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デカメロン同人  作者: 権兵衛(管理人)
86/201

第四十三夜|旅の一座

author:権兵衛

「兄さん、これほどまでに凶兆が重なったというのに、それでも行くの」マイダリーネ扮するカサンドラが言う。

「夢占いなどよりも、大事なものが時にはある」フレデリック扮するヘクターが言う。

「どうして、これほどまでに頑固なのかしら……ここはやはり、父君にお出まし願わなくては」

カサンドラの台詞が嘆きの溜息へと変わる頃合を見て、アイナ扮するトロイラスは麻縄で仕切られた仮の舞台に踏み出した。


「そのトロイラスの現れ方は、違うな」

ハンスの声が、すべての役者の動きを止めた。

アイナだけが、自分に投げられた言葉を受け止めるように、ゆっくりハンスの方を向く。

「どうしてそういう、現れ方ができる?ここでトロイラスが、目立っちゃいかんのだ」

ハンスは麻縄で仕切られた仮の桟敷に立ち上がった。

「それは……異物だからこそ、あえて場違いな出方をしようかと」

アイナは言いかけて、口ごもった。実のところ、同じところで何度も止めが入って、もはや彼自身どれが答えなのか皆目わからなくなっていた。


「異物だからこそ?」

ハンスは怪訝そうな表情を満面に湛え得て言う。

「その、堂々と出てきた方が、場違いであることが伝わるかと……思った」

語尾が消え入るように小さくなる。アイナもすでに、この出方には違和感しか感じていないのだ。

「もういい、お前の出方はお前で考えろ」ハンスは小さく溜息をつくと、舞台上の兄妹を振り向いた。「ヘクターとカサンドラは、それでいい。ただ声量に差がありすぎる。マイダリーネ、君にその気がなくても、ただの胆汁質(ヒステリック)な女と思う客も、いるかもしれない」

他の役者への駄目出しが、やけにやさしく聞こえるのは、僻みや気のせいだけではないだろう。


――今回の配役、どうやら俺はハズレを引いたようだ。

ハンスの言葉を聞き流しながら、アイナは小さく溜息をついた。


***


「ちょっとアイナ」

台本を追っていた視界いっぱいに、スープの入ったボウルが入り込んだ。

「もういい加減、仕舞いなさいな。食事の時くらい」

見上げると、マギーが大鍋を持って、すぐ傍らで笑っている。

「ああ……飯か」

「メシか、じゃないよ」マギーは笑って、ライ麦パンに鋸刃をあてる。「もうみんな食べ終わって、片付けはじめてるよ」

「悪い、薪はあとで割っておくから」

「いいよ別に、朝食までにやっとけば」溜息をついて、マギーはパン切れをアイナのボウルの中に落とす。「今日は移動日じゃないんだし」


「……」

見上げれば、すでに夕暮れの空には金星が光り始めている。道理で台本が追いにくいはずだ。

「トロイラスの出方、考えてんの?」

マギーはアイナの分を渡してしまうと、自分のためにさらに小さくパンを切り分け、口に運んだ。

「まあ、ね」

「そういうのって、考えてわかるもん?」

「いや」言ってから、すべて否定し去る気も起きず、アイナは天を仰いだまま補った。「たまに、基本的な心構えさえ抜け落ちることがあって」

黙って、マギーが地べたに腰を下ろす気配がする。

「それはあるかもね」

「今、それなんだ。どっか、基本が抜けてて。それが何だか思い出そうとしてる」

「あれだよ」マギーがこちらに向かって()()()を振るのだろう、視界の隅ににちらちらと小さな影が揺れる。「失くしたものを探すのと一緒で。別の事やってると案外見つかるもんさ」

「そうかね……」

完全に(から)返事である。アイナに文句をつけようとマギーが息を継いだ、その直後。


「ザクセンの奴らだ」

先程までトロイの守護者だったはずのフレデリックが、丘の上からしごく悠閑(のんびり)とした声を上げた。

「ザクセンの奴ら」とはあまりにも大雑把な呼称だが、それは(ほか)でもない、先王ヴァルデマールI世亡きあとの南ユトランドの地手中に収めんとて、低地(ニーダー)ザクセンから軍勢を率い、屡々(しばしば)この地に攻め込んで来るホルスタイン伯、アドルフIII世を指すことは誰の耳にも明らかであった。

すなわち、アイナとマギーは色めき立って立ち上がった。


「マギー、天幕畳める?」

アイナは女役者にそれだけ告げて、鍋、釜、――とにかく重い物を馬車に放り込むために走り出した。

「わかった」

ひと呼吸置いて、背後からマギーの声。バタバタと厚手の帆布が風になびく音がそれに加わる。

「ハンス、インゲボア」川縁の大天幕まで走り降り、中に声をかける。「急げ、アドルフ勢が来る」

フレデリックのように急を告げるのが先かと思ったが、よもや寝ているかもしれず。咄嗟にアイナは座長夫妻の名を最初に呼んだ。

ばさり、と音を立てて帆布が波打つ。中から主柱を取り払ったようだ。

「こっちはいい。お前は垂木を馬車に載せろ」

帆布が地面に覆いかぶさる前に、息せきハンス夫妻が中から出てきた。ヘクターの鎧をハンスが、兜をインゲボアが後生大事に抱えて。

「おおい、フレデリック。降りてきて、手伝え」

粗熱が取れたばかりの寸胴鍋をふたつ抱えて、アイナはなお丘の上でぼんやりと佇む名役者を大声で呼びつけた。


ホルスタイン伯アドルフIII世率いる軍勢がシュテラウアー川に差し掛かったのは、一座があただに野営を畳んで河原を退散した直後の事であった。


***


「奴ら、何してんの」

気取られぬよう警戒してか、マイダリーネは折った枝を頭に載せて茂みから顔を出した。

無遠慮な大声で言葉を交わしては、川の中へと歩を進める将兵たちが遠くに見える。

「何って」灌木の枝を乗馬靴で折りながら、ハンスは答えた。「奴らもあそこへ野営するんだろうよ」

「よりによって?うちらの天幕のところに?」半里は離れているにもかかわらず、彼女はなぜか声を潜めている。

「俺もあんまり地理には明るくないが、奴らはラベ河からここまで水にありついていないはず」

ハンスの視線の先には輜重隊であろうか、振り分けにした荷を負った馬の群れを牽いた男たちが、やはり水の中へと入って行った。

「そういうことか……」身を起こしたマイダリーネは、大儀そうに岩に凭れかかった。「畜生」

「もうちょっとすれば、雪解け水で水嵩も」若干太めの枝を折るのに苦心しつつ、ハンスは続けた。「増えるんだろうがな」

「さっきから、何してんの」ようやくハンスの奇妙な行動に、マイダリーネは気づいた様子。

「判らないか?もうじき夜だ」ばきりと音を立てて太枝が折れた。「明日までの燃料だよ」

「あ……そうか」マイダリーネは、急ぎ撤収する際に誰も薪をかき集めなかったことに気が付いた。鍋、釜、そして何よりも舞台衣装。一晩で消し炭と化してしまう薪を財産と考えるには、撤収の時間があまりにも短すぎたのだった。


ハンスの足元に散らばる小枝の山を見ているうちに、マイダリーネはやがて不安になってきた。この量で一座七人が、暖を取るとは。

「丘の上の樹なんて、こんなものよね」

「間違っても、降りようなんて思うなよ」ハンスがつまらなそうな声音でマイダリーネを牽制した。「お前がいなくなったら、誰がカサンドラ演るんだ?」

「インゲボアに頑張ってもらう」

「はっ」ハンスはお道化てトロイの王女の所作を真似てみせた。「デンマーク王でも観に来ない限り、うちの秘蔵っ子は出せませんわ」

「仕様もない。アンタ達、もうちょい役に立つこと話したらどう」傍らで帆布をまめに畳んでいたインゲボアが反応する。

三人の話の輪から(しば)し声が止み、彼らの視線はやがて今夜の薪割り当番であったはずのアイナに向けられつつあった。

丘に上がり、鍋釜の数を検したきり、彼は懐に手を突っ込んだままぼんやりと虚空を眺める様子である。

「アイナ」ハンスが声をかける。「大丈夫か。どこか打ったか」

(いや)――」上の空のまま、アイナは答えた。「台本、置いてきた」


***


アイナの供述は以下の通りである。

鍋釜をかき集める前に中身をそこらにぶちまけたのだが、粗雑な作業のさなか懐に入れた台本を取り落とすことを恐れて、近くにあった樅の切り株にそれを置いたのである。

「それで?」

薄々答えを知りつつ、ハンスはアイナに問うた。顳顬(こめかみ)の上のあたりが、刺すように痛くなってきた。

「それで――それきりさ」

自らの不甲斐なさか、それとも事態の間の悪さを呪ってか、アイナは誰にともなく、不貞腐れた態度でそう吐き捨てた。


「他の人の台本じゃ……ダメよね」

張り詰めた空気に耐えかね、マイダリーネが嘴を挟んだはいいが、途中でその無益に気づいて矛を収めた。

「俺の台詞の横っちょに、色々書きつけてあるから」アイナは自分を慰めるために、あえてマイダリーネに注釈付きで返答した。「君の申し出は、大変ありがたいが」

「ま……そうよね」

「奴らにとっちゃ、芝居の台本なんて紙屑同然だろう」丘のふもとに馬を繋ぎ留めたフレデリックが、坂を上がってくる。「何食わぬ顔で取りに行けば、場合によっちゃ」

「場合によっちゃ、だろ」普段ならフレデリックの要領を得ない提案に反応しないはずのハンスが、この時ばかりは語気を強めた。「何度も言うが、いま役者が減っちゃ困るんだ。場合によっちゃ斬り捨てられる、そんな条件で賭けに出られるか?」

「……まあ、確かに」あっさりとフレデリックは引き下がった。

平常心と呼ぶにはあまりにも呑気な彼の受け答えに失笑しつつも、一同何となく救いを得たような気持になった。


「そうは言っても、あれがないと」

しばらく後、アイナは未練がましい口を開いた。

「間合いから、気持ちの作り方から。ここ数か月の段取り、全部あの台本に書いてあるんだよな」

手が痛くなるまでに小枝を折り終えたハンスは、それを聞いていよいよ会話に本腰を入れようというそぶりで上体を起こした。

「アイナ。芝居と同じ、一回言ったことは二回言いたくないが、あえて二度言おう」

「な、何だよ」

「こんな世の中だ。一座の誰がいつ死んだっておかしくない」

「……」

「が、あえて言うぞ。俺は」そこで切って、ハンスは大きく息を吸い込んだ。「絶対、死ぬことは許さんからな。リストの町で興行を終えるまでは」


***


シュテラウアー川を放逐され、水も火もろくに供給できない丘の中腹に改めて天幕を張り、一座は夜を明かすことになった。

フレデリックは、夜更けになってもアイナの傍らで小枝を折り続け、申し訳程度に小さな火を起こす。

アイナが夜半に抜け出して、ホルシュタイン伯の軍営のさなか、台本を取りに舞い戻らぬよう不寝番をするため。それと、いい加減小枝を折る手が痛んできたハンスの代わりに、延々と燃料を供給するためでもあった。


「……おい」煩そうにアイナは寝返りを打ち、フレデリックを呼んだ。「パキパキうるさいぞ。もう寝てしまえ」

「そう言われてもなあ」あくまでも呑気な返答。「お前が抜けだしたら、こっちの責任だし」

「くそ、とんだヘクターだな」

さっきまでの芝居と、立場が全く逆だ。アイナは苦笑した。


「ザクセンの奴らが来る直前」気づけば、夜空を見上げつつアイナは話し出していた。「マギーに言われたんだ。台本と首っ引きで、(すじ)は見えてこない」

「さっきの稽古のことかい」

「ああ。いっそすっかり忘れて、メシでも食いなってさ。くそっ、あいつの云うとおりサッサと食っときゃよかったぜ」

「仕方ないさ。ああいう時は、逃げるだけで精いっぱいだ」

「まあ聞けって。お前……じゃなくてヘクターが出陣するさなか、唐突に俺が、トロイラスが入ってくる場面、あるだろ」

「ああ」

「俺は、その場面に何の関係もないトロイラスは、とにかくどう演技したらいいか判らなくてな」

「……そうか?」

「くそっ、どうせ天性の役者にはわからんよ。ヘボ役者のこの気持ちなんてな」

「おいおい、俺に絡むなよ」それでも多少は興味あるのか、フレデリックは夜空を向いたままのアイナを覗き込んだ。「話を進めてくれ」

「問題は」アイナは言葉に力を込めた。「ザクセンの奴らが来てからさ。俺はお前の声を聴いて、慌てふためいてハンス呼びに行って、鍋釜、衣装を馬車に放り込んで。それからこの丘まで上がって、ついさっきまで台本の件で座長殿に嫌というほどお小言喰らって、とことんまで気がまぎれたんだろうな。ようやく先刻(さっき)腹落ちしたのさ」

「腹落ち?」

「まあ、な」

「何かがわかったって事かい」

「それはまあ、想像にお任せするよ」

「ひどいな、自分から話しかけてきて……」

「ふふん」

――自分が役者で、観客に見られていることを、意識する。

こんな初歩的な心構えを忘れていたなんて、一座の看板役者にどんな顔をして言えばいいのか、アイナには知る由もなかった。


***


翌朝。

アイナは自分の天幕の入り口に、座長のハンスが膝まで泥にまみれた出立(いでたち)(うつぶ)せになって転がっているのを目にすると、思わず叫び声をあげた。

「静かにしろ」

流れ込んでくる澄み切った空気とは裏腹に、不機嫌極まりない口調で座長は唸った。

同時に、アイナの手に見覚えのある台本が乗せられた。

「……あれ」

「相変わらず、お前の云う切り株の上に乗ったままだった」

「ハンス、お前が持って来たのかい」アイナの鼻腔を、きつい蒸留酒の匂いが刺す。恐らくそれは、横たわる座長から発せられていた。

「恩に着ろよ」ハンスは敷布から少しだけ顔を見せ、呂律の回らない口調で言った。「ちなみに、台本の上には、さらに低地ザクセン人の尻が乗っかってた」

過去に、それこそアイナが加わるよりもずっと以前に、ハンス一座がハンブルクでしばらく興行していたことを、幾度かアイナは聞いたことがあった。

その、うろ覚えの低地ザクセン語で口八丁(はったり)を利かせ、台本を取り返してきたのだという。

「見せたかったぜ、俺の模範的な演技をな」おかしそうに、ハンスの肩が波打つ。「奴ら、完全に俺を同胞と思い込んでいやがった。ただちょっと酔って、呂律の回らない同胞だと」

「お前、俺には行くなと言っておいて」

「だから、言ったろ」波打つ肩が止まり、再び顔がアイナを向く。「いま、()()()減っちゃ、困るんだ。ほかでもない、この演出(ハンス)様がな」

ハンスによると最大の山場は、すっかりハンスを友軍と思い込んだ低地ザクセン人がハンスに手渡そうと手に取った台本の表紙に、南ユトランド語で「台詞とともに、気持ちも届けよ」と大書されているのを見た瞬間だったという。

「もう、最後の方はぼろが出ちまってさ」ばたりと寝返りを打ち、ハンスは仰向けになった。「とにかく頭のおかしな友軍で押し切って、それから」

「それから?」

「走って逃げた。全速力でな」

どちらからともなく笑いがこみ上げる。すでにアイナの敷布の三分の一は、ハンスの持ち込んだ泥炭で黒褐色に染まっていた。

「まあ、そうだな」笑い過ぎて流れる涙を拭いながら、アイナは言った。「生きてやるよ。少なくとも、リストの町で興行を終えるまでは、な」



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