第三十六夜|赤髪のファム・ファタール
author:きさらぎみやび
彼女と出会ったのは、雨の降る中コンビニの駐車場で僕がうずくまっているときだった。
傘も持たずに家を飛び出しあてもなく彷徨っていたら、あたりはすっかり暗くなってしまい、コンビニの軒下の端っこで僕は途方に暮れていた。
軒下と言っても庇が伸びているわけでもないから、降り続く雨は容赦なく僕の体を湿らせていき、濡れた体からは徐々に体温が失われていく。
コンビニ客はまるで僕が風景の一部になったかのように目の前を通り過ぎていき、ときおり関心を向けてくるのは迷惑そうにこちらを睨んでくるアルバイトのコンビニ店員くらいだった。
雨粒で波紋が生まれる水溜まりをじっと見つめていると、目の前にごつめのショートブーツが現れた。
僕の前でぴたりと立ち止まると、こちらにくるりと向き直る。
僕はブーツを起点にして視線を上まで持ち上げていく。
ニーハイソックスにほっそりとした足。チェックのスカート。牙を剥き出しにしたパンダ柄のTシャツに真っ赤なジャケット。肩まで伸びた髪は先端まで真っ赤な色に染め抜かれていた。
そこにいたのはパンキッシュな女の人だった。小脇にヘルメットを抱えながらこちらを面白そうに覗き込んで声をかけてくる。
「よう少年。どしたの?」
「…ほっといてください。僕は家出してきたんです」
彼女はそんな僕を見て、ふぅーん、と一人勝手に頷くとジャケットのポケットから赤い皮財布を取り出しながらコンビニへと入っていった。
再び俯いていた僕の頭に、ぽん、と何かが乗せられる。
顔を上げると、さっきのパンクお姉さんが僕の頭にコンビニの袋を乗っけていた。
「なにするんですか」
「んー、とりあえずコレあげる」
「なんですかこれ」
「まあまあ、いーからいーから」
言われるがままに袋を覗き込むと、中には赤いトランクスと、グレーのTシャツが入っていた。さっきコンビニで買ってきたのだろうか。
「赤のシャツが無かったのが残念だけどねー、さすがにコンビニでは売ってないか。ドンキならあるかな?」
「いやそうじゃなくて、なんですかこれ」
「ん?キミの着替えだけど」
「いきなりこんなもの受け取れませんよ」
「まあとりあえずそれ持って」
言うとパンクお姉さんは僕の腕をむんずと掴むと、有無を言わさず引っ張り上げて、駐車場に止めてあった真っ赤な大型スクーターの方へ向かっていく。どうやらとことん赤が好きな人らしい。
スクーターに跨りエンジンをかけると、またもや「はいこれ」と言って今度は小脇に抱えていたヘルメットをこちらに押し付けてくる。
「それ被って。いっこしかないからアタシはノーヘルになっちゃうけど」
「だからちょっと待ってください。さっきから一体なんなんですか」
突然の成り行きに戸惑いまくっている僕を、なかば強引にスクーターの後ろに跨らせる。
「んじゃ飛ばすから、しっかり掴まっててね」
「え、ちょっと、ま」
僕が言い終わる前にスクーターは水溜まりで多少スリップしながらも勢いよくコンビニの駐車場を飛び出していく。慌ててどこかに掴まろうとするが、どこを持っていいのか皆目わからない。必死に足をぎゅっと閉じてスクーターから落とされないようにするのが精一杯だった。パンクお姉さんはアクセルをふかしながら自分の腰のあたりをちょいちょいと指さす。
そこに掴まれっていうこと?
女の人の腰なんて掴んだことがないからすこし躊躇ったけど、それよりもカーブのたびに振り回されるのが恐怖だったので恐る恐るながら彼女の腰に手を回した。
スクーターは夜の繁華街を泥水を跳ね飛ばしながら走り抜けてゆく。
雨粒がばちばちと全身にぶち当たってくる。お姉さんはこんな雨の中、顔もむき出しで大丈夫なのだろうか。そう思った矢先に彼女は叫んだ。
「うわはははっはっは、化粧が取れる―」
「ヘルメットもつけずにスピード出すからですよ!ちゃんと前見えてるんですか!?」
「いやー、ほとんど見えないね!」
「降ろしてください」
すっと肝が冷える僕を無視するかのようにさらにスクーターのスピードは上がる。
「降りれるもんなら降りてみやがれ!」
「うわわわわわわ」
「あはははははははっ!」
よくわからないけどお姉さんは心の底から楽しんでいるようだった。
奇跡的にも一度も転ばず、事故も起こさず、警察にも捕まらずに目的地に着いたようだった。スクーターは古ぼけたビルの前にほとんど横滑りしながら止まった。
「あー楽しかった。後ろに誰か乗ってるとバランスが変わって運転しにくいわー。お、少年、どした?」
「死ぬかと思った…」
僕はスクーターを降りるとその場にへたり込んだ。必死に閉じていた足の内側が痛い。彼女を見るとビルの横に引っ付いている、錆びた鉄製の外階段を上り始めていた。僕は慌てて彼女を追いかける。カンカン、とやたらと音が響く階段を上りきると、ビルの屋上にはプレハブ製のペントハウスが建っていた。
彼女に追いついた僕は質問を投げかける。
「なんですか、ここ」
「アタシの家だけど?」
何をいまさら、とでも言いたげな顔で彼女は答える。すたすたとドアを開けて入っていく彼女の後について中に入るとだいぶ、いやかなり雑然としているけど、それを除けば意外と快適そうだった。
「ほれ」と言って彼女はこちらに蛍光ピンクのバスタオルを放り投げてきた。これで体を拭けということらしい。
雨の中を走ってきてすっかりぐしょ濡れだった僕はおとなしくバスタオルで体をぬぐう。彼女の方をふと見ると、彼女も服を脱いで体を拭いているところだった。
「うわっ」
慌てて後ろを向いて目をそらす。彼女は下着の色まで赤かった。後ろを向いたままもぞもぞしていると、下着姿のまま彼女が話しかけてくる。
「なにしてんの。体拭いたなら着替えなよ」
「ここで!?」
「他にどこがあるのさ」
彼女が手を広げてあたりを見回す。玄関から部屋の奥までほとんどぶち抜きでどこかに隠れるようなスペースはない。
仕方なく僕もその場で服を脱ぎ、トランクスとTシャツの袋を開けてそれに着替える。さすがに玄関の方、つまり彼女を背中側に向けて着替えたけれど、着替えている間、背中に痛いほど視線を感じていた。着替え終わって振り向くと、彼女は部屋の一番奥にあるベッドに腰かけてこちらをにやにやと眺めていた。
「…なんで見てるんですか」
「いやー、若いオトコの体っていいなぁと思って」
「そういうお姉さんは何歳なんですか」
「えー、オンナノコに年齢聞いちゃう?そーいうオトコは嫌われるぞー」
「若い男を有無を言わさず部屋に連れ込む女の人がいまさら何言ってるんですか」
「お、言うねえ少年」
僕の反論に彼女はむしろ嬉しそうに返事を返す。にやにやと笑いを強めていく様は、まるで不思議の国のアリスのチェシャ猫のようだった。
「拾われてきたくせに生意気いうじゃない。そういう子はこうだっ!」
彼女は最初に僕を立ち上がらせたときのように、僕の腕を有無を言わさず引っ張った。どさり、と僕らは二人、ベッドに倒れ込む。
突然の出来事におろおろとしている僕に彼女は覆いかぶさってきて言う。
「あー、あったかい」
確かに雨に打たれて冷え切った体には人の温もりが心地よかった。
柔らかな温もりに包まれてぼんやりしていると、突然に唇をふさがれた。
僕の口内に侵入し、うねる彼女の舌は、少し煙草の味がした。
「んっ…」
そっと彼女の体に触れると、まるでスイッチを押したかのように、切なそうに声を上げる。その声がもっと聞きたくて、そのまま僕は彼女の中からありったけのスイッチを探し出した。
「…それで、僕をここまで連れてきた理由はなんですか」
じんわりと汗をかいた僕らはベッドに二人で寝転がっていた。
僕は改めて彼女に問いかける。彼女は安っぽい天井を眺めて少し考えてから答える。
「なんか捨て猫みたいだったから、なんとなく、かな。いやどっちかというと捨て犬か?」
「そんな理由で未成年を拾ってきたんですか…僕がいうのもなんですけど」
「ほら、不良が捨て猫拾っていると好感度上がるじゃん?あんな感じ?」
「誰に向けてのアピールなんですか、それ」
「なんだろう、音楽の神様、かな」
横を向いた彼女の視線の先には、壁際に立てかけられた黒いアコースティックギターがあった。
「ギターは、黒なんですね」
「そ。昔の男の、忘れ形見」
そう告げた彼女の瞳は、出会ってから初めて見る真剣な色を湛えていた。
「ちょっと弾いてみよっか」
言って彼女はベッドから抜け出し、胡坐をかいてチューニングを始める。
ブラの肩ひもが片方垂れ下がったまま、髪をかき上げ弦をつま弾いている姿はベッドの中の彼女よりもむしろ艶めかしかった。
僕はベッドに座りなおし、彼女の演奏に耳を傾ける。
彼女のパンクな見た目からは想像もできないほど、その演奏は悲哀と切なさに溢れていた。果たして誰に捧げる曲だったのだろう。
僕はその演奏を聴きながら、知らず涙を流していた。
一曲弾き終わると、彼女はにやりと笑ってこちらを見る。
「どう、感動した?」
「…はい」
「素直でよろしい」
出会ってから数時間もたっていないのに、僕はすっかり彼女の虜になっていた。
そこから数日の間、僕はずっと彼女と過ごしていた。家に帰る気はまったく起きなかった。彼女はリコといって、ベッドで聴かせてもらった演奏から分かるようにそこそこ名の知れたギタリストだった。
夜は彼女の懇意にしているライブハウスでこっそりと手伝いをさせてもらい、昼は彼女のペントハウスで二人で過ごす。僕は彼女にせがんでギターを教えてもらっていた。彼女の演奏に僕はすっかり魅了されていた。
それに僕が家を飛び出してきた理由も、大切にしていたギターを親に壊されたからだった。僕は寝る間も惜しんで彼女の演奏技術を、そして彼女自身も貪るように過ごしていた。
出会ってから数日たった後の夜、僕はシャワールームから出てきた彼女にあるものを手渡す。
「はいこれ」
「ん?どしたのこれ」
「プレゼント。色々教えてもらってる、お礼かな」
それは真っ赤なギターピックだった。
「さすがにギターはあげられないけど、これくらいだったらライブハウスから貰ったお金で買えたから」
彼女はそれを光にかざしてしげしげと眺めてから、にやっと笑ってお礼を言う。
「あんがと。大事にするね」
「うん、そうしてくれると、僕も嬉しい」
本当は真っ赤なギターも渡したかった。今も部屋の隅にある黒いギターに、彼女はずっと囚われているみたいだったから。彼女を少しでも僕の色に染めてみたかった。赤いピックはその第一歩、のはずだった。
でもその日の深夜、一人でコンビニの買い物から出てきたところを、僕は補導されてしまった。あっさりと両親に連絡が行き、そのまま無理やり家まで連れ戻されてしまった。
捕まった時、彼女と一緒じゃなかったことだけが唯一の救いだった。僕は家を出てからの数日間、何をしていたかは絶対に教えなかった。
その代償として、この街を離れることになったとしてもだ。
家に連れ戻された後、いっこうに口を割らない僕を戒めるかのように、親は遠く九州の全寮制の学校に僕を放り込んだ。いまどきスマホすら持ち込めないような学校で、僕はその後の数年間を過ごさざるを得なかった。
ただし親からしてみれば一つ誤算があった。僕はそこで今のバンドメンバーと出会ったのだ。
外部から遮断された鬱憤を僕らはすべて音楽に込めた。その中には彼女と会えない僕の切なさや辛さも混じっていたかもしれない。
その衝動は同世代の若者の感情を突き動かすのに十分だったらしい。
いつの間にか僕たちは、武道館で初めての単独ライブを行うまでになっていた。
武道館でのライブの日。バンドメンバーもさすがに緊張した面持ちで楽屋で開始時刻になるのを待っていた。そろそろライブの開始時刻になろうかというその時、楽屋のドアが控えめにノックされ、顔をのぞかせた事務所スタッフの女の子が僕に声をかけてきた。
「あの、ついさっきなんですけど、知らない女性がこれを渡してくれって無理やりこちらに手渡してきて…」
困ったように告げるその子が握っていた手を開くと、そこにあったのはあの赤いピックだった。
僕はピックを彼女から奪い取るようにつかみ取ると、突然の僕の行動に呆然とするバンドメンバーを置いて勢いのままに楽屋を飛び出す。
全力で廊下を駆け抜け、裏口から飛び出すと、必死にあたりを見回す。
門から赤いスクーターが出ていくのが、辛うじて目に入った。スクーターにまたがる人影は、真っ赤な髪を風になびかせていた。
全力で走って乱れた息のままそれを見送った僕は、ピックを握りしめて楽屋に戻る。
突然どうしたのか尋ねてくるバンドメンバーに、僕は今はなにも聞かないでくれと言って、握った手のひらを開き、新品同様の赤いピックを静かに見つめる。もうステージに行かなければならない時間だった。
バンドメンバーに一言詫びると、改めて気合を入れ直す。
入場の音楽が鳴り響く。僕らは満員の観客が放つ歓声を一身に浴びながらステージの所定の位置に立ち、それぞれの楽器をスタンバイする。
そしてライブの幕が上がる。
僕は赤いピックを握りしめ、これまでのありったけを込めて、最初のフレーズをかき鳴らした。




