ走った。
しばらく、泳いだり、砂浜で貝殻を探したり、各々が海を堪能した。
その時だった。
「おーい、そこの君たち」
サーフボードを抱えた男性が声をかけてきた。
全員が振り向く。
「波の様子がおかしいから今日は入らない方がいい」
男は海面を指した。
「ほら、泡の筋が沖へ伸びてる。引きが急に強い」
ロイはさっきの本のことを思い出す。
(離岸流……)
「分かりました。ありがとうございます」
スティーブが頭を下げた。
「えー、もう終わりなのか?」
ウィギンズが不満げに言う。
「仕方ないよ。サーファーは波の変化に敏感なんだ」
ロイが言うと、ソフィが明るく手を叩いた。
「じゃあ、お店の中に入って何か食べましょうよ!」
プロムナード沿いのカフェは、濡れたタオルの匂いと温かい紅茶の香りが混じっていた。
入口の横には、外に設置された自販機が一台。ソフィが「外、風つめたいね」と笑いながら飲み物を買ってくる。
「まだ遊び足りないなー」
ウィギンズが頬を膨らませる。
「まだ言ってるよ」
ジョセフが呆れた。
「危険だって言われたんだから仕方ないでしょ。」
ルイーザがきっぱり言う。
「砂浜で遊べばいいじゃない」
ソフィが言うが、ウィギンズは肩を落とした。
「小学生じゃないんだからさ。海で思いっきり泳ぎたいんだよ」
「また今度遊べばいいよ」
ロイがそう言った時、さっきの男性がこちらへ歩いてきた。
「あっ、さっきの」
ロイが言う。
「ああ。言ったこと守ってくれたんだな。よかった」
男は少し安心したように笑った。
「お兄さん、サーフィンをしているんですか?」
ロイが尋ねる。
「そうだよ。仲間と一緒にね」
男が振り返る。
「チャーリー、遅いぞー!」
奥の席から声が飛ぶ。女性一人と男性二人が手を振っていた。
「あー悪い。すぐ行く」
男――チャーリーは手を上げた。
「あそこにいる三人は同じ大学のサークル仲間で、一緒にサーフィンやってるんだ」
チャーリーが言う。
「サーフィンか。楽しそうだな」
ウィギンズが目を輝かせる。
「難しいんだよ。それにお金もかかるって聞くし。」
ジョセフが言うと、チャーリーは苦笑いした。
「確かにね。でも楽しいスポーツだよ。それじゃ」
チャーリーは軽く手を振って席へ戻った。
――その直後。店の奥で空気が尖る。
「ちょっと、それどういうことだよ、ダン」
チャーリーの声が震えている。
「だから。才能も金もない貧乏人は早く辞めろって言ってんだ。時間の無駄だ。」
見下すような声が返る。
「何だと?」
「落ち着けよ。ダンは冗談を――」
もう一人の男が割って入る。
「トム、冗談じゃない」
ダンは笑っていた。
「結果出してないのに金と時間浪費して、プロになれるわけねぇだろ」
チャーリーは何か言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。
「言い過ぎよ」
女性が声を荒げる。
「頑張ってる人にそんな言い方しないで。仲間なら応援するべきでしょ?」
「リナ、やめておけ」
トムが止める。
「トム……」
ルイーザが小さく息を呑んだ。
「さっきまで普通に話してたのに……」
「ダンって人が悪いんだろ。傷つけること言ったからだ」
ウィギンズが言う。
「こら。コソコソ言うな」
スティーブが諫める。
「随分」
ロイは奥の席を見た。
(…上から目線の態度だな)
その後、帰る準備をしていると、騒ぎが起きた。
「ダン、どこー?」
リナの声がする。
「いたら返事しろ、ダーン!」
トムが呼ぶ。
「さっきの人たちだ。どうしたんだ?」
ウィギンズが言う。
「ダンさんを探してるみたいだね」
ロイが言う。
スティーブが声をかけた。
「あの、手伝いますよ」
「ありがとう。助かります」
トムが頭を下げる。
海辺は夕方の光に変わっていた。潮が満ち始め、岩場の影が長く伸びる。
呼んでも返事はない。
「おかしいな。どこを探してもいない」
ロイが呟いた、その時。
「うわあああっ!」
「あの声……チャーリー?」
リナが叫ぶ。
皆が走る。岩場の方へ。
チャーリーが指を震わせて、波間を指した。
「あ、あれ……」
岩陰の波間で、何かが揺れていた。
近づくほどに、人の形だと分かっていく。
全員が、言葉を失う。
ダンが――そこに、浮かんでいた。
ロイの胸の奥が、冷たく沈んだ。
(嘘だろ…)




