【ホラー】手相【短編】
注※グロまでいきませんが怪我・傷跡に関する描写があります。
事のきっかけは、友人Aが占いにハマった事だ。
Aの生い立ちは悲しい。Aは19歳で父親を亡くし、20歳で母親を亡くした。 母親の死後、Aは姉の夫に嫌われ、「無期懲役だ」と言われて病院に入院させられた。精神病院だ。Aはそこに7年入院していた。
Aは精神疾患を抱えていた。特に多動とパニック障害、不眠症状が深刻だった。加えて肝臓の状態が悪く、ストレスによる喫煙からよく咳をしていた。
Aが退院した時、生家があった場所は更地になっていた。義兄が勝手に処分したらしい。「高校の卒業アルバムも、誕生日に買ってもらったバレーボールも、なんも残ってなかった。姉さんと義兄さんが今どこに住んでるのかも知らない」と言っていた。
最初は木製の数珠だった。
「お、格好いいね。サンドのダテチャンみたい」
「これ、〇〇神社の。生年月日を書く紙があって、それ書いて注文すると、木の種類とデザインをその人専用に選んで作ってくれるやつ。昨日届いた」
「え、オーダーメイド?そういうのって高いんじゃない?大丈夫だった?」
「8万円」
「はちっ...?!!」
占い師と電話で話していたこともあった。
「これがメニュー表で、この番号にかけると占い師の人が電話で相談聞いてくれる」
「...ちなみに料金は?」
「10分5万円」
「ヒェッ」
Aは神社仏閣巡りが好きだったが、とくべつ信心深い訳でも迷信深い訳でもなかった。その後もご利益があると言われるパワーグッズをしばしば購入していたが、「どうせこんなん意味ないだろうけど」と自分でも言っていた。傾倒していたというより、投げやりな気持ちになっていたのだと思う。
ある日Aが言った。
「俺、あと5年で死ぬらしい」
「えっ?!!」
「先週、手相を見てもらったら、『あなたの寿命は65歳です』って言われた」
「びっくりした...お医者さんに余命宣告されたのかと思った...」
「同じようなもんじゃねえの?病気だし、金ないし。親父も母親も短命だったし。おれも長生きしないよ、きっと」
かける言葉が見つからなかった。実際Aの健康状態は、心身ともに良くない。
Aは、占いにハマる前から、特に欲しい訳でもない物を衝動的に購入する事がよくあった。9万円のスニーカーを、次の日に半分以下の値段で売ったりする。躁状態の時、もしくは逆に酷い鬱状態の時、高額な買い物をしてしまう。そのたびに「また馬鹿な事をした」と落ち込む姿は、痛ましかった。自分で自分がどうにもできない苦しみを抱えて生きていくことの、どれほど辛い事か。
わたしは泣いた。
自分の無力が情けなかった。Aの孤独が悲しかった。
そして猛烈に怒りが湧いた。
わたしは自分の友人が、多額の金銭と引き換えに、いたずらに悲しい気持ちにさせられたことが悔しくて、「手相がなんだ」という気持ちになった。卜術は立派な学問だ。憎むべきは霊感商法であって、占いそのものではない。しかしその時のわたしはただただ手相というものに腹が立って仕方がなかった。
怒りのまま、衝動的に、その日の夜わたしは火のついた煙草を左手の生命線に押し付けた。
信じられないほどの激痛が走った。煙草を押し当てたところに灰がびっしりきれいに丸く、灰色のスタンプを押したようになっている。水で流すと真皮が見えた。
よく見ると煙草の跡は生命線から大分ズレて、手の平の真ん中あたりについていた。わたしは手相と言えば生命線しか知らない。それも、「確かカタカナの『ラ』のはらい棒のような部分」というあいまいな知識しかない。
あの時、ちゃんと調べていれば、何か違ったのだろうか。
冷静になっていれば、何か変わっていたのだろうか。
今となっては分からない。
わたしはもう一度、今度はマジックペンで「はらい棒」の上に×印を描き、煙草を押し付けて焼いた。熱いよりも痛い。とにかく凄く痛い。本当はなるべくたくさん焼きたかったが、すっかりひるんでしまい、わたしは煙草を携帯灰皿へしまって手を洗い、じんじんする右手の平の痛みをなるべく考えないようにしながら寝た。なるべく傷が大きくなるように、あまり手当はしなかった。
翌日、祖父が死んだ。
母方の祖父という人は、70を過ぎてもかくしゃくとして、道路公団の名誉職に就き、毎朝誰よりも早く事務所を掃除し、休日は公民館のイス出しをして、町内会のとりまとめ、単身海外旅行へ行くような人だった。よく、冗談交じりに言われていた。「この人は殺しても死なないだろう」。死因は急性心不全だと言われた。
以来、わたしは二度と左手を焼かなかった。
代わりに右手を焼いた。
右手の生命線を煙草で焼いた。とにかく痛みが物凄く、一日一回が限界だったが、順調に「はらい棒」の上をまんべんなく焼いた。わたしは右利きだったので、左手のときよりも頻繁に狙いを外して、違う線の上を焼いてしまうことも多かったが、なんとか「カタカナの『ラ』のはらい棒のような線(右手だから、左右反転した『ラ』だろうか?)」を焼き切った。
わたしは満を持してAに会いに行った。
「ほら、生命線ないでしょう。でもこんなに元気だよ。だからあなたも、そんなに世を儚まなくたって大丈夫だよ」
Aは引き攣った顔をして、わたしと、わたしの手の平を見て、踵を返し、連絡を絶った。
二度とわたしと会わなかった。
悲しかったが、仕方のない事だろう。
突然、まだケロイドにもならない、爛れてところどころ膿んだ火傷跡を見せつけられたAは、それはもう気味が悪かったに違いない。避けられるのも道理だ。できるならば一度だけでも、「あのときは嫌な思いをさせてごめんなさい」とAに謝りたい。
しかしわたしも寝たきりになって随分日が経った。Aとの再会は叶わない気がする。Aは66歳の誕生日を迎えられただろうか。どこかで、元気で、幸せ居てほしいものだ。
読んでくださってありがとうございました。
m(_ _)m