第十六話 候補生が折れた理由
巡葉の自宅マンションに到着し、俺はインターホンを押す前に深呼吸した。
そして、覚悟を決める。
『……く、雲井君?』
反応してくれたのは巡葉だったらしい。
インターホンを鳴らした直後、すぐに聞き慣れた声が聞こえた。
「あの、見舞いにきたんだけど」
『ちょ、ちょっと待って! えっと……十分。いや、十五分! 外で待ってて!』
「え?」
慌てた声の後、すぐに切られた。
その場で門前払いされるか、中に入れてくれるかの二択だと思っていたのだが、どちらでもない反応に若干困る。
とは言え、待てと言われたんだから待つしかない。
十五分と言えばかなり長いが、滅多に聞かない慌てた声を聞けただけでもラッキーだと思っておこう。
俺はマンションを出て、エントランス付近でぼーっと待機した。
現在時刻は五時半過ぎだが、夏場だから外は明るい。
蚊が寄って来ないよう手で扇ぎながらしばらく待った。
きっかり十五分が経過した頃、マンションから人影が現れた。
デニムのパンツに黒のパーカーという、ラフな格好で出てきたのは巡葉だ。
「ご、ごめん待たせて」
「随分息が荒いな。慌てなくても別にもうちょっと待ったのに」
「いや、時間提示しちゃったから遅れるのはナシ」
「律儀だな」
約束は破らないし、破られると烈火のごとくキレるのがこの女だ。
呼吸を整えた後、辺りを見渡して俺に近寄る。
「なんで急に来たの?」
「いや、心配で」
「じゃあ連絡してよ。こっちだって準備があるんだから」
「だからだよ。来るってなったら落ち着いて寝れないだろ?」
「それは気遣いどうも」
眉を寄せた仏頂面で言われても説得力がない。
肩を竦めると今度はつま先を踏まれた。
やけに暴力的である。
そんな彼女はため息を吐きながら首を振った。
「あーもー。前もって知ってたらもっとまともな服で出てきたのに」
「十分似合ってるけど」
「似合わない服なんか持ってないもん。じゃなくって! その中でも特に気に入ってるのとか、ある程度見栄を張りたいの」
「……」
「ねぇ。何を勘違いしてるのか知らないけど、アイドル志望なのを知ってる君に私服ダサいって思われたら、プライドが傷つくって意味ね」
「何も言ってませんけどね、俺」
勝手に俺の心を読んで言ってきた巡葉に思わず苦笑してしまった。
正直、『俺に好意があるから見栄張って可愛く見せたいのか?』なんて思っていたため、あながち彼女の言葉は間違っていない。
完璧に見透かされていたのだ。
この世界ではまだ短い友達としての関係のはずなのに、完全に俺の人間性や思考というものを掌握されている。
流石小悪魔アイドル。末恐ろしい。
徐々に周りの景色が赤く色付いてくる中、彼女の頬も同様に赤く染まって見える。
夕暮れのせいなのか照れのせいなのかわからないのが惜しい。
目の前で腰に手を当て、文句を言いたそうな表情の巡葉を見ていると、来てよかったと思えた。
俺は尋ねる。
「なぁ、病人なのに出てきてよかったのか? 見舞いのつもりだったんだけど」
「別にもう平気だし。部屋に入られるのは嫌だから」
「じゃあ追い返せばよかっただろ。無理に居座らないぞ」
「それは君に失礼でしょ。せっかく来てくれたのに、なんでそんな酷いこと言うの」
今度は心外だと言わんばかりに咎められた。
ありがたいのかなんなのか分かりにくい反応である。
そこで再びスマホを確認すると、六時に差し掛かっていた。
昼からかなり時間も立っているため、腹も減ってきた。
どうせこのまま外で話すくらいなら、どこかで落ち着きたいものだ。
「腹減ったし、どこかに飯でも行くか?」
「……まぁいいけど。こんな場所で親に見られたら恥ずかしいし」
そんなこんなで、二人で夕飯を食べに行くことになった。
◇
俺と巡葉は近所の串焼き屋に入った。
お互いに個室のテーブル越しに向かい合う。
店内では定時上がりのホワイトなサラリーマンが、今宵の宴を賑やかに始めていた。
込み入った話をする可能性があるから個室の店を選んだが、若干失敗したかと俺は後悔した。
というのも、つい大学生のノリで考えていたのだ。
自分たちがまだ高校生で、酒が飲めないことを考慮していなかった。
普通に食事場としてもアリではあるが、高校生の男女で来るには居酒屋はややハードルが高かったような気がする。
目の前では、部屋の照明に照らされた巡葉の端正な顔が、メニュー表にうずめられている。
なんだか未成年を連れ回しているみたいでおかしな気分だ。
「こういう場所、親以外と来るの初めて」
「え? あ、まぁ高校生だしな」
「雲井君は誰かと来たことあるの?」
「あー、たまに、友達とか?」
頭をよぎった顔を払拭しようとして、やや変な誤魔化しになってしまった。
当然訝しげな顔を見せる巡葉に、俺は冷や汗を浮かべる。
そう、俺の脳裏に浮かんだ顔はまさに巡葉だったのだ。
勿論、今目の前にいる高校生の巡葉ではなく、一緒に酒を飲んでいた大学生の巡葉の顔だが。
と、そこで俺はふと思い出して聞いた。
「ていうか誘ったけど大丈夫なのかよ」
「何が?」
「いや、腹痛くてうんこヤバいって言ってただろ」
「……はぁ」
大真面目に聞いたのだが、内臓でも吐き出すのかというレベルのため息を吐かれた。
心底呆れたような顔で巡葉は笑う。
「そんなの冗談に決まってるし、ご飯前にもうちょっと言い方あるでしょ? まぁ気にしてくれてるのは嬉しいんだけどね。ありがと」
「お、おう」
「ほんと、女の子に何言いだすかと思えば」
「その女の子が自分で言い出したんだけどな?」
「そうだっけ」
「おい」
言って二人で顔を見合わせ、大笑いした。
口を覆って笑う彼女に、俺もなんだか釣られて涙が出そうになるまで笑った。
腹筋が若干引きつるような、幸せな時間だ。
と、そこで巡葉が口角を上げた小悪魔のような表情で言った。
「二人だけでご飯来ちゃったね」
「そうだな。まぁ景気づけだよ」
「ふふっ。ものは言い様だね。傍から見たらただのデートなのに」
二人きりだからか、巡葉は躊躇せずにストレートな表現を用いる。
それから俺達は、飲み物と焼き物を頼み、雑談しながら食事を進めた。
その間に先程買った漫画も活躍し、会話も弾んだ。
気付けばかなりの時間、ただ食事と会話を楽しむだけになっていたらしく、途中トイレに行った時にスマホを確認すると、八時近くになっていた。
これではただのデートである。
用を足し終え、俺は今日巡葉に会いに来た理由を思い出す。
今日は、彼女の休んだ理由について気になったのと、もしそれが彼女のアイドルへの熱量が原因のストレスだとしたら、お節介かもしれないが一緒に考えたいと思っていたのだ。
彼氏でもない男子の思考としては、少し歪だと自分でも感じる。
だけど、やはり俺にとって巡葉はそんな軽い存在ではなかった。
過去の自分が見落としていた世界の清算もしなければならないと思うし、ここで自分から引き下がるわけにはいかないのだ。
部屋に帰ると、巡葉はジュースをちびちび飲んでいた。
甘いカクテルを好んでいた巡葉の仕草と、重なって見える。
俺は、そんな彼女に言った。
「今日、湊音から話を聞いたんだけどさ」
すると、すぐに巡葉は手を挙げて制止してくる。
怒らせたかと一瞬焦るも、彼女の困惑した苦笑を見てすぐに安心した。
逆鱗に触れたわけではないようだ。
巡葉は口を開いた。
「……待って。その名前だけで何の話するかわかっちゃったんだけど。ねぇ、雲井君ってそんなに情報収集上手かったっけ? 私、隠してたのに」
「あんまり舐めるなよ俺を」
「ストーカー気質ってこと?」
「友達想いと言って欲しいね」
友達という単語に思う所があったのか、彼女は黙る。
そして再びジュースを口に含み、諦めたように表情を緩めた。
どうやら俺が澤湊音から情報を仕入れたと聞いたことで、流石の巡葉も誤魔化す気がなくなったようだ。
無理やり話させるのが正解かはわからないが、少なくとも俺は向き合いたいと思った。
どうしても話せないならその旨を喋ると思っていたし、そうでないなら巡葉も嫌がっているわけではないと思いたい。
彼女は喋り始める。
「察してるみたいだから言うけど、そうだよ。私は昨日アイドルオーディションに落ちたの。今回は二次落ちだから面接で弾かれた」
「なんか意外だな」
「そう?」
「人付き合いとか得意なイメージだから」
「それ、中学の頃の私を知ってて言ってるってことは、悪口って受け取り方で良いんだよね?」
「あの時は……確かに荒れてたな」
中学の頃の柴凪巡葉は、お世辞にも人当たりが良い人間とは言えなかった。
友達はおらず、校内でも悪い意味で浮いた存在だったと思う。
その上悪い噂もあとを絶たなかった。
孤高というより、孤立した存在に俺は見えていた。
と、そこで何を思ったか、今まで別の世界線で巡葉と四年間付き合っていた俺も聞いたことがなかった話を巡葉は喋り始めた。
中学時代の、彼女の暗黒時代の話だ。
「私、ほんとダメなんだよ。中二の頃のアレがきっかけだったんだ」
「アイドルオーディションを抜けて候補生になれたのに、その後離脱したって話か」
「まぁ、そう。別に離脱とかじゃなくて普通に落ちただけなんだけどね」
巡葉が受けていた大手事務所のアイドルオーディションでは、一次選考の書類審査と、二次選考の面接、そして三次選考のダンスと歌の審査を抜けると、今度はアイドルとしてのデビューを決める研修期間を兼ねた最後の選抜が始まる。
その時期をアイドル候補生と呼ぶらしいが、彼女はその本当に最終候補まで残った挙句、夢への道を絶つことになったらしい。
これまで聞きたくても聞けなかった話に、若干ソワソワする俺。
そんな俺に彼女は言った。
いつもはキラキラ輝いて見える瞳を、真っ黒に染めながら、斜め下を向いて歪な笑みと共に言う。
「私、実はアイドル目指したせいで死にかけてるんだよね」