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後悔してるなら死んでくださる?

作者: ぽんぽこ狸






 アイリーンは寝不足だった。うつろな目をしてぼんやりとした頭で棺桶に入った美しい女性を眺めて思う。


 ……私もあなたも、これでぐっすり眠れますね。お義母さま。


 手に持った花を供えてふらつきながらも歩く、葬儀の為にやってきた貴族たちはアイリーンへ憐れむような表情を向けている。


 それもそのはずだ、今年で十七。女性の一番美しい時期のはずだ。


 美しいドレスを着て、学校に通ったり、友人とお茶会、それから夜会も、いろいろな楽しみがあるこの時期に、アイリーンはボロボロだった。


 日夜の介護に明け暮れてお義母さまと二人きり、ひたすらにただ向き合ってきた。


 黒い髪に黒い目をした彼女は、昔は聖女と呼ばれていた。


 たくさんの人から慕われて、素晴らしい功績をもたらした。主に彼女が持っていたのは封印の力。


 それを買われてアーチボルト公爵家の夫人となり、跡取り息子が一人いる。


 それがアイリーンの婚約者であるオスカーだ。彼に頼まれて水の魔法を持っているアイリーンは、お義母さまの弱り切った体の介護をすることになった。


 介護といっても普通の平民でも出来るものではない。


 お義母さまの持つ封印の力は問答無用で封じ込められるというわけではなく、媒介が必要になったり時には自身の体を使うことになる。


 そして自身に封印した魔獣が彼女の体が弱るたびに、必死に出てこようとする。それを止めるために発作が起こった時には、四六時中対応して魔法を使い、彼女がつらくない最期を迎えられるように献身的に尽くした。


 ……お義母さまはとてもやさしくて、まだ結婚もしていないのに、ごめんなさいといつも言っていました。


 でも……いいんです。人として彼女のことが好きでしたから、最後を安らかに過ごしてもらえてよかった……そう思います。


 アイリーンは祭壇に向かって用意されている親族用の席に座って小さく俯く。眠たくて瞼が落ちてきそうだった。


 国に貢献し、甚大な被害が出るかもしれなかった魔獣たちを何度も封印した聖女。その話は有名でアイリーンも感謝していたし、国の人間もみんなそうだ。


 だからこそ、彼女にそれを示すことができてよかった。大変な余生ではあったが、それでもただ安らかに眠ってほしい。


 ……それにこれで私も、夜ぐっすりと眠れます。肌ツヤが戻るかどうかは知りませんけれど。


 それでも問題ないだろう。アイリーンはすでに、このアーチボルト公爵家への嫁入りが決まっている。


 婚約者であるオスカーは介護に協力的ではなく、アイリーンはあまり接することができていなかったが、きちんと王族に承認されている婚約なので安心だ。


 そう考えた矢先、葬儀を行っているホールに、オスカーが入室してくる。彼のそばには何やら見知らぬ女性がおり、キョロキョロとあたりを見回してアイリーンを見つけると彼はずんずんと進んできた。


 それからアイリーンを見つけて「ほらな」と短くその女性に言った。


 彼女は見定めるようにアイリーンを見ていて、なにか用事だろうかと顔をあげつつも眠い目を擦って彼を見上げた。


「ああ、いい。疲れてるんだろ。そうだ、墓地に移動するときになったら起こしてやるから眠っておけ」

「……いいのですか。オスカー」

「もちろん」


 彼は短くそう言って、アイリーンは短く息を吐きだし、リラックスして目を閉じた。


 やはり彼は、婚約者らしく優しい。これからは跡取りの彼を支えるために、新しい日々を過ごさなければならないだろう。


 その日々は少しだけ楽しみで、同時にお義母さまも弟子の彼も心配しすぎだと考える。


 世の中、悪い人などきっと本当はどこにもいないのだ。


 アイリーンはそう思いたい。


 だからこそ”媒介”は一応持ってはおくけれども、使う日など来ないのだろうなと、眠りの海に身をゆだねて座ったまま、深く深く眠ったのだった。






 使い古されたような、老婆のような女を捨てることに成功した。


 彼女は結婚したら義母に当たる人間の葬儀で眠りこけ、その後の埋葬にも顔を出さずにいたことから、オスカーは完璧に根回しをすることができた。


 誰もかれも聖女のことなど、本当の意味ではどうでもいい。


 使える力があるときだけは心底尊敬しているような態度を取りつつも、結局あの母親がどんな最後を迎えることになったのか。


 水の魔法を持っていたアイリーンがどんなふうに対処をしていたのか知ろうともしない。だからこそ好都合だった。


 弟子の男が文句をつけてくるかもしれないと警戒していたが、そんなことは杞憂だったらしい。


 何も知らない貴族連中には、オスカーが母を最期まで看取り、あの疲れ切った美しくない女は、母が弱っていることをいいことにアーチボルト公爵邸に住み着き、夜な夜な遊びまわって婚約者を放って散財する悪女だと言いふらした。


 オスカーの言葉を信じ父は婚約破棄を承認し、葬式の当日にアイリーンのことを見たラドフォード伯爵家のアマンダは、彼女の荒れっぷりにオスカーの話をすっかり信じ込んだ。


 アマンダを迎え入れて、目障りな病人がいなくなったアーチボルト公爵邸の居心地はよく、従順で可愛いアマンダだったら、わがままだってかわいく思える。


「ねぇ、オスカー様、そろそろ結婚生活も落ち着きましたし、あの話、覚えていますか?」


 彼女は晩酌をしているオスカーのグラスにワインを注ぎながら目を細めて問いかける。


 こうして晩酌に付き合えるのも彼女の良い所だ。


 あの女は、そんなことをする暇はないと口にして、アーチボルト公爵家跡取りのオスカーを侮辱した。


 おまけに、顔も汚く不潔で、自分の体調管理もできないのかいつも青い顔をしていた。


 怠慢もいい所だろう。介護を盾にして女を捨てた怠け者なんかと本当に結婚せずに済んでよかったとほっとしている。


「何の話だ? もったいぶらずに言えよ」

「……ですから、その。結婚前に言ってくださったではありませんの。旅行の話ですわ」


 彼女は恥じらったように、控えめに要求を言う。


 しかしそんなことを言った記憶もなければ、どうせ遊びに出たいが為に言っているでっち上げだろうと考える。


「落ち着いたら二人で、海を見に行こうと言ってくださりましたわ。わたくし、それを本当に楽しみにしていて、何度かおはなしを……」

「あー、そうだったか?」

「ええ。いつ頃であれば、お仕事に余裕がありそうでしょうか?」


 すでに勝手に行く前提で話を進めている彼女に、やり口が秀逸だと思う。


 それにオスカーが仮に言っていたとして何だと思う。結局こうして結婚したからには彼女はもうオスカーのものだ。


 旅行なんて面倒なものを欲しがらず、家のことを粛々として、大好きな旦那様の機嫌を取って笑みを浮かべていればいいのだ。


 それが妻の役目というものだろう。


 しかし、チラリと彼女を見るととても期待している様子で、オスカーはこれは使えるのではと考える。


 にやりと下卑た笑みを浮かべて、その細い手を取って手首につつっと指を滑らせた。


「どうだか、忘れてしまったな。それに、プライベートな時間に仕事のことを聞くなんてイケナイ子だ」

「え……と、その。っ、本当に楽しみにしていたのですわ」

「そういうのなら、態度で示して媚びて見せろよ。俺を喜ばせられたら連れていってやってもいいぞ?」


 オスカーはそう言って従順な少女を押し倒す。 ぐっと逃がさないように手首を握って、すると小さく息をのむ彼女に舌なめずりをした。


 これから訪れる甘美な時間に心を躍らせて結婚とは最高なものだと思う。


 自分の人生も最高のものだ。困ったときにはいつも、他人をうまく使ってその場に対処することができる。それは自分の才能だろうと信じて疑わないのだった。






 充実した生活を送っていたとある日のこと。


 アマンダの実家であるラドフォード伯爵家からの連絡とともに、王族からも要請が届いた。


 そしてアマンダは意思の強そうな目つきをしてオスカーに言った。


「とても大変なことになってしまいましたわ」


 彼女の言葉に、すでに事情を知っていたオスカーは苦々しい気持ちになって内心では焦りを感じていた。


「すでに、王族からも手紙が届いているのでしょう? わたくしもお父様からの手紙で聞きましたわ。……どうしてこんなことに……」


 執務室の一番大きな机に座ってアマンダと向き合う。


 事情というのは、今更過ぎると思うような事柄だ。


 ラドフォード伯爵家は魔獣……それも竜の被害を受けた領地だ。そして母が活躍した土地でもある。竜の被害が出る前に母は騎士団とともに赴き竜を封印した。


 その封印に必要な媒介は、聖女自身の体であったり、もしくはほかの物である可能性もある。


 彼女が死んでからもう一年になるがそれらは弟子である、リオという男に引き継がれておりしっかりとした管理がなされているはずだった。


 けれどもどうしても、たった一つの媒介の所在が分からないらしい、それがまさしくラドフォード伯爵家の魔竜を封印した媒介だった。


「しかし大変な事態ですが、可能性は示されているということで安心いたしましたわ。どうして彼女に……とは思いますが、逆恨みでという可能性もあるのかしら」

「……なんの話だ? 可能性? そんな話は俺は聞いていないが……」


 媒介が見つからなければ、ラドフォード伯爵家の一族は気が気ではないだろう。これからはそれを探すことが急務になるだろうと考えたが、アマンダは当然の顔をして言った。


 そんな話は王族からの手紙には記載されていなかった。


「あら、そうなんですの? お父様からの話ではお弟子さんが彼女の可能性が高いと言っていたそうですの。婚約もしていましたもの、たしかにあり得ない話ではありませんわ。オスカー様」


 オスカーが首をかしげるとアマンダは教えるように丁寧に言う。


 ……まさか、彼女……というのは……。


 頭の中で最悪の可能性が閃いて、たしかに母があの女にそれを託していた可能性は十二分にあり得ると思う。


 オスカーを生んだだけで体調を崩し、衰えた愚鈍で不出来な聖女だが、こざかしいことに頭は回ると父はぼやいていた。


 何かを察知してオスカーのバラ色の人生を邪魔するために仕掛けを打ったのかも知れない。


「……」

「このままでは父も母も安心して眠ることはできませんの。わたくしも、その家族も愛してアーチボルト公爵家に連なるものとしてこれからも庇護してくれると約束してくれたでしょう? オスカー様」

「あ、ああ、それはもちろん」

「でしたら、彼女と……せめてその媒介のありかだけでも……」


 アマンダは暗にアイリーンと話をつけて媒介のありかを探してきてほしいと口にする。


 それに口にはしなくとも、オスカーのまいた種でありオスカーの問題だろうと考えていることは想像に難くない。


 ……そもそも、お前の家族を守る義務など俺にあると思ってるのか?


 オスカーの立場に付け込んで不躾な願いをするアマンダに、オスカーは内心腹を立てた。


 しかしそれを口にしては今後の夫婦生活に支障が出る。


 すべてを己の努力で手に入れた完璧なオスカーが家庭内では不仲だなんてプライドが許さない。


 形だけでも取り繕うべきだ。それはわかる。けれどもあの女がそれを持っているとして、確実にオスカーのことを恨んでいるだろう。


 自業自得で捨てられただけだというのに。


「それに見つからなければ国の一大事です。きっとアイリーン様のことやその動機もすべて調べ上げられるはずですわ。……そうなったらいくら彼女でも少し不憫ですの」


 心配げにアマンダはつづけた。あんな女を心配などする必要などないと思ったがすぐに別の考えも浮かぶ。


 ……そうなれば、俺が介護していなかったことをあの女は主張するだろ! ……そんな話が出回れば……。


 それはプライドの高いオスカーにはどうにも堪えられそうにないことであり、机の下でぎりぎりと拳を握る。


 そうなるくらいならあの馬鹿な逆恨みをしている女に形だけでも謝罪をして丸く収めた方がまだましだ。


 苦肉の策として、オスカーはそう結論を出すが、あたかも最初からそのつもりだったかのように、笑みを浮かべてアマンダに言った。


「なに、心配する必要はない。あの女も俺に謝罪をさせれば満足なんだろう、ならそのぐらいアマンダの為ならやってやらないこともない」

「ほ、本当ですの。ありがとうございます。オスカー様、やはり、あなたの妻になってよかったですわ」


 彼女はそう言ってキラキラとした瞳をオスカーに向ける。


 ……現金な女め……。

 

 自分の願いを聞き入れられて喜ぶアマンダの横っ面を張り倒してやりたいとこの時ばかりは思ったのだった。





 急ぎアイリーンの実家へと向かうことになり、不本意ながらもオスカーは馬車に乗り、不機嫌な顔で応接室へと案内された。


 アイリーンはまるでこうなることを知っていたかのように自ら日時を提示して来て、その様子に確信犯だと察することができた。


 あの陰気で女を捨てたような人間に会うのは心底嫌だったが、そこにいたのは昔のようにしゃんと背筋を伸ばし、美しく化粧をしたキレイな髪をした令嬢だった。


 十八というすでに普通の令嬢ならば、婚約者がいるか結婚していてもおかしくない年増ということには変わりがないが、見違えたその姿に相当焦って婚姻相手を探しているのだろうということが窺える。


 応接室は屋敷で一番大きなものなのか広々としていて、忙しなく侍女たちがオスカーのことをもてなすためにお茶を淹れ、菓子を出す。


 しかし妙なことにこの応接室には大きなクローゼットが鎮座しており、ほかにもなにかと雑多な印象だ。


 きっとオスカーを迎え入れるためにアイリーンが無理を言って見栄を張るために調度品を多くしたのだろう。あんなに怠慢だった女がこれほど、着飾るほどだありえなくもない。

 

 そしてオスカーは勝利を確信して、何なら少し笑みを浮かべて彼女に接した。


「久しいな。アイリーン、随分と綺麗になったじゃないか」


 鏡で練習している内の一番決まっている表情で彼女に接する。


 彼女はチラリとこちらに視線を向けて、それからぴしゃりとした声で言った。

 

「御託は結構です。オスカー、真面目な話をしましょう。わかっているのでしょう。私がどうしてこういう場を設けたか」

「……おいおい、昔の婚約者様に随分な態度だな。こう見えてそうやって着飾っているお前のことを俺は結構気に入っていたんだ。優しくしてやっていただろう?」


 ニマニマとして彼女に問いかける。


 こうして、つんとした態度を取っているのも強がって見栄を張っているからだろう。


 しかしオスカーにはもうわかっている。


 彼女がこんなくだらないことをした理由もその真意も、言わずとも理解している。なんせオスカーは察しのいい男であるからだ。


「お前が勝手に、美しくある努力をやめて怠慢をしていたから俺は相応の対応をしただけで、お前のことは可愛いと思ってるんだ」


 煌めく笑みを浮かべてオスカーは彼女の反応を窺う。


 ここまで言ってやれば、その態度も崩れるだろうと予測していた。


「怠慢? ……ああ、あなたにはそのように映っていたのですね。……怠慢ですか」

「そりゃそうだろ。介護なんかにうつつを抜かしてまぁ、いいんだ。それは許してやる」

「……どういう意味ですか?」

「だから、こうして俺を呼び寄せたのは、お前の策略なんだろ? あからさますぎて滑稽だが、それもまた愛嬌か。新しい相手が見つからずに俺に望みをかけてるんだもんな」

「……」

「透けて見えてるんだそんなことは。だからさっさと魔竜の媒介を渡せ。そうしたら、愛人として囲ってやる」

「……」


 オスカーがそうして提案をすると彼女は涙を潤ませて喜び、ありがとうと言う……はずだった。


 しかし、眉間にしわを寄せて不可解そうな顔をするだけの様子に、オスカーも思わず真顔になって、それから薄ら笑って催促した。


「なんだ、その顔は。行き遅れの年増のくせに、愛人じゃあ不服だっていうのか?」

 

 動揺を悟られないように、勢いよく煽るようにアイリーンに言う。しかし、彼女はそれからとても冷たい目をしてフルフルと頭を振った。


 それから、服の中につけているガラス張りのロケットを取り出してオスカーに見せた。


 それはまさしく、探し求めた魔竜の媒介である品だろう。


 はるか昔に討伐された竜のうろこの破片が収められていることが一目でわかる。


「……」

「……」


 しっかりと見せつけてから彼女は自分のドレスの中にきちんとしまい込みそれから、静かに告げた。


「この話はそれほど、簡単なことではありません。もちろんあなたに気もありません。捨てられたあの時に、あなたへの気持ちはすべて消え去りました」


 彼女の眼差しからその言葉が真実だということをオスカーは理解する。


 そしてなんて罰当たりな女だと心の中で吐き捨てた。


 こうしてオスカーがわざわざ言ってやったというのに、本心はそう思っていても、心を入れ替えて嬉しいと喜ぶところだろう。


 これだから頭の固い女は良くない。


 イライラしつつも、オスカーは返事もせずに黙り込んでアイリーンをじっと見つめる。


「……わたくしはただ、あなたに、煮えたぎるほどの怒りを抱えているだけなのです。本当ならこれを持ってあなたの元を訪れ、すべてを暴露し魔竜を解き放つぐらいのことはしたいのです」

「ハッ、そんな大層なことがお前に出来るのか?」

「やっても構いません。咎人になっても……あなたに願われて昼夜問わずにお義母さまを介護し、碌に他のことをできなかったあの日々を踏みつぶされて、寝ても覚めても毎日やりきれない気持ちでいっぱいです」

 

 おちょくるように彼女に言うと、彼女は震える吐息で必死に言葉を紡ぐ。


 怒り心頭といった具合で、その目はぐっと見開かれて、鬼婆のような気迫があった。


「腹が立って、涙が出てそのたびにこのお義母さまが残してくれた媒介に縋りました。これを使っていいと彼女は私に残してくれたんです。だからこうしてあなたを呼びつけることにした」

「……」

「オスカー、あなたは私のことを軽んじていますが、あなたは真に人間が苦しむ顔を見たことがありますか? 弱っていく親しい人を見つめ続ける気持ちをあなたは理解できますか? いつお義母さまが魔獣に負けて自らの身も食いちぎられるかもしれないと怯えて過ごす日々のつらさがわかりますか?」


 怒鳴るでもなく、アイリーンは静かに淡々と告げる。


 訴えかけるように、言い募る。


「そして押しつぶされそうになるたびに、ほかでもないあなたの母親で、ほかでもないあなたの願いだからと堪えた私の気持ちを、っ、すべて踏みにじって捨て置いたあなたに対する憎しみがそれほどのものかわかりますか?」


 それからも彼女はつらつらと恨み言を述べる。


 あの時、この時、どういうふうに思って、どんなふうにオスカーを恨んでいたのかを次から次にのべていく。


 その様子に、オスカーは。


 ……知らねーよ!


 と思った。思ったのだが、同時にこれは何かやばそうな地雷を踏み抜いたのだということを理解した。


 こんなに危険な女だとは思っていなかった。


 普段は温和で稀に我が強く扱いづらいと思う部分のある女だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。


 それに、ここまで言われて黙っているだなんてまるで、オスカーが説教されているみたいじゃないかと思う。


 こんな目下の捨て置いた女にくどくどと言われて情けがない男みたいだ。


 そんな状況に耐えられず彼女の言葉を最後まで聞くことなく、さえぎるようにオスカーは大きな声をあげた。


「わかった! 悪かった! さっきはつい、調子に乗っただけだ、お前が昔のように可愛かったから。だから、本当に実は、後悔している! なぁ、アイリーン、すまない。この通りだ」

「……」

「だからその媒介を俺に寄越してくれ。もうお前には関わらない。これで満足なんだろ? 本当に後悔しているんだっ!」


 恥を忍んで頭を下げた。


 深く、頭を下げ、この状況から抜け出すためだけに謝罪の言葉を口にした。


「……」


 しかし、謝ってやっても彼女はなんの返答もしない。


 あんなに文句を言っていて散々詰ったのだから、こうして欲しかったのだろう。そのはずなのに、何も言わない。


 そろりと視線をあげると、彼女は侍女を振り返って小瓶を受け取ってコルクのふたを開けた。


「なら、それなら」


 それからローテーブルの上に置いて、とても冷静な表情で言った。


「後悔してるのなら、死んでくださる?」


 とても静かな声だった。


 一度聞いただけでは理解できずに、オスカーはぞっとしつつも小瓶とアイリーンを交互に見た。


「死んでください、後悔しているのなら。致死量の毒が入っています。飲み干してください」

「は?」

「ですから、自死していただきたい。そうすれば、私はこの媒介を手放します。さぁ、飲んでください」

「いや、それは流石に、やりすぎだろ……」


 考える間もなく浮かんだまま言葉にした。

 

 いくら女を捨てたからって、なんでオスカーがそんなことをしなければならないのか、筋が通っていないだろう。


 捨て置いたぐらいでそんなこと、くだらない。


 どうしてそんなに自己中心的なのだろうか。


「後悔しているのでしょう?」

「そ、れは、そうだが……死ねなんて、横暴……」

「後悔して謝罪してくれたではありませんか、なら行動で示してください。罪には償いが必要です」

「つ、償いって、謝っただろ!」

「謝ったからと言って許すかどうかは私にゆだねられていることでしょう。許しません、死んでください」

「はぁ? ……はぁっ? いや、おかしい、釣り合ってないしな。死ねって何様だ、そもそもお前が勝手にっ……」


 勝手に介護に疲れて、勝手に女を捨てて、勝手にオスカーに構わなくなった。


 それはすべてこの女の責任だ。しかしそれを言っては先ほど謝罪した意味がなくなってしまう。


 けれども死ぬのはおかしい。どう考えてもやりすぎだ。憎しみに頭がおかしくなったのかもしれない。


 しかしここで彼女を逆上させてはすべてが水の泡。納得させるために、賢いオスカーは一呼吸おいて考えた。


「……まて、まてまて、一度冷静になろう。アイリーン」

「私は冷静ですよ」

「いや、お前は冷静じゃない。俺が死んでなんになる! お前だって俺が死んだら真っ先に疑われるぞ」

「構いません。あなたが死ねば私は楽になります」

「このっ、や、だからな、そうだ! 金をやろう。これから一生苦労しないだけの金だ!」


 それがだめなら、ほかはと考えて、オスカーは不本意だが介護には多少の貢献をしたとオスカーの口から言ってやってもいいと考える。


 それか、伝手に当たって彼女の新しい相手を見つけるのを手伝ってやってもいい。ほかにも、死ぬ以外ならオスカーはなんでも叶えてやるようなつもりになって続きを言おうとした。


 しかしアイリーンはさえぎって「何もいりません!」と厳しく言う。


 それから、立ち上がってオスカーを見下ろして続ける。


「釣り合っているだとか、正当性だとかそういうことはどうでもいいです。ただ死んでほしい。それだけです。それに現実問題あなたは私のいうことを聞く意外選択肢はないでしょう?」


 アイリーンは性根の悪そうな笑みを浮かべて、手ぶりをつけて言った。


「死んでくれなければあなたの領地で魔竜の封印を解きます。そうすればあなたの家庭は崩壊、あなたから大切な家族を奪い家財も台無し、さらにはこうした理由も吹聴します」


 悪魔のような女に見えた。


「あなたには後がない。死ぬか奪われるか二択です。……それにアマンダのことを愛しているのでしょう? ならば、もとはと言えばあなたの買った恨み、あなたのまいた種! 責任を取ってあなたが死ぬことを選んでください」

「っ……」

「家族を守るためです、母の介護を立派にして、ダメな婚約者を放り出し、真実の愛を見つけ出したあなたなら! 当たり前のようにそうするはずです! その瓶を飲み干せばあなたは完璧なままあの世に行けるんですよ!」


 彼女の言葉が重くのしかかる。


 たしかに、それ以外に選択肢はないように思えた。だって、全部が明らかになってラドフォード伯爵家を見捨てたとなったら、どんな目で見られるか考えただけでぞっとする。


 しょうもない大衆にあーだこーだと噂されて馬鹿にされてはオスカーはたまったものではない。


 ……でも、死ねっていうのはおかしいだろ。


 こんなふうに脅してくるこの女は頭がおかしい、しかしおかしいからこそやりかねない。


 興奮して説得も意味をなさないだろう。


 もうここにある瓶を飲むしかない。そういうふうに初めから決まっていたのだ。


 手を伸ばそうとする。


 しかしこれを飲んだら何もかも、今までのオスカーの努力も苦労も、すべてが水の泡だ。


 惨めに死んだ母の亡骸を思い出す。自分がそうなるなんてまっぴらだ。こんな女に逆恨みされたがために!


「ラドフォード伯爵家の為に、身を捧げてください! 長年尽くした私よりも愛した人なのでしょう?!」


 アイリーンのヒステリックな声が響く。


 彼女の言葉に、アマンダの顔が浮かび、それならこの女のせいだけでなく、彼女の為ならばオスカーは死を受け入れることが出来るかと考えた。


 しかしその思考の答えはすぐに出て、バシンとテーブルを叩きつけて立ち上がった。


「なぁにが! ラドフォードの為だ! 俺が死んだら何にもならないだろうが!!」

「愛しているんでしょう?」

「ああ、愛してるさ! ただ、それだって俺ありきのことだろぉ!! あいつなんてただの付属品だ!! 女の家族を守るために死ねるかよぉ!! 思いあがりやがって!! むしろあいつが死んだらいい、引きずってきて謝罪させて毒を飲ませればお前も満足いくんだろ!! このイカレ女!!」


 オスカーは心の中をすべてぶちまけて怒鳴りつける。


 偉そうに言う、この女にもこの状況にもいい加減腹が立っていた。


 ……俺のせいじゃないことをあげつらって糾弾して、何様だ!! こんなことの為に死んでたまるか!!


 ここまで来たらもう、アイリーンにこの毒を飲ませてでも、どんなことをしてでも阻止する。


 そう考えて手を伸ばそうとした。


 しかし、彼女は打って変わって落ち着いた様子でオスカーを見ていた。


 そしてあろうことかクローゼットの扉が中から開いて、涙を流しながら薄ら笑っているアマンダが出てきた。


 両開きになるとそれはまるで大きな扉の様で、中には空間があるように見える。


 ……隠し部屋……か……。


 回らない頭でそう考えて、アーチボルト公爵や、ラドフォード公爵もそんなところに間抜けにも隠れていたのかと唖然とする。


 その誰もが、オスカーに軽蔑的な目線を向けていて、アイリーンがぽつりと言った。


「……あなたの心からの叫び、しかと関係者全員の耳に入りましたよ」


 その言葉ですべてを理解する。

 

 つまりは嵌められたのだ。


 どうしようもなく、この部屋に入って謝罪をした時からもうすでにオスカーの行動は意味をなしていない。


 彼女の介護を認め、捨てたことを謝罪した時点でオスカーの完璧な今までの人生はヒビが入った。


 アイリーンから自業自得で買った恨みにたいして、家族の為に毒を飲んでいたらヒビで済んでいた。


 しかしオスカーは叫んだ、本音をぶちまけて、本当の自分をさらけ出した。


 守ろうとしていた小さな完璧な世界は崩れ去って消え去っていく。


 ……終わった……。


 そう考えると同時に、オスカーは腰が抜けてソファに座り込み、そして衝動的に小瓶を手に取った。


 ぐっと煽って、口に入れる。


 こうしているのに誰も止めようとしていなかった。


「っ、ぐぇ、がっ、うぇ゛っ」


 しかし、飲み干して死ぬはずが舌が焼けるように熱く、すぐに吐き出して小瓶を投げ捨てる。


 むせつつもこれが辛味だと気が付いて一瞬の混乱が頭の中を支配した。


 けれども少し考えればわかる、アイリーンはオスカーが家族を守って自死するか、周りを犠牲にするか二択だと言っていた。


 死んでほしいという言葉自体が嘘であり、アイリーンとのやり取りを見ている関係者にオスカーの本音を見せるための仕掛けでしかなかったのだ。


 そしてその仕掛けにも見事に嵌ってこうなった。


「……せめて、あなたが誠実に私への謝罪をしてくれたか、婚約者を守るために毒を飲んでくれたら、あなたの生活はまだ守られていました。オスカー」


 しっとりとした声で彼女は言ってそれからふっと目をそらして去っていく、その背を見送ることなく、オスカーは父や義父、妻に釘付けになっていた。


 もはや、汚れた口の周りを拭うこともできずに、呼吸が荒くなる、それでも言い訳を考えた。


「ちが……これは、違うんだ。俺は、騙され━━━━」


 しかし駆け寄ってきたアマンダによって、思い切り頬をはたかれて、舌をかんだ。


「っ~! あなたのこと、信じていたのに!!」


 激情をともなった声が耳をつんざく、それから父は興味を無くしたようにオスカーを見て、アマンダに手を添えて、彼女を慰めるような態度をとる。


 その態度に、眩暈がしそうなほど様々な感情にとらわれて、オスカーは廃人のように固まって、そうして順風満帆な日々が終わりを告げたことを知ったのだった。






 アイリーンはラムゼイ伯爵家を訪れて、お義母さまの弟子である、リオの元へと足を運んだ。


 彼は相変わらず予定が詰まっているらしく机で何か書き物をしている。


 しかし急いで仕事を片付けてアイリーンの前に座る。そんな彼にアイリーンはきちんと箱にしまって持ってきた魔竜の媒介をテーブルに置いて差し出した。


「こちらを。ありがとうございました。後日談について話をしても?」

「うん。聞きたい」

「はい。彼……オスカーについては公爵家には一人しか子供がいませんでしたが、養子をとることになり、彼は廃嫡となり国のはずれにある修道院に入れられることになったそうです」


 うんうんと笑みを浮かべて聞いてくれる彼は、アイリーンとそう年の離れていない若い伯爵だ。


 聖女の後継者として功績をあげ、若くして爵位を賜ったとてもすごい人である。


「アマンダはそれに際して離婚、ただ事情が事情ですから、公爵が協力し新しい相手を探すことを提案しています」

「そっか。よかったね」

「はい。彼女はいい子ですから。……私の話もきちんと聞いて、盲目にならずきちんと判断するために動いてくれました。ありがたかったです」

「……それで、君のことは? 一時期酷い噂だっただろう?」

「それはやはり広まってしまったものは変えようがありませんから、仕方ないです。けれどアーチボルト公爵や、ラドフォード伯爵が出来る限りの協力をすると言ってくださいました」

「そっか、きっと大丈夫だよ。アイリーンはいつもきちんとしているから酷い噂なんてすぐに忘れ去られるよ」

「はい、そうだと嬉しいです」


 彼は励ますようにそう言って、媒介の入った箱を一度確認してから受け取る。


 しかし、アイリーンは別にそれでもかまわないと思っているのだ。


 ひどい噂は悲しいけれどそれでも、何よりつらかったことが解決したのだからそれでいい。


 ……それに、噂が無くなって、私のこれからの相手になってくださる人が現れても私は正直、嬉しいと思えるかわかりませんから……。


 ああして、お義母さまの葬儀が終わった後に、まったく事実と異なった噂が広がっていてなんの抵抗もできずに捨てられ、誰からも信用されない状況にされたこと。


 それはアイリーンの心の中に大きな影を落としていた。


 心身ともにボロボロの状態で投げ出され実家に戻ることになり、恨んでも恨み切れなかった。


 どうにか多くの人の協力もあってオスカーの本性を多くの人に見せることができ、策もうまくいった。


 あんなに過激なことができたのは今から思うと不思議なぐらいだったが、煮えたぎるような怒りはもう体の中からなくなっている。


 ただ、それでも前向きになるのは難しい。


「でも、公爵がアマンダと同じように、相手を見つけるのを手伝ってくださると言っていたのですが、それは断りました」

「そうなの……どうして?」

「……もう、男性を信用できる気がしませんから、私は、噂がこのままでも構わないくらいなんです」


 長年の付き合いなので素直にそう言うと彼にとっては、予想外の言葉だった様子で、目を見開くそれから考えるように視線を宙にやった。


「そっか……そうだよね」


 なんだかその言葉に、アイリーンの言ったことは彼にとって都合が悪かったのだろうかと考える。


「どうかしましたか、リオ」

「いいや、うーん。実は……俺、この後のことについても、お師匠様から遺言を受けていて……」


 初めて知った情報に今度はアイリーンの方が驚いた。


「どんなことでしょうか」

「アイリーンのこと、頼むって。……君が俺でいいのかとかそういう問題があるよなぁとは思ってたけど、そりゃ、男性嫌いにもなるよね」


 納得したように言う彼に、アイリーンはお義母さまの予測能力のすごさを痛感した。


 この復讐を計画したのも彼女だし、よく思い返すと彼女は異様に様々なことに深く精通していて、いつも面白い話を聞かせてくれた。


 それはやはり異世界出身ゆえの不思議な知識がその予測能力というか聡明さの鍵だったのかもしれない。


 それに、アイリーンは、じわっと心が熱くなった。


 優しくて楽しいあの人が、まるで今もそこにいて『彼なら大丈夫でしょう!』と言ってくれているかのように感じて酷く嬉しい。


 死んでしまっても、アイリーンを助けてくれる彼女は、アイリーンにとって本物の母同然だった。


 きっとオスカーも、異世界出身だからとお義母さまの手元から離されずに直接、育てられていたならもっと良い人だったのではないか。


 そう考えてしまうほどに、アイリーンの中で彼女は素晴らしい人だ。


「あ、いいんだよ、気負わないでね。遺言だって言っても相性ってあるし!

いや、俺は君のこと好ましく思ってるけど! ってそうじゃなくて」

「……」

「君には幸せになってほしいって俺も思ってる。お師匠様も純粋にそういう気持ちで俺に見守ってほしいって言ったのかもしれないし! 本当に気にしなくていいからね」


 必死になって弁明する彼にアイリーンは少し声を漏らして笑った。


 尊敬するお義母さまが言ったのなら、きっと大丈夫だ。それにアイリーンも彼を好ましく思っている。


 ならば、男性ではなく、彼個人として向き合えばいい。


 アイリーンはまだ十八だ。人を信じることをあきらめるには早すぎるだろう。


「お願いします。リオ」

「え? ……え、っと…………俺でいいの?」

「あなた以外には考えられません。私の人生のお相手になってくださいますか?」


 笑みを浮かべてそう聞いた。彼はアイリーンの言葉に赤くなって、それからぎゅっと目をつむって言う。


「よ、喜んで!」

「ふふっ」


 彼のなんだか初心な返事に、また少し笑ったのだった。








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