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デカメロン同人  作者: 権兵衛(管理人)
68/201

第三十四夜|夕化粧の楊夫人

author:時輪坊

 弱虫な英雄の話をしよう。

 乙女心を持つ老賢者、口元にハリガタを近づける尼僧。

 強い男に、弱い女?そんなもの、この世の何処にもいやしない。

 いたとしたら、そりゃ、ドラゴンやらペガサスやら、そういった類のものだよ。


******


「申し、問いましょう。貴方の願いは何??」


 誰もいないはずの部屋で、背後から鈴を鳴らすような声が響いた。

 知佑はこういった事態を必ずしも期待していたわけではない。

 しかしその一方、表情は嬉しさに頬を刺されてたんぽぽの花の様に綻んだ。

 だいぶ昔に読んだ幻想物語に、このような奇跡的出会いを得た場合のお約束の文言が記されていて、何と言い返せば良いのかは、既にわかっていた。

 

「もし私が振り向いても、貴方が消えてしまわないこと。」

「では、それに対する私への報酬はなぁに?」

「貴女の為に祈る事。」

「では、許可します。振り向いてよろしい。」


 周りの空気を微動だにさせないように気をつけながら、知佑はゆっくりと顔を後方へ向けた。


「あ。」


 短く、本当に短く知佑は声を発すると、普段薮睨み気味の両の目からは涙が溢れた。


「雪江さん。」


******

 

 通常ならば穏便に済ませ、刺激せず淡々とやり過ごしたい相手として、この国には「日本三代頑固者」というものがあるらしい。


 一に津軽のじょっぱり。

 ニに土佐のいごっそう。

 三に肥後もっこすである。

 

 スポーツに重きをおいていることで有名な都内の大学に通う二年生柔道部員、後藤知佑は、九州は熊本県北部の出身で、言わば典型的な肥後もっこすである。曲がる事なく真っ直ぐで、不正や理不尽を嫌い、加えて苦労性であった。

 実家は単品料理を扱う食品工場で、主に居酒屋チェーンや宅配食向けに真空パックやレトルト食品の製造を手掛けて日本全国へといきわたらせていた。

 長男という事でいささか厳しめに育てられ、綺麗な富士額の右の隅っこには、いつだったか箸の持ち方が悪いといって父親に投げつけられた飯茶碗による傷跡が少しついていた。

 特段服なども華美だったり、贅沢だったりした事は決してなかったが、一般家庭ではちょっとお目にかかれない一場面がこの家庭にはある。

 毎年、お節料理に使う黒豆やら栗きんとんの真空パック作成による繁忙期に入る前日、仏間に呼ばれて両親と正座になって向かい合う。

 そして、お年玉の金額に関するオファーがあるのだ。


 「来年のお年玉は30万円にします。我々はお前がそれを何に使うかは干渉しないけれど、よく考えて使いなさい。」


 こういった場面では居住まいを正し、親子ともども丁寧語でやりとりをした。

 これが始まったのが知佑10歳、小学校4年生の頃。金銭は苦労しなければ入ってこないという意識のブロックを取り除き、かつ自ら思考することを放棄させないようにするという内容の、これは後継者育成訓練である。

 中学に上がる頃から学校の健康診断で分かってきたのだが、実は彼は遠視だった。

 それで人を見る際には藪にらみをするような目つきになるので、喧嘩好きな同級生や先輩、加えて教師にさえしばしば絡まれた。そういうときは、よく工場長の内田さんが庇ってくれていた。

 またそういう一方で、いちいち言葉を重ねて弁解することを彼自身よしとしなかった。

 彼なりに考えた結果、部活動に柔道を選び、諸々の理不尽と闘うために真っすぐ、強くあろうと決意する。


 大学に入学すると学生寮には入らず、学校から歩いて通える距離のロフト付きのワンルームマンションへ入居した。

 実はここは知佑の父の会社が拠点に使っているマンションで、独身社員の寮として、或いは出張で上京した社員の宿泊先なのである。

 高校まで坊主頭だったヘアスタイルはスポーツ刈りにまで伸ばし、口髭を伸ばしてみることにした。他人と比べると体毛は背毛まで映える程濃かったが、何故か髭は薄めであった。

 それと。少し変わった形の眼鏡がどうしても欲しくなり買い求めたロベルト・ファブリスの上半分をテグスで留めた角型ナイロール(ハーフリム)。

 通常のこの手のものは下半分の眼鏡枠が無いように見えるが、これは逆に下半分だけに見える。

 プラスティックレンズの周囲に溝を設けてテグスで留めるのだが、近眼の為の凹レンズではなく凸レンズ、即ち厚みが中心部にあり端が薄くなるので、そこのところがなかなか加工者泣かせであった。


 プラスティック製の耳掛け部分は黒、グレー、ブルーのマーブル柄で、男根のようなカリがある形になっていてそこのところを悪友にからかわれたが、全体的に好きなブルーの色目のシャープでスタイリッシュな造形をとても気に入っていた。これを、それこそ本人がドカッと胡坐をかいたような鼻の上に乗っけると、知佑はようやく大学生としての自分の顔が出来上がったような気がした。



******


 柔道の練習を終えて宵闇からコンビニエンスストアの自動ドアを通り抜けると、開店当時に止まらないようにと祈りを込められた店内時計は8時を示している。

 トンカツ弁当と、ミネラルウォーター、350mlのアルコールを3缶買って、そのうちの一缶、ライムの酎ハイを選び、バス停のベンチで開け、特にきつかった今日の練習をこなした自分を労う。

 コロコロと喉の奥に入っていく炭酸の粒と鼻に抜けていくライムの香りが心地よい。加えて少しの安堵と高揚が得られた。


 初めての飲酒は小学4年生の頃、両親と出雲大社へ旅行に行ったその宿で、熱燗を一瓶、親と共に呑んだ。

 これも一種の悪ふざけ、というか免疫を作るような行為で、その後飲酒が習慣化することはなかったし、20歳になっても特に普段から晩酌を嗜む、というわけでもなかった。

 ただ、バドワイザーやハイネケン、各種チューハイ等の缶がとても美しく思えて、未開封のそれらをずらっと、鴨居くらいの高さに板で簡単な飾り棚を設けて、並べて飾って悦に浸る事を好んでいる。


******


「申し。」


 練習で疲れていたので、そんな幻覚を感じたのだろうか。

 今時誰もしないであろう、そんな柔らかな声をかけられた気がした。

 人間の視野は水平方向で、真正面を0度として、左右に100度ずつの200度と言われているが、その角度を超えたところに派手めの衣装の30~40代位の女性が立っていて、そう声をかけられた気がしたのだ。


「あぁ、これは失礼しました。」


 ところがそこにあったのは大人の女性の姿ではなくて、人の背丈くらいはある大きなオシロイバナの繁みがあった。未だに残っている日中の熱の中で香るその香りのせいもあり、何ともズイズイと迫ってくる色っぽさがある。

 知佑は適当に花が多くついている部分を選ぶと、適当な分量を千切り持ち帰ることにした。

 特に花を生ける心得があるわけでもなく。


 帰宅するとすぐ、オシロイバナの茎を麻紐で括って、空になったワンカップに水を入れて挿し、勉強机に飾る。


「自炊、もう少しちゃんとやるべきだなぁ。」


 本当に疲れている時には情報量は少ない方が良い事をこの生活で既に学んでいる。テレビではなくラジオのスイッチを押すと、FM放送からゆったりとした曲が流れた。

 落ち着いたウッドベース(ダブルベース)とテナーサックスの音色に丁寧に労われる。


「さあて、と。一人暮らしの楽しみは。」


 アダルトビデオのDVDをデッキに挿入したとたん、背後から声がかっかた。


「申し、問いましょう。貴方の願いは何?」


******


 ゆっくりと振り向くと、オシロイバナを生けたワンカップのすぐ横に隣に、薄桃色の和服に畳んだ蛇の目傘を携えたリカちゃん人形大の小さな女性が横座りになっていた。


「雪江さん?雪江姉さん?」


 感情の起伏は発生していない。それなのに、不思議に涙があふれてくる。

 雪江。この瞬間まですっかり忘れていた。


 知佑が中学二年、14歳の頃、当時28歳くらいだったろうか。

 色白の、そう、博多人形のような、まさに落としたら割れてしまうのではないかと思われるような儚げな美しさの美人が東京から一人近所に越してきて、藤間流日本舞踊の教室を開いた。

 それからまもなく、同級生の間でああだこうだと取り止めもない馬鹿話が流れ始める。

 

「C組の内田も、B組の南原も、マダムヤン(楊夫人)とボボしたげな!」

「ほんとね!ほなこつね!」


 薄桃色の着物に、蛇の目傘を日傘にしたはかなげな美人が、すれ違いざまにチリンと鈴の鳴るような声で、「ウチ来る?」と誘ってくるという。2年B組の級長南原、2年C組級長内田、その他生徒会長、野球部部長、つい最近まで小学生だったとは思えない程成長の早かった一年の有田まで、その女性と経験し、童貞を卒業したという。

 和服姿なのにマダムヤンとは、その当時流行っていた高級中華麺のCMに登場する貴婦人のイメージがなんとなく似ていると感じた悶々とした性少年どもの付けたあだ名である。


「っしたら次は!」

「あぁ、次は!」


 バカヤロどもの視線は、一斉に当時A組級長である知佑の方へ向けられた。


「いやいやいやいや、そげんこつは…」

知佑は耳まで赤くして、当時丸刈り頭立ったせいもあり茹だったタコのように照れた。


 ところが日をあまり置くことなく、事態はむこうからやってきたのである。


「知佑さん、でしたね。うちでお茶でも如何ですか?」


 自宅まで5メートルも無いところで、知佑は雪江に会ってしまった。

期待感と罪悪感、照れで顔を赤くし、鼓動が最高潮に高鳴った。


「雪江さん、いかんばい!うちの知佑さんだけはやめてくれんね?」

「内田さん?」


 割って入ってきたのは、知佑の家の工場長の内田である。


「お帰り、知佑さん。さ、家に入らんね?」


 内田は知佑の両肩に手をかけ、自分の方へ引き寄せるようにすると、そのまま踵を返して知佑の背中から腰へ優しく撫でるようにして推し、家へ入るよう促した。

 そして居住まいを改めて正し、雪江に会釈をして自身も工場へ戻った。

 そんな事があってから20歳の今日まで知佑は童貞のままである。


******


「あれから6年。知佑さん、すっかり立派になられて。」


 オシロイバナの隣に座りこんだ小さな小さな女は、懐かしそうににこやかに話した。


「こんな風にみえる、と、いう事は、雪江さん、貴女はもしかして亡くなられたのですか?」


 知佑は頭をかすめた不安をそのまま口にした。


「いいえ。」


 雪江は口に手を当てて少し笑って答えた。


「貴女のご存知の雪江さんはお元気ですよ。この東京の空の下で。もう結婚して旦那さんもいらっしゃるし、お子さんだってもうお勤めされている。」


 立ち上がって少しこちらに歩みを向ける雪江に、手を差し伸べるかわりに小指の先を差し向けてエスコートしようとしたが、残念ながら雪江の手はスゥーっと通り抜けてしまう。


「私はオシロイバナ。今の私は、雪江さんの一部を(降ろされ)て、それと貴女の中の雪江さんの記憶をもとに受け答えをこなしているオシロイバナです。」

「それじゃあ、雪江さんとは別人、ということですか。」

「これこのとおり、7分の一だけの、小さな雪江ですね。」


 正に、花が咲くように笑う。

 知佑はオシロイバナの雪江と故郷の事を色々語り合った。

 トンカラリンの遺跡で遊んだことや、遺跡を道順を案内してくれる犬のこと。

町内会で、隣町まで灯篭踊りを見に行ったこと。

 そしてついに、あの事。


「雪江さん、南原やら、内村のこと。あれ、ほんと?」


 雪江はちょっと目を丸くしてこっちを向くと、ゆっくりと目をそらして気だるそうに、懐かしむように、勉強机の平面に頬をあて寝そべりこんな風に言った。

 

「うん。まあ、本当。」

「何故またそんなことなさってたんですか?」

「何故ってそれは。うん、そうねぇ。なんでだったのかしらね。」


 オシロイバナの雪江がそう言ったのを聞いたのを最後に、知佑は眠りに落ちた。 

 翌朝5時。


「おはようございます。」


 本当に微かな声でオシロイバナは言った。そんな気がした。


「あれ?雪江さん?」


 姿はない。


「朝の私はこんなものです。お水をいただけまして?」


 知佑はワンカップに水道の水を足そうとした。


「あ、それもいいけれど、昨夜アメリカの聖地のお水をお求めになられていたでしょう?アレをいただいてみたいわ。」


 クリスタルゲイザーのペットボトルを買っていた事を感づかれていたことがちょっと可笑しかった。

 コサージュにミネラルウォーターをあげ、自分はプロテインをシェイクして飲み干すと、朝練へ向かうため玄関に向かった。


「じゃあ、行ってきますね。雪江さん。」

「いってらっしゃい。」と、聞こえた気がした。

 

 何日かは「おかえりなさい」が一応あるのだと思うと、それだけでワンランク幸福度が上がるものだ。


******


「知佑か。あぁ。元気ね、母ちゃんにかわるぞ。」


 いつもと様子の異なる突然の父からの電話。


「あぁ、知佑ね。あのね、工場長の内田さん…そうそう、セイショウさんが亡くなったと。肺炎で。そしてね、今まで5000万円も横領しとらしたとばい。」


 知佑は返答に戸惑った。


「まぁ、、亡くなった人にムチは打たれんし、その事以外は本当にいい人じゃったけん、あたしゃ被害届はせんじゃったつ。」


 知佑の眉間の皺は深くなり、顔面は痺れ始めた。


 内田秋彦はがっしりと大柄な体格に口髭、顎髭を生やした風貌で、見る人によっては恐怖を感じていたが、知佑が幼いころ初めて会った日には本物のサンタクロースがやってきた!と思ってはしゃいだ事を今でも覚えている。

 秋彦自身がぽつりぽつり話していた内容によると、どうもアメリカ白色人種とのハーフであったようで、子供の頃心無い教師から「おい!合いの子!」と罵倒されたり、アメリカと日本のどちらで一生を送るか選択する場面もあったようで、彼は結局日本で生きていくことを選んだ。

 身長190センチメートル体重95キログラムの姿は遠めに見ると太っている印象はなかったが、白人の大柄なボディに日本の戦国武将の頭が乗っかったその様は迫力があり、セイショウさん(加藤清正公の事)と呼ぶ人もいた。

 それにつけても何かと理不尽な目に合うことを引き寄せてしまう人で、クレーマー・クレーマーとも呼ばれていた。

 路面電車の運転手に「おい!お前!」と言われて、「乗客に(お前)はなかろうが!」と、交通局に小一時間説教に行くなどの武勇伝は数知れず。

 それでいてちっとも嫌気がささず、寧ろ知佑はある種のおかしみを感じていた。

 初めて会った日の、サンタクロースを思わせる深い深い瞳に信頼を寄せていたせいかもわからない。


 彼の死後、部屋の畳のしたから横領された金額と同額の5000万円分の一万円札が敷き詰められた状態で見つかり、それで工場はマイナス分を取り戻すことができた。そして、壁一面には、いつの間に撮影されたのか、初めて会った幼い日々から最近に至るまでの知佑の写真がびっしりと貼られていたそうだ。

 知佑はその夜、本当にわんわん泣いた。いや、声は出なかった。


「知佑さん、知佑さん。」


 もう、オシロイバナの声は聞こえない。

 二時間程泣いたろうか。

 やっと顔を上げて隣をみたら。

 白く輝く背中の等身大の女が、すぐ隣でうつ伏せで組んだ自らの腕に下あごを乗せてこちらを見守っていた。 

 

「え!雪江さん、何で…。」

 

 雪江は知佑の顔を両の手で挟むと、額に優しくキスをした。

  

「咲きなさい、人の子よ。」


 いつも緊張で吊り上げていた目じりがハの字に下がり、知佑は安心しきって少しずつ眠りに落ちていった。

 次に雪江は知佑の唇に長い事、本当に長い事キスをして。こんなふうな事を言ったようだった。


「あなたが一節歌えば、それだけで幸せになる人がいる。

 あなたが歩いて見せるだけで、あるいは何気ない仕草をしてみせるだけで、幸せになれる人がいる。

 あなたは、あなたの座っているところから見える眺めを幸せにすることができる。だから、あまり長いこと悲しまないで。」


******


 朝が来た。何日ぶりかてよく寝て、知佑の頭の中はまるでコンピューターで言うところのデフラグが完了したように、迷いがなく、すっきりしている。

 もう本当に、まさに蚊の鳴くようなかすかな声で少し萎れたオシロイバナのコサージュは言った。いや、声なんてしない。


「またあそこのバス停まで送っていただけない?繁みの根元に置いてくれればそれでよろしくてよ。」

「もう、会えないのですか?」

「さあ、わからないけれど。」


 一分間程、朝日を楽しむように時間を置くと、


「たぶんまた次の季節、金木犀の束を少しお持ちなさいな。クリスタルゲイザーって言ったかしら。あれ、またくださらない?」


 そう言ったきりだった。

 ほんのりと少しだけ可笑しみを振ってくれたことに感謝する。

 知佑はまだかすかに香る芳香を確認すると、オシロイバナのコサージュをティッシュに挟んで、更にクリアファイルに入れて玄関を出た。




終わり

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