三千六百九十六万九千三百六十三枚のおふだ
こいつはまったく大変なことになった。坊主は思わず自慢のツルツル頭を抱えた。
山奥に住む檀家の山姥が坊主を使いによこせと言ってきたのが一昨日。
お前さん山姥に食われてしまうぞ。しかし、檀家さんには逆らえんでしょう。そう和尚と言い合ったのが昨日。
そして今日。朝日が昇ると和尚は言った。
「山姥に食われそうになったら、このおふだを使いなさい」
「使えったって、和尚。このおふだ、いったい何枚あるんですか!」坊主は言った。
「三千六百九十六万九千三百六十三枚ある」
重さ三十トン。すべて重ねると三百六十メートルはくだらない量である。
「……いいでしょう」しかし、坊主は言った。「ありがたく使わせていただきます」
一晩にして三千六百九十六万九千三百六十三枚を書ききった和尚の腕は、昨日の三倍の大きさにはれ上がっていた。無下には出来まい。
巨大な荷車を引き回す。
坊主は眉目秀麗にして筋骨隆々。牛三頭を軽々と持ち上げる偉丈夫だった。そんな坊主だからこそ、山姥に見初められてしまった。そんな坊主だからこそ、三千六百九十六万九千三百六十三枚のおふだを山まで持って行けた。
坊主は山姥の住む屋敷にたどり着く。大粒の汗を体中から流しながら、坊主は声を上げた。
「寺から使いにきました! 寺から使いにきました!」
すぐに屋敷から山姥が出てくる。いつもならば、この坊主の彫刻の様な肉体に見惚れただろう。
だが、おふだがある。三千六百九十六万九千三百六十三枚もだ。
「ご、ご苦労です」思わずかしこまった感じで山姥は言った。「茶でもどうですか?」
「ありがたく」
山姥は荷車をちらりと見た。「それも持っていきますか?」
「気遣い感謝します。しかしながら、しばらくおふだは見たくありません」
案の定、坊主は山姥に食われかけた。彼女の細やかな気遣いと、思いのほか整った身なりに、三度ほど食われてもよいかと思った。そのたび、和尚の膨れ上がった腕を思い出して、ついに屋敷の外に逃げ出した。
猛烈に追いかけてくる山姥を、自慢の脚力で引き離しながら、坊主は荷車にたどり着く。
荷車の中のお札を無造作に三千枚ほど掴むと、唱えてしまった。
「火の海、出ろ」
三千世界を焼き尽くす、三つの太陽が顔を出した。
それで終い。すべてがご破算である。