嫁入り替え玉大作戦決行
その日の日没前、王城前にヨロヨロと現れる若い女性…、クリムである。慌てて保護され、城内に招き入れられ、介抱される。怪我などは特に無かったが、街で保護された時も、エボニアムに拉致された時も着ていた服は大分傷んでいる。知らせを聞いてすぐに治療室に飛び込んで来るジン・レオン。
「クリム、無事だったのか! 良く帰って来られた…。怪我は無いか、誘拐犯は…奴はどうしたんだ⁈ 」
矢継ぎ早な質問の嵐。クリムの体調をおもんばかって側近がたしなめるが、クリム自身は慣れているのか普通に答える。
「隙を見て逃げて来ました。誘拐犯は単独で、計画性も無く隙だらけだったんです。お陰で居眠りしている隙に何とか逃げられたんです。」
「そうか…。単独犯で計画性が無い…ね、まさしくだな。」
妙に納得しているジン。
「慣れない逃避行で服とか汚れはしましたけど、怪我は擦り傷くらいです。怖かったですけど、特に何かされた訳でも有りません。」
「それは良かった。本当にお前が無事で良かった。」
心底安心した様子のジン、妹の事を心の底から思っているのが分かる。だがそれに対し、周りの侍従達の目が冷ややかなのが気になるところだ。因みに俺は羽虫サイズになってクリムの髪の中に隠れており、そこから全て見ているのだ。
「こんな状況だ、明日のエンジャン卿へのお輿入れは延期にさせていただこうか?」
ジンが提案するが、間髪入れず侍従が反論する。
「それはなりません! せっかくマゼンティア派の首魁、エンジャン卿とのお手打ちの証しとしてこの婚姻の話をここまでまとめたのですぞ。こんな直前での延期は確実に不信感を持たれます。弱みを見せてしまう事になるかも。」
「ううむ…、しかし…。」
決断が鈍るジン・レオン。その様子に後方で控えていた物達の間で陰口が囁かれる。
「武王ともあろう者が、妹の事となるとあの体たらくだ。妹がジン・レオン唯一にして最大の弱点と言われる所以だぜ。」
「ああ、だからこの結婚話をいい厄介払いと考えている連中も多いんだ。」
と、そんな事が言われている中、
「いえ、予定通り嫁に参ります。元はと言えば私の今回の縁談に対して後ろ向きな気持ちのせいで招いてしまった様な災難ですから、もうわがままは申しません。明日輿入れいたします。」
そう宣言するクリム。まだ何か言いたそうなジン・レオンであるが、さすがにこれ以上は飲み込むしか無かった様だ…。
と、言う訳で、急ピッチで輿入れの準備が始められる訳だが、明日の事だと言うのにまだ何もされていない。城内はかなり慌ただしく、クリムはつい昨日誘拐までされたというのに結構頻繁に放ったらかしになっている。その隙を狙い、クリムの私室のドアを変なリズムでノックする者がいる。するとクリムは躊躇無くドアの鍵を内側から開け、ノックの主、小柄な配達業者を招き入れる。そして大慌てで2人とも服を脱ぎ出し、お互いの服を交換し始める。あ、いけねっ、俺は後ろを向いてなきゃね……。数分後には、元通り良い服を着たクリムと、小柄な配達業者がそこに居た。そして配達業者はそそくさと部屋を出、クリム(?)が改めて内側から鍵をかける。俺はそのまま配達業者について行き、そのまま堂々と正門から城外へ。元々出入り業者でごった返している中、通行証はクリム姫のサイン入りの正式な物を持っている俺達は問題無しで、あっさり脱出完了! 王城からかなり離れた辺りで路地に入り、どうやら一息。作業帽やマスクで顔の良く見えない配達業者もほっとして口を開く。
「すごいです。わたしが昨日家出した時はすぐバレてたちまち追っ手が掛かったのに…、今日は疑われもしませんでした。」
俺は少し笑いながらそれに答える。
「ミントはこういう事に長けているからな。お陰でしっかり計画も準備も出来た。それに今回はクリム王女がそもそも居なくなっていないんだし。」
今、王城ではミントが偽王女をやっている筈。そう、配達業者として潜入して来たミントとクリムが入れ替わり、今ここにいる配達業者がクリムなのである。最初から入れ替わっておけば楽だったのだがさすがに実の兄であるジン・レオンには見破られるだろうという事で、最初だけは本人にしておいたのだ。後は輿入れ用の化粧をしてしまえば分からなくなってしまうだろう…という当て込みだ。
そして我々は、クリムが当初駆け込む予定で有った彼女の母の実家へとやって来た。心配していた監視の目も今はもう無い様だ。
クリムの母は彼女が生まれた時に死亡したそうで、今ここに住んでいるのはその両親、彼女にとっての祖父母だけである。街の中心部からはほぼ外れた平民街、うら寂れた中に、やや立派な邸宅がポツンと建っている。場違い感は有るが、彼女の祖父母は人間、この国ではかなりはっきり人間は差別されており、国王の身内に近いとは言え中心街に居を構える訳にはいかないという事情が有る様だ。立派とは言っても使用人を雇う様な大邸宅と言う訳では無く、少し大きめの普通の家で有る。ノックをしたら普通に祖父母本人が顔を出す。
「あらまあ、クリムちゃん…いけない、クリム姫じゃないの! 姿が見えなくなったって聞いて、心配してたのよ。」
「ああ。昨日くらいまでお城の方が家の前で見張ってたんだぞ。一体どうしたっていうんだ⁈」
クリムの顔を見た彼女の祖父母、驚くやら喜ぶやら、だがクリムの顔を隠しながら困る様な態度に何かを察したのか、すぐに中に招き入れてくれる。
中へ通され落ち着いたところで、クリムが全ての事情を説明する。それを神妙な面持ちで聞いてくれる人間の祖父母。一通りの説明が終わったところで何とか祖母が口を開く。
「お話は分かったわ。もちろん好きなだけ居ていいけど…、結婚が無くなった後はどうするの? お城へ戻れるの?」
その横で少し渋い顔の祖父。
「申し訳無いとは思うが、お城の加護が無くなったらワシらも今の暮らしは続けられん。ワシら2人だけなら細々と何とか出来る、だがお前さんの面倒までは無理だ。ましてお前の寿命はワシらの倍以上だろう。暫くはいいが、いずれは自分で身を立ててもらわんと…。」
「あんた! 可愛い孫がせっかく頼って来てくれたのに、そんな言い方しなくても…。」
「しかし、それが現実だろう。ワシらはもう何年も生きられんぞ。」
孫から頼られて嬉しい半分、困った半分といった様子の老夫婦。まあ、この国で人間が余裕の有る暮らしなど出来ないというのが現実だろう。
「もちろん、ほとぼりが冷めた頃には出て行きます。それまでのほんの暫く身を寄せさせていただければ…。」
「すまんねぇ。」
やはり手放しで歓迎…と言う訳には行かない…と。まあ、クリムの言う通り、一時避難場所として暫く居させて貰えればいいだろう。
「それにしても身代わりを立てたって、さすがにバレちゃうんじゃないのかい? その人、そんなにあなたと似てるの?」
「ええ、それはもう、びっくりするくらいそっくりで。しかもその人もハーフなんですよ。ミントさん…っていうんですけど。」
クリムがその名を出すと、祖父母の様子が変わる。
「へえ…ミントって…いうのかい? そのそっくりさん…。」
「…ほ…ほう。」
「?」
急に言葉少なになる老夫婦。何か有るのか? まあ、それはそうとだ。
「そのミントの方が気になるから、俺はもう行く。ここで大人しくして、報告を待ってくれ。」
羽虫サイズの俺はクリムの耳に向かってそう小声で伝えると、サッと彼女の元を離れ、ちょっとした隙間から外へと飛び出す。そして向かうのはもちろん王城だ。
クリムの部屋へ戻ると、ミントはスキンケアやらヘアケアやらで磨かれまくっていた。さすがにその様子をずっと眺めているのは出歯亀が過ぎるので、情報収集という名の噂話ハンティングに出掛ける事にする。
この国に来るまでの間にネビルブから聞いていた情報も思い出してみる。このダイダンは元は2つの国だったそうだ。イエレンとマゼンティア、当時魔大陸で1、2を争う大国であったこの2国は、隣り合っていながらとにかく仲が悪かった。大陸での覇権争いをこの2国で常に繰り広げていたという状況だったそうだ。しかしそんな状況はイエレンの若き皇太子であったジン・レオンが魔王の元に出向して実績を上げ、四天王の1人としてその加護を受けて戻って来た事で一変した。拮抗していた2国のパワーバランスは一気に崩れ、イエレンがマゼンティアを吸収する形で、新国家、ダイダンとして生まれ変わったという事だ。
ここまでが一般常識として知られるダイダン建国の歴史だ。そして俺はそこからその内情の部分を調査していく。そして分かったのは、やはり国の合併に関しては遺恨が残っていた。旧マゼンティアの王族は主だったところがほぼ討ち死にし、残った者達も基本的には新国家に迎合した。しかし一部にはその時の恨みが根深く残っており、反ジン・レオン派閥として結託した反乱分子は"マゼンティア派"を標榜し、無視出来ない勢力に膨れ上がっていると言う。
これを力でねじ伏せる事も出来たし、するつもりでいた。しかし内乱に発展すれば国力が著しく低下する事は否めず、戦力的には随分削がれてしまったマゼンティアだがまだ何か"隠し球"が有ると言う噂も有り、側近の中にも武力による解決には消極的な者も多かった。
そんな中、突如出て来た案が、政略結婚による懐柔策である。マゼンティア派の首魁とされるエンジャン氏は旧マゼンティア王朝の継承権6位であった元第4王子で、彼に夫人兼人質を当てがって引き入れてしまおうという案だ。そして白羽の矢が立ったのが、ハーフという事も有って良縁に恵まれて来なかったクリムであったのだ。
当初はこの案に大反対だったジンだったが、そもそも人間とのハーフなど嫁の貰い手が一生無いかも知れないとか、ジンの妹に対する寵愛ぶりが行き過ぎて、内部でクリムに対する批判勢力が増しているとかの周りからの説得に押し切られる形で渋々了承したのだそうだ。
とりあえず知れたこの政略結婚の意味合いとそれに対するそれぞれの想い、そしてやはりこの話をいい厄介払いになると捉えている者が圧倒的に多いという現実。一方で、少なくともこの結婚によりクリムが幸福になる可能性は極めて低いという事も想像出来た。
この後ちょっとしたつまみ食いをしたり、それをネビルブに差し入れたりしてから、再びクリムの部屋へ戻る俺。肌も髪もピカピカになったミントがふて寝している。
「おぉ、見た事無い程身綺麗じゃん。」
「うるせ。明日は超早起きで支度だそうだから、もう寝るんだよっ!」
この後、俺が得て来た情報なども共有しながら俺も休む事にする。そのついでにちょっと気になったことを聞いてみる。ミントの出自について。
「あん、親? 知らねえよそんなもん。物心ついた頃にゃあもうビリジオンの調査部に売られてたぜ。売った連中もあたいの実の親じゃなかったらしいし、ま、捨てられたんじゃね? 探そうと思ったことすら無いぜwww。」
そう言ってへらへら笑うミント、いや笑えねえって!
さて、当日である。夜も明けぬ内からミントの身支度が始まる。俺はネビルブの所に避難。城内も慌ただしい。ジンがあちこち歩き回って指示をしまくって、やや迷惑がられている。
日が昇る頃にはいよいよ飾り立てられた馬車に乗り出発する輿入れ御一行。こうなると似てるも似てないも関係無いなという程塗りたくられたミントはマリッジブルーを気取って終始下を向いて座っている。まあ窓の外から盛んに「元気でやれ! 何か有ったら連絡しろ! 幸せになるんだぞ!」などと呼び掛け続けているジン・レオンにバレないかと警戒しているのかも知れない。が、馬車が城門を出るとさすがにそれ以上はついて来ないジン。いい兄だとは思うんだがなぁ…。