第四夜|たった二人の晩餐会
author: はち
『一緒に食事でもどうだ?』
不意にそんなメールが来て、思わず顔を顰めずにはいられなかった。
現在世の中には突然変異したウイルスが流行り始めている。細かいことはよくわからないが、わかることと言えば誰もが感染するリスクがあり、最悪の場合死に至る可能性もあるということだ。
しかも最悪なことに人獣共通感染症である。元を辿れば獣人――動物の特性を持ったヒトであるとこの場合は定義しておこう――の間でのみ感染するウイルスだったが、今回の突然変異により感染性が高くなり、ヒトにも感染するようになってしまった。
その結果、何が起きたか。獣人への差別の激化だ。街を歩いているだけで「ウイルスを撒き散らしてる」とまるで犯罪者のように扱われる。獣人にとっては肩身の狭い世の中になってしまっているというのに、このメールの相手である虎獣人、弥栄 末彦は一体何を考えているのか……。
『このご時世に何言ってるんですか?』
そう素っ気なく返す。
俺と弥栄さんは上司と部下の関係だ。文面からわかる通り、俺が部下で弥栄さんが上司。しかも俺は人間だ。
そんな二人が外で食事をしようものなら好奇と侮蔑の目に晒されること間違いなしだ。主に弥栄さんが。
元来弥栄さんは他人の目を気にしないヒトだ。周りにどう見られたところで気にはしないだろうが、俺や他のヒトが居るなら話は別である。そういう気配りは出来るヒトだと思っていたんだけどなぁ。
呆れとも取れないため息を吐いているとスマホがまた震える。どうやら今度は電話のようだ。表示されているのは『弥栄 末彦』
何が何やらわからないまま電話に出ると明朗な声が耳朶を叩く。
『ようよう、元気してるかー?』
思わずスマホから耳を離したくなるくらいの大音量。デフォルトでこの声の大きさなのだからタチが悪い。
「……で、どういう事ですか?」
『まぁまぁそんなに不機嫌な声を出すなって。そろそろ来ると思うんだが……』
「――は?」
上司相手にものすごく失礼な返事を返してしまった。
来る、とはどういう事だろう。まさかとは思うが、弥栄さんが今こっちに向かっているとか……? なら「そろそろ来る」なんて言葉は使わないか。
それなら何が来るというのか――考えているうちにインターホンが鳴った。
『ぉ、来たみたいだな』
うきうきしたような声音で弥栄さんがニシシと笑っている。
カメラを覗いてみるとどうやら配達員のようだった。本人じゃなくてとりあえず一安心だ。
「ちょっと待っててください」
きっと弥栄さんが何か送ってきたのだろうことはわかったので、問い詰める意味も込めて電話は切らないでおく。
「おう」と元気な声が聞こえ、テーブルにスマホを置くと手近にあったズボンを履いて玄関へと向かった。
「……何です? これ」
配達員から手渡されたのは十五インチのノートパソコンくらいの大きさの木箱だった。中はほんのりと温かい。
『早速開けてみて欲しいんだが、ちょっと待ってな。あ、ショウちゃん今テレビ電話出来るか? あーいや、タブレット持ってるか?』
なにやら向こう側からドタドタと忙しない音が聞こえる。中身は気になるものの、待てと言われたからには待つべきだろう。……犬みたいだ。
因みに俺の名前は勝彦である。読み方は『かつひこ』、どこにもショウという言葉はないが勝の字を無理矢理音読みされてショウと呼ばれている訳だ。
名前に同じ彦が付く同士ということで妙に印象に残っていたらしく、入社してからずっと会社でよく面倒を見てもらっている。
「タブレット、一応ありますよ」
『ぉ、流石。ならそっちでビデオ通話しよう。社用の通話アプリとかじゃなくて良いぞ、ショウちゃん何使ってる?』
「あ、いや……その前に俺めちゃめちゃ部屋着なんですけど」
『いいじゃねぇか部屋着! ショウちゃんの部屋着見てみたい』
何故そこで楽しそうに声を弾ませるのか。男の部屋着なんて見ても何も楽しくないだろう。
いつも通りといえばいつも通りなのだけれど、気付けば弥栄さんのペースに乗せられている。……嫌いじゃないけど、ちょっと悔しい。
「いいもんじゃないですよ……? じゃあ、このアプリで。電話掛け直しますね」
『おう、待ってる!』
まるで子供のような返事に思わず笑ってしまった。本当に楽しみにしてくれているようだ。
普段は動画を見るくらいにしか使っていないタブレットにアプリを一つインストールさせて起動する。
ユーザーの一覧から「弥栄 末彦」を選択すると通話ボタンを――
「……あ、違うのか」
押しかけてからビデオ通話のボタンを押した。
上司と通話するのに本当に部屋着で良いのか今更ながらに少し後悔するが、後の祭だ。呼び出し音の一つ目が終わる前に取られてしまった。
あのでかい図体で尻尾を揺らしながらうきうきと着信を待っている姿を想像して少し顔がニヤけてしまう。
『ぉ、ショウちゃんだ! いいねぇ、本当に部屋着だ』
「ぅわ!! ずる!!」
画面いっぱいに映る虎は俺の姿を見て満面の笑みを零すが、その姿に思わず叫んでしまった。
普段会うようなスーツ姿ではなく、外行き用のオシャレな服装で現れたのだ。年齢は三十代後半というのも相まって、大人の雰囲気が滲み出ている。
ヒトには部屋着で良いとか言いながら自分はしっかりオシャレしてきている事にこの男の意地の悪さを感じる。
『ふーん、オーバーサイズの服を部屋着にしてるんだな……エッチじゃん』
「何言ってんすか!! 着替えてきます!!」
自分の顔が熱くなるのを感じながらドタバタと寝室へと向かう。後ろから弥栄さんの楽しそうな笑い声が聞こえたが、憎たらしいので寝室の扉を閉めてやった。
絶対俺をからかう為にそういう流れにしたのは明白で、羞恥とよくわからない感情がないまぜになって身体が熱かった。
確かに部屋着は二周りくらい大きなサイズのシャツを着ている。服を来ている時の拘束感が正直あんまり好きではないのだ。
本当なら自分の部屋でくらい服など身につけずにいたいものだけれど、なんとなく恥ずかしくて出来ない。小心者で我ながら情けない。
「……お待たせしました」
『私服はそんな感じなんだな。いいねいいね、デートしてる気分だ』
わざとらしく大きくため息を吐く。俺が呆れるのですらこのヒトは楽しいのだろう、ニシシと大きな牙を見せながら楽しそうに笑っている。
本来なら何か理由をつけて断る事だって出来たのだ。それをせずにこうやってビデオ通話までしている時点で俺だってこのヒトと話す事を望んでいるのだと気付く。
そんな自分にすら呆れながら、つられて俺も笑ってしまった。
「デート相手は俺で良かったんですか?」
『当ったり前だろー? こちとら結構前から計画して――あ、いや……今の、忘れてくれ……』
得意げに胸を逸らして話し始めたと思ったら、どうやら口を滑らせてしまったらしい。大きな手で顔を覆いながら頬を赤らめている。
良くも悪くも正直で、良くも悪くもやっぱり子供みたいなヒトだ。
「続き、聞きたいです」
『あ、ショウちゃん今すげぇいじわるな顔してんぞ! そんな話はいいんだよ! それよりこれ、どういう状況かわかるか?』
カメラの位置を少し調整して、弥栄さんはタブレットを遠ざける。どうやらテーブルの上に置いているようで、画面に映っているのは弥栄さんと先程俺のところに届いたものと同じ木箱だった。
少し考えてから最初の言葉を思い出す。なるほど、そういうことか。
弥栄さんに倣い、俺もテーブルの上にタブレットを置くと、木箱を前に置いて椅子に座った。もちろん、箸も忘れない。
『流石ショウちゃん。じゃあ、せーので開けるぞ? ……せーの!』
「………わぁ」
思わず感嘆の声を漏らす。
木箱の中には黄や緑、オレンジなど目に優しい色で彩られた懐石料理が入っていた。
筍ごはん、赤魚やたらの芽の揚げ出し、金平ごぼうなど美味しそうなモノばかりだ。視覚から、嗅覚から刺激を受けて思わず腹の虫が騒ぐ。
咄嗟に腹を抑えたが、手遅れ。画面を見れば笑いを堪えている弥栄さんと眼があった。すぐに目を逸らしたがそれが面白かったらしく、声を上げて笑っている。
『いやぁ、気に入ってくれたようで良かった。本当は酒に合うようなフレンチとかが良かったんだが、どうも見た目が良くなくてな……どう頑張っても弁当感が出ちまうから和食で攻めてみた』
本当に色々考えてくれていたようだ。一部下にそこまでしてくれるとは思いもよらなかった。
「最近まともなの食べてなかったんで凄く嬉しいです。ありがとうございます」
素直に頭を下げると不意を突かれたように弥栄さんが眼を丸くする。
『…………本当に、気に入ってくれたようで良かった』
少しの間のあと、照れくさそうにそう返した弥栄さんが、少し可愛かった。小さな耳が忙しなくピコピコ動いている。
からかいたいという気持ちもあったけど、何となく無粋な気がしてしまった。今は、弥栄さんの好意を堪能するべきだ。
「いただいてもいいですか?」
『あ? あぁ、そうだな。食べようぜ!』
大仰に手をバチンと合わせると、いただきますと声を上げたのに続いて俺も手を合わせてあとに続く。
弁当は本当に美味しいものだった。最近ではインスタントラーメンやコンビニ弁当ばかりだったせいもあるが、それを差し引いても普段食べることの出来ない美味しさだ。
……今更だけど、結構高かったりするのかな。
「……どうしました?」
『あ、いや! 別に!!』
食べるのに夢中だったせいで今まで弥栄さんがこっちを見ている事に気付かなかった。訊いてみると慌てふためいてそそくさと弁当を食べ始めたので、その意図はよくわからない。
首を傾げてみるも、画面越しとは言えこうやって誰かと食を共にするのは久しぶりだった。
『ショウちゃんは最近どうだ? やっぱり寂しかったりするか?』
「まぁ、そうですね。ヒトと会わな過ぎて声を出す事も殆どなかったので喋り方を忘れるというか……」
『その割には始めから大分オレに辛辣だったけどな』
「そりゃこんな時期に食事しようなんて言われたら誰だってああなりますよ!」
『あっはっは! まぁ当たり前の反応だな!』
想像通りの反応だったからこそ、面白かったのかもしれない。むぅ、手の上で踊らされている感が否めない。
酒も入っていないというのに機嫌良さそうにしている弥栄さんを見ていると、俺も引っ張られるように心が浮上していく。
本当に何もない日々だった。ヒトと接する事のない環境に置かれると、こんなにも生活とは無味無臭になってしまうものであるのだと思い知らされた。
沈んで行っていた訳ではない。ただ、心は完全に停滞していた。
浮きもせず、沈みもせず、時が止まったように動く事はなかった。
久々にこうして誰かと話して、自分の心が動いているのがわかる。心が楽しいと感じている事が、楽しかった。
「ビデオ通話で食事なんて、良く考えましたね」
『あ、まぁ……なんだ、話すきっかけが欲しかったんだよ。オレはさ、古いヤツだから話すなら面と向かって話したいし、相手の表情が見れた方が安心するんだ』
「それは確かにわかるような気がします」
『楽しんでくれたか?』
「はい、とても……」
『そりゃ良かった。オレも楽しい』
頬杖をついて、眼を細めて言われると画面越しでも少しドギマギしてしまう。こういう仕草はやっぱり少し大人っぽいのだ。
なんだか……口説かれている気分になってしまう。
『良いだろ? こういうの』
画面の向こう、弥栄 末彦を見る。騒がしくて、ガサツで、体育会系の身体の大きい虎獣人。
たまにうざったく思う事もあるけれど、面倒見が良くて、大らかで、器の大きいこのヒトを俺はきっと――
リラックスした、少し眠たげな表情の彼に俺は同じような表情を返す。
手を伸ばしても届かない距離がもどかしいけれど、不思議と遠く感じないたった二人だけの、優しい時間。
テーブルの向かいに本当に彼が据わっているようで
「はい……悪くないです」
そんな空間が俺は、嫌いじゃなかった。




