第三十八夜|移植
author:鴨ノ羽 葵
「ごめんくださあい」
誰かの声が聞こえて、少年はベッドから身体を起こし、部屋を飛びだした。廊下の窓に額を貼りつけて、外のようすを窺う。屋敷の門のそばに、赤毛をおさげに結った少女が立っていた。布をかけた編みかごを片手に提げている。母親が応えてほどなく、扉のひらく音がした。
ふいに、少女が窓のほうに視線を向けた。緑いろの瞳が一閃して、少年はとっさに身をかがめる。左の鎖骨のしたに手のひらを当てた。淡くしびれる感覚が、全身を駆けめぐる。
予後も順調ですので、このままいけば予定通りに退院できるでしょう。
医者は平坦な口調で告げる。両親が顔を見あわせ、安堵のため息をついた。少年だけが、ぼうっとした眼で医者を眺めている。
かつて、少年にとっては、動物を殺すことが遊びだった。虫にはじまり、殺す生きものは少しずつおおきくなった。彼が最後に手をかけたのは隣家の飼い猫で、飼い主が凶行に気づいた。それがきっかけで、手術を受けることになったのだ。
少年を外界に触れさせることは、かなり大ごとだった。直後に通された病室には窓さえなく、病院内の散歩も固く禁じられた。
恐ろしいものはもちろんですが、美しすぎるものも、とうぶんは見てはいけません。なんでも、遠くから、眺めるようにしてください。
二週間が経つと、窓のある部屋に移された。環境に慣れるため、外を眺めてもよいことになったのだ。少年に当てがわれたのは、もっとも眺めのいい部屋だった。はじめて窓の外を見たとき、少年は息を呑んだ。庭にならんで植えられた低木が、淡い水いろの花を咲かせている。雨があがり、ちょうど陽の光が差しこんできたところだった。雨に洗われた葉がみずみずしい。
きれいだね、母さん。
隣に立っていた母親に、少年は言った。答えはない。母親は、嗚咽を漏らして、大粒の涙を流していた。
少年が外の空気に触れたのは、手術から一ヶ月後の退院の日だ。
術後一年間は、外出を控えてください。遠出や旅行は厳禁です。たとえ日帰りであっても、いけません。学校など、人がたくさん集まる場所も避けてください。お話ししたとおり、息子さんの身体には、大変に脆い臓器が入っているのですから。
少年たちが病院を去る直前まで、医者は何度も念を押した。
手術をきっかけに、家族は丘に建つ屋敷に引っこした。丘のふもとには、物売りの店や宿が建ちならび、昼も夜もにぎわいを見せる。母は毎日のように丘をくだり、食材や日用品を買いもとめた。
引っこして数ヶ月が経つころ、仕事を終えた父親が、茶いろい紙包みを持ちかえってきた。包みには、ふもとの商店会の刻印がある。包みを解くと、木製の双眼鏡が姿を現した。ずっしりと持ち重りのする、いかにも高そうな代物だ。
それで、ふもとの街を見たらいいんじゃないかと思ってな。このあたりは景色もいいし、気ばらしになるだろう。
家の周りを出あるくことについて、ちょうど許可が出たところだった。少年は双眼鏡を舐めるように眺め、首にかけるための革ベルトに触れる。ずいぶん使いこまれたものらしく、表面がつややかだ。少年はレンズを覗いて、父親の顔に向けた。ぼやぼやとして薄暗く、何も見えない。双眼鏡を外すと、父親が心なし不安げな眼差しで少年を窺っていた。
気に入ったよ。ありがとう、父さん。
少年は笑って答えた。父親を安心させなければ、と思うのは、彼にとって初めてのことだった。
「起きてるんでしょう。お茶にするから、降りていらっしゃい」
母親の呼ぶ声がして、我に返った。手のひらを当てていたところだけ、シャツの生地が湿っている。
「いま行くよ」
おおきな声で答えて立ちあがった。窓の外には、もう誰もいない。ほっと息をついて、階段に足をかける。さっきの淡いしびれはなんだったのだろう。不思議に思いつつも、両親には黙っておくことにした。
食卓に、編みかごが置かれている。
「お隣の娘さんが、持ってきてくれたのよ。おすそわけですって」
母親が微笑んだ。おすそわけと聞いても、少年にはぴんと来ない。
「来週、お祭りがあるでしょう。それで、お祝いのお菓子を配りあうのが慣習なんですって」
かごにかけられた布を外すと、赤や青や、さまざまな色の丸い菓子がたっぷり詰まっていた。直径は少年の手のひらほどだ。緑いろの菓子を取る。おおきさのわりには軽い。鼻を近づけてみると、明るくて乾いた香りがした。
「食べてもいいの?」
「もちろん」
歯を立てた瞬間、菓子は軽い音を立てて割れた。破片がばらばらと床に落ちる。
「あら、ずいぶん薄いのね。何も入ってないの」
菓子のなかみは空洞だった。薄い生地を球体に成形して焼きあげたものだったのだ。
「そうみたい」
床にしゃがむ。緑いろの破片を手のひらに載せると、少女の張りつめた瞳が脳裏に浮かんで、しびれるような感覚が戻ってきた。
数日後、少年は母親に編みかごを渡され、隣の家に届けるようにと言いつかった。双眼鏡を首から提げて家を出る。暖かな光が、少年の黒い髪に白い輪をつくった。かごを届けおわったら、原っぱに行くつもりだ。原っぱから眺める街の景色が、気にいったのだった。
「すみません」
隣家の門のまえに立ち、細い声で呼びかけた。言葉は風に流されて、届かない。
「なんか用?」
うしろから声をかけられ、少年はびくりと肩を震わせる。振りむくと、このまえ家を訪ねてきた少女が立っていた。まとったエプロンドレスは継ぎだらけで、ところどころ黒く汚れている。三つ編みもほつれて、いまにもほどけそうだ。底光りする緑いろの眼が、彼の顔をまじまじと見ている。
「あの、おすそわけを」
口ごもりながら、やっと答える。少女は一直線に近づいてきて、かごをひったくった。かかった布をめくり、ふんと鼻を鳴らす。
「これ、嫌いなんだよね。変に甘ったるくてさ」
口調こそ乱暴だが、語尾に気のよさが滲みでている。
「僕、食べようとして割っちゃった。空っぽだって知らなくて」
思わず、失敗を打ちあけてしまった。少女はおおきな口を開けて笑う。
「そりゃ災難だったわね。でも、あたしも、そういうところがいやなの。もっと、なかみが詰まっていなくちゃ」
つぎの瞬間、何かを思いついたように眼を輝かせた。
「ちょっと待ってて」
答える間も与えず、少女は家の門を抜け、玄関の扉を開けはなつ。あっけにとられる少年をよそに、稲妻のように家のなかに入っていった。炎のような髪が、残像を脳裏に刻んだ。
「おい、それをどこへ持っていくんだ」
ふたたび扉がひらいたとき、少女のうしろから男が追いかけてきた。豊かな赤い髪をもつ、がっしりとした男だ。
「こいつにあげんの。腹減ったっていうから」
早足に歩きながら、少女は叫んだ。両手に丸い包みを握っている。
「ぼ、僕は、そんなことは」
少年が口ばしったとたん、男は初めて少年に視線を向けた。
「見ない顔だな」
男は太い眉を寄せる。眼のしたのクマが濃い。
「隣に引っこしてきた家の子だよ。パパ、なんにも見てないんだから」
言いすてて、少女は門を飛びだした。少年は、男と少女を交互に見て、その場に立ちつくす。
「悪いな坊主。あいつは火の玉みてえなやつでな」
男が笑いかけて、うなずく。少年は一礼して、あとを追いかける。白い脚が軽やかに地面を蹴った。
少年が原っぱに着くと、少女はすでにあぐらをかいて座っていた。早く早くと手まねきをする。
「あんたも食べてみて」
少年が腰をおろすなり、包みを差しだした。青いギンガムチェックの布にくるまれている。なかには、狐いろのパンが入っていた。少女が強く握ったためか、やわらかそうな表面が、ところどころ潰れている。浅くかじると、ほのかな甘さが舌に伝わった。
「おいしい」
つぶやく少年をよそに、少女はおおきな口を開け、一気に半分ほどを口に詰めこんだ。そばかすだらけの頬が丸くふくらむ。食べかたが荒っぽいのに、下品に見えないのが不思議だった。
「あたしのパパ、パン屋なんだ」
口のなかのものをきちんと飲みこんでから、少女はぽつりと言った。
「お祭りの時期は、あのお菓子をたくさんつくらなきゃならないでしょ。だから、あたしの好きなパンはいつも後回しなの」
男の顔にあった濃いクマを思いだす。
「あんた、いつも何して遊んでんの」
少女は三つ編みをいじりながら訊ねた。少年は食べおえたパンの包みをきれいに畳み、彼女に差しだした。
「ここに来て、丘のしたを眺めてる。それが遊び。あんまり出かけられないんだ」
少年は、胸元の双眼鏡に触れた。
「楽しくなさそう」
少女の言葉は率直だった。かつての自分にとっての遊びを思いだして、少年は腕が粟だつ。ときどきやってくる淡いしびれとはちがい、はっきりとした恐れや嫌悪を伴っていた。あのとき、僕は楽しんでいたのだろうか。いまとなっては、わからないことだった。
「まえは、いろんなものを殺すのが、僕の遊びだった」
それ以外に、どう答えていいのかわからなかった。
「ま、それよりはましか」
嫌悪感を示すわけでもなく、少女はあっけらかんと笑う。少年も、真似して微笑んでみた。そのあとも話題は尽きず、少年もしぜんと笑みをこぼした。やがて、少女が弾かれたように立ちあがった。
「あたし行かなきゃ。パパの手つだいするんだった」
別れの挨拶を口にして、スカートの裾を強くはたく。少年は手を軽くあげたまま、うしろ姿を見おくった。肩で跳ねる三つ編みを見ていると、移植した臓器にふんわりと光が灯った。
祭りの日、遅めの朝食を掻きこんで、少年は双眼鏡を手に家を飛びだす。祭りの音楽は聞こえていたはずなのに、すっかり寝坊してしまった。身体を激しく動かすことは禁じられているので、できうるかぎりの早足で、原っぱを目ざした。
丘へくだる一本道に、色鮮やかな衣装が連なっているのがみえた。この街では、祭りの行列に加わらない人々も、祭りのための衣装を用意して、好きなように着かざるのだ。大小さまざまな装身具が、めいめいに輝いていた。
少年の頬は高揚に薄赤く染まっている。興奮のあまりに冷たくなった指先で、双眼鏡を覗いた。丘のふもとには、出店が所狭しとならんでいる。その屋根々々をひと通り眺めて、双眼鏡をふたたび一本道に向けた。
人々の身につけたものを見ているだけで、嬉しくなる。僕は、サテンで仕たてた水いろのシャツに、草いろのパンツを穿いて、あちこちに光るビーズを縫いつけよう。耳には金の輪飾りをつけるんだ。想像していると、行列に加わった気分になってくる。
ゆっくりと双眼鏡を動かすうちに、偶然にも隣家の少女を見つけた。父親と腕を組み、ゆっくりと歩いていく。提灯袖の、真青なワンピースを着て、ガラス玉の耳飾りを光らせている。おさげ髪には白い小花が一緒に編みこまれ、肩のうえで跳ねた。二階の窓から少女を見たときのことが、鮮やかによみがえった。
「ここだよ」
思わず口ばしる。聞こえるはずがないことはわかっている。
「ここだってば」
双眼鏡を構えたまま、苛立ちまじりに言った。つぎの瞬間、少女の顔が少年のほうに向き、ぴたりと動きを止めた。緑いろの瞳が見ひらかれる。彼女は顔を輝かせ、おおきく手を振った。耳飾りが揺れる。声は聞こえないが、何ごとか呼びかけているようだ。
少年が片手をあげたとき、身体の内側で、臓器が激しく震えはじめた。全身から力が抜けて、その場にくず折れる。双眼鏡が手から滑りおちる寸前、少女の瞳に不安の影が差すのがみえた。原っぱに倒れて、苦しい呼吸を繰りかえす。
恐ろしいものはもちろんですが、美しすぎるものも、とうぶんは見てはいけません。なんでも、遠くから、眺めるようにしてください。
眼裏に、かごいっぱいに盛られた丸い菓子が映った。少女の荒っぽい手が編みかごを掴んで、勢いよくひっくり返す。菓子は地面に叩きつけられて、色とりどりの破片がはじけた。緑いろの破片だけが、痛いほどに眩しく輝いた。




