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処刑室に音楽を

作者: 雉白書屋

「処刑室に音楽を流して欲しい」


 そう申し出たのは一人の死刑囚だ。名前は二十六番。当然、本名ではない。だがここでは彼はそう呼ばれていた。

 独房に食事を差し入れた看守は返事することなく『馬鹿な事を』と鼻を鳴らした。この時、彼の頭の中は今朝買った雑誌の袋とじの事でいっぱいだった。急いた気のままに立ち去ろうとしたが二十六番が次に口にした言葉で足を止めた。


「まだ見つかっていない遺体の在り処を知りたくはないか?」



 二十六番。彼は八人もの罪なき人間を殺したとしてこの刑務所に収監された。

 当然死刑だ。だが彼の手にかかった哀れな被害者のその遺体は全員分見つかったわけではない。挑発ともとれる送りつけられた手紙に書き連ねられた八人の名前。

 その中で見つかったのは彼の荒れ果てた所有地で運良く野良犬に掘り起こされた二人の姉妹のみだ。尤も、それを人間が見つけた時には、その体の大半を食べられていたが。


 遺体の在り処を明らかにする。それはこの刑務所における重要な課題の一つであった。被害者の一人が有力者の知人で、刑務所長に遺体の在り処を聞き出すように責付いていた。

 しかし二十六番は決して口を割らなかった。彼の体についた痣がいかに看守たちが奮励したかを物語っていた。


「ようやくか」


 知らせを聞いた所長は思わず顔がにやけた。音楽をかけるくらい容易い話だ。歯医者の待合室で流れるクラシック同様、大した効果は期待できないだろうによほど絞首刑が怖いと見える。しかし、その選択が却って死刑執行を早める事に気づかないとは馬鹿め。遺体の在り処を聞き出したらすぐにでも死刑執行を手配しよう。奴がくたばるその瞬間を見るのが楽しみだ。

 所長は笑い出した。刑務所中に響きそうなほど大きく。


 ただ一つ問題が起きた。音楽を使おうにもアーティストが嫌がったのだ。その曲に留まらずアーティスト自身に変なイメージがついては困ると著名なアーティスト音楽事務所は拒否した。

 ではすでに没したクラシック音楽家などはどうだろうとなったが、相談を受けたその愛好家たちから猛抗議を受けた。

 では環境音。自然が奏でる音楽ならばどうだと二十六番に提案した。


「それは確かに素晴らしいが音楽とはいえないよ」


 彼はそう言い微笑を浮かべた。それは気に障った看守にどれだけ痛めつけられても、彼が自分の意思で消すまで消えることはなかった。

 代案が必要だった。無論、売名目的で紹介、売り込みに来たアーティストもいるにはいたが、二十六番の好みに合わなかったらしく、却下された。


「音楽が決まらなければ死刑が延長されると考えているなら甘いぞ」


 所長直々の忠告だ。その顔に此間の笑みはない。

 代わりに二十六番が笑った。そんなつもりはないと首を振りながら。

 またしても痛めつけようと独房のドアを開けて看守が二人、中に踏み込む。

 と、笑いが止んだ。そして二十六番は言った。


「どうしても決まらないのなら私が作ろう」


 その提案は意外にも、渋々ではあるが受け入れられた。このままゴネられ時間が経てば経つほど被害者家族たちからの、いや世の中からの圧力が増すだけだ。すでにこの一連のやり取りは口止めしたにもかかわらず、どこから情報が漏れたのか世間に広まっていたのだ。

 音楽事務所、もしくは看守の一人が小遣い稼ぎでマスコミに売ったのだろう。ここでの稼ぎが良くないのは時折、床を駆けるネズミにまで知れ渡っている。そのネズミを踏みつける靴のボロさが物語っているのだ。


 レコーディングスタジオが刑務所内に用意されるのに時間を要さなかった。

 レコード会社が全面協力に申し出たのだ。被害者家族のためというのは建前で金の匂いを嗅ぎつけたに過ぎない。商品化に一枚噛もうと言うのだ。無論、死刑囚がどんな音楽を作るか少しばかり興味があったのは間違いないが。


「お粗末な出来なら一生笑い者だぞ」


 看守長がにやけた顔で言う。


「それなら気にする必要はないですね。完成したら私は死刑でしょうし」


 二十六番は顔を向けずに言った。皮肉めいた言い方だった。

 看守長はその態度に苛立ちを覚え、警棒に手が伸びたが、仲間の看守に肩に手を置かれ、舌打ちをしてその場を去った。独房に戻す際はケツの穴までチェックするからなと吼えて。


 多分、何かを持ち出すつもりはない。見張りに残った看守はネクタイをいじりながらそう思った。

 二十六番の楽しげな様子。機器をいじるその姿は幼い子供がオモチャで遊ぶようだった。壁に寄りかかりそれを見つめるこの看守は二十六番がどんな曲を作るか気になっていた。


 曲の完成にはそう時間がかからなかった。だいぶ前から構想を練っていたのか随分そう、あっさりと。


 遺体の在り処を訊くために所長室へ呼び出され、二十六番が足を踏み入れたときには、すでに何人もの警察関係者が待っていた。更にはその瞬間を撮ろうと所長が懇意にしているマスコミ関係者も。

 所長室の高級そうなデスクの上には地図が広げられていた。そしてその横には完成したデモテープも。


「それでは約束どおり、遺体の在り処を教えてもらおうか」


 所長の鼻の穴が広がる。また、彼の脳内ではある光景が広がっていた。

 カメラのフラッシュ。涙ぐむ被害者家族との握手。知事からの賞賛。栄光の未来。


「そこに」


 我に返り、二十六番が指差した先を見つめる。トリュフを見つけた豚みたいに。

 だが。


「どこだ?」


「そこですよ」


 指の先にあるのはデモテープだ。


「そこに答えはあります」


「ふざけているのか?」


 所長の首筋に血管が浮かび上がり、顔がみるみるうちに紅潮していく。


「知りたければ、曲を聴いてください。よぉくね」


 そこに挑発するような笑みはなかった。だからと言って、このあと独房で行われる暴力が緩和されることはなかった。



「ふざけやがって!」


 客人は帰され所長室で一人、所長は荒れ狂っていた。すでに地図は所長の理想図同様ビリビリに破かれている。

 デモテープはここにはない。分析にまわされたのだ。

 デモテープを手にした刑事の呆れ顔。それを思い出すたびに所長は机を蹴った。

 首吊りじゃ生ぬるい。牛裂きにしてやりたい。所長は二十六番の死に様を思い浮かべ、冷静さを取り戻そうとしていた。


 しかし、数日後さらに激昂することが起きる。どこから情報が漏れたのか二十六番の作った曲が広まったのだ。意外にも音楽はまとも、それどころか出来は良い。その上、言うまでもなく話題性があった。しかし、それはそれで好都合とも思えた。

 人海戦術。何か特殊なメッセージが込められているならば解き明かしたいという探偵気取りの人間が数多くいた。

 歌詞はない。しかし時折数字のようなものが吹き込まれているなどの噂が流れたと思えば逆再生や、早送り、再生環境はどうだと考察が日夜飛び交う。曲の発表を待っていたこともあり、その熱気は留まることを知らない。

 そして、曲に隠された謎、並びに遺体の在り処について賞金がかけられた。それも鰻上りに。


 そしてある日、所長が二十六番の独房に訪れた。


「とうとう現れたぞ」


 冷たい床に横たわる二十六番が所長を見上げる。ベッドはあの所長室の日から取り上げられていた。


「解明者だ。いや、救世主。あるいは貴様にとっての死神かな? これで死刑執行ができるなぁ」


「……遺体はすべて見つかったのですか?」


「ああ、完全にな!」


「本当に? 誰が?」


「特別だ。知りたきゃコイツを見せてやるよ。私は今、機嫌がいいからな」


 所長が新聞を二十六番に投げつけた。


「一面に載っているだろう。クソ忌々しい野郎だ。私が手にするはずだった賞賛とオマケに賞金を手にして喜んでやがる」


「……まだそのチャンスはありますよ」


「何?」


「曲には何も答えもヒントもありません。つまりコイツが犯人です」


「な……下らん言い逃れ、時間稼ぎだ」


「時間稼ぎはコイツですね。この記事に『答えについては後に本にでも書く』と書いてあります。

だが、ただの言い逃れ。誰かが粗を探そうと、詳しく調べられればボロが出てくるでしょう。

賞金を手に高飛びするつもりだ。急いだほうが良い。

英雄になれますよ。あなたは全てを見抜いていた。私はただあなたの指示に従ったとそう、話しましょう」


 所長は口をパクパクさせた後、踵を返し尻を蹴られたように駆け出した。


 開けたままの独房、その入り口の端から真新しい革靴が顔を出した。その主である看守は買ってから時間が経ち、ようやく馴染んだネクタイに軽く触れ、何か言いたそうに口を開いたが二十六番が曲を口ずさみ始めたので、そのまま静かに独房を閉めた。

 曲をバックに靴音が廊下に響く。どこか楽しげな音色だった。



 二十六番の希望通り、処刑室に音楽が流れた。

 だが執行される記念すべき最初の死刑囚は二十六番ではない。

 二十六番はもうどこにもいない。

 彼は本来の名前を取り戻し、太陽の光の下、土の上で心豊かに過ごしている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かった。 終わりがきれいで良かった。
[一言] つまり、自分をエサにして真犯人を釣り上げたのか。 面白い。
[良い点] 二十六番が「俺じゃない」などと言ってれば おそらくこの結末はなかったんでしょうね。 音楽と賞金を餌に真犯人をあぶり出した二十六番の根気と執念が凄まじい。 穏やかに暮らしてる元死刑囚を想像す…
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