第十九夜|月下老人
author:権兵衛
1PM。
「マイキー!!」
ランチを終えて、部屋に戻った途端、外でママが俺を呼んだ。
俺は完全に無視してカウチに腰を沈め、Replayボタンを押した。強めのユーロビート風OPに合わせて、マンガチック少女キャラが、ダンスを再開する。
「マイキー!!来てって言ってるでしょ!!」
俺は引き続き無視して、かわりにボリュームを上げた。歌詞はわからないが、このOP、けっこういけてるかも。
もう一度ママが絶叫したら廊下に首を出して「今取り込み中」と言うつもりだった。が、結局そのあとママが俺の名を呼ぶことはなかった。
――まったく、休みの日くらい、休ませろっての。
計画では、5話分のアニメを見るはずだったんだが、1話目のOPが終わるころ、俺は眠りに落ちていた。
2PM。
窓ガラスを執拗に叩く音がして、俺は飛び起きた。
「……ちょっと、今度は何だよ」
相当古いガラス窓だから、不用意に叩くと粉砕しかねない。あわてて窓際に駆け寄ると、どっかで見覚えのある爺さんが平手でばんばん、ばんばんガラス窓を叩いている。
「なっ……やめろって!」
アニメの音量がでかいのと、たぶん日中の室内が外から見えにくいせいだ。俺がこっち側にいることに爺さんは気づいてない。
俺は椅子を持ってきてその上に登り、通気窓を開けてそこから顔を出した。
「何だよ!あんた」
「お?」
爺さんは俺に気づくと、ニヤ~と笑いやがった。なんか腹立つな。こいつ。
「ここウチの敷地だからな。マジ通報すんぞ」
ちょっと切れ気味で、俺はそう警告した。あとあと考えたらママへのいら立ちも込みだったから、爺さんも割を食ったもんだと思う。
「ちょっとお前に用事があってな。上がっていいかね」
俺のコケ脅しに動ずる様子もなく、爺さんは俺を見上げてにこやかに言った。
「……」
予想外の返答に毒気を抜かれて、俺はしばらくの間ただ爺さんを見下ろした。
どこで会ったんだっけなあ……。
ともあれ、ド派手なアロハシャツを着て、ちょっと胡散臭いことに目をつぶれば、それほどヤバい雰囲気は醸していない。
――まあ、いっか。
俺はドアを開け、爺さんを招き入れることにした。
「……あれ」
開けてから俺は気づいた。こんなとこにドア、あったっけ?
「おい、ここから上がれっていうのか」
そう言いつつ、爺さんはあるはずのない戸口のステップに手をかけ、必死によじ登ってくる。ここらの家屋は湿気除けのため、基礎が地面よりはるかに高いのだ。
「え?え?」
俺はまだ理解が追い付かない。爺さんはようよう床の高さに両肘をつき、苦しげに喘ぎながら言った。
「気づかんか?これは、お前さんの、夢の中じゃ」
「夢?」
俺は窓際に出現した謎のドアに手を伸ばした。経年で水色の塗装がペリペリに剥がれて、灰色にくすんだ地肌が露出している。リ、リアルだ。
「さっきお前のお母様が庭で呼んでおったろう。なぜ応えなんだ」
気がつくと爺さんは、俺のカウチに深々と腰かけていた。
「それ、俺のカウチなんだけど……」
「お前は不孝者じゃの」
俺はカチンと来た。
「いや、ズカズカ人の部屋……じゃねぇや。人の夢に入り込んでくる奴に言われたくねぇし」
「わしはお前に入れてくれと言うた。お前はわしを招き入れた。何の道理に悖ることがある」
「で、勝手に俺のカウチ座って。俺に説教すんの?」
「あ。これ、お前のカウチ?」
「当たり前だ。ここは俺の部屋だ」
言い合いするうちに、なんか楽しくなってきた。なんでかわからないが、夢だからということにしておこう。
「すまんすまん。ほしたら、わしはどこに腰かければよいのかの」
「……別にいいよ、座っても。ただ、主人に勧められてから座るもんだろ」
「いやこれは失礼した」
爺さんは食い気味にそう言うと、深々と頭を下げた。
まじ、調子狂うんだが……。
「では、本題に入ろう」
「ママのことはもういいの?」
「お前、『ホテル・ハファダイ』の車寄せでドアマンの仕事をしとるじゃろ」
「……なんで知ってんだよ、気持ちわりぃな」
「で、リネン交換の娘のこと、好きよんのじゃろ」
「……」
だから、なんで知ってんだよ。
本気で気持ちわりぃと思った時は、気持ちわりぃと言えないことを俺はそのとき知った。
「タクシーが車寄せに着いとんのに、娘の方ばかり気にしよって。チラチラ、チラチラ……」
「いや、うるせえって」
あれ。もうちょっと大きい声でキレたはずなんだけど。図星すぎて、俺の攻撃力はちょっと落ちていた。
「そこで、お前にチャンスをやろうと思うのじゃ」
「あんた、基本的に俺の話聞いてないよな」
「わしの家の庭に桃の木がある」
「桃っつーか、プラムだろ?ここマリアナ諸島だぜ」
「その桃の実をゲットしたら、あの娘との仲を取り持ってやろう」
「話の展開が早すぎて、全然ついていけてないんだけど」
しばらく噛み合わない会話が続いて、俺はなんとなくわかってきた。この爺さんは、男女を仲介する中華系の神仙のたぐいのようだった。昔、ディスカバリー・チャンネルで中国寺院が出てきたとき、なんかそんな話してた気がする。
なんで俺のとこに現れたか知らないが、たぶんそんなとこだろう。さもなきゃ、ただ寝ぼけてるだけだ。
「……まあ一旦、信じてみるか」
「何じゃ、その言い方は。わしの好意を何じゃと思っておる」
「で。あんたどこに住んでるの?その『桃の実』は、どこに生えてんの」
「ガラパンのミドルストリート№35じゃ」
「即答かよ」
***
そこで、今度こそ俺は目が覚めた。
経緯はともかくとして、先方さんの用件は何となく理解したし、目覚めるタイミングとしては、これが妥当かもしれなかった。
俺はガレージにバイクを取りに出向いた。まあ、やってみてどっちに転んでも、別にこちらの不利益になりそうなことはなかったし、何より好奇心を掻き立てられたのだ。
3PM。
ミドルストリート№35は、拍子抜けするくらい近くにあった。別にバイク、要らなかったかもしれない。
雨季だ。バイクをそこらへんに停めた俺は、あちこちに散らばる水溜りを避け、家屋へ向かう路地を進んだ。どこの家にも飼われてるニワトリが、うちの近所の奴らとはちょっとだけ違う声色で鳴いてる。
「あ」
№35の、庭先。あっけないくらい簡単に、爺さんを見つけた。相変わらずド派手な柄のアロハ着て、何が気に入らないのか難しい顔でホースで庭に水を撒いている。
その先に生える、プラムの樹。
──ほらみろ。ピーチなんか、育つもんか。まあ、爺さんの家庭ではこれをピーチということにして植えたんだろうけど。
爺さんは俺の声に反応して、じろりとこちらを見た。
「こ、こんちは」
「何の用じゃな」
──え。話、ちがくね?
あんだけ図々しく他所の家に上がり込んでおきながら、今や爺さんの身体からは、警戒と威嚇のオーラがものすごい勢いで立ち昇ってるのがわかる。
「あの……ですね」
気圧されつつ、言葉を継ぐ。
「そのプラム…じゃなくて、桃の実、を、いただきたいんですけど」
慣れない敬語表現を総動員して、こちらの誠意を伝える。
「あぁ?!」
さっきの笑顔はどこへやら、爺さんはヤクザみたいな面貌をさらに強ばらせて吼えかかってきた。
だいたいこんな感じだろうな、と思っていた十倍くらい威圧的だったので、俺はちょっと泣きそうになった。
「あの。俺のこと、覚えてない?」
「知らん!誰じゃお前は」
「いや、名前ていうか……そっちがうちに来て、桃の実をやるって……」
「何故、お前なんぞにうちの大事な桃の実をやらねばならん」爺さんはホースの先を潰し、俺に向けた。「帰れ!!」
──あんな、だったっけ?
俺はダッシュで逃げつつ、ディスカバリー・チャンネルで見たあの神仙の塑像を思い出してみるのだった。
***
「くっそ」
バイクのところまで戻って、俺はじわじわと敵の手強さを実感しつつあった。
──そりゃ、そうだよな。
断られるのが怖くて今までアクションかけられなかったけど、うまく仲を取り持ってくれるというのなら、ある程度のリスクは取るべきなんだろう。あの娘が欲しくば、わしを倒してみよ。話の流れとしては大概、そんなとこだ。全然理屈が通ってないけど。
「あれ」
車道上でUターンかけつつ、道路の向かい側の建物が視界に入ってくる。
DAYLY FOODS、と書かれた下手くそな手書きの看板。その下に並ぶ食材は、おそらく中華系のものだ。
この距離感。周りには農地と納屋だけ。そして、どちらも中華系。
状況からして、あの爺さんとこの店には何らかの関係がありそうだ。
よし。俺は車上で一回うなずいて、一時帰投すべくハンドルを自宅へ向けた。
***
4PM。
「あら、マイキー?」
ボンネットカバーの向こうから、ママの声がする。
「うーい」
カバーの脇っちょから顔を出すと、ちょうどママがスニーカーを履きながら玄関を出てくるところだった。
「車、直してくれてるの?」
「ま、直すなんてほどのもんじゃないよ。シリンダー、そろそろ換えどきなんでね」
俺はオイルまみれのシリンダーと、目一杯の作り笑いを、ママに見せつけた。
「助かるわあ。信号で停まってても、ずっとガタガタ言ってるんだもの」
ママの機嫌は、恐らくここ最近のMAX値をマークしていた。
収穫のときは近いことを、俺は知った。
6PM。
「ママ、聞いていい?」
俺はやたらと唐辛子のかかったコリア風キャロットラペを、文句も言わずに自作のキューバン・サンドに挟みながら言った。
「なあに」
ママは気持ち悪いくらい、機嫌がよかった……いや、実際見てて不気味だった。
親孝行も、ほどほどにすべし。俺はまた一つ人生の大事な教訓を得た気がした。
「ミドルストリートに食材屋、あるじゃん。よく行く?」
「大雨でモールに行けないときとか、たまに行くわ」
「そう」自分で訊いたくせに、俺は努めて興味ないフリを続けた。「店の人、どんな人?」
「けっこう、愛想のいいおばさんよ。私より5歳くらい下だったかな。値段のことになると、鬼みたいな顔になるけどね。チャイニーズは、怖い怖い」
おばさん?娘さんかな。まあ、情報として覚えておくか。俺は掘り下げた。
「おばさん、だけか…」
「たまに亭主もいるわ。何してるんだか知らないけど、そこらへんフラフラほっつき歩いてさ」
俺はあいまいに相槌を打った。ママは放っておけば、あと二時間半はノーチャージでしゃべりそうだった。
「カミさんばっかり働かせて。子供の送り迎えくらい、したらいいのにねえ」
「お?」
「何?」
「いや、なんでもない」
俺はウソをついた。何、そいつを聞きたかったのさ。俺はオレンジジュースで食事を腹に流し込み、来たるべき戦いのために、策を練ることにした。
***
8AM。
さっきまで木陰だった場所は、すでに太陽光でじりじりと白く灼かれはじめている。
「くそ。暑っち」
俺は草叢に身を隠しつつ、店の様子を伺った。あまりの暑さに、日なたには蚊が来ないのがせめてもの救いだ。夜勤明けには少々こたえるけど。
あと10分……いや5分このままいたら、確実に胃からなんか出るな。
しょうもないことを考えていた矢先、動きがあった。
「トミー、早く来なさい」店から女性の声。これがおかみさん、かな。トミーってのは、今年パブリックスクール付属の幼稚園に入った上の息子だろう。
「やああらああめええてええ」あんまり言葉になっていない、ガキ特有の叫び声。トミー、元気だな。俺に少し分けてくれ。
「忘れ物あっても、もう持って行かないよ」らしいぞトミー。がんばれよ。
「うきゃああああおおおおだあああああああめえええて」いや、トミーうるせえよ。会話する気ねえだろお前。
でも、子供って、こんなだよな……いや、俺はさすがに、こんなにうるさくした記憶は……。
「ほれ、早く行きなさい」おおっ?!
聞き覚えのある声。爺さんだ。
相変わらず、ド派手なアロハ。俺はバイクから若干身を乗り出した。
「後ろに乗りなさい、後ろに」
「やああだああ」
おかみさんと息子。車に乗り込むのは、二人だけのようだった。となると、あとに残るのは……。
「じゃあな、トミー」
案の定、爺さんが店頭に立ち、娘と孫を送り出している。いや、娘か孫か知らんけど。
「やああだああじいじも乗るのおおおおおおお」
トミーはビブラートのかかった高音で泣きながら、じいじと別れのハイタッチをしている。感情、大変だな。トミー。
ともあれ、事態は俺の見立てどおりに進んでくれているようだった。
トミーを送っていくことになれば、その間にプラムを失敬できる。店番することになれば、爺さんは食料品店の帳場に首っ引きで、さらに下の子の面倒を見なければならない。どっちに転んでも、俺は首尾よく計画を遂行できるという寸法だ。
「ああ……俺って天才だわ」
車がトミーの通う学校に向けて出発するのを見届けると、俺はバイクから降りてじいじの家へ向かった。
***
念のため、木製のフェンスからそっと敷地を覗く。
例のプラムの樹。拍子抜けするくらい、小ぢんまりした家屋。リビングの向こうは、もう外になっていた。爺さんの一人暮らしであるに違いなかった。
都合のいいことに、周囲は熱帯の林だ。周りの目も、特に気にする必要はなさそうだった。
俺はフェンスと生垣の間から、爺さん宅に忍び込んだ。
「……」
改めて、俺は樹を見上げる。
プラムの樹って、こんなでっかかったっけ?
子供のころ行った果樹園では、いくつものプラムを実らせ垂れ下がった枝に、当時の俺も手が届いたのに。目の前のコイツは、そもそも手の届くところに一本も枝がなく、地上10フィートくらいのところにある枝に、まだ青いプラムが3~4個見えるだけ。
「ちっ」
――別に食えなくたって、ゲットできればいいんだろ?それなら躊躇する暇はない。
俺は太い幹にできた大きな瘤に足をかけ、登った。
ここまで来れば、勝ったも同然だ。とりあえず青いプラムには毒があるらしいから、直接掴まずに……
「こら」
まさに俺の足元で、その声は聞こえた。怒りを殺したような、有無を言わせぬ口調。
「え」
俺は頭が追いつかず、枝にしがみついたまま硬直した。この声は。
ほんの数秒前、樹に登りながら目に入った路地。足場を確認するために見下ろした地面。そのどちらにも、爺さんなんぞ影も形もなかったはずだ。
「降りろ。この桃盗人め」
しかし、現実に爺さんの声がする。今までの流れからすると、警告を顧みず登るのは、あまり賢い選択とは言えなさそうだった。
「えーと……す、すみません……」
俺は硬直したまま、とりあえず謝ってみた。
「聞こえなんだか。降りろ云うとるのじゃ」
語尾に力がこもる。恐らく爺さん、俺の足首を掴もうと身を乗り出したようだ。この状態で足首を掴まれて、引っ張られたらどうなる?
危機的状態の脳は、目覚ましいスピードで思考を開始した。俺は瞬時に、容易に結果が想像できる逃げ道よりも、無茶する方を選んだ。
「ぐわっ」
俺のスニーカーに思い切り頭を踏まれて、爺さんはそんな声を出した。俺はいつか、バイクでカエルを轢いた時のことを思い出した。
「この、うつけ者」
この爺さん、言葉づかい変わってるよな。人生最高スピードで逃げながらも、そんな思考をする余裕はあった。まあいいや、とりあえずバイクに乗れば……。
ばふっ、と背中に重い負荷がかかり、今までの動作も、思考も、全部中断した。次の瞬間、俺は路肩の草叢に転がされていた。
転がったのが、砂利道じゃなくてよかった。まさか爺さん、そこまで気を使ってくれたのか?
アドレナリンのおかげか、フル回転中の脳は放っておいてもよく考えてくれた。残念ながら、逃げる方法については、何のアイデアも出てこなかったけど。
「いででででで」
気づけば俺は、ミドルストリートの道路脇に停めた愛車まであと一歩のところで、アロハシャツを着た老人に腕ひしぎ十字固めを食らって絶叫していた。
いや、どんな状況だよ。
***
9AM。
観念して謝罪した俺に対して、意外にも爺さんは紳士的だった。
食料品店の奥の間に連行されて神妙にしていると、爺さんは俺にペットボトルを一本、差し出した。
「……」
漢字が三つ、でっかくプリントされているが、俺には読めない。が、漢字の横っちょにPLUM JUICEと書かれている。
「……あ」
これ飲んだら、ミッション・コンプリートに……ならないよな。
「何じゃ」
苦笑する俺をじろりと睨んでから、爺さんも同じペットボトルを開け、俺の前に座った。
さっき思い切り頭に蹴りを入れたはずなのに、爺さんはほとんどノー・ダメージの様子。
やっぱ、こいつはただの人間じゃない。
「あの、本当にウチに来たこと、覚えてないんすか?」
当然夢のことは伏せつつ、俺は爺さんに尋ねた。
「さっきから、妙なことばかり抜かしよるの。お前の家なんぞ知らん、ちゅうのに」
旨そうに、爺さんはプラムジュースを一口飲んだ。つられて俺も封を切り、口にする。
「うわ、酸っぱ!!」
「お前、暑気あたりしかけよったからな。暑い時分には、これが一番」
爺さんは少し機嫌を直し、さらに一口飲んだ。
これ、本当に何も知らない感じだな。
俺はもう、半ばヤケになって起きたことをあらいざらい話すことにした。
「……で、ウチの桃の実を取りに来いと。そうわしが言うたわけじゃな」
「はい」
「お前さんの夢の中で」
「そう、っすね」
「ミドルストリート№35の。このわしの家に来いと」
「まあ、そんな感じすね」
「で、わしが100mphくらいのスピードでお前さんを追いかけ、捕まえて、ここへ連れてきた」
他人事のように、爺さんは言う。
ひとつひとつ頷くたびに、何だか俺の方がヤバい奴に思えてくる。
一通り尋問が終わると、爺さんはぐっと俺に顔を近寄せて、言った。
「こう言うて悪いが、わしゃお前さんが、気の毒な若者にしか見えんぞ」
ええ、俺も、そう思います。客観的に考えると、ね。
俺はそう言おうとして、ただのでっかいため息をついた。
***
爺さんのガードはもはや鉄壁。この島の米軍総当たりでも落とせない。たぶん。
なんせ、相手は人じゃないんだから。正攻法じゃダメだ。ここは爺さんの勝てそうなフィールドをすべて排除し、人間ならではの、もうちょい搦め手から落とす作戦を考えよう。
まず、何をおいてもプラムが熟れるのを待つことにした。集中力が続かず、オフィスワークでの仕事は何年も前に断念した俺だが、この時ばかりはマリーンにも入団できるんじゃないかと思えるほどの根気と、集中力を発揮した。
プラムの状態を確認したいが、№35には近づけない。それをやったら、前回の二の舞だ。俺は、あのとき手を伸ばした先の、青いプラムの様子を必死に思い出し、そいつと似たようなものを探して、近所を歩き回った。
それと思しきものを見定めると、日々それを観察した。実が膨張し、赤みを帯びていくにつれ、再び俺の心にも期待と余裕が戻ってくるのを感じた。
そして、仕上げ。
トミーが相当のアニメ好きであるという情報をママから聞き出した俺は、思わず勝利のポーズを決めた。
そっち方面の仕込みなら軽いもんだ。俺は速攻でジャンク屋に走り、必要なメディアと周辺機器をセットアップした。
***
7PM。
この時間、爺さんは同郷会の集まりか何かで、確実にいない。どんなに神速でも、集まりからは抜け出せない。
ミドルストリート№34。
相変わらず、DAYLY FOODSのスペルは直ってない。看板の下からトミーが、俺よりも期待に満ちた顔を輝かせて現れた。よし、役者は揃った。
「持って来た?」
息を弾ませて、トミーは言った。
バカヤロウ。それは俺のセリフだ。俺はうなずいて、ショルダーバッグから灼きたてほやほやのVCD10枚の入ったプラスチック・バッグを取り出し、トミーに差し出した。
「ありがとう」
目を潤ませて、トミーは言った。
バカヤロウ。それは俺のセリフだ。俺はうなずいて、トミーから赤く光り輝く砂糖漬けプラムを一粒、受け取った。
***
3PM。
俺はバイクに跨った姿勢で身を乗り出し、恐る恐る№35のフェンスを覗き込んだ。
爺さんは俺に気づくとホースを持つ手を下ろし、最初と同じようにニヤ~と笑った。不思議と、今回は腹が立たなかった。
俺は言った。
「ちょっと、もう少しお手柔らかに頼みますよ」
「何を言う。そんな簡単に願いが叶うと思うなよ。あれでも、まだまだ優しい部類じゃ」
爺さんは俺の言いがかりを何なくかわし、ホースを持つ手をこちらに向けた。
この様子じゃ、役目を終えても、なお人間を続けるつもりらしい。まったく、どこまでいけ図々しい爺さんだ。
――よし、そんなら。
俺は逃げざま、爺さん宅のポストの場所を確認すると、『ホテル・ハファダイ』の方向にハンドルを切った。
ちなみに。リネン担当の彼女とはその日のうちに電話番号を交換し、そこから引くくらいのスピード感で進展し、2か月後には結婚した。
どっちかというと、引いていたのは俺よりママの方だった。俺が三次元の人間女性と結ばれたのが余程ショックだったらしく、式の案内メールを各所に送る前日くらいまで「マイキーが何らかの犯罪集団に加わり、好いた女を洗脳するスキルを身に着けた」と強く主張していた。
何をどうすればそんな「チャーリー・セズ」みたいな世界線を生きられるんだろうか。俺は母親にそこまで見限られていたことに、むしろ戦慄した。俺だって、本気出せば、そこそこのスコアは叩き出せるんだ。
――それにしても。
俺は思い返す。リスクを冒して他人様の敷地に踏み込み、樹から落とされかけ、あげくの果てに腕ひしぎ十字固め。そのあとはひたすらプラム、プラム、プラム。
これ、真正面から彼女にアタックするのと、どっちが楽だったろう?
終




