19.価値のある物
(高い所が好きか……)
ロイは部屋を見回した。棚の上、カーテンレール近く、タンスの上――猫が登れそうな場所はいくつもある。
(でも、ここだけとは限らない。家の中を行き来できるなら……店の方も見るべきだ)
「下にある店に行ってみましょう。何か分かるかもしれません」
ロイが言うと、皆で階段を降りた。
店に入った瞬間、花の香りがふわりと鼻をくすぐる。休みの日の静けさの中で、色とりどりの花が並んでいた。
「わぁ……この花、きれい」
ルイーザが目を輝かせる。
「いい香りだな」
スティーブが言う。
ロイは棚や作業台、床の籠の位置をさっと確認しながら、リリーに視線を向けた。
「リリーさん。形見のブレスレットについて、もう少し詳しく話してもらえませんか。何かヒントが掴めるかもしれません」
「ええ。いいわよ。このブレスレットは祖母のお気に入りでね。毎日身につけていたわ。マーガレットも元々祖母が飼っていたの」
「なるほど……」
(匂いの記憶。猫は匂いに敏感だ。形見なら、匂いが残っていても不思議じゃない)
その時、棚の上に綺麗にラッピングされたドライフラワーが目に入った。贈り物のように整えられている。
「それ、明日の開店記念日にお客さんに配るつもりなの。……香りはごく薄く、しかも外袋にだけ。換気もしながらね。猫がいるから、強い精油は使わないようにしてるの」
リリーが念を押すように言う。
(猫好きの家らしい配慮だな)
「ねぇ。マーガレットは高い所が好きって言ってたから、もしかしてそこにあるんじゃない?」
ルイーザが踏み台を持ってきて確かめようとする。
「あっ待って、その踏み台――昨日から少しガタついてて……!」
リリーが言いかけた瞬間、ルイーザが踏み台に乗ると、ぐらっと傾いた。
「あっ……!」
ルイーザが落ちそうになる。
「危ない!」
ロイが咄嗟に腕を伸ばし、ルイーザの身体を支えた。
「大丈夫?」
「ええ……ありがとう」
ルイーザは小さく頷き、ほんの少しだけ目をそらす。
「へぇー」
スティーブがニヤリと笑う。
「兄さん、その顔やめて」
ロイは小声で言って、すぐに視線を戻した。
「……棚の上は可能性が低いと思います。猫は強い匂いを嫌がる子が多い。ここは長居しづらいはずです」
断定ではなく、言葉を選んだ。
「そうね。間違ってドライフラワーを食べないようにラッピングもしてるし……念のため」
「マーガレットの健康を守るためなんだね」
スティーブが柔らかく言う。
その時。
「ニャー」
声がして、奥からマーガレットが現れた。
「あっ、マーガレット。どこに行ってたの?」
リリーが言う。
マーガレットは返事をするように鳴いて、すぐに床の籠へ向かった。
「あっ、ダメよ。まだラッピングが終わってないの」
リリーが止めるが、マーガレットは聞かない。籠に入ったリボンに前足を伸ばし、ひらひらをちょいちょいと弄り始めた。
(――リボン)
『いつもブレスレットのリボンにじゃれて遊んでいた』
リリーの言葉が、頭の中でぴたりと重なる。
「……あー。ハハッ。なーんだ。そういうことか」
ロイが思わず笑う。
「どうしたロイ?」
スティーブが言う。
「分かったんだよ。ブレスレットの在処が。……すごく簡単だった」
ロイは籠の前にしゃがみ込み、リボンの束や包装紙を丁寧にかき分けた。
すると――筒状の包装紙の芯が、少しだけ転がった跡がある。
(遊びながら引っ張って、転がして……穴に引っかかったんだ)
ロイは芯の奥を覗き込み、指先でそっと引き抜いた。
花のブレスレットが姿を現す。リボンの端に、白い短い毛が一本、ふわりと付いていた。
「リリーさん。あなたの探しているブレスレットは、これですね?」
「ええ! そうよ!」
リリーの顔がぱっと明るくなる。
「リリーさん。この籠の中は探しましたか?」
ロイが言う。
「……見た“つもり”だったけど、焦って商品棚や花の方ばかり見てたの。芯の中までは、ちゃんと見てなかった……」
「それなら気づかなくても無理はないです」
ロイは芯を軽く示す。
「芯の中は盲点になりやすい。しかもリボンの束の中だから、同化します」
「でも、どうして分かったの?」
ルイーザが言う。
ロイはマーガレットを見る。猫は何事もなかったように尻尾を揺らしている。
「マーガレットの“好き”から考えたんだ。高い所が好きって聞いて、最初は上を疑った。でも、さっきリボンにじゃれてるのを見て気づいた。好きな物の近くに、好きな物を持ち込むことがあるって」
「でも、なんで今日だったのかしら。ブレスレットはいつも外して寝るのに」
リリーが言う。
「この籠は普段どこに置いてありますか?」
ロイが尋ねる。
「棚の中よ。ドライフラワーをラッピングするから出したんだけど、まだ終わってないから出しっぱなしにしてたの」
「なるほど」
ロイは頷いて整理する。
「普段は棚の中で、マーガレットが触れにくい。でも今日は出しっぱなしで、リボンが見える状態だった。夜中から明け方は猫が活発になりやすい時間帯です。そこでリボンに反応して……枕元のブレスレットを咥えて、籠へ運んだ」
ロイはブレスレットを手のひらで受け直し、言葉を選ぶ。
「形見の品なら、祖母の匂いがほんの少し残っていてもおかしくない。マーガレットは祖母の飼い猫だった。匂いが引き金になった可能性もあります」
「なんだ、そういうことだったのね」
リリーは胸をなで下ろした。
ロイは静かに付け加える。
「ホームズの言葉です。
It is a capital mistake to theorize before one has data…
(データがないうちに理論化するのは大きな誤りだ)
一度探したから“ここにはない”と決めつけない方がいい。なくし物は意外と、見落としやすい所にあります」
⸻
「今日は本当にありがとう、皆」
リリーが頭を下げる。
「とんでもない。見つかってよかったね」
スティーブが微笑む。
「はい……」
リリーがスティーブを見て、少しだけ顔を赤くする。
(あー……まただ。兄さん、そういうの多いんだよな)
ロイは内心でため息をつく。
「ありがとう、ロイ君。君のおかげで大切なブレスレットを見つけることができたわ。さすが探偵さんね」
「……だから探偵じゃありませんよ」
ロイは苦笑する。
「これは約束していた報酬よ。受け取って」
リリーが差し出したのは、一冊の古い本だった。
「ウィリアム・シェイクスピアの初版本……初期クォート。『ヘンリー四世 第1部』よ」
「ありがとうございます」
ロイの目が輝く。
「でも……申し訳ないです。結構簡単に見つかったのに、こんな貴重な本をいただくなんて」
「いいのよ」
リリーは静かに言った。
「その本がどれだけ価値があっても、私にとって大切なのは祖母の形見のブレスレットだから」
(価値のあるもの……か)
ロイは本をそっと抱える。
⸻
三人は一緒に帰る。
「シェイクスピアの本なら、たくさん持ってるじゃない。それの何がすごいの?」
ルイーザが言う。
「ルイーザ、本屋の娘のくせに知らないのか? これは文学的にも歴史的にも――もちろん経済的にも、計り知れないほど価値がある。ファンなら喉から手が出るほど欲しい代物なんだぞ」
ロイが熱くなる。
「ふーん。あっそ」
ルイーザがツンとそっぽを向く。
ふと見ると、スティーブが笑顔でこちらを見ていた。
「何で兄さんはさっきからニヤニヤしてるの?」
ロイが言う。
「いやー、お前たちお似合いだなーと思って」
「は!?」
二人が声を揃える。
「お似合いってどういう意味?」
ロイが言う。
「さー、何だろうな?」
スティーブがすっとぼける。
スティーブは、わざと二人に聞かせるみたいに、ぽつりと付け足した。
「――“大切なことは、目に見えない”。『星の王子さま』の言葉だ」
ロイは返す言葉を失い、胸に抱えた本の重みを確かめるように抱き直した。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回は花屋での“なくし物”を題材にしたお話でした。大きな事件ではありませんが、焦るほど視野が狭くなり、思い込みが盲点を作ってしまう――そんな日常の怖さと面白さを意識して書いてみました。
また、本の価値と、形見としての価値の違いにも少し触れています。読んでくださった方の中で、何か心に残るものがあれば嬉しいです。
次回は舞台が海に移り、事件が起こります。ぜひ引き続きお付き合いいただけますと幸いです。




