ざまぁ見るのは誰でしょう?
アメリア
乙女ゲームのヒロインの名前。プレイヤーに変換してもらうことが前提で、あまり意味を乗せないようにした、なんて。そういう設定の名前。
ある朝目を覚ましたら、私はアメリアになっていた。よくある小説のよくある設定のようにそうなっていたので。寝る前に読んだ小説に影響されすぎだなぁ、とぼんやりと鏡を見ていた。艶々のミルクティー色の超ロングヘア。なのに枝毛一つもないのはそれだけでファンタジーっぽい。産毛も毛穴も見えないくらいツルツルの陶器肌に、長いまつげに縁取られた、ほんのりピンクがかった瞳はぱっちりとして愛らしい。女の子らしさを詰め込に詰め込んだ、砂糖菓子とスパイスでできたみたいな美少女。頬をつねれば鏡の中のアメリアの頬もつねられて。当たり前のように痛かった。痛いとわかっていたらもう少し手加減してつねったと後悔する程度には。
夢でないならまずいことに、こんな美少女が迎える結末を私はすでに知っていた。この世界がなんであるかも知っていた。ここが寝る前に読んでいた小説の世界がモチーフであるならば、だが。
私は非実在乙女ゲームの正ヒロイン……という設定の所謂捨てキャラになっていた。前世の知識をフル活用して断罪イベを阻止しようと奮闘するのは悪役令嬢様。これが物語である以上あちらの方がつまりはヒロインな訳である。ならば私は物語の盛り上がりや導入の一つに過ぎない今や割とお約束になりつつある、ざまぁされるために設定されたヒロインなのだ。
この作品のヒロインは悪役令嬢イライザだ。それは間違いない。ぼんやりと小説からの知識とこの体の持ち主であるアメリアの記憶とが混じり合い加速的に今の状況への理解が進めば進むほどそうとしか言いようがない。
アメリアが愛した男の名前はウルバート。この国の第二王子。黄色がかった金髪に明るめの赤い瞳。
わがままで癇癪持ち。本来はこの国の王にはならないはずだったが、第一王子が病に倒れてからは次期国王として祭り上げられている。
病に倒れた第一王子はエルリート。この国の第一王子。夜を閉じ込めたような真っ黒な髪に、アイスブルーの瞳。その瞳は感情が昂った時だけ気品のある紫に見える。聡明で努力家。そのうえ1000年に一度の天才といわれた優秀さで、この国の発展に欠かすことのできない幾つもの発案を次々とおこない、誰もが彼が王になることを待ち望んでいた。だが、母と同じ不治の病になり、もう数年生きられてるかもわからない悲劇の王子様。
ね?これが非実在乙女ゲームの世界だというのがこれだけでもわかりやすい。攻略対象の情報と解像度に差がありすぎる。それぞれにルートがあり攻略可能でそれに伴う物語があるということを深く考えられていないような極端な情報量の差。どうせざまあで切り捨てる相手に少しだって愛着を持たせまいとした潔い造形。
ウルバートは本来王になる予定もなく無能なまま放置されていたが、次期国王になるために有能な女性を妃に迎えて彼はただ玉座を温めるだけしか望まれていない。それを本人も理解しているからこそ、口煩くまた自分より遥かに有能なイライザを疎んじて毛嫌いしている。
──そんなの、当たり前ではないだろうか。
王になる予定もなく、ただベタベタとした母親の溺愛に絡め取られて無能のままでいることを望まれていた王子様。いざという時に血を絶やさないためだけに産み落とされた、代用品。自分が家畜や愛玩動物とどう違うと、泣き笑いで問いかけてきた日のこと。アメリアの記憶として思い出すだけで、胸が痛くなる。そんな扱いを受けてまで、誰も憎まずその人生を受け入れることが出来るだろうか。何もかもを恨んで呪っていた時に、真っ直ぐに自分を見てくれる少女がいると錯覚して、恋に落ちないでいることはできるだろうか。
『ウルバート様は物知りですね』
『其方が無知すぎるのだ。このようなことも知らぬまま生きてよく恥ずかしくないものだ』
『ふふふ、でもこうやってウルバート様が教えてくださる時間が得れたのですもの。そう考えると幸運だったのではないかしら』
きつい物言いにも怯えるでも諂うようでもなく、心からすごいと微笑むアメリアはウルバートと同じく、有能であることを一切求められていない令嬢だった。
たいして身分の高くない貴族の末の娘。見目が良く、親の都合でいくらでも便利に使い潰せるように育てられた綺麗なお人形。お人形であることを求められていると理解する程度には、決していわれるほどバカでもなかったのだけれど。
傷の痛みが似ている二人は当然のように恋に落ちて。そしてその恋は、物語の重要な部分を担わなかった。それだけの話。たったそれだけの理由。
風はまだ少し冷たくとも、春の気配が日差しに混ざる。城の花壇に植えられたすみれのような花が多くあることから見ても、もうその時が来るまで時間がないことも理解した。
ざまあみろと笑われて、ハッピーエンドを迎えた物語から追い出される、愚かな二人。そう望まれて作られて、その通りの運命を迎えるだけのこと。
努力は嫌い。頑張ったのにどうにもなりませんでしたなんて結末強欲な私には我慢ならない。
努力した人が報われない物語が嫌い。そんな不条理、現実だけで充分だから。
それでも。幸せになることすら許されないなんて、
作者が許しても、
世界が望んでも、
──私が絶対に認めない。
「ウルバート様」
「どうかしたかアメリア」
いつものように部屋の中に二人っきり。机の上にある紙にペンを滑らせている音だけが響く。アメリアは詩を書くことが好きだった。ウルバートはそれを読むことを好んでいた。アメリアは家の中で詩作を許されていなかったから、こうして人払いをして、思う存分書くことを許すことがウルバートが彼女に与えた何よりもの愛だった。
婚約もしていない男女が密室で、二人きり。それだけで大問題で、罰せられて当然であるのがこの世界の常識だ。私とウルバートがまだ口付けすら交わしたこともない清い関係であることは、二人きりでいることを選んだ以上証明は難しい。
「ウルバート様は、王様になりたいでしょうか」
その問いかけは、はっきりとウルバートを傷つけた。問いかけたのがアメリアでなければ癇癪を起こして物ぐらいは投げつけられていたかもしれない。それでも、ウルバートは怒りはしなかった。アメリアの前では、傷付いたことを隠すために大きな声で怒鳴る必要なんてなかったから。
「お前は王にはなれぬと何度も告げたその口で、この国のために王になれと、父上は言うのだ」
無能、無能、無能。兄上はあんなにも王に相応しい人物なのに、まるで出涸らしではないか。
見え透いたおべっかで表面だけ取り繕えば、嘲りを、見下しを、気づかないほどに愚かだと、そう思われていることにウルバートは何度も傷ついていた。
「誰がなりたいと口にした。誰が王にしてくれと懇願した。欲しくもない冠を押し付けてきた癖に、私が兄の病が一刻でもはやく治ることを毎夜祈る理由など、だれも考えもしない」
歪な形とはいえ愛してくれた母を殺した病が、兄をも蝕んで。それを自らが王になれる幸運だと、そう思うほど悪辣な生き物であると何も知らない者たちに勝手に判断されている苦痛。
「ウルバート様、お兄ちゃんっ子ですものね」
「その言い方は少し引っかかるが、この国の未来を思うなら兄上こそが相応しいと思うのは道理だろう」
ウルバートだってこの国のことを愛している。そんなことすら軽んじられるほどに、なんの期待もされていない事実に少し目を伏せる。時間をかけて話し合えば、きっとこの絡まりもいつかは解けるかもしれないと言うのに。物語は運命は残酷で、もうそんな時間は残されていない。
「……これから私が話すことを、一つも疑わないってウルバート様は信じてくださいますか」
「アメリアは私に嘘はつかない。そうだろう」
「はい。神様にだって誓っていいです」
握られた手は緊張しているのか少し湿っている。それでもこちらの言葉を信じようとするウルバートの瞳は、蜂蜜や砂糖菓子のように甘ったるい愛情を滲ませていた。
「お兄様の病が、もう少しで治ります。特効薬が見つかるのです」
ガタン。ウルバートが驚いて立ち上がった拍子に、机の上にあったインク瓶がバランスを崩して倒れた。しっかり蓋をしたからこぼれたりはしていないが、うっかりこぼして私の書いた詩を汚しでもしていないかと、こんな状況なのに慌てて確認したウルバートに胸の奥がきゅうとした。
「ほんとうに……?」
「はい。イライザ様のお抱えの薬師が治す方法を見つけたと」
「そうか、そうか……」
いつもより幼い声の響きに滲むのは安堵と歓喜。こんなにもわかりやすく兄のことを案じている人なのに。どうしてこうもすれ違ってしまうのか。
「そして、その。おそらくイライザ様とウルバート様の婚約は破棄されて、その……」
「ああ、あの女と兄上が婚約することになるのか」
言いにくくて口籠もればあっさりとその先を言い当てられる。そう。物語通りにいけば邪魔な第二王子と王子を誑かしたふしだらな女である私は、国外追放されるのが筋書きだ。どうしてといわれても、物語はそう記されてそうなるように進んでいる。断罪イベントやざまあのために、雑に消費されるのを待つだけの時間。
「これには驚かないんですね……」
「あの女が兄上に懸想していることはわかっていたからな」
「そうなんですか?」
「そうだとも。アメリア。私が其方を見る目と兄上をあの女が見ている目は、嫌になるぐらい似ている」
頬が熱くなる。予想していない方向で突然浴びせられた愛の言葉に、思わず指先が筆を探す。その手をそっと握り直して、ウルバートは甘く囁いた。
「愛している、アメリア」
「はい、ウルバート。私も愛しております」
・
・
・
あっけないほどあっさりと断罪イベントは終了して。私たち二人は国外追放となった。うっとりと見つめ合うイライザとエルリートは多分それが挿絵や口絵に選ばれるだろうなと言うくらい絵になっていた。あの二人がめでたしめでたしを迎えたなら、もう私たちにようはないのだ。
「エルリート様からの餞別です。二度とこの国の地は踏むことはできませんが、その代わり、この国の誰も貴方達を邪魔することはない」
「兄上、が」
エルリート様が用意した馬車は見た目こそ誤魔化すために少し古臭いが、頑丈そうな馬も真面目で強そうな御者も、私たちの無事を祈られていることがよく理解できる程度には、理由があって選ばれている。それは紛うことなき愛情だった。
「よかったですねウルバート」
「ああ、そうだなアメリア」
愚かであれとつくられて、この物語を愚かなまま演じ切った。なら、カーテンコールには喝采を。それでおしまい。
幕引き後の不幸まで、お前たちには与えてあげない。
それじゃ、さよなら。
※
アメリア・シルブレド
──とある国の隣の隣のその国で、ひっそりと生きて死んだ詩人の名前。彼女の残した多くの詩は、それを大切にしてきた彼女の夫の手により、本となり、多くの国民にいまもなお愛され続けている。
ざまあみろと笑うのは、誰を笑っているんでしょうね?