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デカメロン同人  作者: 権兵衛(管理人)
6/201

第三夜|Via Magistralis

author: 権兵衛

「おい、もう飯にしよう」

私はいらだって、後ろを行く“黄身”に怒鳴った。もう6度目くらいになる。

「もう着くと言ってるだろ」後ろから“黄身”が弱々しく反駁する。「おとなしく行け」

“黄身”は今日、3本の川を渡る間に3回嘔吐した。すなわち、1本目の川と2本目の川の間で1回、それから2本目と3本目の川の間で2回。

3回目に至ってはもったいなくも、陛下から頂いた軍馬から降りるいとまもなく、騎馬のまま吐いた。

“黄身”は揺れにめっぽう弱いのだった。可哀想に、誇りあるスカロビア産の名馬は、頭から突然なま温かい燕麦の粥を浴びせられて、大いに閉口している様子だった。家畜といえども自分が何をされたかよく理解している様子で、しきりに鼻息を出しては、いやいやをするように頭を振るのだった。


第三時までには目的の場所へ着く、と“黄身”は言ったが、すでに太陽は南中していた。

「お前、尚書から地図をもらい受けるにあたり、縮尺をよく確認しなかったな」

私はもう“黄身”を振り向くのをやめ、正面を向いたまま言った。よくないとはわかっているが、口調から苛立ちが隠しきれない。

「……」

“黄身”からの返答はなかった。ただ、口を開けて何か言い返そうとしている気配はする。

街道沿いに馬を駆りつつ、俺は“黄身”の返答を待った。

やがて、返答の代わりに水気を多分に含んだ大変不快な物音が聞こえる。

私は我慢できず、怒鳴った。

「バカ野郎。お前の頭も、羊も、すべて毛無しになってしまえ」


***


「腹が減った!」

目的地に着いた私は、馬を降りるが早いか振り分けにした麻袋から麵麭と燻肉を取り出した。

「"白身"よ、進駐先の説明も聞かずに、勝手な行動をするな」

"黄身"は弱々しい声で小言を言い始めた。

私はそれを無視し、懐から短刀を抜き、切り分けた食べ物を口へ運びつつ、ひとつの尖塔を持つ建物に近づいた。

「ここは、神殿だろうか」

肉を頬張りながら私はつぶやいた。

祖国の神殿は、神饌の匂いが焼香のそれよりも強く、饐えた匂いに噎せ返るほどであるが、ここは純粋な乳香の香りに包まれている。

香りに誘われるように、私は扉を押し開き、内部に侵入した。

生贄を捧げるのに丁度よい高さの台がある。

屠った豚をどこに吊るせばよいか考えつつ、私は歩みを進めた。

いくらも進まぬうちに、足が止まる。生贄台の裏に、一人の男がいたのだ。

私は驚いたが、たまたま手ごろな大きさの刀を手にしていたので、幾分大胆に振舞うことができた。

「誰だ?」

侵入者はこちらであるにも関わらず、私は男に問うた。

男はこの神殿の神官か何かであろうか、見るからに文弱なたたずまいで、異様におびえた様子で何か言っている。

土地の言葉で話しかけられても、わかるものではない。

「貴殿懼ルヘカラス、我カ軍ハ無辜ニ害ヲナスコトナシ」

生噛りの羅甸語で私が言うと、男は目を丸くして私を見返した。


***


男はなんとかいう名前であったが、もはや遠い昔の事、こうして回顧録を記すいま思い返してみても、男の名などかの土地の言葉もろともすっかり忘れてしまっている。

便宜的に、その男のことを今は"からざ"と呼ぼう。

"からざ"は私たちがいわゆる野蛮人でないことを知ると、いくらかほっとした様子だったが、やがて彼の神殿じゅうに私が屠った豚を吊るすのを見て、この世の終わりのような顔をしてそれをやめるよう懇願するのだった。

私とて遊びでやっているのではない。竈の神は、豚の薫肉を絶やすとへそを曲げてしまうのだ。

それを"からざ"に理解してもらえるよう腐心して説明するのだが、あいにくと彼は、竈の神(ウェスタ)が誰であるのかを知らず、あまつさえ、私が話す羅甸語をほとんど聞き取ることができなかった。彼らの聖典は羅甸語で書かれ、さらにそれを融通無碍に読むことができるにもかかわらず、である。


とまれ、彼が私の事情をどこまで理解したのかは知らぬ。私も彼の身の上に一切興味がなかったのだから、それはお互い様であろう。


***


元々軍人を志した私だが、代々税吏であった親の強い希望により、渋々と経理学校を出た。

ところがこの度の大幅な国土拡大に伴い、我々いわゆる"士官相当"の身分においてもが、軍務につくことを求められた。

期せずして私は、年来の夢を果たすことができたのであった。


しかしながら、晴れて従軍した私が初めて任されたことといえば、あろうことか通行税の徴収であった。

元々、出自がそちらなので、軍としても気を利かせたつもりであろう。尚書院の片隅で書物もろとも蠹魚(しみ)の餌食となるのを待つしかなかった"黄身"という若い男を書記官にあてがわれ、こうして任地にやってきたのであった。


私の興味の中心は、街道をゆく人々であった。

税の徴収もそこそこに、私は検問の名を借りて様々な人と語り合うことができた――否、正直に言おう。故郷のしがらみを離れ、鷹揚になっていた私は、美しく若い男女を見定めては、思う存分に羽を伸ばしていたのである。


***


「ちょっと、"白身"さん」

「え…?」

先程から少女が私を呼ぶのは、快楽に任せての事だと思っていたから、不意を突かれて私は間抜けな返答をした。

「この井戸、さっきから傾いてる。崩れちゃいそう」

少女が気づかわしげに手を添えた井戸は、すでにぼろぼろに朽ち果て、なるほど私たち二人の荷重を受けて今にも崩れ落ちそうである。

私は楽しみを中断されて悶々としつつも、少女から身を引いて、腰を落ち着ける場所が近くにないか探す。


土手を少し降りたところに"からざ"がいた。いつもの目立たぬ服装で、木陰に隠れていたものだから気づかなかった。

若者らしい上気した顔で、しかしながら眉をひそめ顔を強ばらせている。

嗟哉(あなや)、斯カル処ニテ。一声アラハ、貴殿ニモ○○○セタルモノヲ」

私は"からざ"に声をかけた。反実法第2非過去話法が正確に言えたものか、心もとない。

羅甸語とは、かくも難しい言語である。

「ば、ばかにするな。聖典の言葉で、そのような下卑た…」

「お前がものを知らぬだけだ。世俗的でない羅甸語など、羅甸語とは言えぬわ」

私は言下に言い返した。ひと月もたたぬうちに、私は彼らの単純極まりない言語を話せるようになっていた。

「とにかく、○を隠せ。本当に罪深い奴らだ」

「トニカク、かるたごハ滅ボサルルベシ」私は苦笑して言った。蒙昧の輩は論難されると、すぐに論点を逸らすものである。

私は"からざ"の訓戒も上の空に、井戸のすぐそばで再び行為に及んだ。

傍らにしばらく"からざ"の気配がしていたが、やがて私たちはことに熱中し、気にならなくなった。


ことを終えて神殿に戻ると、"からざ"は泣きながら彼の神に祈りを捧げていた。

どうしても自分の神のための祭壇が欲しいと乞う彼の願いを聞き入れて、私が改めて神殿の片隅にそれを設えてやったのであるが、改めて見ずとも、血まみれの半裸の男の偶像は気味の悪いものである。

「……」

私は"からざ"に声をかけてやろうとして、やめた。

血まみれの神の偶像の前に跪き、祈りを捧げる男を刺激するようなことは、控えておくに如くはない。

私は本能的にそう感知し、この嫉妬深い神は、よもや生涯独身であったために、男女の交合をかくも嫌うのであろうと考えた。


さは言え、僻地ですることと言えば、性の悦びをおいてほかにはない。都では滅多に味わえぬこの愉楽を引き続き享受せんがため、

私は頭をひねった。


***


「な、何だね?"白身"よ」

両手で"黄身"の頬を支え、改めてこの若者の顔をじっと見据える。

口うるさくて、理屈っぽくて、私とて弁舌においては、この男に敵うのぞみはない。

だからこそ、この男の端正な顔を、なるべく見ぬようにはしていたのだが。

「そうは言っても、なかなか」

私は思いを口にすると、いよいよこの"黄身"の面構えが愛おしいもののように感じ始めた。

そしてまた、いわゆる"本の虫"は、かかる艶事を回避する術を知らぬようであった。


激しく○○○きしみ、加えて"黄身"の声は次第に大きく、街道を行く人にまで聞こえているに違いなかった。

外聞が悪いと多少は思いつつも、久々に若い男との○○で興奮を抑えることができず、いよいよ激しく"黄身"の身体を○○○○○のであった。

木戸の向こうに、人の気配がする。

夜分、神殿の鍵を持つものしか内部には入れないのであるから、下手人は"からざ"であるに違いなかった。


これならば、お前の嫉妬深い神も許してくれよう。

私は木戸の方を振り向いて、"からざ"に声をかけようとする。

「"からざ"よ…」

言うが早いか、玄関の大扉をを蹴破るように開け放つ音。

片時ののち、転がりながら街道を駆け出していく"からざ"の姿が、窓外に見えた。


***


十年の後。

首都に戻った私は、"からざ"が後生大事にしていた羅甸語の聖典を尚書院の書架の奥から取り出し、読んでみた。

するとそこには、彼らの神は男女においてみだりに交合することを厳に禁じており、斎戒明けの大祭においてもそれは禁ぜられており、ましてや男同士の交合などもってのほかである、と記されていた。


「何ということだ。これでは何のために生まれてきたのか、わからないではないか」

私は机から顔を上げ慨嘆した。それからまた、あの夜を最後に、私たちの前から完全に姿を消した"からざ"の禁欲的な出で立ちを

改めて思い描いてみた。


その姿は、戴冠を終えたばかりの我が主君の面影と不思議と重なるものがあった。

外交上の苦境に立たされ、いよいよあの羅甸語の聖典と、件の血まみれ男の偶像の前に膝を折らねばならなくなった、わが主君の心持やいかん。

「……」

先行きを思い、しばらく途方に暮れていた私は、先程の言葉を繰り返した。

「何のために生まれてきたのか、わからないではないか…」

ふと、私は頭を上げた。

この問いそのものが、答えであるような気がして、私の顔は、おそらく幾分晴れやかになった。


西暦1387年。リトアニア大公ヨガイラ……あるいはポーランド王ヴワディスワフII陛下の御代のことである。



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