牧野と「龍」と蜜蜂と
〈春さなか夢の如くに日々過ぎる 涙次〉
【ⅰ】
カンテラは木刀での稽古を終へ、事務所のポーチで一服してゐた。
エコー・ミニシガーに火- 自分の指から出したもの、を點け、深く喫ふ。
と、一匹の蜜蜂がカンテラの耳元に來て、まるで何事かを囁いてゐるかのやうに、その場を離れない。
カンテラはくすぐつたさうに、「うん、うん」と頷いてゐる。
事務所の中では、牧野が悦美に料理指南をしてゐた。今日の献立は、「鰯の梅煮」。醤油と梅干で、鰯を甘辛く煮たもの。「これなら骨も頭も、その儘食べられるんですよ」「カルシウム補給に、いゝわねえ」
お料理教室が濟んだところで、牧野のオフの時間になつた。
悦美「今日は西船の彼女に會ひに行くんだつたつけ?」「さうなんですよ、姐さん。彼女の借金、お蔭様で払ひ終へて、丁度今日が年季明けの日なんです」
【ⅱ】
ロボテオ。「PCテオ」と對話。「ふるサンガ、西船橋ノそーぷらんどニ行ク日。借金返済ガ濟ンダト云フ事デス」カンテラ「おゝ、奴もこゝに來て、男を上げたな」ロボテオ「てお兄サンハ、ダウシタノデスカ?」カ「なあに、ちよつとした尾行をして貰つてゐるだけさ」
牧野は、JR中野駅から総武線各駅に乘つて、わざわざ西船橋まで彼女(尊子)の出迎へに行く、と云ふ。ふと(先ほどの蜜蜂のせゐでもあるまいが)蟲の報せ、と云ふものがあつて、テオに牧野を着けさせたのだ。
テオは当然、牧野が乘り込んだのとは違ふ車兩に潜り込んだ。「あ、猫ちやんが電車に乘つてるー」と、子供が指を指す。それ以外の人々は、テオ、と云ふ珍客を見向きもしない。「全く、都會の暗部を見てゐるやうだね。誰も僕を見て何とも思はない」とテオ。西船橋の改札を出る時も、驛員に見咎められる事はなかつた。
【ⅲ】
西船橋駅至近のソープランド、「夢・浴場」。その外で、野良猫たちに混じり、テオは待つた。
尊子は26歳の牧野より2~3歳年上と見えた。顔は所謂ちんくしやだが、そのサーヴィス精神の為に店ではナンバーワンの坐を占めてゐた。
確かに牧野は、カンテラ事務所の居候になつてから、羽振りもよく、男を上げた感がある。尊子の借金肩代はりの結果、彼女のハートをも射止めてしまつた。
お客として最後のプレイタイム。潜望鏡プレイやマット洗ひ(作者はこの業界に疎ひので、描冩はこれぐらゐにして置く)などなど、やはり手を拔く事なく心が籠もつてゐる...
「あんたに着いてきて、良かつた」「尊子こそ、俺がヒットマンに過ぎなかつた頃から、よくしてくれてゐるからなあ」語彙こそ貧弱だつたが、互ひに愛の言葉を交はした、と、
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〈お仕舞ひの時を迎へて新たなる顔立ちをする男と女 平手みき〉
【ⅳ】
暴漢が二三店を荒しに來た。こんな店ではよくある事だつたが、違ふのは、店の若い衆にも押さへ切れなかつた事、と、何やら牧野が目当ての標的だつたらしく、彼はボコられ、拉致られてしまつた事。「あ、あんた」尊子は恐慌狀態。
で、こゝに、ジョーイ・ザ・クルセイダーと云ふ男がゐた。職業は殺し屋。彼と一味との死闘は、別のプラットフォームに私(作者)が書いた、「カンテラ、ピリオド3」に詳しい。こゝでの詳述は避けるが、カンテラの剣に右手首を斬り落とされてから、(元々【魔】に近い位置にゐた男であつたが)「はぐれ【魔】」の群れに身を投じた。以來、ソープなどのフーゾクを荒す事頻り。「鉄箱のジョー」の名で、恐れられてゐた。この名の由來は、直ぐに自明となるであらう。
【ⅴ】
牧野は暫く失神してゐた。彼が失神、と云ふと、付き物なのが「龍」の登場。いつもの如く、凄まじい勢ひで牧野の口から立ち昇つた。然し、牧野の目醒めて気付いた事には、そこは窮屈な鉄の箱、の中だつた。「鉄箱のジョー」となる迄に、ジョーイ・ザ・クルセイダーが魔界で覺えた魔術、「鉄箱地獄」-頑丈な鋼鉄の箱に、流石の「龍」も、殻を突き破る事が出來ない。しかも、この鉄の箱は、次第に小さく縮んで行つてゐる!
「『龍』よ、俺たちだうなつちやふんだらうな」弱氣の蟲が、牧野の中で蠢いた。「ナニ、ふるヨ。外デハ「猫」ガ待ツテイル」「猫、つてテオさんかい?」「サウダ」「龍」の中の遷姫と、テオは、テレパシーで交信し合つてゐた...
蟲の報せが、本当になつた!(自然界から情報を得る事は、魔導士の第一歩なのだ)テオは、猫用ケータイホルダーからスマホを拔き取り、すぐさま遷姫から送られたテレパシーの内容を、カンテラ事務所に送つた。
【ⅵ】
再びロボテオ。「てお兄サンガ、ふるサント「龍」ノ窮狀ヲ傳ヘテキテイマス」。カンテラ「よし分かつた。俺とじろさんとで救出する」
じろさん、三菱デボネアでスタンバつた。カンテラが乘り込み、二人は現場へ直行。さうかうしてゐる内に、「鉄箱」は縮み續け、もはや息をするのも難しい狀態。
そして...
【ⅶ】
彼らが西船で見たのは、かのジョーイ・ザ・クルセイダーの勝ち誇つた顔。「かゝゝ。いゝ氣味だ。じはりじはりと嬲り殺しにされる子分つてのは、どんな氣分だい? カンテラさん此井さんよ」それにはじろさん、珍しく怒りを露はにし、鉄拳で答へた。「ぐほつ。流石に効くパンチだぜ。だが俺を斬つては、二人(?)は永遠に助からんぞ」ジョーイ、口の端に付着した血を舐めた。
カンテラ、こゝで、何を思つたか、口笛を吹いた。すると、蜜蜂の大群が何処からともなく蝟集し、捨て身の攻撃をジョーイ・ザ・クルセイダーに仕掛けたのだ!
「うわつ!」「これも魔導士を舐めてかゝつた償ひだと思へ」「た、堪らん。助けてくれ!!」「勿論、『鉄箱』から牧野と『龍』を出してからの事だ」「わ、分かつた!」
【ⅷ】
「鉄箱」から「龍」が出てきた。牧野はまたも失神してゐる(酸欠で)。ジョーイ・ザ・クルセイダーは斬られずに濟んだ。何故なら、「龍」が彼の躰を嚙み砕いてしまつたからだ。
「あんた、しつかりして」尊子が駆け寄る。「あ、あゝ」じろさん「酸素吸入器を、早く!」
「夢・浴場」は雪川組の繩張りの中にあつた。後で組の若い者が、雪川正述の丁寧極まる感謝狀と、禮金を届けにきた。
尊子は四畳半一間で、やり直しの人生を始める、と云ふ。「いつか、迎へに行くからな」と、牧野。悦美は「なんか、やけるわね」と涙ぐんでゐる。因みに、ジョーイ・ザ・クルセイダーに入れたじろさんの右フックは、後年までの語り草となつた、と云ふ。
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〈蜂目醒む都會に近き田園よ 涙次〉
お仕舞ひ。